1990年の悩みを2017年に持ったら、人は簡単に死ぬ

俺が高校生だった1990年は、高校生や大学生の進路ってこんな共通する価値観があったと思う。

「偏差値の高い高校に入学し、次に偏差値の高い大学に入学する。そうすれば一部上場企業に就職出来て、定年退職するまで給料は右肩上がりに増え続け、もし役員になれたら年収3000万円と使い放題の経費が手に入る。」

そしてその逆もあって、

「もし底辺高校に入学でもしたら、大学に行けなくなって、田舎のしょぼい零細企業に就職するハメになって、昇給もボーナスも福利厚生もなく、そのうち会社が倒産して失業して、一生結婚もできない」

みたいな。

このざっくりと2つの価値観が植え付けられていたんじゃないかな。

もちろん今もそんなことを考えてる人もいるみたいだけど、当時が今と違うのは、親の世代は中卒か高卒だったということ。それでも右肩上がりの日本では、十分家族を養うことができた。真面目であれば貧乏にはならなかった。そして子どもたちは、努力さえすれば自分たちが行かなかった大学という進路も開けている。むしろ、そうしないとこれからは負け犬になってしまう・・・そう親たちは思っていたと思う。

 

この当時、「職業」とは、「会社名」のことだったと思う。

「なんのお仕事をされているんですか?」と聞かれたら、ドヤ顔で「○○堂です」とか「○○海上です」とか「○○商事です」とか「○○銀行です」、聞いてもいない会社名を答える人が多かった。

いや、業種と職種のことを質問したんだよって言いたくなるが、当時は会社名だったんだ。勤め先が零細企業の人だけ、「ごにょごにょ」ってはっきり言わない。恥ずかしかったんだろう。

2017年の今、そういう答え方をしていたら、馬鹿だと思われるよね。

でも当時はそうだったわけ。

 

当時の18歳が、今、18歳や22歳の子供の親の世代になってる。

そうなると事態はもうめちゃくちゃシュールな有様だよ。

 

たとえば青森の田舎でも、学習塾の前を夜9時頃通ってみると、子供の迎えの車が沢山並んでいるよ。子供を「良い高校」に入れさせたくて必死なんだ。親がね。言っとくけど青森だぜ?

残念な事実があってさ、その親達は一様に、大学に行ってなかったりする。つまり、大学に入ることが安定した人生のチケットだと固く信じているらしいんだ。

まるで1990年の18歳の親の世代のような考え方をした親が、2017年に18歳の親になってるってことだね。

一方、さらに残念な事実もあって。俺は一応、地元の進学校の出身なんだが、当時の同級生で子供を塾に通わせていると聞いたことがほとんどない。いや塾なり予備校なりに通ってるケースはあるのかもしれないけど、あの塾の前の渋滞のように必死な雰囲気はないと思う。それどころか、あの優等生だった男の子供が、地元のわりと偏差値が低い高校に通っていたり。それが別に困ってもいなくてさ。「好きに面白おかしく生きろ」って言ってる。

子供に1990年の価値観を押し付けて塾漬けにする親がいる一方で、元優等生のオヤジは子供にいくらでも本を買い与えていたり、一緒に旅行に行ったりして学歴には無頓着。部活も別にやらなくてもいいとか言ってる。好きにしろと。

結果、子供のヒューマンスキルは後者のほうが圧倒的に高い。もちろん学歴は低めかもしれないけど。

人生としてどっちが幸福度が高くなるかっていうと、それも後者かもしれない。きっとそうだね。前者は、いつも緊張し、成績が悪い子に尊大な態度を取ったりする自己愛な子供になりやすい。そして、学歴と将来のステイタスや年収が直接関係ないっていう事実を受け入れられず、かなり苦しむことになるよ。

1990年の18歳だって、46歳になってそこに気づいたんだから。学歴と人生に直接の関係がないってことに。当時はまだその価値観を信じていてもそこそこ良かったけど、今、それを真に受けて大人になってしまったら、・・・不謹慎かもしれないけどね、言うよ。

自殺するまで働く人間になってしまうんじゃないの。学歴があって、年収が高いかもしれないけど、それで人生が豊かになってるかというときっと焦りしかない。そして疲れてる。親の価値観を信じて努力してきたけど、そこ先の2017年にはどん詰まり感しかなくて。

 

1990年の悩みを、2017年に同じように悩んだら、人は簡単に死ぬよ。

1990年の働きすぎと、2017年の働きすぎは、同じ残業時間でも疲れと悩みの質量が全く違う。なぜなら、いい大学に行くことを期待した親が想像しているほど、その進路に親が期待するステイタスはもう存在しないわけだから。

1994年に俺が会社員になったとき、初日に言われたのは「死ねカス」だった。先輩に。でもそれ、気にならないんだよね。だって怒られても頑張っていけば昇給もあるし明るい未来あるもんな。

でも2017年に初日に「死ねカス」言われたらつらい。1994年に残業150時間は疲れたけど楽しくもあった。でも2017年にそれやったら俺も死にかねないと思う。

 

学歴だとか会社の知名度だとか、そんなモノサシを人参にして努力した先は、どん詰まりの自殺ワールドなんだよ。

そこまで日本はシンプルじゃないんだから。

昔ながらの、職業=会社名、みたいな価値観では、自分の生き方が迷子になるだけ。

そんなもん捨てても別にもったいなくもないし、絶対にそっちのほうが幸せに近い。

 

親が知ってる職業なんて、どれもどん詰まりだと思うよ?

