「てっぺん取りたい」とか寒すぎるだろ

なんか、もうそういう感覚は時代とズレているんじゃないかなって思った光景があって。

俺は今はもう風俗業とはほどんど縁がなく、昔の知り合いの経営者がたった2人いるだけ。それももう交流は途切れかけている。今でもごくまれに、知り合いと通して、スカウトをお願いされることもあるんだけど、基本断ってる。金の問題でも、立場の問題でも、倫理の問題でも、どれでもなく、ただ興味がない。

もうずっとずっと昔の話だよと思う。

 

でも、先日、知り合いから紹介されて「風俗業を始めたい」っていう男と会った。今は小さな飲食店をやってるらしいが、嬢は集められる、資金もそこそこある、条件は揃っているので、派遣型の風俗をやりたいらしい。

30代始めくらいなのかな。黒いシャツを着た、ちょっとやんちゃな、でも人当たりは良さそうなやつ。

夕方、日が暮れてきた頃に彼が経営する小さなバーで会った。

あー、厄介なやつと会ってしまって時間のムダだなーと思っていたんだが、そいつがこんなことを言うわけ。

「俺、これでてっぺん取りたいっす」

なんだよ、サムライかよって血の気が引くほど寒くなったが、そいつは顔を汗と脂でテカテカさせて熱心に語る。

前にブログで書いたけど、今時なのかな、事業計画みたいなのご丁寧に作ってるやつが結構いる。そいつもそう。どこで覚えたんかね、そういうの。

見てくださいって言うから、分厚い資料をペラペラと10秒だけ見た。こんな分厚い資料読むわけねえだろが。

まあ、成功したいんでしょう。てっぺんとか言うから。

「いいんじゃないすか?頑張って」

そう言うと、少し安心したみたいだった。バーのカウンターで大きなグラスにコーラを注いでくれて、それをゆっくり飲んだ。

 

でもな、と俺は思う。

この感覚、もう古いと思うよ、と。

 

風俗業の違法性のあれこれは横に置いとく、派遣型風俗の可能性についてもまあ横に置いといて、何をするかはともかくとして、そういう「てっぺん取りたい」みたいな感覚って、もうお寒いと思うよ。

 

え、努力するって悪いことじゃないじゃん、一番になれるように努力するって当たり前のことじゃん、って思うかもしれないね。

確かにそうだよ。でも今が1995年だったらね。

2017年の今、その感覚を持って「成功」なんて難しいと思う。

 

風俗っていう仕事で例えると、まあ古典的で伝統的な業界なわけだよ。やることは昔から変わってない、集客方法も雑誌かネットかっていうのも昔から同じ。ただがむしゃらにやって、それで一番になりました、てっぺんとりました、なんていうことが仮に出来たとしても、たぶんすぐにヘタる。

なぜなら、もっと大きな力と資金力で、もっと大量に労働力をぶちこんできたライバルに必ず負けるから。そうじゃなくても、自分の気力と体力がヘタれば、結果もヘタる。

 

エンジンがついていない手押し車を根性で押し続けて、手を離すと坂道を逆に戻っていくみたいな努力の仕方だってこと。その手押し車を押してる段階で、ライバルと喧嘩をしたり、誰かを負かしたり、誰かを出し抜いたりしているうちに、自分が一番疲れてくる。

クレクレクレクレ言い続けて、自分勝手に努力に酔った先は、多少実入りはあるかもしれない。でもそれはきっとすぐに終わる。嬢から嫌われ、客層は荒み、嬢を採用できないまま辞めていく嬢が増え、クレームが連発し、体力も気力も奪われ、多方面とトラブルを起こし、最後に腐るように店を諦めることになる。

 

2000年頃とか、それでも十分通用した時代もあったけどね。

風俗だけじゃなく何の商売でも、金を借りまくって人を増やし店を増やしサービスのライナップを増やし商品を増やし、売上を拡大して「てっぺんを取りました」なんていうのが優秀だと思われていたし。

今だとちょっと頭が弱いというか、あまり優秀じゃない人が誰かに焚き付けられて「本気になった」とか言ってやってるイメージだね。

ネットワークビジネスとか、歩合制の営業とか、そういう古い世界で今でもこれやって失敗してる人が多すぎるんじゃないのかな。そもそも優秀な人が多くはない世界でね。

 

この時代、自分にとっての幸せと、自分の周りにとっての幸せが両立しない努力は失敗する可能性がものすごく高い気がする。

そんなのあるかよ!って脂ぎったおじさんたちは説教するだろうが、ないと思ってる非常識に気づいてない人だと思うよ。

それに、田舎の小さな会社や個人が、量で勝とうとすると必ず負けるだろ。当たり前であって。スモールビジネスしてる人は、量でも順位でもシェアでも、そこに価値基準置いた瞬間負けが始まる。

 

昔、ある街に、意図的に嬢が5人しか在籍しない風俗店があった。指名予約とリピートだけでスケジュールが埋まり、新規はほぼ無理だった。一人あたり、嬢が入れる本数は3本。在籍は5人と決まっていて、6人になることもなく、人が減ればまたどこからかすぐに嬢がやってくる。価格は周囲よりもずっと高かった。

当然売上は物量が豊富な大規模店の足元にも及ばない。新規で入れない店のあり方にネットでは悪口も続出。情報誌に広告も出さず、ネットに簡単なホームページがあるだけ。嬢の写真もない。斬新なサービスも一切ない。

ほんと超スモールビジネスだったが、ちょうど10年が過ぎた頃、廃業した。すごい年収の嬢を何人も輩出し、経営者自身も廃業時には相当な財産を持っていた。

この彼とは今も交流があるが、センスが15年は先を走っていた人だと思う。彼もまた、風俗業にはもう縁がない。可愛い奥さんと2人でまた小さな商売をしてる。地味過ぎるが、どうせまた稼いでるんだろう。目立たない地味なセダンに乗って、廃業したときに記念に奥さんから貰ったオメガの時計をつけて、いつもデニムを履いている。そろそろ豪邸でも建てていいと思うだが、2階建てで32坪の中古住宅を買って住んでいる。

