本質のありかを間違えて嫌われ者になっている人

最近、脱糞したような顔した屁理屈マンが増えてさ、本質本質うるせえんだよ。

本質本質言ってるわりには人生苦しげで、見ていて辛いんだけどね。

 

今日のテーマは、「本質だと思ってるものは本質じゃなかったりする」というお話。

 

たとえば、こんな2つの言葉を聞いたとする。

一つは、

「大学受験は不合格だった。二浪目確定だ。」

もう一つは

「浪人中、両親の離婚の騒ぎとか、彼氏と別れたりとか色々重なって、勉強に集中できなかったんだよね。父が出ていったから奨学金も借りなきゃならなくなって。それで結局、大学も落ちちゃったんだ。二浪するかどうかも今悩んでる。」

 

言葉をシンプルにすると本質が見えるというのはあるよね。どちらも同じ、大学落ちましたって話だよ。下手したら後者は言い訳だと批判されかねない。平たく言うと落ちたんだろうって。確かにその通りで、事実としては落ちたっていうだけのこと。

 

でもどうだろうね?「大学受験して不合格だった」は、本質なのかな。

俺は、本質は後者にあると思うんだよね。

大学が不合格だったというの現象の話であって。少なくとも人生では、現象や結果よりも、なぜそうなったか、そこに至る感情の物語に本質ってあると思うよ。

 

これが科学だったら、物事をシンプルに捉えたほうが研究は一気に進むよね。物語や感情なんて余計な枝葉であって。

でも人の人生って、そうじゃなかったりする。科学的であろうとすると、感受性が欠けたポンコツにしかならない。

 

例えばこんなこともある。

もしあなたが、自分の職場で「正論」と「正義」を持って声を大きく主張したとするよ。いわゆる本質論で。

「○○は、こうあるべき」

「俺は間違ってない!間違ってるのはおまえ!おまえは馬鹿!」

「これはこの前の会議で決まったことではないですか?なぜ変えるんですか社長」

「残業は良くない!この会社はブラック!」

まあ、たしかにロジカルで優秀な頭脳かもしれないよね。正義も筋も通ってるかもしれない。

でもその結果どうだろう。

きっと、あなたは職場では盛大に嫌われる。正義と本質を追求すると疎まれるだけなんじゃないの。そんな人、いませんかね。

ろくに仕事も出来ないくせにコンプライアンスだけを振りかざして他人を糾弾しようとする、自己愛性人格障害とか。

 

違うよね。職場での本質は、

「結果を出したい」とか、「達成感を得たい」とか、

「同期全員に昇進を越されて不遇の時代を過ごしている俺だが、この仕事は成功させたい」とか

「家族をなんとしても楽にしてやりたい」とか

「尊敬し合って高め合える場所にしたい」とか

それぞれの感情で、その職場で每日作業しているわけ。

それをシンプルにして本質を振りかざすと、あっという間に嫌われる。その嫌われているというのが本質だよ。そう本質ね。

 

人が集まる場所では、本質は現象にはなくて、感情の物語のほうにあるんだよ。

自分の物語に触れてくる人には心を開くよね。

現象にしかフォーカスしてこない人は、まあ気持ちいいくらい嫌われるもんだよな。

 

ビジネスの現場で本質マンの見事な嫌われ方を見てると、どんな感受性してるんだろうと思う。

特に20代で本質マンになってしまったやつは、もう一回仕事辞めて小学生あたりからやり直したほうがいいような気がする。ぽっきいじゃないが、校庭でみんなと遊んでこいよ。校庭の人間関係に揉まれてこいよ。

 

本質はそこじゃねえぞ。

 

大人と子供の違い

なんといいますかねえ・・・最近、なんなんでしょうね。

親離れ出来ない幼稚な大学生がいて、それは別にいいんだけど、親離れできなくせに屁理屈だけはイッチョマエっていう情けない子供が多いのはなんなんでしょうね。

俺が18歳だった時も確かに大学生の白痴化とか言われていたけど、今は当時より賢いようでいて、幼稚だなと痛感することが多いんだよね。

 

あの新宿の夜の雑踏の、その裏路地の世界で生きていたせいだと思うけど、19歳の俺は世の中は「原則論」と「実務」は正反対ほどにかけ離れているんだなと思っていた。

ヤクザやオカマが行き交う路地を行けば、ガキの俺でも気づく。

あまり細かく書くと俺も当時のお兄さんがたに怒られるだろうから控えるけど、なんで、それを禁止してる人が利用してるのとか、なんでお金をもらっちゃダメな人が請求してくるのとか、まあ色々あるわけですわ。

それを大人は腐ってるとか大人は信じられないとか、そんなこと言ってる子供は当時は多かった気がする。でも、19歳の俺でも思ったよ。それをしないと街は上手く回らない。街で生きるみんながみんな良くならない。

怒らないから先生に正直に言いなさいって言うから正直に言うと、ぶん殴られるってよくあったよね。それの規模100倍で、ドス黒さ1万倍みたいな光景を見ても、それは実務であって飲み込むのが大人だと俺は思った。

 

そんな裏の話じゃなくても、最近、それはガキすぎるだろって失笑してしまうことがある。

それはネットのせいなんだろう。

 

例えばこうだ。

奨学金を親に借りさせられて、俺はブラックリストに載って人生狂ってしまった」みたいな話だよ。

あるいは「奨学金は、実際は高い金利をぼったくる教育ローンなんだから名前を変えるべきだ」とかね(笑)

そんな論調が子供たちのなかで広がってしまって、何が本当か分からなくなる。

 

確かに奨学金の返済を長期で滞納してしまうと、信用情報機関に登録されると学生支援機構は言っている。まあ、それはざっくりとした原則論だ。

でも子供たちは言う。「返済が遅れるとブラックリストに載る。マンションも変えず人生が狂う。」

はい、たしかにそうだね。原則論は。

それはネットで一生懸命見た知識なんでしょう。

 