 

職業なんて自分で作ってしまってもいいんだし、

親が知ってる職業であることと、自分が幸せになることとは、反比例だと思うんだけどね。

2017年は、親が理解できて喜ぶ夢を持ったら、もう終わりなんじゃないのかな。

 

 

スタートラインに立てない人にシンパシーが持てない気の毒な人

前にも書いたことがあるし、誰かが書いているのを読んだこともある。ベタな話題かもしれないんだけどね。

 

例えばネットの片隅でこんな言い方をするとする。リアルの片隅でもいい。

「この日本社会は平等なんかではなく、生まれた環境が劣悪なせいでスタートラインに立てない人間もたくさんいる。低学歴、低学力で、男は肉体労働、女は飲み屋か工員か保険屋になるしかない。常識も知性も欠けたままで、努力の価値も知らないままスタートラインに立てないでいる。底辺になってしまう原因は環境のせいも相当ある。」

 

そうすると、この社会の一部の人は激しく噛み付いてくる。こんな言い方で。

「そんなの甘えだろ!俺は貧乏な家に育ったけど、努力してアルバイトしながら勉強して、奨学金を借りて大学を出た。スタートラインに立てないなんて言って他人のせいにしてるだけの奴らだろ!お前ら負け犬はみんなそうだ!」

 

もうこのやり取りはうんざりするくらい繰り返されてきたわけね。

俺としては、まあどちらも真実だとは思ってる。世の中には努力で現状を変えてきた人は多いよ。俺もそうだったかもしれないけど・・・でもちょっと違うなって思う。

底辺育ちの俺は、スタートラインにすら立てなかった。スタートラインが何かすら分からなかった。差別と暴力と低知能の中で育った。欲しいものは暴力で奪い、抱きたい女は殴ってでも犯した。金もなく、愛情も受けられず、当然学力もない。俺は小学校の高学年まで九九が言えなかった。

俺の周りにもそういう子供が少なくなかった。同級生に、飲み屋で働く母親と2人で暮らしている子がいた。母親が日中は寝てばかりいるので、いつも1人で食事の支度をしていたんだが、ある日沸騰したお湯をかぶって大やけどを負った。小学3年生だというのに顔にひどい火傷を負ったんだ。皮が引きつって醜い顔になった。でも母親はその子の心のケアもする気もなく適当に治療させて放置したまま。相変わらず子供に無関心だから、勉強なんて出来っこない。見た目の醜さから同級生の中には露骨に馬鹿にするやつもいたよ。

その数年後、いつものように母親が仕事に行った夜。深夜1人で家で寝ているとき、母親は客との色情のもつれからナイフで刺され死んでしまった。その後、そいつは転校していき、25年以上も行方が分からなかった。

あるとき、大人になって偶然夜の街で再会したんだよ。もちろん外見では分からなかったが、違う同級生を通して、その人があの時のあいつだよと教えられた。そうか、顔の大きな傷はあれかと。彼はつまらない犯罪を繰り返して何度か服役したクズになっていた。盗みに、傷害に。きっと、母親の親戚をたらい回されて育ったんだろう。スタートラインが何かすら今も分からないままで。

誰が、この子に知性や人の情を教えてやれるんだろう。んなわけがない。動物並に育ったんだよ。そして40歳を越えた今もまともな職業に就くこともなく、飲み屋の女の家に転がり込んで、女をぶん殴っては金をせびる男になっているわけ。ガキの頃の火傷が目立つ貧相な顔をして。

そりゃ努力で成り上がった人はすごいよ。尊敬するよ。

でも、それでも俺は、あなたは恵まれているからだよって思う。努力すれば報われるっていう概念は、動物並の環境では自然発生しないんだから。スタートラインに立てないという発言に対して異常にイキる人たちは、たぶんそこが分からないんだと思う。スタートラインの先で苦労した人と、スタートラインすら何か分からない人とは違う。

俺もまた、恵まれた人間だよ。

18歳で降り立った新宿の街で、俺を育ててくれる女たちがいたから。暴力的だったり動物的だったりしたかもしれないけど、スタートラインに立たせてくれた。キラキラ光るシャンパンや、見たこともないスタイルのいい女のケツや、聞いたこともないカッコいい音楽が鳴るレザーシートのプジョーや。そんな雑だけど色気しかない世界で、俺が親から教わらなかった「努力の価値」や「夢を持つことの価値」を始めて知ったんだよね。だから俺は、恵まれた人間だと思う。

それすらできないまま、田舎で火傷した顔を目深に被ったキャップで隠し、人目につかないように夜の闇の中でしか外を歩かない彼もいたんだ。孤独に生きて、みんなに忘れられて、他人から奪った金で食い物を買い、廃屋のような家の片隅で動物のように食うだけ。愛してくれた女がいたかもしれないけど、その価値も知らずに暴力をふるっては去られてしまっただろう。

スタートライン?なんのことだよ。努力?こいつにその価値を教えてくれよ。お前らのその「常識」なんて、お前らの恵まれた世界の特権でしかないって気づくさ。日本人はみんな最低限の文化的な生活してると思うか?憲法がそう言うからそうだと思うのかな。全く違うよね。最低以下の動物並みの世界してるやつは、この2017年だっている。きっと昔よりも多い。

 

それでも言うだろう。そんなのは甘えだと。自分は違うと。自分は自分の力で這い上がったんだと。そうイキるだろうね。

 

こういう、自分は努力をしてきた、とイキり、努力できない人間やスタートできない人間を激しく攻撃する人たちって、日本には多いんだよ。

これがひどくなると自己愛性人格障害って病名がつくんだけどさ。

なぜこうなるのかって、簡単な理屈なんだよ。

それは、日本の中間層に昔からある価値観のせいだよ。上位層にも底辺層にもない特殊な価値観で、「努力すれば報われる」っていう「ガンバリズム」のこと。

每日每日、努力努力努力努力、いろんなものを犠牲にして、今日も努力努力努力。それは正しいんだけど、その価値観が学校にも家庭にも部活にも職場にも蔓延している環境で育つと、「努力してないと見受けられる人間を激しく嫌悪する」ようになるんだよね。