昔のスタッフたちが今も慕って交流してるっていうから、相当な人格者だろう。

本当の勝ち組ってこれなんだろうね。とても現代風だと思う。時代に合ってる生き方をしてると思う。幸せに成功するっていうとこの人を思い浮かべる。

 

てっぺん取りますなんて寒いこと言う前に、自分の幸せと、周囲の幸せを同時に考えたほうがいい。

欲しいのはてっぺんなんかじゃないはずだろ。

 

どうしても一番になりたかったら、大食い競争でもしていればいいよ。

 

戦わなきゃならない試合、勝たなきゃならない試合って、人生には3つしかないんだよ。

 

他人のモノマネだけで成功するほど甘くない

18歳で青森の田舎から東京に出ていって、ニキビ面晒して新宿の片隅で生きるようになって、右や左どころか上も下も分からない訛ったガキが東洋一の歓楽街でサバイバルするためには、百戦錬磨の先輩たちや師匠や、デブの社長が俺に教えてくれる「アドバイス」に耳を傾けなければならなかった。

 

いわゆる成功ノウハウとか、成功哲学ってやつ。

 

それがまた、俺には難しすぎた。

 

特に師匠が俺に教えることは、支離滅裂かつ馬鹿馬鹿しい謎掛けのオンパレード。1990年頃の話だしね。まだまだ根性論とか精神論が跋扈していて、「本気なら○○できるはずだ」的なアドバイスばかり。抽象的なうえに、なんか掴みどころがない。

で、それをやらないと当然怒る。だからやってみる。そして能力的にやれないとまた怒る。俺の人格まで否定してくる。

じゃあどうしろってんだよってことで俺もキレる。キレるとキレる。キレた師匠に俺もキレる。取っ組み合いの喧嘩になる。でも顔が商売道具だったんで、お互い顔は殴らなかったけど。

それでまあ冷静になって、師匠が8割悪いけど俺も2割悪いところもあります的な謝り方をしたり。でも実は俺は一切悪くねえよってツラして、それがまた喧嘩の原因になったり。

 でも、ほんとに、おまえの教え方がわりいんだよって今でも思ってる。

 

そういうわけで俺は弟子業としては、最低で最悪。素直さゼロ。ゼロというかマイナスだね。素直になれというと、素直になるどころかマイナスに振り切って怒りまくるっていう。

 

肝心の諸先輩方のアドバイスが全然役に立たないのはなんでなの。ほんと腹立った。

ほんと俺が悪いせいなのか、先輩や師匠の言う通りやっても上手くいかないんだ。

「アキラ、俺が教えていることになんで我を入れるんだ!このカスクズアホ!」とか言うんだけど、悪いけど何度やってもそのやり方で俺がこの夜の世界で稼げるわけねーーーだろ、って思ってたんだよね。

 

それ無理って思ってた。

でもその通りやれってうるさかった。でもそれじゃ俺無理なんだよ絶対。

 

想像してみてよ。俺、青森の八戸っていう田舎の生まれだよ。当時も今も田舎町だよ。イカとかサバとか貧乏くせえせんべい汁とか食って育ったわけ。喋るイントネーションもふにゃふにゃおかしいし。地域柄、喋るスピードもものすごく遅い。おっとりなんだよ、今も。

そんな育ちしてんのに、新宿に来たら、いくらガラが悪い不良だっていっても俺からしたらいい育ちしてんのよ。都会的っていうかな。スマートっていうのかな。みんな喋るのも面白いしさ、上手だしさ、これは女性にモテるだろうよって痛感したよ。

俺は?喋れない(笑)外国人になった気分。

言葉一つそんな感じだったんで、こんな田舎のガキに、そんなトレンディ(死語)なお兄さんがたのアドバイスなんか、役に立つわけがない。

 

前提が違うと思った。俺なんかオシャンティ(死語)なジョークなんか繰り出したり、

調子ぶっこいたお世辞なんか言えねえよ。

 

周りの若い奴らは兄さんがたのアドバイス通りに実行して、結果を出す。

俺はいつまでも出せないまま、怒られて先輩の教えをイヤイヤ守ってる。

いや、教えられるのが嫌なんじゃないよ。いいこと言ってたし、納得いったし、勉強になった。東洋で一番洗練された歓楽街だけあって、俺は日本で一番レベルの高い環境にいるって思えた。

それはすごいことだとは思ってた。プライドもあった。

 

でも結果出せないのは俺ばかり。

 

で俺はそんな教えをある時から破るようになった。守破離なんてもんじゃない。真似すら出来ない状態で、教えを捨てた。

先輩たちも俺を見放していたんでちょうど良くて。落ちこぼれっていうのは便利なもんだよな。好き放題しても無視されてるから。

 

俺の仕事は、中年女性とデートすることではあったんだけど、そんな単純に見えて複雑怪奇極まりない仕事をしていると当然每日失敗した。

以前だったらそれを先輩に言って怒られるだけで終わったんだが、俺は報告は一切せず、その代わりにノートに書いていくことにした。

今日どんな失敗をした、それはなぜか、どんな法則・数式で一般論かできるか、自分がコントロールできることできないこと、失敗を成功に繋げることができるか、そもそも自分の仕事の考え方が正しのかどうか、そんなことを赤いペンを使って殴り書きしていく。

当時俺が使っていた青いファブリックのリュックにはノートと赤い革の手帳が常に入っていて、気づきがあるたびに人目につかないように便所の個室にこもって書いたりしてた。夜の世界でそんなメモなんかしてると、馬鹿にされていたからね。ひ弱っぽくて。

 

そしてそんな時間もかからず、俺は自分のやり方でうまくいくようになった。教えてもらったことから遠くはないけど細かいテクニックの部分は別物の、アキラオリジナルのやり方だった。

売上が上がってくると、まず社長が喜んだ。先輩たちは嫉妬した。師匠は呆れていた。

いいじゃねえかよ、売り上げ上がってんだからと突っ張ろうとしたけど、いや、先輩たちがいろいろ基本(っぽいもの)を教えてくれたりしたことと、それでも一流の場所だっていうステイタスみたいなものがあってこその俺だとは思ったんで、俺も大人になって言った。