じゃあ、実際の「実務」はどうかというと。

まず、日本学生支援機構が貸す奨学金の利率は、利率見直し方式の場合、平成29年度は「0.01%」

最近超絶低金利になったと言われる住宅ローンですら変動金利で優遇後0.5%くらいが最低ラインだろう。商売してる人からしてみても、奨学金はただみたいな金利だ。

 

次に、ブラックリストに載るとのことですが、この世の中にブラックリストなる名簿はない(笑)存在しない。信用情報機関に返済の遅れや借入額が登録され、それを金融機関が本人の了解を得て照会をし、融資の可否を判断する材料にするというのが実際。

奨学金の長期の滞納は信用情報に登録されるのは間違いないようだが、それは本人から登録の同意が得られたらというのが実際。信用情報機関CICで自分の信用情報の開示請求ができるので、心配な人はやってみるといい。奨学金の場合わずかな遅れは情報として出てこないことがほとんど。3ヶ月間の遅れの場合とされている。

逆に、携帯電話料金の遅れは一回だけでもすぐに出て来る。奨学金の返済よりも、携帯電話料金の遅れのほうがよっぽど怖い。

 

さらに、奨学金の返済が遅れなかったとしても、それで人生が終わるかというとそうではないだろ。

例えば、奨学金があると、返済比率が高くなってしまうので住宅ローンの融資が通らない。奨学金の返済が終わらないとマンションすら買えない。なんて知ったかぶりするよね。

 

でも実際どうだろう。奨学金の残債と住宅ローンをまとめてしまい、一本化してしまうことによって十分マンションも戸建ての家も買える。

今の家賃が65000円とする。奨学金の返済が月23000円の残債400万円とする。

「家賃+返済額」は月88000円だよな。

 

じゃあ、奨学金400万円を、資金総額3300万円の住宅にまとめて3700万円を借りたとする。金利0.5%で40年ローンとすると、元利均等返済として月85000円ほどだ。

奨学金の利率より住宅ローンのほうが高くなるが、キャッシュフローとしてはむしろ月3000円も安くなる。

27歳で家を買ったとすると、67歳でローンは完済し、その後はメンテナンスだけすれば家賃の要らない棲家が手に入る。小さな子供を新しい家で育てることもできるだろうよ。

もちろん住宅ローンを借り換えするときは、担保価値に対して残債が多いので借り換えできなくなるリスクもあるが、それでも、悲観するようなことにはならない。

 

原則論としては住宅ローンに奨学金をまとめることは金融機関ではNGだ。ネットにはそう書いてある。じゃあ実務は?住宅ビルダーやディベロッパーなんかの社内の手続きでまとめることができることが多い。金融機関は黙認しているというのが大人の事情だ。融資できるように借り手が操作してくれたら金融機関も好都合なわけ。

 

もちろん、これらのことはネットには絶対に書いてない。ネットは原則論を大げさに書いているだけだからな。

実務については、大人はみんな「専門家」からアドバイスをもらってやってるんだよ。ネットじゃない。弁護士、税理士、会計士、司法書士、金融マン、FP、プロの職業の人、原則論じゃない実務の部分についてはブレーンを持って仕事をするのが大人。

そうじゃなきゃ、この日本はこんなに住みやすくなってないわけよ。

あの新宿の裏路地のようにな。

 

これを今のガキ共に言うとどうなるかというと。

まあ、信じない。ネットに書いてることがすべてだからな。それも論破すると、最終的に「親」にすがる。

だってお母さんがそう言うんだもん、ってな。

 

ガキ共には原則論って、いくら不便で愚痴を言っても、結局心地いいわけだよ。

原則論にすがって実務を見て見ぬふりするのが子供なわけ。

 

目標を持って生きてる学生は、奨学金なんか戦略的に借りて目標に向かってぶっ飛んでいってるぜ?学生でも成熟してるやつは、ブレーンに頼って知識を得ている。

 

結局、奨学金がどうこう言い訳にしてるやつは、目標が何にもないやつなんだろうけどね。

 

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現場作業員のミッションに無関心でいると

最近、大昔の知り合いと久しぶりに偶然出会った。同世代の女性で、俺が会社員だった時の同僚。俺が会社を辞めたのは20年近くも前のことなんだが、その同僚は今年の夏までその会社で働いていたという。

22歳から20年働いて、退職金は1000万円あったよということを言っていた。あと20年働いたらもっと貰えたのにって俺は言った。そしたら彼女が言う。

「アキラの真似して自営業になったんだよね」って。

へえ。何をしてるの。

すると彼女ははっきりと言わない。何かとても真実をごまかすようなことを言う。だから俺も早々に察しがついた。ネットワークビジネスだろ?

「えっ、あっ、そんな怪しい会社のネットワークじゃないんだけどねどーたらこーたら」

なんで今時ネットワークビジネスなんだよ、おばちゃんだなーwwって俺は思い切り馬鹿にした。センスがないわ。1980年代じゃあるまいし。

すると彼女が言うんだ。

「今はこれ、私のステップの一つというか、もっと大きな目標があってそのための手段としてやってるの」

「へえ。お金稼いだら何か違うことしたいってこと」

「そうなの。ネットワークビジネスはずっとやる気はなくってね。」

なんだか、気分が悪くなってしまい、頑張ってねと言ってそのまま別れた。その夜にまた俺に着信があったけど、出なかった。

 

いや、ネットワークビジネスでもなんでもいいんだ。別に。その仕組に俺は全く興味ないし、やってる奴らの精神性の幼さにもゲンナリするけど、関わらないからどうでもいい。

でもな、教えてやるよ。お前らネズミが数千人集まるとなんで不祥事だらけになるのか。

それは、お前らがやっているその作業そのものに、お前らがなんのミッションも持っていないからだよ。金を稼ぐ手段として、薬事法もへったくれもないウソを並べて、友達に夢を吹いて勧誘し、成功を煽って買い込ませるだけ。なんの地獄なんだよ。それも全部、「もっと大きな目標のため」とかいい出す。

あのさ、ソープ嬢でも恥ずかしくて言わないことを、どうしてお前らは平気で言えるんだよ。自分の目標を叶えるために、あなたからお金を奪いたいので割り切ってソープ嬢やってます、なんて言う女は1人もいないんだぜ。なぜネズミやってるやつは平気で言えるんだろね?