部活でいるだろ。なんで頑張らないの?なんで小走りしないの?なんで大きな声で挨拶できないの?なんで笑ってるの?なんで水飲むの?なんで疲れたって言うの?なんでネガティブなこと言うの?ってイキる人。

結果が出せないとすぐに反省会。そして自己否定を周囲に強制する人たち。

その人達が本当に嫌悪しているのは、努力していろんなもん犠牲にしても、ぱっとしない人生しかない自分のことだろ。

もっと言えば、努力しても結果がぱっとせず、親が認めてくれないっていう恨み節みたいな。

これって、日本の中間層にほんとに多いんだ。俺の知っている「経済的上位層」や「知的上位層」にはそういう卑屈なガンバリズムはないし、もちろん俺の出身階層である「経済的底辺層」「知的底辺層」にもない。ほんと中間層にある幻想なんだ。ガンバリズムって。そんなガンバリズムを野放しにして、中間層にお坊ちゃん達が起業家ごっこをするから、気持ち悪いことになるんだよ。セミナーに出まくって、「勉強してる自分」をセルフイメージに植え付け、似たような人間と懇親会してお仲間になって、さあ努力努力、寝ないで努力する自分はやっぱり起業家だ、みたいな。

で、結果はぱっとしない。悪いけど。

 

この人達は、だから「スタートラインに立てない人たち」へのシンパシーなんかない。努力してない怠け者として思えない。そのイキりの向かう先は、結局、ぱっとしない自分への怒りと焦りだろう。

きっとこういうのは浪人生の予備校でもあるだろう。焦りから、分かりやすく努力してない人間を攻撃する、ぱっとしない浪人生とか。

 

もう、ガンバリズム抱えていては、成功なんて遠いよ。時間というか、人生無駄にするだけ。そのまま50歳になるよ。起業して成功する願望を持って努力するけど、自分まだまだですっていつも言ってるおっさん。

もう辞めなよ。

死ぬまで成功なんかしねえから。

サラリーマンでもそう。昇進のレースとか、営業成績のレース、昇給のレース、いろんなレースがあるけど、ガンバリズムとそれらを結びつけたとき、そりゃ苦しい人生が待ってるんじゃねえの。いっつもキリキリして、他人批判して、他人に自己否定を強要する嫌われ者になってんじゃねえの。

 

冷静に考えて、スタートラインに立てない人間には、ガンバリズムじゃなく社会福祉的な枠組みのほうが必要だよね(笑)

そしてイキる自分自身には、ちょっと脳味噌のフレームを外してリラックスしなよと俺は言いたいです。

あんたはそのままじゃ成功できないんだから、もっと楽になりなよって。スタートラインに立てないやつらを攻撃するその性格から見直したほうがいいですよ。

 

中間層の、努力で成り上がったボク妄想ほど、悪趣味で迷惑なもんはない。

 

自己肯定感が低すぎて気持ち悪いです

このツイートに対して、俺の周辺では話題になったらしく、いろんな意見をもらった。

 

今日はそんな「自己肯定感」の話題。

 

 

最近、いやーそれはちょっとどうだろうっていうコミュニケーションを取る人が増えていると思うんだよね。確実に。

いくつか俺の体験を話すと、、、

俺のプライベートのことなんだが、かなり無神経なことしてくる女がいたわけよ。

そいつの仕事のことで俺が少し協力していたんだが、それ絡みで急な用件があって電話をした。しかし、何度かけても出ないし返事もない、LINEも既読にならない、何度も繰り返し連絡を試みるがナシのつぶて。かと思うと、次の日になって、電話に対してLINEで返事してきて、「どうしました?」だって。

すぐに電話したが出ない。

 

キレやすい俺は、やはり瞬間沸騰。LINEですぐに送ってみた。

テメエ、おまえの仕事のことで俺が連絡してんだろが。何がどうしましただ、ふざけんなよ。

すると、またLINEで返事が来る。

「すいません、、、気がききませんでした」

電話で言えねえのかよこの糞まんこが

すると慌てたように電話が来た。

テメエ、死ねよ

こんなに暴言吐かれて死ねまで言われることなんて、こいつらはねえんだ。喧嘩なんて経験ないんだから。だから、恐れおののいてひたすら謝る。声も震えている。

でもまあ、俺も大人なんで多めに見てやり、用件を話してそこは終わった。おまえの仕事のことなんだから、俺がアレンジしてやった人脈を大切に活かせよって話をした。

「はい、ありがとうございます、ほんとにありがとうございます、ありがとうございます」ってしつこい。

あーなんかムカつくなーと思いながらも、いいから早くやれよって言って電話を切った。

 

そして後日、俺が教えたことを全くやってない。俺が紹介した人にも電話も入れてない。俺が紹介した人からは、俺まで疑いの目で見られ始めてる。

おまえ、俺が紹介したのが気に入らなかったのか?

俺はその女に言った。そしたら「すいませんすいません、準備が出来たら連絡しようとしてそのままになってました、すいません」とまた謝る。

 

そしてさらに後日、その人脈からは呆れられて切られたことを俺が知った。俺が恥をかき、その人には失望させた。俺の信用はもうない。

俺はその女を呼び出し、話をしたんだ。冷静に。なぜ、日頃、連絡がマメにできないのか。せっかくのチャンスも潰し、俺のメンツも潰し、おまえ自身もその仕事で成功する見込みなんかねえだろうに。

そういうと、まあもうすげえ申し訳なさそうな顔するわけよ。でまた言う。「すいませんすいません、アキラさんのせっかくのご厚意を裏切ってしまいました、すいません、アキラさんを傷つけてしまいました、そのことについてわたしは反省します」

 

またブチっとキレてしまうんですよ、アキラは。

 

何?こいつ?俺は、なぜ日頃連絡をマメにできないのかって聞いてんだよ。俺の気持ちに勝手にフォーカスしてくるんじゃねえ。俺は、俺の気持ちはどうなる、なんて言ってねえんだ。