俺は俺のやり方で仕事をしていく。でもここは店というチーム。チームとしてやるべきこと、たとえば掃除当番とか買い出し当番とか、下っ端がやるべきことは積極的にやった。

そうこうしているうちに、先輩たちの売上を越していった。

 

でもね、当時のことを考えると俺がラッキーなだけだったかもしれないし、それでも基本を強制的に暴力的に叩き込まれていたので成功したのかもしれない。

それでも、俺は、自分のやり方で成功したと思ってる。俺オリジナルの方法で。

 

オリジナルであることは、孤独であるということ。誰からのアドバイスももらえない。師匠の教えをコピーして努力するタイプであれば、師匠がいちいち教えてくれるだろう。でも、俺はそれでは成功できないんで、仕方ないよね。

 

俺は、自分が長期的に、かつ本質的に成功しようと思ったら、オリジナルを追求しないとならないと思う。

短期的にちょっとだけ上手くいかせてみたい、と思うのであれば、他人のモノマネでいいと思うけどね。

最初は基本を教えてもらうのは絶対。基本通りに真似から入るのがいいと思うけど、絶対にそれでは長期的に成功しないと思う。

 

 

自分の今日の失敗に向き合ってますか。

今日、何もしなかった、今日、失敗すらしなかった、今日、漫然と過ぎた、

それ自体が失敗なんであって。

 

そこに向き合うのって自分でしかないんだから、成功する方法だって自分オリジナルでしか無理なんだよ。

 

無理だから努力すんなよ

なんか、アキラの言うことを大きく誤解してる人がいると思うんだよね。

 

いきなり冷たいことを言う。

今、社会の底辺以下の糞生ゴミとして生きている人。

もしかしたら将来に希望を持っていると言うかもしれない。ここから成り上がるんだ、ここからまともな生活に戻るんだと期待しているかもしれない。

でもね。

たぶん、というか絶対。そのまま年老いて死ぬだけだよ。成り上がるわけがないし、まともな人生にならない。

底辺から劇的に復活して成り上がってみせるっていう根性は意味ないんですか?って言うだろうよ。

でもそれでも言う。たぶん、そんな根性だの思いだの目標だの、何の意味もない。

 

ご存知の通り、俺は元ホームレスだよ。莫大な借金があり、仕事はなく、いろんな人の信用をなくし、食い物もなく、しょんぼりしながら命だけを繋いでいた。

そりゃ俺だって思ったよ、このままじゃ嫌だ、今に見てろ、今に成功してやるって。

今思うと、だからお前そんな糞ホームレスに落ちるんだよwwって自分に言ってやりたい。

結果的に俺はホームレスを脱出して、人並み以上の生活を手に入れることはできたけどさ、それはたぶん、根性でも無ければ目標の力でもなかったと思い知らされる。

 

今に見てろなんて言って、華麗に底辺から成功したなんて人ってそんなにいるかい?俺の周りにはいないよ。

失敗はいくつかあったし、ひどい目にもあったけど、あの人は成功するだろうなって思った人だけが成功してるだけの話。

万引きの常習犯で?レイプ犯で逮捕されて?釈放されたら殺人事件して捕まって?それでまた出てきて、今に見てろ人生変えてお前ら驚かせてやる、なんてことは死んでもないわけだよ。

あったらいいねと思うけど、ない。ないもんはない。

 

俺は甘えている奴らに言いたいよ。

うじうじと成功願望にしがみつく前に、今やらなきゃならないことやれよって。

今、お前が逃げていることをやれよって。

 

それは何かって。

まともな生活習慣のことだよ。

 

朝はやく起きて、家族に挨拶する。妻に挨拶する。子供に挨拶する。

時間をかけて身支度をして、食事をして、行ってきますといって仕事に出かける。

独身の人なら、朝起きて恋人にLINEをするとか。

今無職なら仕事を探しに行く、勉強をしに行く。

職場についたら掃除のおばさんに元気よく挨拶をして、同僚に大きな声で挨拶をする。

そりゃ仕事だから面白くない事は沢山あるだろうよ。でもやるしかねえんだから、出来る限りきちんとやろうとする。

 

まともな生活習慣っていろいろあるだろ。

ホームレスしてた俺がなんとか復活するきっかけは別に俺の能力だの根性だのじゃねえよ。

それでも俺のことを心配してくれる人がいて、その人に素直に感謝して、ありがとうと言ったからだと思ってるよ。人のご縁でしか成功できないんだから。そしてそんな甘ったるいことだけじゃなく、せっかくご縁で頂いたチャンスを死んでも物にしなきゃ俺は一生このままだと思ったから。

俺の能力だの根性だのそんなもんどーでもいいし、意味もないと思う。目標も会ったような気がするけど、多分俺の糞目標なんてのも意味もない。

 

はっきり言うと、成り上がりますとか言っといて、朝起きるのが遅いやつが人生変わるわけないでしょ(笑)

人生変えますとか言って、ろくにLINEの返事もできない男には無理でしょ。

うじうじうじうじ腐りきったまんこみたいなブログ書いてるやつには一生無理だ。

 

戦うって言葉がブログには多いけど、それはなんか気持ちの問題じゃなくて、今この瞬間にちゃんとした生活態度をしてるかどうかだよね。

特に人の気持、自分を大切に思ってくれている人の気持を、きちんと汲めるかどうかじゃないの。

 

俺は人のご縁や気持ちを無視して、独りよがりで戦ってるふりした人間が死ぬほど嫌い。どうせ何もしてないくせに。

 

本当に今の人生を変えたいと思ったら、自分のことじゃなく、他人のことに尽くしてみるべきだよ。

大きなことを言ってるわけじゃない。あなたが昨日粗末にした人に今日謝って、明日一つ何か貢献してあげること。

戦ってもいないくせに戦ったふりをして、無神経な発言ぶっこいて自己憐憫に酔った今の自分を恥じること。

努力も根性もいらないから、まともな生活態度を1から始めること。

そしてそれからはじめて、具体的な戦略に基づいて、具体的な努力をすること。

 