それが当たり前の感性をしている場所では、当然のように空気が腐る。だから、誇りもなんもなく、詐欺と横領ばかりが跋扈するんだろ。

ほら、お前の顔もずいぶんと卑屈さが染み付いてるよ。

 

似たようなことは普通の会社でもある。

世の中の仕事はほぼ全部、每日の退屈な作業を繰り返すだけだよな。作業員にしろ、事務員にしろ、経営者にしろ、全員の仕事は退屈な作業だ。

例えばスーパーマーケットの仕事だとしたら、高卒の社員も大卒の社員も、野菜の担当者は野菜を並べ、鮮魚の担当者は每日松前漬けをパックしたりホッケを並べたりする。每日每日每日每日だ。

もちろんそれがスーパーの仕事の本質であって現場なんだよね。

でもそれを10年後も20年後もやってるのかと想像したら、ゲンナリするだろうよ。大卒社員はもしかしたら本部の事務方になるのかもしれない。でもそれでも単なる事務員だしな。每日同じことをするだけ。

学歴が低めの奴らは今日も明日もバナナの重さを計って値段シールを貼る。

「バナナの売れ行きが天気によって違うのが楽しい」とかそんなことを思えないと、もう地獄なわけだよね。

そんな時、社長が取材された雑誌を全員で回覧するように、とか言われる。興味ねえよって思いながら読むと、そこには社長の発言が書いてある。

「ボクは仕事が好きだ。好きじゃなければ一日12時間も働けるわけがない」

ふざけんじゃねーよwwこのジジイがww

おまえは楽しいさ。奴隷こき使ってるからな。俺らはおまえの楽しさを演出する奴隷なんだよww

そう思うよな。俺の将来なんかこいつ想像もしてねえんだろ、バナナの値付けマンだ俺は。

そしてどんどん腐っていく。新卒で就活をしてやっと手に入れた会社だったが、先輩たちはどんより腐っている。そんなにやる気出すなよ、うぜえんだよとか言われたり。やってもやらなくても変わらねえよwって言われたり。挙げ句の果ては、遅番の奴がバナナを2ケース勝手に持ち出して近所の青果店に激安で横流ししたり。腹が減ったからってバックルームの梨を勝手に食ったり。

そしてクビになるか、辞表を出して辞めていく。辞めていった奴らは、糞会社としか思ってない。

 

ネットワークビジネスの元同僚と同じことで、その場に誇りも将来もミッションも何もなければ、どんどん腐っていくんだよ。ネットワークビジネスでせこい金を儲けて大きなことをするとか、スーパーの作業員がつまんねえから趣味の釣りに没頭して生きるとか、同じことだよね。

そのビジネスの、本質の地味な作業そのものにミッションを感じていない人間が集まれば、場が腐りきってしまう。

 

俺が昔お世話になった経営者はものすごい人で、亡くなった今も大尊敬してるんだけどね。そこをよく教えてくれた。

 

現場で単調な仕事をする人間に対して、ミッションと誇りを与えようとしていた。

その作業をすることで客にどのような貢献ができるのか、それは社会的にどんな使命があることなのか、それはどれだけプロの仕事なのか、それを定年退職までプロとして続けていくことにどれだけ誇りが持てるのか、そして、プロとしての報酬とはどんなものなのか。

それを時にはロマンチックなイメージの標語にして飾ったり、プロの仕事ぶりをかっこいい動画にして見せたり。

プロとしてプライドを持って、滅私奉公で客に貢献して、プロの報酬を受け取る現場作業員。作業員は会社の中でのステイタスも相当高く、業績によってタイトルも付与されて名誉もある。新人は成功した先輩たちにアイドルのように憧れている。

でも、やることは本当に地味で辛い作業の連続。あんなすごいステイタスを誇る先輩も、現場ではボロボロになっている。使命感がなければとてもじゃないがやりたくないきつい現場ばかりだ。

でも、多くの人間は腐ってない。そのボロボロの作業そのものに誇りを持っているからだ。その仕事で得た報酬でやる趣味に誇りを持ってるわけじゃない。後輩たちも先輩たちのライフスタイルに憧れているんじゃなく、仕事をする姿に憧れている。

作業そのもののミッションに誇りを持ってるんだよね。

 

すげえなあと思った。こんなだったら、定年退職までバナナの値付けしてやるわ。プロのバナナ師になるわ。

 

経営陣が意識不明になって、現場作業員のミッションに無関心でいれば、必ず不祥事だらけになるわな。経営陣じゃなくても、クソ上司が部下のミッションに無関心で、単なる作業員としか見ていなければ、部下はいつかお前に恥かかせてやるわって思いながらやっつけ仕事をするようになるよね。

俺だってそうだ。仕事のミッションに誰も関心を持ってもらえないのに、1人で持ち続けるなんてできない。そのうちミッションで仕事をするのは辞める。仕事は金を稼ぐ手段だとか情けないことを言い出し、会社からどれだけ不正に金を引っ張れるか考えるんじゃないかな。出張で宿泊代を誤魔化して風俗呼ぶとかな。

 