実務として、なぜ連絡ができないのか、なぜ俺が提供したチャンスを潰すのか、それが必要ないチャンスだったらなぜ最初に断らないのか、それを訊いてる。それなのに、アキラさんのご厚意を裏切りましただの、傷つけましただの、なにこいつ。

 

こいつと話をしてるだけ時間のムダだと思って、話を打ち切って帰った。

俺はあまりにもの気持ち悪さで吐き気がしてさ、友人である美咲に電話したんだ。電話に出なかったけど、5分して折り返しかかってきた。「あと15分したらかけるけど大丈夫?」と美咲は言った。

もちろん、いいよ。悪いね。

そして、25分後に美咲から電話がかかってきた。「遅れました、それで?」

ああ、やっぱりこの人は違うなと思った。

 

俺の感じた気持ち悪さの正体を、美咲に言語化して投げ返してもらいたかったんだ。こういうとき、頭のいい女性はほんとに役に立つ。

「それは、自己肯定感の低さだよね」

そう美咲は言った。

なるほど。自己肯定感。

 

美咲が言うにはこうだ。

まず、自己肯定感の低い女は、電話やLINEやメールの返事が遅い。それは理由がはっきりしていて、自己肯定感が低いあまりにそのコミュニケーションの価値も低く見積もるから。

逆に、返事をしたら100万円あげます、だとすぐに返事が来る。自分がほとほど困ってることを解決できる電話だったらすぐに返事が来る。でも、仕事の話は、いくらチャンスだろうとそこから努力をしなければならない話はどうてもよくなるわけだ。

さらに、その「空気」を読んでねと、他人に期待する無神経さもある。

次に、自己肯定感が低すぎて、他人も自己肯定感が低いと勘違いしてる。だから怒られると、自分のしたことを反省したり、相手の好意を反故にした無礼を詫びることが出来ない。それよりも、傷つけたとか、裏切ってしまったとか、そういうことばかり言う。

それは自己肯定感が低い者同士だったら、心地いいコミュニケーションかもしれない。

興味がないことは無視し合い、それで怒られたら、傷つけてしまったとか相手の自己肯定感に立ち入ったことをまず心配しようとする。

 

「だから、アキラのように自己肯定感が天より高い人間とは会ったことがないだろうし、どう接していいか分からないんだよ」と。「全部がズレていってるのに、どうしていいか分からないんだろうね」

 

なるほど、と思った。こうやってモヤモヤを言語化してくれる女がいるかと思うと、俺がイラつくポイントを一生懸命深掘りしてくる気持ち悪い女もいる。

フォーカスしてほしいのは、俺の気持ちなんかじゃねえ、俺がアレンジした実務をぶん投げて腐らせた事実についてだ。つまり、おまえの行動についてお前に問いかけているんだ。

実務の話題について、感情のことで返事をしてくる。お前のことについて質問しているのに、俺の気持ちについて返事してくる。

これは気持ち悪すぎる。

頭が悪いというより、やはり自己肯定感の低さが当たり前のなってる世界で生きてる人間の卑屈さなんだろうな。

 

自己肯定感が天より高い俺だとしたら、この女の立場ならどうするんだろう。

LINEを既読にしないのは、LINEが迷惑だからだということだし、そんな人間から紹介されても迷惑なんで断る。それは空気読んで欲しいとかではなく、はっきり告げるだろうな。そのことで相手を傷つけるのかもしれないが、まあ相手も百戦錬磨だ、俺がいなくなっても問題はないだろう。死ねくらいは言われるかもしれないが、それは仕方ないと思う。

逆に、うっかり怒らせてしまっただけなら、俺は必死に謝るだろうけど、相手の気持ちにフォーカスなんかしない。相手がくれたチャンスの価値を認めているから、必死にもう一度チャンスをくれとお願いする。図々しいと言われてもいいよ。その価値があると思って言ってると、相手に伝える。この場合は死ねとか罵倒されるだろうが、しつこくお願いすればチャンスをもう一度くれるだろう。

相手が嬉しいのは、気持ちなんかにフォーカスすることではないよね。実務なわけだから。

 

その俺を怒らせた女に質問してみた。

この仕事を本気でやって成功するっていう腹が決まってんのか?

すると言うわけ。

「実は迷ってます。いままでお世話になったアキラさんを裏切ることにもなるし、でももう頑張れないって気持ちもあるし、中途半端な気持ちです」

 

ほらな。仕事をやるかどうかの腹積もりの問題まで、俺をダシにするわけな。

ここまで自己肯定感が低いともう病気だぜ?

 

美咲が言う。

「失敗しないように育てられた世代だからだよ」

 

そうね。結局、失敗しないように安全に育ったせいで、自分が何をしたいのかも分からない。自己肯定感が低すぎて、自分の目に見えるのは、自分の気持ちと、相手の気持ちだけ。それが気遣いだと勘違いしてる。

残念ながら、自立した大人が大切にしなきゃならないのは、まずは自分の夢。次にそれを応援してくれる人に対して恩義を感じ、恩返しをしようとする実務的な態度だよ。

 

自己肯定感なんて、自前で調達して持ち寄るのが当たり前の大人なんだよ。

 

数字の意味が分からない経営者

俺にはいくつかあるが、大半はいかがわしい種類のもの。もちろん違法ではない。グレーでもない。れっきとした合法のビジネスだ。

世の中にはこんなことで金を稼げるの?しかもこんな金額を?っていうビジネスがたくさんあって、AをBに移し替えて書類を作るだけで数百万円の利益を出すみたいなことは腐るほどあるよ。