でもさ、そんなことができないのは、結局困ってないからだよね。

 

今のウンコみたいな人生が心地良いからだよね。

 

 

 

 

誰よりも弱っちく、誰よりもみっともなく、そして誰よりも強く

Suburbiaのメンバーに共通するのは、口汚さ。それはもう誰もが知ってると思う。

何かあるたびに口汚く罵るのは日常茶飯事で。口汚さを通り越して、その言葉にオリジナリティと芸術性まであるときがある。罵倒の言葉が芸術にまで昇華する瞬間があったりして。

 

俺みたいな昭和の子供だと、共通する体験がある。それは「子供の教育に悪い」と言われる情報に24時間晒されて育ったということ。

例えばテレビ番組だって、ドリフターズのあのお下品かつ芸術的な番組が20時から放映(しかも生)されていた時代だ。修正が聞かない舞台中継で、出てくるのはウンコにちんこ、しかも小人症のお笑い芸人が笑いをとったり、今なら人種差別と言われるに違いない表現とかね。今だったら絶対ありえない表現ばかりだったな。

コミックでもそう。映画もそう。

陰湿に人を殺しまくり、レイプしまくり、差別したかと思えば復讐されて殺されて、最後は主人公まで無残に死ぬ。もうね、死ぬというところに共通した美学があったような時代だったと思う。殺す、死ぬ、死ね。

学校でもそうだ。1980年代は学校が史上最も荒れた時代だよな。俺が通っていた中学校では、バイクに乗った無職少年(二年生の不良生徒の兄)が校庭を走りまくり、ジャージ姿の教師がそれを追いかけるなんて日常茶飯事でさ。教師は叱るのではなく怒っていた。顔面の骨が折れるほど生徒を殴りつけるなんて当たり前。教師の車のフロントガラスを割るのも当たり前。新卒の女教師をレイプしようと群がるのも当たり前。不良だった俺も、全校集会で目をつけられ、体育教師に思い切りぶん殴られ鼻血を派手に垂らしながら隣の生徒に支えられながら立っていたり(笑)

暴力も当たり前の時代。教師という権威は絶対の時代。権威に反抗するのは子供の義務だった時代。

自分を強さを試し、それを誇示することで周囲の尊敬を得なければならなかった時代だ。黙っていることは死ぬということ。逃げるということは服従するということ。

暴力、エロ、排泄、差別、排斥。そんな時代の雰囲気があったよね。

 

でもどうだろうね?

その当時、そんな教育に悪いことばかりの今の40代のおっさんおばさん達は、どんな価値を持ってるだろうか。

キーワードはこうだろう。

 

強さ。勢い。友情。愛情。メンツ。悪さ。

きっと、2017年の今のこども達には馬鹿にしか見えないだろうな。

 

suburbiaの周辺では10代の子どもたちもたくさんいる。当時17歳だった弟子の子は、アキラの直系の弟子で、俺の歪みに歪んだ価値観を多感な時期に浴びまくった。

仮性包茎のちんぽが陰毛を挟んでしまうことを、俺は「ちんげざるそば」と呼んでいた。だから17歳の可愛い子が、えへえへ「ちんげざるそばかよ!」って罵っていたり。

ほんと教育に悪い。

suburbiaではセックスをエッチとは言わない。海綿体が充血することを勃起と呼ぶ。挿入をぶち込むと言う。最高のセックスを、犯すと呼ぶ。

金がないことを貧乏と言い、腰抜けの男のことを底辺乞食野郎と罵り、根性がないやつのことをオカマちゃんと言う。

男も女も、みんなモノの言い方に「お品」がない。

なぜなら耳障りのいい甘ったるいものでコーティングされた言葉で、自分が頭を撫でなられながらとんでもねえゲテモノみたいなもん食わされるなって教えられるから。

 

「なあ、おまえどんな大人になりてえんだ?言えよ」と俺は18歳の女の子に言った。

「あ、はい、世の中のために貢献できるような大人になりたいです」と女の子は言う。

俺は突然キレる。

てめえふざけんなよこの腐れチーズまんこが。もう一回言え。

「・・・すいません、お金を稼いでいい思いしたいです・・・」女の子はビビりながら言う。

「じゃあ、今なにすんだよ?」俺は不機嫌に言う。

「えっと、えっと」女の子はまた言葉を探そうとする。俺が喜ぶような言葉を探そうとする。だから俺は突きつけてやる。

「あのよ、死ぬ気で働けってことだよ。おまえみてーな根性無しは死ぬまで働けないからよ」

ブラック上等よ。なぜならここより下の世界は刑務所だけだから。

 

そうだろ。18歳のガキが、社会貢献なんて欲しがるかよ。欲しいのは金だろ。マネーだろ。銭っこだろ。それ使って可愛い服欲しいだろ。うまいもん食いたいだろ。自分をイジメて馬鹿にした同級生に高級車見せつけて唾吐きたいだろ。自分を能無し呼ばわりした母親の胸ぐら掴んで口に一万円札突っ込んでやりたいだろ。自分をレイプした父親をカネの力で土下座させたいだろ。

糞みてえな育ちしてるくせによ、何かっこつけてんだ。

俺だってそうだぞ。金稼いでよ、いい女とすげえ夜景の見える部屋でエロいことして眠りてえよ。シャンパン口に含んでフェラチオしてもらいてえよ。なぜなら、俺もお前もどーせ糞以下の家で間違って生まれたんだから。

いい思いしたがるのは当たり前の話だろ。

それをなんでお上品な物言いでごまかすんだ。どこで覚えたその卑怯な物言い。

 

耳障りのいい言葉で何も飾らず、今の自分が信じるもの、ほしいものに向かって高速でぶっ飛んでいくんだ。

だからこそ、

だからこそ、

本当に本当に本当がどこかにあることを知るんだ。

テメエ勝手な欲望をいくらでも欲しがってぶっ飛んだ先に、気づくものが絶対ある。

 

それはいつも言うよ。

愛。

想い。

貢献。

 

俺、お前のことなんとかしてやりてえ。そういう思いを強く抱くようになる。

仲間のこと見捨てたりはできねえ。それが当たり前になる。

俺は生かされているって。俺は自分の力では生き残ってはいねえって。

 