誤解を招くかもしれないけど、

末端の現場作業員の不祥事ややる気の無さは、本人のせいではなく、ミッションに無関心でいる管理職や経営陣のせいだよ。

 

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もうそのビジネスモデルは社会が許さないんじゃないの

まともな家に生まれ、まともな学生時代を送り、学校を卒業してまともな就職をして生きている、まともな人達には想像もつかないことかもしれない。

粗末な育ちで、命の価値すら蹂躙されてきた俺みたいな底辺のウンコマンには、これを忘れちゃいけないんだと思ったことがある。

 

1980年代の終わり頃から、日本は急激に便利になっていったと思う。本当に便利なのかは分からないけど、コンビニやファミレスは24時間営業しているし、牛丼なんていう考えてみればたった一つの料理を24時間いつでも食えるようになった。スーパーでは卵の特売と称してタダみたいな値段になったりする光景も未だに見る。

最近、自宅のソファでネットをダラダラ徘徊していて、某海外ファストファッションブランドのHPで、パーカーが780円で売っているのを見てつい買ってしまった。どんなボロ布が届くんだろうと思っていたら、そこそこの製品だった。へえ、悪くないんだな、お金ない学生なんかだとこんなの便利なんだろうなと思いながら、知り合いの娘にあげたら喜んでた。

 

でもね。ちょっと待ったほうがいいなと思う。この底辺チンカス野郎に違和感がものすごくあって。気持ち悪くないかって。

 

そういう、価値のある物を無価値同然の値段で売っている場合、きっと誰かが搾取されているんだよね。今の時代、搾取のことを時々企業努力っていう言い方になっていたりするから。

その手に取った製品は、原料は誰が作って、誰が売って、誰が組み立てて、誰が運んだもの?いろんな人が関わっていると思うけど、全員が正当な報酬を手にしているかって言うと、そうじゃないよな。日本人は流通の頂点にいる人が多いから、底辺あたりがどうなってるのかはもう想像でしかないだろう。

綿花はどんな人が作った?縫製はどんな人?末端で販売する売り子はどんな人?

 

製品だけじゃなく、サービスもそうだよね。その「無料」サービスは、本当に無料なのかっていうと、無料じゃない。無料にするマーケティングがあるのは知ってる。でも無料にすることで誰かが正当な報酬を受け取れなくなっているし、価値のある物にお金を払う当たり前の意識を破壊しているんだよね。

 

なんかややこしいからはっきり言うと、非正規労働者や歩合制労働者っていう存在がなければ成り立たない商売やサービスが山ほどあるんじゃないのってこと。

もっと地球規模で考えたら、発展途上国で児童労働や奴隷労働の問題もあると思うけど、日本国内にだって、奴隷労働に近い実態はあるよな。

 

日本の誰かが、「こんなことでも仕事があってありがたい」とか思って圧倒的に不利な仕事をしてることが多いよ。

アルバイトやパートタイマーっていうと聞こえはいいけど、ほんとにそれ、望んだ働き方なのかって思う。時給の金額の問題ではなく、存在のあり方として。

バイトだけじゃない。

ローコスト住宅メーカーに買い叩かれる大工や、執拗に値引きを要求され自腹で対応する自動車営業マン、売上が足りないと言われて簡単に解雇される営業マン、急な仕様変更に対応するのがプロだと言われて対応せざるをえないエンジニア、正規の労働者だって奴隷に近い扱いを受けている人も多いよね。

 

でも、日本人はそれを奴隷だとは言わないし思わない。「そんなに嫌ならやらなきゃいいじゃん」って言われるし、本人もそう思ってる。だから、「好きでやってるんだから、これで当たり前、努力が足りない」と自分でも思い込んでしまう。伝統的にその仕組みの中で働くのが当たり前の業界もあるよね。

でもさ、能力的にその仕事しかできない人もたくさんいるんだよね。

値引き値引きうるさい客にしか車の商談ができない営業マンだっているし、単価が低くても受けるしかない大工もいる、完全歩合の営業マンしか就職先がない人もいる。

それって本当に自己責任?その境遇でしか生きていけないことは自己責任?

自己責任だというなら、車の営業マン達が莫大な借金を抱えている八戸市の某国産メーカーのディーラーは、それを明文化してるの?してないよね。その代償で営業マンの不正の数がものすごい。下取りに入れた車が街の中古車屋に並んでいたり、注文書が勝手に書き換えられていたり。これは営業マンの問題ではあるけど、根本は働かせ方の問題じゃないの。

そんな境遇でしか働けない人が増えているんだと思う。

 

そんなアルバイトがあるから少ないお金でも稼げる場所がある、っていうのは学生にしか言わせちゃいけない言葉じゃないの。

そんな仕事でもやらなきゃ家族養えないから、っていう労働者の諦めを前提に商売をしている会社が田舎に多いんじゃないの。

奴隷たちの諦めのことを、「新しい働き方」と呼んでるんじゃないの。フリーターとかさ、フルコミッションとかさ、かっこいい言い方はあるけど。

 

俺みたいな底辺野郎からしたら、こういう時も、自己責任を言うやつって多い。勉強しないからこうなるんだとか、努力しないで他人のせいにしてるからこうなるんだとか。俺も貧困から成り上がったとか。

成り上がれるような貧困で良かったじゃない。

おぼっちゃまたちには分からないだろう。本当の底辺にいたら、努力って言葉すらファンタジーになるから。努力はいいこと、努力は人から褒められて当たり前のことっていう大前提が、日本人共通の認識だと思ったら間違いだからな。

勉強したら鉛筆が減る、電気代がかさむ、メガネ買わなきゃならなくなるって言われて酔っ払ったオヤジに立てなくなるほどボコられるとか、想像つかないだろ。鉛筆が減らないように授業もノートは取らないのが当たり前の子は今もいるんだよ。腹は減るし、早くに布団に入って温かいメシを想像しながら眠ろうとする子も。