あるいは、めちゃくちゃニッチな商売もあるし、多くの人がそれが金になると思ってない商売もある。

そんなビジネスの1つに、俺の「特殊調査」がある。特殊なんて言うとカッコいんだが、なんてことはなくて。世の中には、誰も調査したことがない数字とか実態ってあるんだよ。国勢調査でも調べる項目になってない数字もあるし、大学の社会学部の研究でもやったことがない数字もある。詳しくは言えないが、例えば、ある限定地域における、風俗嬢の必要経費を差し引いた課税所得の平均額なんて、誰も調べようがない。あるいは、ある地域におけるインターホンがないアパートの世帯数やその所在地を住宅地図にマーキングするとか。
もちろん個人情報や名簿など違法なものは扱わない。
そんなニッチな調査を、企業や個人から依頼を受けて実施するのが俺のビジネスの1つなわけね。それを企業はマーケティングに活用するんだろう。
もちろん、本業ではないし、調査できるものには制限はあるけど。可能な調査ならやる感じ。

最近、ある企業から調査の依頼を受けた。
内容は、まあくだらない。自分とこの社員にやらせてもできるだろうってくらいの調査だよ。
そこの社長の単なる思いつきで、ある項目を調べて欲しいということらしかった。

1週間の調査で、報酬は75万円。
悪くない。
でも、その調査内容は、それを知ってもあんたらの商売には無関係だろってやつで(笑)マーケティングを学んでるらしいが、殺人的にトンチンカンで。こんなのにその金払うんかと思いながら、まあ調査を進めた。

調査結果をまとめて、納期に間に合わせて提出したところ、社長から電話が来た。

「おい、これ、こんなわけないだろ!ちゃんとやってないだろ!」

俺が提出した調査結果の数字が、自分の想像や想定からかなりかけ離れているらしかった。
おたくの社員に依頼された通りの調査内容で、フィールドワークして導き出した数字ですが?と思ったが
実は、この社長の思いつきに社員も毎度のことでしらけているらしく、その調査にも付き合う気がない。適当に合わせているだけみたいだ。

残念ながら、いくら調査してもその数字は変わらない。現実は現実だ。

では、社長の想定する数字はいくらかと聞いたら、実態の5倍もかけ離れている。

では、ということで、俺は本来の依頼内容とは大きくズレる調査を再度し、希望通りの数字を作って提出した。

結果、こんな数字は何の意味もなさなくなった。調べる意味がないし、そもそも国勢調査から何かの白書読めば載ってるはずだ。ニッチ調査でも特殊調査でもなくなった。

今度は、思った通りの結果が出ないと文句を言うんだろうか。

こういう科学的な思考ができない人が、数字を調査してもなんの役にも立たない。調査結果さえ自分の思い通りに改ざんしてしまうアホならなおさらだ。

まあ、俺は金さえもらえたら後は知らない。

数字の意味が分からない人間が、数字を調査したらいけませんよ。
まずは、自分の部下を巻き込んで協力に育てる方が先ですよ。社員がみんな白けてますよ。

論理破綻していようとも、その表現のほうが正義だったりする

「人に伝えたい事が伝わらない」って思ってる人は多いと思う。

俺もそう。”AはBでありCでもある”という事実があるとして、俺はそれを簡単に理解できると思いこんでいるんだけど、世の中の8割の人は、ぽかーんとなってしまうことってよくある。ありすぎる。

俺は頭が悪い男なんで伝える能力がないから仕方ないんだけどさ。

世の中ね、すげえ優秀な人間がせっかくいいこと言ってるのに、ぜーんぜん伝わってないことって多いなと思う。

いるだろ?とてつもない能力を持っているのに、表現力と表現方法がないがためにうだつが上がらないひと。

(俺もそうだと思いたいけど、俺の場合、能力そのものがないw)

 

今日は、表現力もいろいろ種類持たないと辛いよって話。

 

最近、俺は歯が痛くてさ。虫歯じゃないんだ。歯のかみ合わせが原因で歯根膜炎になって、顔まで腫れ上がった。

同級生のお父さんである歯医者(結構高齢)にやってもらったところが、ダメだったらしい。

それで昨日、歯医者に行って歯を削られていると、ふと思い出す光景があった。

 

ああ、そうかと思った。あれってそういうことなのかと思った。

 

それは約20年前。今は渋谷に会社がある某ネットワークビジネス最大手企業の集会みたいなのに連れて行かれたときのこと。東京のどこかの貸研修室だったような。

 

そこで、胡散臭いおっさん(若作りの自称サーファーで自称成功者)が、その会社が売っている歯磨き粉の説明をした。アルミホイルに、自社の歯磨き粉を乗せる。隣に市販の歯磨き粉を乗せる。それを歯ブラシで軽く擦る。

そしてティッシュで拭き取る。

市販の歯磨き粉で擦った方は、アルミを削った黒い汚れがつく。

自社の方は、汚れがほとんどつかない。

すると会場が驚きでどよめいた。

「すごーい」って興奮している女が沢山いた。

自称サーファーが言う。「こんな研磨剤で歯を削って磨きたくないですよねー!」

だからこの会社はすげえんだって話になっていった。こんなのテレビCMやったら絶対バカ売れするのにやらないんですよ!てね。

まあよくあるネズミの話し方。

 

え?と俺は思った。俺もガキだったけど、すぐ分かった。

簡単な話じゃん、市販の歯磨き粉はステインを落とすことに特化した研磨剤強化型、そっちの盛り上がってる歯磨き粉は研磨剤を穏やかにしたタイプ。

研磨剤を穏やかにしてるのは知覚過敏にはいいだろう。でもステインは落ちないだろうから歯はいずれ着色するよね。でもまあ、メーカーの開発者にはもっとその仕様にした理由があるに違いない。

でも。

歯はアルミホイルじゃないよね。アルミホイルが削れることと、歯が削れてしまうこととは本質的に違う。それ、実験とは言えない。

正しくは、「アルミホイルを歯磨き粉でどのくらい削れるかの比較実験」、だ。

あとで知ったが、その実験はその会社が公認している比較方法ではなく、販売員が勝手に開発した実演販売方法らしい。

 