常識ぶった世界の裏路地を、非常識なスピードで疾駆し、歯向かう奴らに唾を吐きまくってやってきた薄汚い公園から、紫色に染まる東の空に何か希望みたいなもんが見えたりするんだ。

 

臭えかな?俺の言葉。臭えと言ってるお前が卑劣な生き方してるんじゃねえのか。逃げてる臆病者なんだろうが。乞食みてえに金と女欲しがってるくせによ、何を綺麗な言葉に逃げてんだ。

俺は、そういう腰抜けから女を根こそぎ奪ってやりてえんだよ。

 

俺は言ったよ。その昔。

強い男に守られたい女は犠牲を払わなければならない。

なぜなら、強い男は自分の持ち物食い物まで人に分け与えてしまい、何も持ってないからだ。

犠牲を払わず愛のようなものを求める女は、愛に似た何かまがい物を食わされちまう。幸せな家庭に似た、とんでもなく不幸せなグロい感情だけを培養する日々を手に入れてしまう。

 

最近のお子ちゃまたちはいいよね。学校の教育のおかげかな。

口汚く罵る言葉を下品と言う。ひどい言葉を使わない。みんななかよく。隠し事なく、なんでも話します。人に土足で入ることはしません。

いいね。

 

でもさ、俺は言うよ。

そんなお優しい男の子女の子たちがさ、どれだけの愛を知ってるのかなって。どれだけ本気で自分を傷つけたことがあるのかなって。どれだけ人を心配できるのかなって。

俺は、自分の女が腹が痛いと言っていたら、「お前ケチャマンだったのはいつだ?」と真剣に心配して聞く。うんこしたか、下痢してんのか、いつうんこぶりぶりしたんだ、とか。

だってよ、本気でこいつに尽くしてやりてえって思うからだろ。

痛くて苦しいって言ってんのに、それでも距離保ってんのってどうだろうね?男じゃねえよな?礼儀?そんなこと言ってる場合かよ。

お前が死んだら俺が困るんだよ!って思わねえのか。

 

俺は自分の女が金がないって言ったら、俺は飯食わなくても金渡すよ。返さなくて結構。別れてしまっても返さなくて結構。今の俺にはお前の幸せが俺の幸せだからだ。自分のものまで渡して俺は水飲んでまた金稼ぐよ。

だって、俺の女はいろんなもんを犠牲にして俺といるんだからさ。当たり前だろ。

 

自分の女がふざけたこと言うと俺は怒鳴り散らす。間違えたこと、失礼なことをすると殺す勢いで叱る。叱るんじゃないな、憤怒するんだ。

それでも俺は自分の女を見捨てたりはしねえよ。だってよ、好きだから。こいつしかいねえって思うからいつも。

 

そんな粗雑な俺についてくる女だもん、いい女に決まってる。守ってやらないで誰が守る。

 

こういうこと言うと、優しいですとか言う女いるよね。いや違うね。その甘ったれた感性じゃ無理なんだよ。

俺は女を甘やかさない。しっかりと教育する。躾ける。あおいも、なつきもそうだった。でも、俺が必ずみっともなく後始末してやるからって。言ったことはないけど、そういう気持ちでいた。

人を守るって、みっともねえことの繰り返しだぜ?何も体張るばかりじゃねえ。

糞みてえな乞食みてえな客に頭を下げて、罵倒されて、死ねオヤジとか言われ、それでも申し訳ありません、すいませんと気が済むまでサンドバッグになってくる。正直理不尽だしぶっ殺してやったほうが早いんじゃねえかと思うんだが、法律がそうもいかないのでとにかく謝るだけ。

自分の女を守れるなら、理解があるふりもする。素直なふりもする。反省したふりだってする。

 

何回も言うけど、優しいからじゃねえ。優しいって言葉はマヌケ女の使う言葉だ。

 

俺が自分の女に言って欲しいのは、「あんたつえーよ」だよ。「あんた男だよ」だよな。

男の中の男っていうのは、負けることができる男だと思うよ。負けることで自分じゃない誰かを守ってあげられる男だと思う。

自分が持ってる小さなプライドまで貢いで、みっともなく負けてきてやることだと思ってる。

 

ストレートに生きたほうがいい。ストレートに、品がない言葉で愛を語り、みっともなく大切なもんを守るように每日仕事したほうがいい。

 

カッコ悪いのがカッコいいと思うよ。

いつまでも自分守っていてもさ、お前の腐れたまんこ彼女は俺見てえな下品な男のちんぽにむしゃぶりついてんだぜ?

俺がみっともなく生きているのを隠さないからだ。

品のない生き方を絶対に譲らないからだ。

 

 

 

 

 

 

セックスが「愛を確かめる行為」などではないのはこんな理由

ラブレスキューなどずっと読んでいただいている方にとっては、アキラってそういう感性だよねってご理解いただけていると思う。

俺は、セックスは「愛を確かめる行為」なんかではないとずっと思ってる。

愛しているからセックスできるとか、愛しているからセックスしたいとか、抱かれていると安心するとか、抱かれているから確認できるとか、そういう感情が全て気持ち悪くて仕方ない。

もっと言えば、ぽっきいがよく言う「セックスしながら戦争はできない」って言葉、それも少し違う気がしてる。

 

愛などなくてもセックスなんかできるし、愛なんか無くても中出しすれば妊娠する。子供が生まれて新しい命が芽生えるのは神様に祝福されるべきことだが、別のそのプロセスに愛などなくても成り立つわけだよな。

レイプしたってセックスできるし、むかし・・・怪我で意識がなくなった負傷兵士と看護師が騎乗位でセックスして、生まれてきた子供の人生を描いた小説もあったな。

 

別にセックスが愛で祝福されているわけじゃないんだよな。

 

