シンクロだけが本質を引き寄せる

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二昔前くらいに、「コーチング」っていうものが流行った時代がある。

今ではもういかがわしい詐欺的なものとして認識している人が多いと思うけどね。

Wikipediaによれば、コーチングとはこんなものらしい。

 

人材開発の技法の一つ。 対話によって相手の自己実現や目標達成を図る技術である。 相手の話をよく聴き(傾聴)、感じたことを伝えて承認し、質問することで、自発的な行動を促すとするコミュニケーション技法である。」

 

分かりやすく言うと、「コーチ」さんが、「カモ」に対して、質問をすることで「カモ」は自発的に気づきを得て、目標達成へ向かって自己を変革するようになる、みたいなもんかな。

まあ、ファンタジーだわ。お坊ちゃんお嬢ちゃん同士のママゴトみたいなもんだ。

結論として、コーチングに本気でハマった人間はたいてい人間関係を破綻させ、心底嫌われることになるんだけどね。怒った相手に胸ぐら掴まれてる「コーチ」さんを俺も何度か見たことがあるほどだ。

 

そんなコーチングでは、「質問」が大切だと言われていて。相手に質問を投げかけることで、相手の頭の中の思考の塊がほぐれ、新しい角度から考えられるようになるということらしい。コーチは相手の背景を理解することができ、相手は気づきを得て目標を達成できるようになると。

書いていて身体が痒くなりそうだ。キモチワルイ。

 

この2018年でも、未だにこの「質問」に価値があると信じているポンコツコンサル気取りがいるようで。

つまりね、「なぜ?」という質問を何回も繰り返すと、相手の課題と解の質を高められると信じているようなんだよね。

なぜ、それをしたいのか?

なぜ、そう思うのか?

なぜ、それが必要だと思ったのか?

なぜ、それに障害があるのか?

なぜ、そう考えたのか?

みたいなもんだよ。

質問をすることで相手の背景を知り、相手は考えを深めていき気づきを得るんだって。

ガリ勉優等生君の平和ボケもいい加減にしろよと、怒りすらわいてくる。

それは、自分と相手が同じ価値観で、同じ文化で、同じ目標を持っている場合にしか通用しないと思うよ。しかも「質問するぞ~」君と、「質問されちゃうぞ~」ちゃんの予定調和のママゴトでしかない。

 

まあ、コーチングもコンサルも俺は一切興味はないし、価値を感じていないからどうでもいいけどさ。

そもそも、コミュニケーション能力の問題として、相手と理解したり、相手に何か変容を促すってどういうことなんだろね?どういう能力が必要なんだろうね?

 

俺が先に言いたいのはこうだよ。

相手を理解したかったら、「なぜ?」は使うな、ということ。

 

例えば、俺が長いこといた夜の世界の話。

時代的なものもあって、そこは決してカジュアルな世界ではなかった。何処かからやってきて、その街にいつくようになり、そこでパンツを脱いだり、パンツを脱ぐ人間のお世話をしたりして日銭で生きるようになったわけ。夜光蟲のように暗くなると陰からもそもそ現れてきて、日が昇る前にもそもそ消えていく。便所コオロギのように便所がお似合いなんだ。

そこにはもちろん不良も多かったけど、不良でもない人間もたくさんいた。でも何かしら物語がある。誰にでも。生まれ落ちる前から物語を抱えて、18歳や20歳でそこにやってきたんだ。

その街でサバイバルするために大切だったのは、他人に無断で興味を持たない、という絶対ルール。

なぜこの街にいるのか?なぜこの街でパンツを脱いでるのか?なぜ髪の毛の色はそれなのか?なぜ不自然な名前をしているのか?なぜそんなメシの食い方をしているのか?なぜそんな女と関わるのか?

すべての「なぜ?」はタブーだった。もちろん他人に興味がないわけじゃ絶対ない。隣に座っている女の足の指が一本ないのはなぜか、俺だって気になる。なぜ、片目を髪で隠すのか、本当に気になる。ちらっと見えた手帳に、なぜハングルで文字を書くのか、知りたい。なぜ日本語が片言なのか、なぜそんなにカネカネしつこいのか、なぜそんな年上の男とばかりセックスするのか、なぜカップ麺に水を入れて食うのか。

でももちろん質問などしない。

じゃあ、無関心でいいかというとそういうわけにもいかない。相手を信用していなかったら、そいつが手渡ししてきた握り飯一個、食うのは怖いよな。仕事なんか出来ない。信用するためには、相手のことを多少理解していないと、とてもじゃないができないわけだ。

 

でもさ、「なぜこの街にいるの?」って質問したとしたら、間違いなく鼻の下を目がけて拳が飛んで来る。そして真っ赤な噴水のように拭き上げて星の見えない四角い夜空を見上げることになる。(何度も経験ある)

 

クソみてえな奴らが集まる場所で、クソが集まって金儲けをする「仕事」をするとき、相手を理解したり、一応信用できるほどの情報を手に入れるために必要なものは?