んーとか思いながらも、まあ、俺を誘ってくれた人も楽しい人だったしその歯磨き粉買って使ってみたよ。でもだめだった。使用感がダメで途中で捨てた。俺はいつものコールゲートが合ってる。

 

その光景を歯医者で思い出したんだ。

ああ、そうかと。そうだな、と。

 

もし、サーファーがネクタイを締めて、七三分けにしてこう言ったらどうだったろう。

「○○というエビデンスから研磨剤を添加した歯磨き粉による健康被害および環境汚染を問題視しています。この歯磨き粉はそこをクリアするため、研磨剤を開発してパテントを取得しています」

 

伝わらないよね。少なくとも、作業服を着て研修室にやってきた無精髭の若者たちにはちんぷんかんぷんだ。興味持たれない。

 

それをアルミホイルの実験をしてみたらどうだろう。

簡単に、すごーい、すげー、ってなるわけだ。

 

これを「分かりやすい表現をした」とは言えない。頭のいい人だったら、アルミホイルと歯は違うという大前提に詭弁があるので、とてもじゃないが倫理的にやれない行為だ。

でもそんな風に論理破綻していようとも、アルミホイルを歯に見立てて実験し、結果、研磨剤の違いという最終的な訴求には成功してるわけだよね。

 

ああ、そういうことかと思ったのは、そこだった。

 

世の中には、キャッチーではあるけど、論理的におかしい広告が山ほどある。

 

近所に、土地込み1000万円の住宅を売っている会社があるが、そこのチラシにはこうあった。

「家賃より安い負担で家が買えます!」

 

頭のいい人なら、これだって気づく。金利が0.65%だったら今の家賃と同じかもしれない。もしそれが金利4%になったとしたら、家賃より高くなるし、金利上昇がいつなのかも分からない。もし全期間固定金利にしたとしたら、今は大体1.5%くらいだろうか。だとしてもたしかに家賃より安いかもしれないが、団体信用生命保険料がかかるので話は微妙になる。

それにアパートより光熱費は高いし、固定資産税だってかかるでしょ。そしたら、今のアパートより安い負担なんてありえないんじゃないの?ってね。

 

でもそれを言っても、1000万円の住宅なんて安物を買う層の人達には伝わらないだろう。頭のいい人にアピールするやり方では、頭の悪い人たちには伝わらないのが現実。

ツイッターで頭のいい人と悪い人のものの見方の違いっていう話題が流行ったが、それに近いよね。

キャッチーなことを言われたら、そのまま飲み込んで信じてしまう。

結果、安い住宅が売れまくるわけね。それがどういう結果になるのかは別にして。中古車屋みたいな雰囲気の雑な営業を受けて、安いからって買う人も多い。

 

逆に考えてみると。

能力が高くて、良いことを言っているのに、世の中に認められない人は、ここのところをよく考えてみたほうが良いと思うよ。

論理破綻していようと、キャッチーさにはかなわないんだから。

中国四千年の味とかいうコピーで烏龍茶を売れば、一定層はなるほどと思うが、本来なんだよそれ?なわけ。でもなんか歴史ありそう!身体によさそう!中国人は痩せてるイメージだから烏龍茶飲んだらやせるはず!とか思って買うわけね。

でも、中国人のおじさんは腹でっぷりだよっていう。痩せているのは清の時代とか文化大革命時代の貧しい中国人のイメージだろう。

 

論理破綻なんか気にしない。

頭の悪い人を相手にするなら、キャッチーな表現は絶対必要だよ。

 

頭のいい人達だけを相手にしたいって思いがちなんだけど、それはえてして成功できない。世の中、頭の悪い人のほうがマジョリティなんだから。

 

 

「てっぺん取りたい」とか寒すぎるだろ

なんか、もうそういう感覚は時代とズレているんじゃないかなって思った光景があって。

俺は今はもう風俗業とはほどんど縁がなく、昔の知り合いの経営者がたった2人いるだけ。それももう交流は途切れかけている。今でもごくまれに、知り合いと通して、スカウトをお願いされることもあるんだけど、基本断ってる。金の問題でも、立場の問題でも、倫理の問題でも、どれでもなく、ただ興味がない。

もうずっとずっと昔の話だよと思う。

 

でも、先日、知り合いから紹介されて「風俗業を始めたい」っていう男と会った。今は小さな飲食店をやってるらしいが、嬢は集められる、資金もそこそこある、条件は揃っているので、派遣型の風俗をやりたいらしい。

30代始めくらいなのかな。黒いシャツを着た、ちょっとやんちゃな、でも人当たりは良さそうなやつ。

夕方、日が暮れてきた頃に彼が経営する小さなバーで会った。

あー、厄介なやつと会ってしまって時間のムダだなーと思っていたんだが、そいつがこんなことを言うわけ。

「俺、これでてっぺん取りたいっす」

なんだよ、サムライかよって血の気が引くほど寒くなったが、そいつは顔を汗と脂でテカテカさせて熱心に語る。

前にブログで書いたけど、今時なのかな、事業計画みたいなのご丁寧に作ってるやつが結構いる。そいつもそう。どこで覚えたんかね、そういうの。

見てくださいって言うから、分厚い資料をペラペラと10秒だけ見た。こんな分厚い資料読むわけねえだろが。

まあ、成功したいんでしょう。てっぺんとか言うから。

「いいんじゃないすか?頑張って」

そう言うと、少し安心したみたいだった。バーのカウンターで大きなグラスにコーラを注いでくれて、それをゆっくり飲んだ。

 

でもな、と俺は思う。

この感覚、もう古いと思うよ、と。

 

風俗業の違法性のあれこれは横に置いとく、派遣型風俗の可能性についてもまあ横に置いといて、何をするかはともかくとして、そういう「てっぺん取りたい」みたいな感覚って、もうお寒いと思うよ。