思い出して欲しい。セックスというものは最初からステキなキラキラなものだっただろうか。

早い人は10代の頃にセックスしたんじゃないの。俺もそう。

俺が初めてセックスしたとき、なんて汚らしいんだと思った。おまんこはグロテスクで変な臭いがし、体液がぐちゅぐちゅ出て来るし、体位を変える度に屁みたいな音までする。それとうらはらに俺のちんぽはギンギンになって、臭っせえ精子を排泄するたびに、セックスってきったねえなと思っていた。精神的に汚いんじゃなく、便所でうんこするのと同じレベルの行為だなと思ったもんだ。

セックスするたびに当時の彼女が言った。「わたしのこと大切?」

いやそれとセックスは違う気がしますよと思ったんだが、言わなかった。

愛があればウンコも食える、ウンコ食うからには愛がある、それと事態は何も変わらないと思った。

 

18歳の頃から俺は東京のある街で、中年女性とセックスする仕事をしていた。正確にはセックスだけじゃなくて、実際はデートクラブ的なもんなんだけどね。まあ女たちの目的はセックスだろう。

その中年女性はみんな、若い頃に「性から逃げ回った」女ばかりだったと思う。若い頃に見合い結婚をし、結婚してから初めてセックスをし、お勤めとして夫とセックスをしていたもののセックスの意味するものを考えたこともなく、ただ、いやらしい行為としか思えなかった女たち。夫とのセックスが苦痛で、でも生まれてきた子どもたちは可愛くて。早く夫が老いてセックス出来なくなって欲しいと願っていた女たち。

 

でも40代になって、向き合ってこなかったセックスに苦しめられるようになる。

距離を置いてすかしていたセックスというやつが、強引に居候始めたようなもんだ。

若い頃にセックスを自分のものにしようと付き合ってこなかった天罰のように、身勝手な性欲を押し付けるために若い俺に金を握らせ、身勝手にセックスする。

みんながみんな言うんだ、「若い頃は一通り悪いこともしてきたし、エッチなことも沢山してきたけれど」ってね。ほんとにみんな同じことを言う。

んなわけねだろってガキだった俺でも分かる。

お前らみたいな鈍くせえババアがそんな華やかな過去があるわけねえだろうと。ガッコつけんじゃねえ。

みんな、自分の過去を美化し、今の自分を必死に守りながらも、黒ずんだマンコを満足させたくて金を払ってセックスしていた。

今だったらさしずめ、「裏垢」とか称してTwitterで気持ち悪いエロツイートし続ける迷惑なおばさんというところだろう。

何を守ってんのかしらねえが、今のあんたらは性欲妖怪潮吹きばばあだ。

 

みんな、アキラをペットのように扱った。

「もー、アキラったら1人じゃ何もできないんだから」とか

「アキラは威厳がないわね」とか

「アキラは頼りないからきっと年上の女性が向いてるわよ」とか。

お前らが俺の何を知ってる?お前らは俺に何か質問したか、俺の18年の歴史に何か質問したか?俺がどこで生まれ、どんなことがあって何を考えたか、知ろうとしたか?

まるでマヌケな衣装着せられた小型犬のように、俺はちんぽギンギンにさせて、チンチンの芸をしてみせるだけ。

ババアの性欲はきもちわりーな、そう思っては毎晩ムカついていた。

金だけが俺の癒やしだった。早く払えよと思いながら、マヌケな小型犬を気取っていた。

だから、仕事が終わるとたまに風俗に寄って抜いてもらった。さっきちんぽから血が出るほど抜いたのに、自分のために射精がしたくて風俗で乾いた雑巾を絞るように射精したんだ。

当時付き合っていた派手な見た目の女たちもいて、俺のアパートの部屋で俺がうなされながら眠るのを笑って見ていたり。

 

俺のように公衆便所やってるやつらは、男でも女でも、人の腹の底が透けて見えているもんだ。

セックスって愛という御大層な観念なんか関係なく、ちんぽまんこを丸出しにして、利己的な欲望を押し付け合う行為だから。だからこそ、本性が丸出しになる。昼間の肩書など意味がない。学歴も職歴も意味がない。過去も未来も、預金残高も何も関係ねえ。

自分の見栄にしがみついて一生懸命自分を守ったところで、マヌケにしか見えねえよ。丸出しちんぽ勃起させて生徒に生活指導する教師のようなもんだ。

 

セックスは愛を確かめる行為ではなく、そいつの腹の底を査定し合う行為だよ。

自分も相手も欲望に身を任せる不潔な粘膜のこすり合いなんだから。

 

だから、20歳のとき、セックスから逃げた人間は男でも女でも、惨めな中年セックスをするようになる。御大層な旗を広げて、理念を語って、やってることは地味なパンツの中の仮性包茎ちんぽをおっ立てている。

ババアだとしたら、Twitterみたいな安全地帯でエロを気取って、似たような男にチヤホヤされて自己承認欲求を満たすマヌケにもなるだろう。

 

セックスとは暴力

セックスとは差別

セックスとは、俺とおまえが一番触れてほしくない心の炎症を起こした部分を思い切りこする行為。

 

セックスとは殴り合いだ。それが本質である以上、セックスが逃げるのは腰抜けでしかない。そして逃げてしまえば後でつけを払うことになる。セックスから逃げれば利息を払うときが来る。必ず。

 

ぽっきいのようなひでえ言葉の羅列と、偏見と、差別。それがセックスそのもの。

そこから逃げちまったらセックスに小突き回されて、街を追い出されちまう。

 

セックスから逃げてはいけない。

おいおい、悪い冗談言い過ぎだぜって言いながら、セックスと付き合っていかなくてはならない。

おいおい、シングルCDみたいな乳輪隠してろよ、なんて言いながら。

セックスというガキ大将からは逃れられない。セックスを利用するか、セックスに取り入るか、それとも征服して自分がガキ大将になるか。

 

幸せなことに、俺は45歳の今、セックスに何のコンプレックスも僻みも持ってない。ひん曲がった感情をセックスに託さずに済んでる。

セックスと上手く付き合っていると思う。そしてセックスで色んな人とつながっている。

 

でもセックスは油断できねえテロリスト。どんな悪い思想持ってるか知れたもんじゃねえ。

 

セックスの本質から逃げるな。

 

「世の中結局カネだろ」って言う人間は、なぜカネを稼げないのか

風俗業にいた時代。

決まってこう言うやつがいた。男でも、女でも。

「世の中、カネっすよね。カネあるもんがいい思いするんすよね。」

俺はそいつらの顔も見ないで、PCをいじっている。

「だから俺、カネ稼ぎますよ。だって世の中カネ次第っすからね」

 

そう言う男は、決まって金を稼げないまま消えたし、そう言う女は風俗で小銭は稼いだけれど、風俗を辞めたら小金持ちの客の愛人になっては捨てられ、たいてい乞食みたいなババアになるのが関の山だった。

あれ?って俺は思う。

世の中、カネなんじゃないの?なんでそんな乞食みたいになってんの?