ガキだった俺がそこで学んだのは、絶対に「質問」ではないということだった。命がけでコミュニケーションをしている場所では、質問はタブーなんだ。

その街では、質問をしないで相手を理解するスキルを身につけることが、生き残るための最低限のマナ-だと身を持って教えられた。

 

じゃあ、質問をしないでどうやって相手を理解したり、相手と気づきを得るような関係を築けるのかってことなんだけど。

それは難しい言葉だけど、「如実知見」というものが大切なんだよね。たぶん仏教用語だと思う。ありのままで観る、ということかな。ありのままの相手を捉えるというか。ありのままの相手を観るんだから、質問なんか必要ない。自分の解釈や自分のエロいゴールセッティングは排除して、ありのままを観ること。

断っておくけど、勝手に興味は持たないんだよ。勝手に興味を持たないことが大切なんだが、無関心ではないということだね。

 

如実知見でありのままを観ることができたら、相手にたいする質問って変わるんだよ。それは「なぜ?」じゃなく、「なにを」っていう言い方になる。

例えば子供が皿を割ったとするよ。母親がこう言うだろう。

「なぜ皿を割ったの!謝りなさい!」ってね。なぜの後には必ず叱責が続くのが日本人なんだ。

一方こう言うのがいいと思ってる教師は多い。

「皿を割ったのか、何がしたかったの?」

それに対しては多少は説明をしたくなるかもね。その後には多くの場合、許しがある。日本人はね。まあ、何をっていうのは悪くはない。

でも実際はそれでも不十分で、本当は過ちをした事じたいに触れないことが重要だと思うよ。ありのままを観ていると、皿を割ったという現象を認識するだけになるよね。

「皿を割った」というような現象を共有するだけの時間を長く続けていくんだよ。

 

実はこのことが信用を得ていく。これが絶対的なベースになるもの。

そのうえで、次に大切なのが、「たやすく言語化しない」ということ。

優等生はこう言うかもしれない。

「皿を割ったのはいいとして、繰り返さないためには何が必要だろう?」

・・・うるせえよってぶん殴りたくなる。んな嫌味言うなよって言いたくなる。

皿を割ったという言葉に変換しないこと。言語化というか、ロジカルシンキングごっこが好きな優等生は、バーバル信者なのでなんでも言葉にする。言葉の力を軽く見ているからだろう。

 

如実知見、言語化しない、そのことを続けていって何があるのって苛立つ人は多い。でもそれが一番の近道でさ、そんな先でもない頃に、相手からぽつりと言葉が出てくる。

「母親の手伝いがしたいんだよね」

つまり、皿を割ったのは、母親の手伝いがしたかったから。それで慣れないことをして失敗したというのが本質だったわけだよね。もっと言えば、母親が不機嫌そうな顔をしていたから、お手伝いをして機嫌を取ろうとしたということも見えてくる。

「ああ、それで皿割ったんかー、失敗しちゃったね」

そして初めて提案すればいいよ。

「おかあさんありがとうって手紙書いたらいいじゃん」

なにも慣れない皿洗いなんかしなくても。

きっと、一番したかったことに気づけるし、こちらもそれに気づけるわけ。ここまで理解するのに、質問は一度もない。

 

これさ、誤解してほしくないんだけど、反省を引き出すためのテクニックとかじゃないし、美談チックなクソ話ではないよ。そういう教師的な、優等生的な発想は何の役にも立たない。

ありのままを見て、言葉にしない。その時間の積み重ねが、バーバルを越えた理解を引き寄せるわけ。

 

なぜ?を10回繰り返しても、解の質どころか、本質にかすりもしない。

それより相手に「なんて言ったらこいつ気持ちいいんだよ?」って思われて終わるね。機嫌が悪ければぶん殴られるわけで。

相手を理解したいと思ったとしたら、相手には、息を止めて潜っていくようにシンクロしていくもんなんだ。夜の世界で生き残れるやつは、ここが出来る人間ばかりだと思う。

売れまくる営業マンやホストやキャバ嬢もそうだね。

シンクロしてくる人間がそばにいるとき、人は光が溢れるように気づきを得るようになるもんだ。シンクロしてくる彼女や、彼氏、夫や妻に恵まれた人は、結果を出すことが多いよ。シンクロが出来る女のことを「あげまん」と呼ぶこともあるしね。

 

そのシンクロにあえて名前をつけるとしたら、、、なんだろうね、共感とか?共時性とか?全然違う気がする。きっとそのシンクロにすら名前をつけてはいけないのかもしれない。

 

コーチングも、コンサルも、カウンセリングも、俺に言わせりゃ優等生のママゴト。

本気でサバイバルをしていきたかったら、相手を理解するためにまずすべきは、自分の解釈を捨てて如実知見することだね。

童貞が分不相応なセックステクニックを考えてるから、エッチなお姉さんに馬鹿にされるのと同じだ。童貞がセックスしたかったら、女に勝手に興味を持つな。ありのままの人間関係を見つめ、いつも笑顔でいたら、そのうち女は受け入れてくれる。

それと似てると思うんだけどね。

 

pairs3

人生の抱える熱の量だとか

先日、某所で『ジーザス・クライスト=スーパースター』を観劇した。聖書の基本的な予備知識があればかなり楽しいミュージカルで、今回観るのは3回目。

「何が起こるのか教え給え」と「狂信者シモン」という曲が前からお気に入りで、今回もなかなか聴かせてくれたけど、ちょっと今回のキャストはどうかなーと残念半分。

でもあっという間に1時間45分が過ぎて、プロってすげえもんだなと感動したよ。劇団四季の、「人生の喜びを謳い上げる芝居しかしない」というポリシーが大好き。

 