 

自分で奨学金借りてアルバイトして大学を卒業するっていう未来があるなら、そんな仕事も底辺とは思わないだろう。

でも、その底辺バイトしかない人生だったら。その奴隷労働の先になんの未来も見えなかったら。俺ならいつかブチ切れて威張り腐ったオーナーぶん殴って帰るよ。でも、また違う場所で同じような奴隷労働をするしかなくなる。

知的能力が高かったら、それでもどこかで浮上するチャンスをつかもうとするかもしれない。でも知的能力なんて、そんな階層には期待できない。言い方悪いが、馬鹿なんだから馬鹿のままで生きるしかない。

そこに自己責任論ぶっこいても、そりゃおぼっちゃまくんの机上論だって。

 

フェアトレードって言葉があるよね。正当な報酬を支払って製品を作ろうっていうことなんだけどさ、店長まで非正規労働者で有名な某外食チェーンで「フェアトレードのコーヒー」を売っていて、なんかの悪い冗談かと思ったよ。

アフリカの労働者へのフェアトレードも大切だろうけど、そんなファッションしてる前にやることあるんじゃないのかなって。

 

非正規労働者という奴隷を安定供給するのが大前提のビジネスって、今ものすごく多くあるけど・・・

そんな企業をボイコットするのが消費者の義務だと思うんだよね。

いや、分かるよ、その企業にも家族を養うために働く人がいるってこと。それにそんな企業があるから安い製品やサービスが手に入るってことも。フルコミッションの仕事であれば高額の報酬を受け取る社員もいるしそれが夢にもなるってことが。

でも、もうそれを言い訳にはできないんじゃないのかな。

消費者の権利と同じく、義務もあると思うんだよね。非正規労働がなければ成り立たないビジネスモデルはボイコットするってことが。

 

そのビジネスモデルの先に、貧困層の自立支援とか奨学金制度を作るのであれば多少意味のあるものになるかもしれない。新聞配達なんてそうだよね。でもそれにしたって、闇が深い。

 

自分のクローゼットの服を見て思う。新品で服を何度も買うべきなんだろうかって。ぽっきいじゃないが、パンツだったら新品で買い換えるのもいいだろう。でも、何着も新しいコートを持っているべき?

価値以上の高い値段で、繰り返し高級な新品の服を買うのが社会的使命になるのが富裕層だよ。整備費が莫大な超高級車や、贅沢で華奢な革で作られた壊れやすいバッグとかね。

そんなことができないのであれば、一つの服を長く着たり、中古の服を買うっていうのが正しいことかもなと思う。

一枚のシャツの値段って、正当な価格はいくらなんだろう。一枚のコートの値段は?一本のジーンズの値段は?

シャツは1万円は超えるだろうし、コートは数万円はする。ジーンズも1万円はすると思う。1980円のジーンズの値段は、本当に企業努力なのかな。780円のパーカーは?企業努力の結果であるかもしれないけど、奴隷労働の結果でもあるよね。

本来、貴族じゃない限り、服を頻繁に買う事じたいがおかしいのかもなと反省した。

断捨離っていうことがもてはやされているけど、それは自分の価値観がポンコツだから捨てなきゃならないんじゃないの。

俺が今乗っている車は走行距離がもう40万キロに迫っている。フロントガラスを交換したり足回りを全交換したりメンテナンスを繰り返して新車が数台買えそうなんだけど、100万キロまでは乗ろうと思ってる。でも、10万キロ走ったら、もう寿命ですとウソのセールストークと自腹の値引き交渉で新車を売らなきゃ生活できない人もいるんだよな。1人が年間100台の新車を売らなきゃまともな年収にならない国産ディーラーってどうなのよ。経営者さんよ。

あの華やかな南フランスの裏路地を歩いた時、もう20年は乗り古したルノー21が路駐してあって、古ぼけてるのにすごい豊かな感じがしたんだよね。実際乗ってるのもシックなツイードのジャケットを着たリッチそうなおじさんで。ああ、新車を簡単に乗り換えてる日本人は発展途上国なんだなって痛感したのを覚えてる。豊かなようでいて、貧しいような気がした。俺も、新品の車がものすごく欲しくて、そんな自分を恥じた。

 

コンビニや牛丼屋で店員を怒鳴りつけているおじさんがいるけど、そんな地獄みたいなことは止めろよって思う。分かるよ、雑な対応されてむかつくのは。でも正当な待遇を受けてない人を怒鳴ってどうなる。利用するからその企業を存続させてるんだよ。

完全にボイコットはできないとしても、奴隷労働になっている企業は利用する回数を減らすことが、抗議だと思うけどね。待遇を改善しろっていう意味じゃなくて、そのビジネスモデルに対する抗議って意味でね。

 

非正規労働者で家族を養っている人に対して、自己責任だと言うのはあまりにも発展途上国の発想だと思う。

日本人だけでは足りないから、外国人の非正規労働者を増やさなきゃならない世の中の仕組みに問題があるんじゃないの。

 

乞食育ちのアキラの個人的な意見でした。

 

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歩合制で末端労働者を働かせるな

10代の終わりに、俺は夜の世界でクソくだらねえ仕事をしていた。金はふんだんにあったが、それでも俺は時々、同じ年の大学生がやるようなアルバイトもしていた。スーパーの青果売場とか、興信所とか、まあ色々やった。

その中で、ティッシュ配りとかチラシのポスティングっていうのもあった。ポスティングっていうのは、集合住宅なんかのポストにチラシをぶっこんでくる作業だよ。宅配ピザ屋とか学習塾、ハウスメーカーの見学会とかのチラシ。これ、結構大変なんだ。団地なら下の入り口に集合ポストがあるからさっさと終わるんだけど、普通の4階建てのアパートとかだと、いちいち階段を昇ったり降りたりしなきゃならない。スニーカーにTシャツで、首にタオル巻いて真夏の住宅地で仕事してたっけ。(ポスティングの仕事はたまに依頼されてやることがある。超絶アナログなマーケティング手法なんだけど、意図的に使うと結構効果があるのが不思議)