カネカネ言ってたじゃん、なんで金ないの?って。

 

答えは簡単な話でさ、この乞食みたいな育ちで底辺でうにうにやってきた俺でも知ってることだよ。

つまり、「世の中は結局カネではない」ということ。

俺も金で苦労したよ。借金に追われホームレスで食い物に困ってパン盗んで食ったり、公園で水飲んで空腹をしのいだりね。金に困った武勇伝ならたぶん滅多に負けない自信がある。

それでも思うんだよね。世の中は結局金ではないし、金次第にどうにかなるのはせいぜい風俗嬢にちんぽしゃぶらせることくらいだ。

 

もし自分が貧乏で、その惨めな生活からいち早く抜け出したいと思ったら、脳みそに叩き込んでおく法則があるんだよね。それは、世の中は金で動いてないってことだよ。金次第で動く人間があなたのそばにいるとしたら、あなたのいる環境が恐ろしく貧しいと思って間違いない。人間性の貧しい環境にいるってこと。

あなたが思うよりもっと多くの人間が、金だけでは絶対に動かない。金銭の多寡で物事を判断してない。もっと言えば、損得だけでは動かない人のほうが多いんだよね。

 

きっとあなたは思っているだろう。自分が女に相手にされないのは金がないからだ、自分が貧乏な生活をしてるのは学歴がないからだ、家に金がないから大学に行けなかったからだ、アキラやぽっきいは金があるから女にモテるんだろ、いろいろ綺麗事言ってるけど結局金だろ、とかね。

いや、世の中、金がなければどうにもならないよ。いつもの新宿駅の改札をくぐるとき、Suicaにチャージされてなければゲートがしまってしまう。世の中金じゃないから入らせろとか言いつづければ、そのうち警察がやってきて連れて行かれる。

でも残念なことを言うと、俺は、ホームレス時代に色んな人が俺から離れていったけど、そこから脱出できたのは俺が落ちぶれても色々世話してくれたなつきという美人な仲間のおかげだった。それに、ホームレスは脱出しても随分長い間貧乏だったのに、たくさんの女たちが俺の世話を焼いてくれた。仕事を紹介してくれたり、人脈を紹介してくれたり、食べ物をくれたり、彼氏が捨てると言ったシャツやネクタイをくれたり。つまり、いくら貧乏でも、俺は女に縁がなくならなかった。俺は何をしてやるにも金がないっていうのに。

だから言うけど、女にモテないのは金のせいじゃないよ。金がないせいじゃない。あなた自身が努力してないから、それだけでしょ。勝手に金のせいにされたら、金は怒ってしまうんじゃないの。

お前の女事情なんか俺のせいじゃねえわって、お金が思ってるよ。

 

何度も言うんだけど、お金を稼ぐチャンスって、人伝いにやってくるんだよ。

ネットとか、ノウハウ本とか、お小遣いサイトとか、そういうところに転がってる情報は全部うんこ。チャンスは必ず人伝いにやってくる。

 

今、もし自分にチャンスがやってこないと思ってるなら、理由は一つ。

あなたが人を粗末にしてるからだ。

あなたが人に感謝をしていないからだ。

だからあなたにチャンスが来ない。せっかく近くまで来ていたチャンスに気づかないで、通り過ぎてしまう。

 

お金ってね、ご縁で稼がせてもらうんだよ。しかも、人のために尽くしたことの報酬で稼がせてもらうんだよ。

綺麗事言ってると思ってる?残念ながら、それは風俗でもそうなんだよね。夜のいかがわしい世界でも、信用のあるやつのところに金が流れ込み、居心地がいいのかずっと居座ってる。お金さまが。

 

そして、金持ちのやつらは必ず言う。

世の中、金じゃねえんだよなって。愛だよなって。貢献だよなって。人に尽くして大切にすることだよなって。

金持ちになっていい思いしたいと思ったら、まずやることがあるだろ。

毎朝元気よく挨拶する。

ビルの掃除のおばちゃんにも明るく挨拶する。

自分の彼女にありがとうと言う。

自分の彼女に、今日も可愛いねって言う。

職場の事務の女性に、今日もありがとう助かるよって言う。

道にゴミが落ちていたら拾って捨てる。

銭湯で椅子と洗面器をほったらかしにして出ていくやつがいたら、自分が片付けてやる。

自分の奥さんに、ごはんおいしいよって言う。

仕事が大変で困ってる同僚がいたら手伝うよって言う。

 

そういうことって、「優しい」とかそういう安っぽいもんじゃないんだ。本気で人に尽くせますかって話。

それができないくせに、ネチネチ仕組みの話をしたりさ、損得の話をしたり、そういうのは呑気なサラリーマンが居酒屋で語り合っていればいいよ。

本気で、孤独に、ハードにサバイバルして、成功を手に入れたいと思ったら、まずは人に感謝をし滅私奉公したほうが近道だよってことなんだ。

 

成功とまで言わなくても、どん底から這い上がってなんとか生き延びたなって思うことがあったら必ず思うから。

俺が生き残れたのは、人のおかげだなって。

俺はこのブログを読んでくれている人にも感謝してる。このブログのお陰でたくさんの出会いも金も稼ぐチャンスももらった。このブログを読んでくれる人がいるお陰で俺が文章を書きまくり、その結果、俺が一番の気づきを得ていると思う。

 

それが、世の中カネっすよね!とか俺が言っていたら、今頃俺は刑務所にいると思うよ。詐欺とか、婦女暴行とかで。

頭がポンコツになってたと思う。そして貧乏していた。

 