それから、ふらふらと電車に乗って九段下の駅のそばにある、地味で無名な施設に行った。

前からずっと行きたかった場所が3つあって、一つは目黒の「寄生虫館」、もうひとつが靖国神社にある「遊就館」、それと近くにある「しょうけい館」。

寄生虫館は見たらナマモノが食べられなくなるし、遊就館は・・・まあやめとく。そしてこのしょうけい館。

エッヂの効いた3大施設に、美女と行くというこれまたエッヂが効いた趣味を持つ俺です。

ちなみに、日本全国には面白い展示施設が多くあって、青森には「八甲田雪中行軍遭難資料館」というすごいものまである。これも女性と行くとたまらなく楽しい。まあそれは置いとく。

 

で、しょうけい館。これは、戦争傷病者についての資料を集めた展示施設なんだよ。分かりやすく言うと、戦争で手足がなくなったり失明したりね。写真で分かるように、漫画家の水木しげる先生もそうだね。主に徴兵されて戦場で障害を負った方々についての資料が展示されてある。

と書くと、随分悲惨なものが展示されてあるんだろうと思うけどさ。確かに義足とか、戦場で麻酔もなく弾を摘出する手術の悲惨な様子のジオラマとかあって、たしかに悲惨なんだよね。

でも、俺はそこに全く興味なくて。いや申し訳ないんだけどね。

(俺の父親も戦争による身体障害者なんだけども)

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※これが入り口

 

証言のビデオとか、展示資料をずっと見ていって、やっぱり俺が興味を持ったのは、そこには「その後の人生」がいろいろあったということ。片腕を失い恩給もなく必死に募金活動をしたり、乞食をしたり、商売をして成功したり、教師として僻地で教育に人生を捧げたり。惨めな思いをしたり、でも喜びもそこにはあって。

同じように戦争傷病者の水木しげる先生の作品や証言ビデオも展示してあったけど、そこにはやはり悲惨さをこれ見よがしに見せつける暗さはない。胃が丈夫で片腕がとれてもメシを食ったという話とか、新宿でおからの寿司を食った話とか、そういうのが続く。

ああ、いいなあと思った。語弊を招くかもしれないけど、水木しげる先生の作品から伝わる人生への希望というか熱量のようなものが、本当に真摯に生きた人だったんだなと思った。

明るいのとも違う、困難を乗り越えるとかそういう優等生的な発想とも違う、もっと生命の力のような。

 

何度も言うけど、俺はそんな戦争傷病者の障害には興味ない。戦争障害者の生活を身近で見て育ったせいか、そんな同情も特段湧くわけでもなく。まあほんと、いまさら興味がない。戦争反対とか賛成とかそういうのは無職のおっさんがSNSで吠え合えばいいので俺には関係ない。

俺に興味があるのは、人生そのもの。その物語。一人ひとりが二つと無い人生を生きて、苦しみ、悲しみ、それでも生きたということ。生命の喜びというか。そこに興味があって。

しょうけい館は、俺にはそういう場所だったな。面白かった。受付のご婦人は、よほど人が来ないのか俺らにやたらと親切に話しかけてくれた。

ありがとう、そう言って施設を後にした。

面白かったというと怒る人もいるかもしれない。でも、ここには人生と希望があったように俺は感じたよ。

 

深夜になって、浜離宮の横をすり抜けて汐留のほうまで歩いた。韓国人と分かる超絶美女の風俗嬢が歩いているのに気付いたり、かと思うと赤いワンピースに上品なコートを羽織った金持ちそうな熟女が歩いていたり。

着ていたPコートでは寒すぎて、襟を立てて、ちょっとうつむきがちに歩いていった。

「このあたりは風水的にあまりよくない場所らしいよ」

そんな話をしながら、それでも俺が夜の街にいた頃には空き地だったこの人工的な街が俺は好きで。初めてここらあたりに泊まるようになったのは2004年のこと。その時は俺の力では解決できない大きな問題を抱えていた。正直死にたい気持ちだった。

セックスだけは最高にいい女とまだ空き地が目立つ寂しいこのあたりの路面にあったラーメン屋に入った記憶がある。そんな店がもうある雰囲気ではないので、きっと移転したか潰れたんだろう。何を食べたかどんな味がしたかは覚えていないけど、あまり清潔な店ではなかったな。

東京タワーが夜通し輝いているのが見える高層ホテルの部屋。あれから14年も過ぎ、俺の人生は少なくともお金で苦労することはなくなった。でも、感情は今も大きく乱れ、ブレまくり、そこだけは未だに大人であることに慣れないままだ。

 

人生って、いろいろあるけど、シャンパングラスの小さな泡に映る夜景とか、すぐ横を大きな音で通り過ぎていくポルシェだとか、血に染まるトイレとか、もう手の届かないところに行ってしまった恋愛だとか、穴の空いた古いセーターとか、そんな光景すべてが人生の物語なんだろうなと思えるようになった。

 

俺は俺という物語で生きている。その物語は生命が脈を打っている。まるで射精する時のように。

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目尻の皺も美女な女、美形だけどブスな女

18歳のときから、夜の世界から昼の世界まで、美女をたくさん見てきた。

美女たちと軽い話から、深い話まで、たくさんの言葉を交わしてきた。

美女の本当の笑顔も知っているし、心で怒っている笑顔も、心で泣いている笑顔もたくさん見たよ。

美女たちに共通するのは、生まれたときから美形ではあったということ。当たり前だよね。でも、残念ながら18歳を越えてブスに転落してしまう美形な女もたくさんいる。いくら遺伝子レベルで美形として生まれてきても、ブスへの螺旋階段を滑り降りていくようなもんなんだ。放っておけばみんなそうなる。

 

でも、23歳を越えて、美女として君臨する女に共通する体験ってある。

 