 

で、前置きが長くなったけど、こういうポスティングのバイトって、一枚2円とかの歩合になってることがあるんだよね。1枚2円×3枚セット=一世帯6円。500世帯に配布して3000円・・・笑

500世帯に配布って、2日はかかる。日当1500円。

チラシの枚数がたくさんあれば単価は高くなるけど、そうもいかない。元請けの会社はいいんだ。料金を調べたら一世帯ポスティング7円とかで、5円はピンハネできる。2万枚請け負ったら、売上14万円、バイト達に数千円ずつ合計4万円渡して、粗利10万円か。

それで、18歳のアキラ君にはクソくだらねえ計算に思えて、結局ひと夏やって辞めた。それを客のおばちゃんとか、店の同僚の女の子に離すと結構ウケるわけ。ネタとしては良かったけど。

あの時、バイトで真面目にポスティングしているのは俺だけだったような気がする。バイトしている仲間の主婦は、数十枚適当にまいたら、ゴミ袋に入れて捨ててるって言ってた。それで3000円なら美味しいでしょって言って(笑)

まあ、そんなことにはなるよね。

 

ずっと大人になってこの時のことを思い出すんだけど、ここに学びがあるなーと思う。

それは

売上単価に連動した報酬で末端労働をさせると、必ず場が腐る。

ということ。

こういうの平気で今もあるんだよ。例えば牛丼屋。店員どころか店長も非正規、その管理職も非正規なんて会社があって、店長など管理職の報酬は牛丼一杯あたりの粗利率で左右されていたりする。

例えば、生命保険や車の営業マン。歩合給と言うと聞こえはいいけど、実態は歩合のい商品を客の意向を聞くふりをして押し売りできなければ給料は増えないわけだよね。

ほんと必要がない保険を悲壮感漂わせてセールスしてるの見ると気の毒でしかない。

しかも一定の期間に売上が低迷すると、平気で解雇されるみたいだ。

営業マンはどこの業界もそうだけど、本当に客のことを考えている人は、業績に苦しんでいたりもする。客のことを思いながら売上もあげるスキルや考え方を教える風土がないからだ。

こういう単価に連動されて、現場の末端作業員をさせると、そこは無関心と無責任で満ちた地獄になりやすい。

よく、俺がお世辞にも日の当たる商売をしていたわけじゃないのに、スタッフ達が辞めたあとも楽しそうに絡んでる姿を見て、なんで?って不思議に思う人がいる。

まあ、俺は歩合制の給料にしなかったからだと思う。もちろん経営者の俺は歩合で当たり前だよ。でも経営者に雇用されたり契約しているスタッフは、どう言い換えたって末端労働者なわけだよ。そこに歩合を持ってくるのは好きじゃないので、基本的に固定給にした。たぶんそれだけの話だと思う。

歩合だったらもらえない額の給料だよ。ということは、経営側の取り分は圧倒的に少なくなる。でも、いいことがあって、場が腐りにくい。もちろん腐っていく人間もいるけど、それは職業観や人間性を指導したうえで改善がなければお引き取り願うまでの話。

結果、会社への無関心はなくなったし、不正も激減した。スタッフが弁護士連れてやってくるとか、そういうのもなくなった。

若い頃、完全歩合の業務委託契約で他人をこき使っていた時代、横領はすげえわ、傷害事件はあるわ、スタッフが群れて集団で飛ぶわ、まあすごかったww

女の金をピンハネしてるくせにって文句もすげえww

 

綺麗事だって言う人もたくさんいたよ。末端労働者は低単価でこきつかってやればいい、気に入らなきゃ代わりはいくらでもいると言う人のほうが多かった。

別に俺もいい人になりたいわけじゃない。お花畑に住んでるわけじゃなくて、俺も稼ぎったかっただけ。遠回りだけど、明日の金を心配しなくてい環境があれば必死に働く人間が多い業界だったから、そっちのほうが儲かるだろと思っただけだよ。

末端労働者に歩合制をやりはじめると、絶対に場が腐る。歩合でいいのは、経営者と一部の超絶優秀な社員だけ。そいつらは年収5000万円でも稼げばいいけど、能力が人並みでしかない労働者は絶対にそうはならない。一部の特殊な事例を一般論にして、夢を煽って歩合の労働をさえると、最後は場が腐って誰もいなくなる。

営業でも経営でもネットワークビジネスでもなんでもいいんだけど、誰でもできるような気がするしそう言って煽られるんだけど、誰にでも出来ないよね。実際。能力が半端な人間は、犯罪的なことをして稼ごうとしたり、能力が低い人間を食い物にしようとする。

歩合や時給や日当の報酬は、俺は自分の首を締めるだけだなと思ってる。非正規も同じだ。非正規が場に増えると、やっぱり最後はズブズブになるよ。

 

2万円しか利益がない仕事だったら、2万円全部が人件費になる。

100万円の利益が出て初めて、人件費払っても利益が出始める。

当たり前の話だと思うんだけど、当たり前じゃない光景がほんと良く見られるよ。

2万円の仕事を歩合とか言ってスタッフと分け合ったりするから、おかしくなるんだよね。繰り返すけど、スタッフは経営者よりどうしても能力が低いんだから。

 

大企業や立派な会社はどうか知らないけど、俺みたいな底辺野郎が生息する場所では、人の扱いを間違えるととんでもないことが起きるんだよね。

 

 

 

幸せになる準備をいつまでも始めない人たち

 