 

え、努力するって悪いことじゃないじゃん、一番になれるように努力するって当たり前のことじゃん、って思うかもしれないね。

確かにそうだよ。でも今が1995年だったらね。

2017年の今、その感覚を持って「成功」なんて難しいと思う。

 

風俗っていう仕事で例えると、まあ古典的で伝統的な業界なわけだよ。やることは昔から変わってない、集客方法も雑誌かネットかっていうのも昔から同じ。ただがむしゃらにやって、それで一番になりました、てっぺんとりました、なんていうことが仮に出来たとしても、たぶんすぐにヘタる。

なぜなら、もっと大きな力と資金力で、もっと大量に労働力をぶちこんできたライバルに必ず負けるから。そうじゃなくても、自分の気力と体力がヘタれば、結果もヘタる。

 

エンジンがついていない手押し車を根性で押し続けて、手を離すと坂道を逆に戻っていくみたいな努力の仕方だってこと。その手押し車を押してる段階で、ライバルと喧嘩をしたり、誰かを負かしたり、誰かを出し抜いたりしているうちに、自分が一番疲れてくる。

クレクレクレクレ言い続けて、自分勝手に努力に酔った先は、多少実入りはあるかもしれない。でもそれはきっとすぐに終わる。嬢から嫌われ、客層は荒み、嬢を採用できないまま辞めていく嬢が増え、クレームが連発し、体力も気力も奪われ、多方面とトラブルを起こし、最後に腐るように店を諦めることになる。

 

2000年頃とか、それでも十分通用した時代もあったけどね。

風俗だけじゃなく何の商売でも、金を借りまくって人を増やし店を増やしサービスのライナップを増やし商品を増やし、売上を拡大して「てっぺんを取りました」なんていうのが優秀だと思われていたし。

今だとちょっと頭が弱いというか、あまり優秀じゃない人が誰かに焚き付けられて「本気になった」とか言ってやってるイメージだね。

ネットワークビジネスとか、歩合制の営業とか、そういう古い世界で今でもこれやって失敗してる人が多すぎるんじゃないのかな。そもそも優秀な人が多くはない世界でね。

 

この時代、自分にとっての幸せと、自分の周りにとっての幸せが両立しない努力は失敗する可能性がものすごく高い気がする。

そんなのあるかよ!って脂ぎったおじさんたちは説教するだろうが、ないと思ってる非常識に気づいてない人だと思うよ。

それに、田舎の小さな会社や個人が、量で勝とうとすると必ず負けるだろ。当たり前であって。スモールビジネスしてる人は、量でも順位でもシェアでも、そこに価値基準置いた瞬間負けが始まる。

 

昔、ある街に、意図的に嬢が5人しか在籍しない風俗店があった。指名予約とリピートだけでスケジュールが埋まり、新規はほぼ無理だった。一人あたり、嬢が入れる本数は3本。在籍は5人と決まっていて、6人になることもなく、人が減ればまたどこからかすぐに嬢がやってくる。価格は周囲よりもずっと高かった。

当然売上は物量が豊富な大規模店の足元にも及ばない。新規で入れない店のあり方にネットでは悪口も続出。情報誌に広告も出さず、ネットに簡単なホームページがあるだけ。嬢の写真もない。斬新なサービスも一切ない。

ほんと超スモールビジネスだったが、ちょうど10年が過ぎた頃、廃業した。すごい年収の嬢を何人も輩出し、経営者自身も廃業時には相当な財産を持っていた。

この彼とは今も交流があるが、センスが15年は先を走っていた人だと思う。彼もまた、風俗業にはもう縁がない。可愛い奥さんと2人でまた小さな商売をしてる。地味過ぎるが、どうせまた稼いでるんだろう。目立たない地味なセダンに乗って、廃業したときに記念に奥さんから貰ったオメガの時計をつけて、いつもデニムを履いている。そろそろ豪邸でも建てていいと思うだが、2階建てで32坪の中古住宅を買って住んでいる。

昔のスタッフたちが今も慕って交流してるっていうから、相当な人格者だろう。

本当の勝ち組ってこれなんだろうね。とても現代風だと思う。時代に合ってる生き方をしてると思う。幸せに成功するっていうとこの人を思い浮かべる。

 

てっぺん取りますなんて寒いこと言う前に、自分の幸せと、周囲の幸せを同時に考えたほうがいい。

欲しいのはてっぺんなんかじゃないはずだろ。

 

どうしても一番になりたかったら、大食い競争でもしていればいいよ。

 

戦わなきゃならない試合、勝たなきゃならない試合って、人生には3つしかないんだよ。

 

他人のモノマネだけで成功するほど甘くない

18歳で青森の田舎から東京に出ていって、ニキビ面晒して新宿の片隅で生きるようになって、右や左どころか上も下も分からない訛ったガキが東洋一の歓楽街でサバイバルするためには、百戦錬磨の先輩たちや師匠や、デブの社長が俺に教えてくれる「アドバイス」に耳を傾けなければならなかった。

 

いわゆる成功ノウハウとか、成功哲学ってやつ。

 

それがまた、俺には難しすぎた。

 

特に師匠が俺に教えることは、支離滅裂かつ馬鹿馬鹿しい謎掛けのオンパレード。1990年頃の話だしね。まだまだ根性論とか精神論が跋扈していて、「本気なら○○できるはずだ」的なアドバイスばかり。抽象的なうえに、なんか掴みどころがない。

で、それをやらないと当然怒る。だからやってみる。そして能力的にやれないとまた怒る。俺の人格まで否定してくる。

じゃあどうしろってんだよってことで俺もキレる。キレるとキレる。キレた師匠に俺もキレる。取っ組み合いの喧嘩になる。でも顔が商売道具だったんで、お互い顔は殴らなかったけど。