それは誰かにブスの防波堤になってもらった経験があるということ。

 

「お前、ブスだね」そう言ってくれた男がいたかどうかなんだよ。

お前はブス、と美形な女に言うのは勇気がいることなので多くの男は言わない。かわいいね、綺麗だねと言っているほうが楽だし安全だからだ。

お前、そのブスどうにかならないの。って言われる女は、23歳を越えて美女として君臨するよ、必ず。

 

勘違いしてほしくないんだけど、「謙虚になれ」という話じゃないんだよ。ブスの防波堤って。

本音で付き合ってくれた男がいたかどうかってこと。

そうやってブスへの転落から救われた女に、レベルの低い男は声をかけることすら許されない。遠目にチラチラ見ることすら、男のコンプレックスを刺激してしまい、できない。

ブスは努力しろよって、美女に言う男といたかどうかは、その後の美女人生を大きく左右するもんなんだよ。

 

だから、美女の多くは性格がいい。残念ながら見た目は美しく、内面もそれ以上に美しいもんだ。不公平だと思うかもしれないが、それがブスの防波堤ってもんなの。

 

昔、俺の友達にいわゆる美形な女がいた。

26歳。誰もが美人だと言うと思う。見てくれの努力は本当に怠らないからね。背も高く髪の毛はつやつやで透き通るような白い肌で。

でもね、ブスだなとしか男に思われてない。もちろん、レベルの低い男は可愛いとか綺麗だねとか一生懸命言って取り入ろうとする。残念ながら、まともな男は1人も相手にしてくれなかった。美女ではあるけど、内面に見合った同類の男としか付き合えてなかった。

 

その理由は話すとすぐに分かった。

「話にならない」んだよ。会話にならないというか、会話したくない。

どんな感じかというとね、例えば・・・

「共感を示して欲しい」のか、「一緒に考えて欲しい」のか、2つの違いが全く分からない感受性をしていたんだ。

 

俺が彼女にこんなことを話したことがある。

店の女の子が難しい子で、叱られるとふてくされて出勤しなくなる。でも俺は性格を知っているのでご機嫌を取りながらまた出勤してもらう。それが何度も繰り返されて、俺もいい加減疲れていた。

 

「ほんとさ、そんなわけで疲れるんだよね」俺は愚痴を言ったつもりだった。

別に受け流してくれたり、それは疲れるわなーって共感してくれたら別にそれで済む話だったわけ。しかし、その彼女が言ったのは

「そんなスタッフをなんで首にしないの?何か弱み握られてるの?私ならすぐに首にする」だった(笑)

いや、苦笑いしか出ないよ。俺も真顔になるよね。しかもその話がいつまでもしつこい。その子はまでにどんな店にいたの?だの、他のスタッフとどんな雰囲気で付き合ってるの?だの。

いやうるせえよと言いたくなったので、俺は話をするのを打ち切った。

 

逆にこんなこともある。

俺はビジネス上の問題で判断をしかねていた。経験もないときだったから、そのまま進むべきなのか、撤退すべきなのか、それとも違う考え方があるのか。そこで彼女に世間話程度でそんな話題をしたことがある。

答えはこうだった。

「すごーい、そんなレベルで仕事してるんだねー。私もそんな仕事してみたーい。応援するしかできないけど、頑張ってね。背中マッサージしてあげよっか?」

 

・・・いやいいわ。なんでもない。そう言ってまた話を打ち切った。相談するのが間違いだった。

本当に、会話にならないというのはこのことだ。

 

26歳。今まで誰からもブスだと言われたことがないままだったんだろう。結局彼女とは俺は必要以上の話をするのを止めた。同じように、話をしなくなった男が多かったと思う。見てくれはものすごい美形なんで、あまり頭の良くない男ならチヤホヤするよ。でも感受性がポンコツの三流品なんで、頭の悪い男とレベルの低い争いを起こす。DVやらなにやら。その後、よくわからない男と結婚していたけど、子供を作って離婚した。離婚後、俺に頻繁にメールを送ってきていたけど、返事をするモチベーションもわかず放置し、そのままいつしか携帯が変わって連絡をしなくなった。俺は存在すら長いこと忘れてしまった。

 

共感を求めている場面で共感を示し、意見を求められている場面で意見を言い、笑いが必要なときには笑い、しんみりするべきときにはしんみりする。

人として当たり前のことができないことを「ブス」と言うんだ。

お前ブスだねって言ってくれるっていうことは、そのポンコツな感受性に苛立つまともな男がいたということ。

見た目が美形だから、周りの男が怒らせないようにチヤホヤばかりされた結果、彼女のようなブスが出来上がったわけだ。

 

じゃあ、俺がブスだねと言えばよかったかというと、俺は言わなかった。

なぜならもう26歳だったから。

ブスの防波堤を築いてももうブスの津波が押し寄せてしまっているんだ。手遅れってやつ。

 

今もああやってズレまくったコミュニケーションして、粗末なおっさんと絡んでは喧嘩して繰り返してるんじゃにのかな。ブスって惨めなもんなんだ。

 

だから、あの時代、俺はいつも20歳くらいの子たちに「お前ブスだね」と言うことが多かった。

今のコミュニケーションってブスだよって。自分が言いたいことを言うのはブスがやること、相手が聞いて欲しい気持ちを聞いて言葉を選ぶのが美女がやること。

それを20歳くらいの見た目の美しい子達に教えながら、おまえはブスだと言い続けた。

 