もし、泉の精が水面から現れて、あなたにこう言うとする。

「明日から幸せになりなさい」と。

「ただし」泉の精が言う。「幸せになったら何がしたいか、5つだけ、今すぐ答えなさい」

あなたはすぐに答えられない。あんなに幸せになりたいとか、わたしは不幸だとか言っていたくせに、幸せになったらやりたいことのたった5個が言えない。

泉の精が呆れたように、何も言わず水面の下に消えていく。

あなたはそこでどう感じるだろうか。

もしかしたらこうかもしれない。

「怖かった・・・あんな幽霊が消えてくれた良かった」

「幸せになれるとか、試すようなことを言う亡霊だった。きっとわたしは疲れてる」

「宝くじみたいに突然幸せになるなんてないんだよ、幸せは努力の先にしかないんだから」

 

*******

 

「アキラ、どう思った?」

 

この話は、俺が21歳だった新宿の夜更けに、たまに仕事帰りにたむろしていたバーの低いソファで友達の女が言ったこと。俺もだいぶ酔っ払っていたし、店の中は暗く、眠くなるようなループする音楽がかかっていた。もしかしたらそんな話は女がしなかったのかもしれない。俺がぽんこつになった脳味噌でぼんやり思っていただけかもしれない。泉の精って、正直者に3倍セールをやってくれる気前の良い奴だったと思うんだが、その話では謎掛けをして答えられないと見捨てるという性格の悪い女になってるし。

 

「どう思ったかって、どうも思わないよ」

 

だって、俺は幸せが何かなんて分からなかった。自分が幸せかどうかなんて考えたこともない。でも考えたらきっと落ち込むことになるから考えなかったんだと思う。幸せっていうことに何か基準があるとしたら俺は何一つ手に入らなかっただろうし、気持ちの問題だとしたら每日が生きていくことで精一杯で、そんな女子高生のポエムみたいなことに興味はなかっただろう。

 

命をつなぐように必死に生き延びた22歳までだったが、その後は駆け下りるように人生が壊れていった。

食うのも事欠くほど貧乏になったり、貢献する相手を間違えて大失敗したり。数え切れないほどの失敗をした。そして病気にもなった。

それでも自分が幸せなのか、不幸なのか、考えたことがなかった。幸せっていうものの存在は聞いたことがあったけど、それは俺が「成功」をした後にやってくる感傷なんだろうと思っていた。

 

でも、思い出せば不思議なことが22歳の頃からずっとあった。

 

(似たような話は以前「デフォルトのままの人生」っていう記事で書いた気がする。)

 

20代の前半から自営で仕事をしてきて、資金繰りが下手すぎて何度か不渡りを出しそうになったことがある。若いし何も知らないのでビビって必死に金策していたら、ちょうど不足していた金額と同じ入金があったりした。

でもまあ、それはたんなる自転車操業であって何も解決にはならないんだけど、それでも「必要な時に必要な分の金が転がり込んでくる」っていうことを繰り返したんだよね。

仕事じゃなくてもそう。来月、女の子とちょっとお金のかかる旅行に行くんだけど、もしかしたら金が厳しいかもなーって思っていたら、ちょうどその分に足りるような商売の売上が立ったり。

逆に、突然臨時の収入があってどうしたんだろうなーと思っていたら、仕事で使うパソコンが完全にぶっ壊れたり。

上手く行かない人生のなかで、かなりレベルの低いところで辻褄を誰かに合わせてもらって生きてる気がした。

 

お金だけじゃない、恋愛でもそう。人生いろいろありすぎて腹の中が腐っていたせいで、俺の恋愛観はかなり荒んでいた。人を思うということの価値を軽く見ていたせいで、人が俺を思ってくれていることに応えるということも軽く見てしまっていた。

結果、あれほど美人で、あれほどエロい女で、一緒にいれたらどれだけ幸せだろうなっていう恋人もメンヘラにさせてしまったことが何度もある。俺といるせいで、幸せになれないだろうなって俺はずっと思っていた。

ただ、自分で言うのもなんだけど女性にはモテるので、女がいないっていう生活は15歳以来経験がなかったりもした。

ここでもすごい低いレベルでの辻褄があってしまい、荒んで儚い恋愛をして少し夢を見ては破れ、そしてすぐに新しい恋愛がやってくることの繰り返し。

 

あの頃、新宿の薄暗いバーのソファで、誰かが言ったことを最近になって思い出すよ。

 

そうか、幸せになる準備ってあるんだろうなって。

 

自分はどうしたら幸せって思うんだろう。その条件を5つ上げてみるとしたら・・・?

そうだな、

時間が自由になるタイムリッチで、

友達がたくさんいるフレンドリッチで、

自由な収入があるマネーリッチ、

家族を大切にできるファミリーリッチ、

自分の商売とやりがいを確立するビジネスリッチ

そういうことだろうなと思うよ。

そして、それは具体的にどういうことかって、真剣に考えてみた。時間とは?友達とは?お金の使いみちは?家族って?自分の使命とは?