それでまあ冷静になって、師匠が8割悪いけど俺も2割悪いところもあります的な謝り方をしたり。でも実は俺は一切悪くねえよってツラして、それがまた喧嘩の原因になったり。

 でも、ほんとに、おまえの教え方がわりいんだよって今でも思ってる。

 

そういうわけで俺は弟子業としては、最低で最悪。素直さゼロ。ゼロというかマイナスだね。素直になれというと、素直になるどころかマイナスに振り切って怒りまくるっていう。

 

肝心の諸先輩方のアドバイスが全然役に立たないのはなんでなの。ほんと腹立った。

ほんと俺が悪いせいなのか、先輩や師匠の言う通りやっても上手くいかないんだ。

「アキラ、俺が教えていることになんで我を入れるんだ!このカスクズアホ!」とか言うんだけど、悪いけど何度やってもそのやり方で俺がこの夜の世界で稼げるわけねーーーだろ、って思ってたんだよね。

 

それ無理って思ってた。

でもその通りやれってうるさかった。でもそれじゃ俺無理なんだよ絶対。

 

想像してみてよ。俺、青森の八戸っていう田舎の生まれだよ。当時も今も田舎町だよ。イカとかサバとか貧乏くせえせんべい汁とか食って育ったわけ。喋るイントネーションもふにゃふにゃおかしいし。地域柄、喋るスピードもものすごく遅い。おっとりなんだよ、今も。

そんな育ちしてんのに、新宿に来たら、いくらガラが悪い不良だっていっても俺からしたらいい育ちしてんのよ。都会的っていうかな。スマートっていうのかな。みんな喋るのも面白いしさ、上手だしさ、これは女性にモテるだろうよって痛感したよ。

俺は?喋れない(笑)外国人になった気分。

言葉一つそんな感じだったんで、こんな田舎のガキに、そんなトレンディ(死語)なお兄さんがたのアドバイスなんか、役に立つわけがない。

 

前提が違うと思った。俺なんかオシャンティ(死語)なジョークなんか繰り出したり、

調子ぶっこいたお世辞なんか言えねえよ。

 

周りの若い奴らは兄さんがたのアドバイス通りに実行して、結果を出す。

俺はいつまでも出せないまま、怒られて先輩の教えをイヤイヤ守ってる。

いや、教えられるのが嫌なんじゃないよ。いいこと言ってたし、納得いったし、勉強になった。東洋で一番洗練された歓楽街だけあって、俺は日本で一番レベルの高い環境にいるって思えた。

それはすごいことだとは思ってた。プライドもあった。

 

でも結果出せないのは俺ばかり。

 

で俺はそんな教えをある時から破るようになった。守破離なんてもんじゃない。真似すら出来ない状態で、教えを捨てた。

先輩たちも俺を見放していたんでちょうど良くて。落ちこぼれっていうのは便利なもんだよな。好き放題しても無視されてるから。

 

俺の仕事は、中年女性とデートすることではあったんだけど、そんな単純に見えて複雑怪奇極まりない仕事をしていると当然每日失敗した。

以前だったらそれを先輩に言って怒られるだけで終わったんだが、俺は報告は一切せず、その代わりにノートに書いていくことにした。

今日どんな失敗をした、それはなぜか、どんな法則・数式で一般論かできるか、自分がコントロールできることできないこと、失敗を成功に繋げることができるか、そもそも自分の仕事の考え方が正しのかどうか、そんなことを赤いペンを使って殴り書きしていく。

当時俺が使っていた青いファブリックのリュックにはノートと赤い革の手帳が常に入っていて、気づきがあるたびに人目につかないように便所の個室にこもって書いたりしてた。夜の世界でそんなメモなんかしてると、馬鹿にされていたからね。ひ弱っぽくて。

 

そしてそんな時間もかからず、俺は自分のやり方でうまくいくようになった。教えてもらったことから遠くはないけど細かいテクニックの部分は別物の、アキラオリジナルのやり方だった。

売上が上がってくると、まず社長が喜んだ。先輩たちは嫉妬した。師匠は呆れていた。

いいじゃねえかよ、売り上げ上がってんだからと突っ張ろうとしたけど、いや、先輩たちがいろいろ基本(っぽいもの)を教えてくれたりしたことと、それでも一流の場所だっていうステイタスみたいなものがあってこその俺だとは思ったんで、俺も大人になって言った。

俺は俺のやり方で仕事をしていく。でもここは店というチーム。チームとしてやるべきこと、たとえば掃除当番とか買い出し当番とか、下っ端がやるべきことは積極的にやった。

そうこうしているうちに、先輩たちの売上を越していった。

 

でもね、当時のことを考えると俺がラッキーなだけだったかもしれないし、それでも基本を強制的に暴力的に叩き込まれていたので成功したのかもしれない。

それでも、俺は、自分のやり方で成功したと思ってる。俺オリジナルの方法で。

 

オリジナルであることは、孤独であるということ。誰からのアドバイスももらえない。師匠の教えをコピーして努力するタイプであれば、師匠がいちいち教えてくれるだろう。でも、俺はそれでは成功できないんで、仕方ないよね。

 

俺は、自分が長期的に、かつ本質的に成功しようと思ったら、オリジナルを追求しないとならないと思う。

短期的にちょっとだけ上手くいかせてみたい、と思うのであれば、他人のモノマネでいいと思うけどね。

最初は基本を教えてもらうのは絶対。基本通りに真似から入るのがいいと思うけど、絶対にそれでは長期的に成功しないと思う。

 

 

自分の今日の失敗に向き合ってますか。

今日、何もしなかった、今日、失敗すらしなかった、今日、漫然と過ぎた、

それ自体が失敗なんであって。

 

そこに向き合うのって自分でしかないんだから、成功する方法だって自分オリジナルでしか無理なんだよ。