やっぱりね、その子達は40歳を目前とした今も、そりゃもう美しい女たちになってる。美女は目尻の皺も美しいもんだ。すげえなと思う。

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金の稼ぎ方で人生の色が変わる

最近、思うところがあってCROOZブログも更新している。いろいろやりにくかったんだけど、ここでしか発信できないことがあって、ここでしか書かない文体もあるので、あえて書こうとしてるよ。2009年から断続的に続けているブログなので良かったら読んで下さい。

 

昨日書いたのはこの話題。

blog.crooz.jp

 

最近、2人の社長をどうしても比べてしまう。ビジネスだけではなく、人間として、生き方として。残念ながら1人はとても居心地がよく爽やかで、1人は威勢はいいけどおっさんがうんこした後の便所のような不快な空気を感じる。

 

俺が多少付き合っている社長がいる。60代。業績もずっと右肩上がり、従業員も増え続けている。仕入先の企業はみんな社長にへーこらしている。

俺も最初はすごいやり手なんだなと思っていたし、正直、この社長に何か恩を売って俺の利益になるものを引き出したいと考えていた。

ある日、俺はこの社長に見込み客を紹介したんだ。リテールの業種なので、普通の会社員だった。

お客さんを会社までお連れして、担当の営業マンに紹介をした。それで俺はさしでがましくならないように口を出さないようにしていた。

その時、俺はまだ信じていたんだ。取引先からの紹介で、しかも見込みの濃い紹介。俺とお客さんの信頼関係もある。だから営業マンはご縁に感謝をし、一生懸命お客さんに尽くし、みんなにとっていい結果になるように取り計らってくれるだろうと。営業マンも一応、肩書がついているし、ド素人じゃない。

 

でも、紹介したその日、営業マンから何の連絡もない。あれ、どうしたんだろうなって俺は思っていたんだが、一週間しても何もない。気になって俺はお客さんの方に連絡をしてみた。

「あれから、お話は進んでますか?」と俺。

「ああ、あの会社の人、あの日から何の連絡もくれないんですよね。」とお客さん。

「え?あの日は何をしたんですか?」

「あの日はなんかざっと説明を受けただけですよ。気になったことがあったら連絡くださいって言われました。それっきり」

「営業マンは●●さんに、詳しい打ち合わせをするアポをいただこうとしなかったんですか?」

「そうです。私はお客さんとしてふさわしくないということでしょう。」

 

呆れるとはこのことだ。ふさわしくもなにもない。お客さんは平均以上の収入があり、一方、その会社の商品は低価格を売りにしたものだった。

営業マンは俺の紹介が迷惑だったのか、俺の紹介は基本相手にしないということなのか、なんて俺はつい思ってしまった。

俺の顔に泥を塗られたなとも思った。

 

さらに数日後、そこの会社の社長に会うことがあった。すると耳を疑うことをいい始めた。

「紹介もらったあの客、連絡つかないそうだ。どうなってるんだ?なんとかならないのか?ちゃんと手配してくれよ」

 

・・・お前ね。

ブチ切れそうになったけど、この社長にしてあの馬鹿営業マンありってことかと思って何も言わなかった。

 

その会社とはそれからもしばらくは薄く付き合っていたけれど、付き合いが長くなればなるほど気分が悪くなる。

従業員は取引先を見かけても、すーっと無視する。挨拶ができない。俺が大きな声で挨拶をすると、あたかも今気づきましたって顔をして、ぼそぼそと「・・・うさます」みたいな挨拶っぽいことを言っている。

従業員の服装も、とてもじゃないが営業マンじゃない。ノーネクタイでも結構なんだが、よれよれのチノパンや、サイズが小さすぎるか大きすぎるポロシャツ、足元はクロックス、髪は伸び放題。そして笑顔を作る習慣もない。言っとくが、これでリテールの商売をしているんだよ。

 

社長が得意げに言うのは、いかに客をひっかけて物を売りつけるかっていう小賢しいテクニックのことばかり。低価格を売りにしているのはいいんだが、チラシやDMのコピーを社長が考えているらしく、「いつまで高価格の会社に騙されたいんですか?」とか「それでも高額のローンを払いたいんですか?」とか、「それでも今のままがいいんですか?」などと、まともな神経をしていたら客に言うべきじゃないフレーズばかり。

 

DMを開封させるために、堅い異物を差し込んでおくといいとか。その異物はくだらないおもちゃだったりな。

とにかく、まともなことが何一つできない。

 

「客から紹介をもらうにはどうしたらいい?」と俺が質問されたとき、どう答えたらいいのか分からなかった。本来、紹介を頂くためには正しいプロセスを訓練しなければならない。もちろん、正しい仕事をし、信頼を勝ち得ているのが大前提だ。

 

その社長が言うのはこうだ。

「納品のとき、客が感動して泣けば紹介がでるはずだ。なんとかして泣かせる方法はないか。」

いやいや、笑いそうになるのを堪えていた。

「旦那さんに、奥さんから感謝の手紙を書いてもらって、読んでもらうのはどうだ」

・・・はあ。いいっすね・・・

 

紹介などその会社はほどんどない。客はただどこよりも安いから買いに来ている。客層もあからさまに貧困層だ。本来なら客にしちゃいけないほどの貧困層に次々契約させるわけ。

いやね、自分が社会から求めてられいるのは、安売り王だってことを気づけない。小賢しい小手先のテクニックを、業界のセミナーやら、コンサルから仕入れては、猿真似をする。