人が幻覚を見たかと思うほどの美女と、信じられないほどの華やかな夜景を眺めて、ケツ出してシャンパン飲んでるような瞬間でも、

俺は人に尽くすことで大きく稼がせていただいてるって意識は絶対に忘れてない。誰かが俺にチャンスを差し出してくれたこと、それに飛びつくことを許していただいたこと、そして多くの人が俺のマインドを支持してくれたこと、そういうことに感謝を忘れてないよ。

 

金稼ごうと思ったら、必要なのはチャンスじゃない。

まずは、人に感謝をするという姿勢。そしてまずはあなたの成功を支援しますっていう貢献の行動。

 

結局さ、世の中は、愛だよね。愛。

愛が金を稼がせてくれるんだよね。

 

 

人間関係に優先順位をつけるその癖、当たり前じゃないって知ってる?

前回のブログで、共依存が原因のDVを受けてきた女は、結局人からの信用も無くしていくっていう話を書いた。

 

今回はその続きというか、関連した話。

 

共依存に堕ちた人間が、なぜ人からの信用を無くすかというと、つまるところここに行き着くと思う。

「人間関係に優先順位をつける癖が当たり前になってる」ということ。

どういうことかというと、ここ読んでる人も少し考えてほしいんだけど、こんなことって経験ないかな。自分でも、周りの人間でも。

 

あなたは女性だとする。そして2歳年上の彼氏がいるとする。

今日は京都に二泊の旅行に行こうとして早朝に起きて準備している。シャワーを浴びて、化粧して髪をセットして、昨夜に揃えたスーツケースを玄関に持ってきて。そろそろ出かけようかとしていると、電話が鳴る。彼氏からだ。

突然だけど、旅行行けなくなったって言うんだ。なぜ?びっくりして訊く。

するとこう言う。

「出かけようとしたらうちの母ちゃんがさー、なんか機嫌悪くなって。旅行行くって言ったらなんか怒ってるんだよね。ごめん、旅行いけないわー、キャンセル代俺が払うからさー。あー、あのババアほんとないわー、むかつくわー、ごめんねー」

結局旅行はなくなり、昨日買ってきたワンピースを脱いでクローゼットに戻し、スウェットに着替えてリビングで理不尽な思いに駆られる。

 

つまりね、彼氏は母親と共依存の関係なわけだよ。母親は自分の知らないところで知らない人と旅行に行くなんて怖い、怖いから頭にくる。息子は母親の顔色が気になる。ちょっとでも曇ると不安で仕方がない。

旅行に行くななんて言われてないし、誰と行くんだとも言われてない。でも顔が曇っただけで自分の行動を辞めてしまう息子。

そして、簡単にキャンセルされてしまう彼女。

 

彼女は思うだろうよ。わたしは、何なんだって。不倫でもあるまいしコソコソ付き合う関係なのかって。突然のキャンセルが事故とか病気とか仕事だったらいい。でもそれが母ちゃんが怒ってるからって。

彼女は自分の自己重要感を思い切り傷つけられる。そして傷つけたことすら気づいてない彼氏。その日、彼氏からフォローのメールも電話もない。来たかと思ったら、「今日は暑いね」とかそんな内容。

 

彼女との関係と、自分の母親との共依存の関係と、天秤にかける癖があるんだよね、この彼氏。母親が怒ってないなら旅行に行ったということだろうから。

これ、極端な例だけどさ、共依存の人間関係に堕ちてる人間は人間関係を天秤にかける癖が当たり前だと思ってる。他の人間もそうだって。

もちろん、彼氏のことが好きだから何より優先して生きてるっていうのはいいんだよ。でもその優先するべき人間関係があるのに、違う人間関係もあって天秤にかけてキャンセルしたり小馬鹿にして付き合ったりっていうことが、当たり前の人間は多くないって知ったほうがいい。

彼氏が優先であれば、家族より優先なんだよ。普通。

でも彼氏も大事、お父さんも大事、でも今はお父さんの機嫌取ろう、みたいな考え方では、まともな彼氏なら離れていく。まともな人ほど相手にしてくれなくなる。

 

彼女と喧嘩したからデリヘルに行って、デリ嬢がやって来てプレイ始めようってするときに、彼女から電話メール来て仲直りしたいって行ってるから、デリ嬢に金渡してとっとと帰ってくるとか。

デリ嬢だからなんか話がぼやけるけど、同じことで、それ当たり前の行動じゃないんだよね。彼女のことが優先だとしたら、そもそもデリ嬢とは会わない。彼女にも無礼だし、デリ嬢にも無礼だろ。金払えばいいってもんじゃない。

そもそも他人を当て馬にしてる神経って、まともじゃないよ。

 

最初に出てきた彼氏はきっとこう言う。

「いやキミのことは大事だよ、でも親も大事でしょ」って。

普通の神経している人なら、もういいわってそんなやつは切ってしまう。

 

いや言ってること分かるかな?それ何が悪いのって思ってるとしたら、相当、感受性ポンコツだぜ?

人間関係に優先順位をつける状況に、普通の人ならならない。複数の人間関係に優先順位がつく生活をしているとしたら、つまり、共依存の不気味な関係と、そこから逃げるための半端な付き合いが両方あるからなんだ。

彼氏がいて、女友達との遊びの予定と、天秤にかける瞬間は普通なら絶対ない。天秤にかける対象ではないでしょ。別次元の人間関係だから。

彼女がいて、自分の母親との人間関係を、天秤にかける瞬間は絶対ない。これも別次元の人間関係でしょ。

夫がいて、夫以外の男との人間関係を、天秤にかける瞬間があってはならない。そもそも天秤にかけてはならない対象だし。

 

彼氏と会えなくてヒマだしむしゃくしゃするから、女友達との飲みにたまに行こうかとか、そういう神経は普通しない。旅行に行く前に母親が不機嫌でも、普通はキャンセルなんかするわけない。

 

これが普通のことで、他の人もやって当たり前って考えてるとしたら、結構危ない脳みそしてるよ。