こうすれば客なんてこう動くだろう、みたいな発想しかない。

 

この社長はお世継ぎの社長なんだよね。二代目や三代目っていつもこうだ。コンサルタントが「もっと利益を出しましょう、もっと会社を大きくしましょう」っていう誘いにもろに乗っかって、滑稽なことをし、トライアンドエラーなんて言いながら大金をドブに捨てる。

世の中からは、小馬鹿にされているだけ。

 

下請け業者にはこんなことを言えばあいつら気分良くなる、とか相も変わらずそんな発想で人と接している。

 

・・・・・・・・

 

昨日、新年会で会った社長は俺に言う。

 

「コンサルはみんな、俺にもっと金を稼げと言う。社長は金の稼ぎ方が下手だと言う。だから俺は言ってやるんだ。金を稼いだらどうなるんだ?ってな。」

 

するとコンサルは何も言えない。せいぜい、「利益を出すのが会社の使命です、金を稼ぐのは銀行借り入れを個人保証している社長の義務です、雇用を増やすのが社会的責務です」と言うだけ。

答えになっていない。それはブラック企業が従業員を丸め込む屁理屈でしかない。

 

もちろん、必要な利益は出している。銀行も文句なく金を貸すだけの財務内容。従業員にも十分な給料を出せている。社長の年収も2500万円ある。不動産や別会社からの給料も1000万円ある。高額な所得税も払っている。節税のテクニックには興味がないので、いかがわしい保険屋や投資屋は門前払いしている。

独身の社長の自宅は事務所の二階だし、車も国産車。今以上の金があってもどうしようもない。お客さんにいいものを提供できればそれだけでいいはずだ。

 

「商売の本質を忘れ、必要ではない金を欲しがるとき、経営者は必ず人から笑われ、客からはそっぽを向かれるぞ。コンサルに煽られて拡大ゲームに乗っかるマヌケ達を見てみろ。」

社長がそう言うのを、誰かを思い出しながら聞いていた。

 

薄っぺらい拡大ゲームや、小手先の儲け話に簡単に乗っかったり、稼いでいる人を羨ましがってしまう人たちは多い。でもどうだろう、例えばネットワークビジネスで「成功」したとか言っている人は。個人的に数人知っているが、ものすごいコンプレックスを抱えている。まともな社会で地に足をつけて働いている人をものすごく嫌う。それは自分の仕事を誇れないせいだろう。会社員が「忙しい」と言うのを必要以上に攻撃する。忙しいという言葉に含まれる「社会からの信頼」にコンプレックスが刺激されるから。

 

仕事に関しては厳しい叱咤が飛ぶし、理不尽なことも言うけど、こうして新年会で集まっていると取引先も従業員もその家族も、みんなここで働けることが嬉しいのが伝わる。俺も取引先としてそういう気持ちだ。

 

感受性がポンコツになったやつらの、仕事ごっこにはげんなり。ビジネスごっこにはげんなり。

年収3000万円が必要なら3000万円を稼げばいい。一億円が必要なら一億円を稼げばいい。それは悪いことではない。

でも、その稼ぐ過程で、人から小馬鹿にされたり笑われたり、子供に誇れない金の稼ぎ方をしていると、いつかコンプレックスで苦しむよな。

もっとひどいと、前述の社長のように、こうやってブログで誰かが馬鹿にするような人間になってることにも気づかない。


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言葉の意味をすり替えて洗脳してくる空気に危機感しかない

 

いつの頃からか、食事の時の「いただきます」って挨拶の意味が、「動物や植物の命を頂くので感謝する」という意味にすり替わっていることに、恐怖を覚えてる。

いや、言ってることの意味も美しさも分かるよ。俺も仕事で豚の屠殺所に行ったことがある。動物としての豚が、殺され、食べ物としての豚になっていく全行程をじっくり見た。悲鳴を上げて逃げ惑う豚を作業員が押さえつけ、頸動脈を切り裂き、激しく痙攣を起こす豚をスロープの下へ蹴って転がす。すると下にいる作業員が豚にフックをかけて吊るし、ゆっくりと豚が作業ラインを流れていく。ラインで待ち構えている女性たちが手際よく豚を解体していき、頭部や足は別室に続くラインに流れていき、そこですぐに箱詰めされ発送されていったり、様々な色をした内臓は普通の家庭用洗濯機でゴロゴロ音を立てて洗われていたり。豚の本体は、最後に湯気の立つお湯につけられて清浄され、別室に入っていくと、そこはもうおなじみの肉屋の光景。大人数の作業員が効率的に手際よく加工して商品にしていく。

豚肉を食べるというのは、一つの命を殺すということには違いない。そこに感謝をするのも分かるし、逆に肉を食べるのは嫌だと思う人もいるだろう。

 

でも、だからといって、食事の前の挨拶「いただきます」が、「命をいただきます」という意味になるわけじゃ絶対にない。

かなり多くの人がそこに違和感もなく受け入れているようだし、俺もそれは素敵な言葉だなとも思うよ。最近は子供も学校でそう習うらしいしね。

 

なぜそうなった?

いつからそうなった?

 

大げさだと思われるかもしれないが、危険な空気しか感じない。なんとなく気づかないうちに耳障りのいいニュアンスにすり替えられ、思想まで根こそぎ置き換えられそうな場の空気しか感じないんだよね。

そもそも、んなもん、胡散臭い宗教の坊主か、作務衣を着た胡散臭えジジイがナルシスティックに習字で書いたような「芸」がスタートだと思ってる。「いただきますは、命をいただきますなんだなぁ」みたいなね。

またはこうかもしれない。「給食費を払っているんだから子供にいただきますを言わせるな」と言った親への対抗として、いただきますは命をいただきますなんだよ、だから言わなきゃならないという苦しげな説明から来てるのかもしれない。

その響きのロマンチックさとか、ヒューマニックな気づきみたいなものもあって、ここ10年位で一気に広まったのかもしれないよね。

 

俺は、ブタさんを殺して美味しい生姜焼きを食べていることに感謝はしているけど、いただきますが豚さんに対しての呼びかけだとは一切思ってない。俺は学歴もないし馬鹿だけど、それでも言葉の意味をすり替えることの危険をよーく知ってる。夜の裏の社会にいたから、言葉の意味をすり替えて洗脳しようとしてくる悪人をよく見てきたからだ。人の金をだまし取ろうとする詐欺師、子ネズミに商品を買い込ませることで成り立つネットワークビジネス、風俗嬢に不当な契約を結ばせようとするクズ、そいつらはみんな「言葉」の威力をよく知っている。言葉の意味のすり替えで、あまり知的に優れていなやつらを相手にパラダイムシフトを起こさせて、好きに操ろうとする。

仕事を志事と書いたりね。

いつも使っていて深い意味を考えなくなった言葉に、実はこんな意味なんですと勝手にニュアンスを付け加えると、人は簡単に感動する。心が動いてしまうと、簡単に考え方の枠組みが入れ替わってしまう。

ちなみに「仕事」の語源は、「す(為)」の連用形「し」と、「事」をあわせた言葉で、単純に「すること」という意味だよ。そこから「職業」を意味するようになって、江戸時代に「為る(する)」=「仕る(する)」という漢字に変わっていき、「仕事」になったらしい。

志をもって事を進めること、なんてニュアンスはどこにもないわけ。

 

いただきますっていうのは、上位者から物をもらったときに、頭上(頂)に掲げて感謝を示す礼儀の動作から来ている。または神仏の供え物をもらうときにも頭上に掲げたんだろう。基本的に目上の者からもらうことへの礼儀から来た言葉。

それが慣用的に使われただけだよ。

意味もなくいただきますと言っている方がまだ健全だし、いや意味を持って言いたいというのであれば、「この食べ物を手に入れられるように仕事を頑張ってくれたお父さんお母さん、ありがたく頂きます」と感謝するのが真っ先だと思うんだよね。

 

誤解がないように言うけど、そりゃ切り刻まれたブタさんとか、引っこ抜かれた草とかに感謝するのも悪いことじゃないが、お父さんお母さんがいなかったらその食べ物食えないわけで。不本意ながら事情があり生活保護を受けているなら、租税の仕組みと、相互扶助の制度に感謝するべきであって。

そういう意味では、給食費払っているからいただきますを言わせるなって言うのもほんの少し理もあると思う。もちろん、礼儀として許されないけどね。意味はなくてもいただきますって言葉にする必要はあるわけよね。

その意味は、両親の労働に対する感謝だって親が教えればいいわけでもあって。

 

それがなぜブタさんに感謝が組み込まれてきたんだ?

ほんと胡散臭い。そこに美しさを感じてしまった自分が恥ずかしい。それは個人的に思うことであって、突然、言葉の意味にまで昇格してきたことが怖い。

 

①そもそもの慣用句であって意味はない

②両親の労働への感謝の気持ち

 

せいぜいどちらかだろう。

 

人に感謝ができないくせに、ブタの命やペットの命にヒューマニズム発揮するのはメンヘラだけだぜ?

まずは隣や家の中にいる人に心を寄せる人間になるのが先だよ。


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年の離れたカップルにおっさん達が言うこと

ぼくは二十歳だった。それがひとの一生でいちばん美しい年齢だなどとだれにも言わせまい。」~ポール・ニザン『アデン、アラビア』

 

20歳というのは不思議な年齢で、俺の20歳は今よりもずっと老成しているようで、実はほんの子供だったと思う。俺の時間を買っていく寂しい熟女たちと、身体を売って生きている若い女たちの狭間で、每日毎時間、傷つきやすい感情をすり減らすように生きていた。熟女から買ってもらったカシミアのコートを着て、かじかんだ両手をポケットに突っ込んで星のない空を眺めながら新宿の路地裏を歩いていた。遠くに明るく見える大通りには大勢の人とたくさんの車がひっきりなしに行き交っていた。20歳。俺に元に居着いてくれない恋愛と、シャワーの浴びすぎで乾燥した肌を引きずるようにして歩いていた。

 

昨日は成人式だったけれど、20歳たちを見て、あまりにもの幼さに驚いた。きっと俺もあんな顔だったんだろうか。あんな子供みたいな顔をした男の中に、あんな疲れた老人のような感情があったなんてきっと誰も想像できない。

俺は自分の成人式なんて行かずにセックスをしていた。今の時代でもあんな風に生きている20歳が何処かにいて、高層ホテルの冷たい窓から下を何も言わずに眺めているかもしれないね。

 

あの頃。ある日の夜更け。派手な仕事着を脱ぎ捨ててモッズコートに着替え、ヘーゼルナッツの香りのコーヒーをポットに詰めて、同じ年の女のプジョー205に乗り込んで埠頭まで走らせたことがある。女が何を言っても、ああ、うん、しか言わない俺だったけれど、埠頭から東京の夜景を眺めてコーヒーを飲んでいるときは心が落ち着いていた。色々言いたいことも愚痴もあったけど、耳を澄ませるように20歳という年を生きている2人がいるなんて、きっと世の中のおじさん達は理解できないだろうと思っていた。20歳の彼女は、47歳の男の愛人になっていた。それが何を意味し、彼女にとってどんな感情がそこにあるのか、俺は気づかないふりをしていた。

 

ときが過ぎ、32歳の俺。

20歳の女と付き合っていた。恋人という意味ではない。今風に言うならセフレみたいなものだっただろう。俺の人生はどん底だった頃、セックスに逃げ込んでいた。彼女は信じられないほどセックスがいい女だった。

そして、38歳の社長の愛人をしていた。毎月50万円とマンションをあてがわれ、每日猫と遊んで暮らしていた。2週間に一回くらいのペースで、俺はそのマンションに行ってセックスしていた。何から何まで高級な調度品ばかりで、ほとんどものがないシンプルな部屋だった。

昔から、愛人家業の女はこうやってあてがわれたマンションにセフレを連れ込むことが多い理由は知っていた。俺は気づかないふりをし、無邪気なおっさんを気取って、愛人の酒を飲み干してしまうなんてことはいつものこと。

 

女が俺に言った。

「38歳の彼氏がいるなんて言うと、おっさんたちは言うんだよね。みんな。」

「ああ、想像つく」

「カネ目当てだろって。」

「金目当て、ね。」

年が大きく離れた彼氏がいて、お金の援助とか必要なものを買ってもらえたりして、甘やかしてもらえて、それはそれで事実としてあって。俺みたいなセフレを引っ張り込んでる事実もあってね。それをおっさんたちは必ず言うわけだ。金目当てだろって。

女は言う。

「じゃあ、お前は宝くじが3億円当たったら、女自由にできんのかよって。」

できないよ。銀行口座の残高を見せて、ほら俺の女ならないかって言っても女一人見つからない。

カネ目当ての女なんて、プロの世界にはいないんだ。それはアマチュアのメンヘラの馬鹿ならいるかもしれない。でも、そんな「カネ目当て」みたいに見える年の差の2人の感情は、モテないおっさんたちにはきっと理解できない。

 

女はプラスチックの歯磨き用のコップみたいなものにブランデーを注いで、飲んだ。そして言う。

「わたしは、あの人がどんな思いでどんなことをしてお金を稼いでいるか知ってる」

 

ああ、そうだね、と俺は思った。そうなんだよな、と。

金っていうのは物語なんだよ。そこには必ずヒストリーがあって、物語があるわけな。悔しいこと、嬉しいこと、屈辱、喜び、感謝、安堵、失望、怒り、そういう自分の感情がべったりこびりついて、いま手元に届いているんだよ。

年の差があればあるほど、まともな女であれば男がどんな物語を持ってお金を稼ごうとしているのか、いつも想像している。理解しようとしている。男が自分にいつも話をしてくれるのでよく知っている。

まともな感受性を持った女であればあるほど、そこにやってきた物語に耳を傾けようとする。

 

「好きでなければ、愛人なんてできない」

そう言った。本当は愛人なんかではないってことを、自分では言わないわけだけど。だから、俺みたいな男を引っ張り込むしかないのだけれど。

 

今も俺は、20歳以上離れた女たちといつもいる。仕事でも、プライベートでもね。それを見たり聞いたりすると、俺と同世代のおっさんやおばさんは言う。みんなカネ目当てなんでしょ?ってね。

でもね、カネ目当ての女に、俺は自分の実印や印鑑証明を預けたりはしない。確かに馬鹿もいる。馬鹿は2秒で分かるので即、縁を切ってる。俺を誰だと思ってんだ。女の腹の中なんて全部見えてるよ。

俺は彼女たちに1円たりとも金を払わせないようにしてる。とにかく甘やかす。時に雷を落とす。彼女たちはそれでも付いて来る。馬鹿とか消えろとか言っても、それでも付いて来る。カネ目当て?俺なら、馬鹿とか言われて金もらいたくねえよ。

 

金だけではなく、すべてに物語を感じさせるのが大人の男の仕事だよ。若い女はそこにしかついてこない。

カネ目当てだろ、と言ってるオヤジが何を欲しがってるのか俺は知ってるよ。自分がモテないのは金がないからであって、自分自身は無価値じゃないと思いたいんだよ。でもね、残念ながら、金がなくてもモテる男はモテるんだよ。金がないという物語に感情を重ねることができる男はいる。

カネ目当てなんて言ってると、どんどん惨めになるだけだ。金があったって、まともな女は自由にならないから。せめて風俗店で高待遇受けるだけだな。

 

「好きじゃなきゃ、あの人といない」

年の離れた彼氏を持つ女たちがみんなそう言う。

当たり前のことを、おっさんたちはきっと忘れてしまうのかもしれないね。

 

歳が離れたカップルほど、感情はごまかしようがなく、もっともっとリアルになっていく。そこから逃げていく男女はいるけれど、そのリアルを受け入れたとき、おっさんには理解できない感情のなかで本当の幸せを感じることになるんだと思う。


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編集作業中

弟子のむんたろうがアキラブログの編集作業を進めてくれてる。

これはラブレスキューの『蝉』の一節。

紙に落としてから、内容について果てしのない議論。アキラブログを始めた時はまだ小学生だったむんたろうと議論をするこの不思議さ。

もっといいものを読者さんに提供できるように、試行錯誤してます。


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