表面的なことではなく、もっと深く。もっとえげつなく。

 

そしたら、気づくよね。自分は、ものすごく小さいサイズで生きてきたなって。そしてその小さい人生に安心していたなって。

だから突然幸せになろうとするとブレーキを踏んでしまったのかもしれない。もっと大きなお金が必要になる豊かな人生が近づいてくると、ブレーキを踏んで逃げてしまう。

不自由で不幸せな人生に安住してしまうと、上方向に変化が起きると激しく快適さが亡くなるもんだよね。

女性は特に経験あるかもしれない。他人を好きになろうとすると自分にブレーキをかける。そして寂しい自分に安心してしまう。それで自分は不幸だと言ってみるけど、そこが心地よかったり。

ぽっきいが最近テンプレイベントをやってるけど、あれもそうだよね。ぽっきいが言う通りにやって修行していけば、今までなかったような規模で女性にモテ始めるっていう企画で、二の足を踏んだり、先に始める人に敵意を剥き出しにしているおじさんがものすごく多いようだ。なんで?あんたらあんなにエロエロ言って、女に嫌われておいて、いざこうなると逃げるんかい、と。やっぱりモテない自分が心地いいんかい、と。

分かる気はするけどね。

下方向に変化するのは、耐えられるんだよ。やっぱりだめかーって言う準備が出来てる人のほうが多いよな。そこには我慢できる。だって想定通りだから。

 

自分が想定する範囲でしか、夢は実現しないよ。

想定する範囲でしか人生は変われない。

具体的に細部までイメージして、具体的にそれにかかる費用を計算し、その結果どんな感情が手に入るのか想像し、それがとてもリアルに感じられたら、あとはもうその幸せを受け入れる準備ができたってことだと思う。

全部、辻褄が合う。

瞬間的に辻褄が合うんじゃなく、一生かけてずっと合い続ける。

理屈じゃなくて、もっと覚悟のような感情的なものの話をしてるんだよ。幸せになる覚悟、人生を楽しむ覚悟、もっと冒険する覚悟。

 

人を妬み、批判したりイジメたりする人間は、自分が幸せになることに罰を与えるタイプの育ち方をしてるのかもしれない。

なのに、「成功したい」と言ったり、「女にモテたい」と言ったり、「金持ちになりたい」と言ったりする。そのマインド引っさげて、絶対にそうなるはずもないのに。だってそこから逃げてるのが自分だってことに気付いていないんだから。

人を攻撃しているつもりで、自分の価値がないってことを確認しているなんて、惨め過ぎるだろ。

 

いつまで勉強と練習ばかりしてるんだろ。試合から逃げるから、試合で輝いてるやつに嫉妬するし、嫉妬してるから試合で負けたやつを批判するクズに成り下がる。

勉強と練習も大切だけど、試合に出て恥かく準備したほうがいいよね。試合に出なきゃ勝つことも負けることもないんだから。

 

幸せは努力の先にしかない、だからわたしはまだまだ努力が足りないので幸せになんかなってはいけない、

そんなつまらない人間になりたかったら、望みどおりきっちりそうなってしまうよね。

コミュニケーション講座・番外編

久しぶりにやります。コミュニケーション講座。

このアキラ師のコミュニケーション講座は、「モテスキル」みたいなものではなく、人生をよりよく、より楽しく生きるためのヒントみたいな感じで読んでいただければいいです。

ご自身の何かに置き換えて考えてみると、もしかしたら「あっ!」って気づくところがあるかもしれない。

俺は別に心理カウンセラーでも学者でもなんでもないので、語れることは俺自身の体験のことだけだよ。今日も俺の体験から始めようと思う。

 

10数年前、ある主婦と話をしていた。当時、小学生の子供がいる30代の主婦で、一度も就職したことがない女だった。

その人が小学生の子供の買い物についてこんな風に俺に言った。

子供はバスケ部に入っている。夫も自分もバスケ部に入るのは反対だった。まだ子供なのになぜあんなに長時間きつい練習をさせる顧問が馬鹿だと思うし、土日も家で勉強しなくなった、塾にも行ってない。子供に運動をさせるのは意味がない。

その子供が、ある日、自分のバスケットボールを買うと言った。買って欲しいというのではなく、お小遣いを貯めて買うと言う。値段は6000円。子供にとっては決して安くない。

母親はびっくりして、そんな無駄な買い物してどうするの!と叱った。ボールなら学校のものを使えば済むでしょ!馬鹿じゃないの!と。それを夫にも言うと、夫も激怒する。ボールにそんな大金をかけて無駄遣いだ!と。

夫婦2人で子供を責め立てた結果、子供は泣いてしまい、次の日バスケ部を辞めてしまった。勝手に辞めてしまったことをまた叱ったが、子供は何も言わなくなった。泣きもしない。ちょうどいい機会だと思って、塾に通わせようと思ったら、絶対に行かないと言う。

子供は、バスケなんかやらせたせいで最近おかしくなってしまった。全部あの顧問の教師のせいだと。

で、こういうことは教育委員会に苦情を言えばいいんだろうか?と、俺に言うわけね。

 

この母親、俺が個人的に親しい女だったので、ちょっとキツめに言った。

馬鹿かおまえ。

 

なぜ、バスケ部が馬鹿らしいことなのか?

なぜ、バスケ部を頑張ることがそんなに見下すような行為なのか?

子供はバスケ部を強制させられる被害者なのか?

子供はなぜ、自分のマイボールを欲しいと思ったのか?

子供はなぜ、買ってくれと言わずに小遣いを貯めたのか?

子供は、それが無駄遣いだと思って小遣いを貯め続けたのか?

6000円という値段は、何と比較して高いのか?

なぜ、バスケ部を辞めてきたのか?

なぜ、塾通いを拒否するのか?

なぜ、おまえを無視しはじめたのか?

 

女はその質問に全く答えられない。答えるんだが、答えになってない。6000円は高いものは高い、子供は勉強しないと浮浪者になるしかなくなる、バスケをやっても成績が上がらない、親の言うことを聞かない子供は施設に預ける、興奮してそんなことを口走るだけ。

だよな、その程度の人間だよなおまえは、そう俺が言うと激怒してしまった。そして俺に言う。「子供もいない人間に分かるはずがないよね!」

 

それから10年以上が過ぎ、その子供は高校を中退し、それをまた責め立てた母親をぶん殴って鼻を折り、家を出て行方知らずになったんだけどさ。

 

ここを読んでる人は、もしかしたら神さまの目線でこの事態を冷静に見れているかもしれない。でも当事者だったらどう思うだろうか。

 

これは、この母親である女の精神年齢の未熟さが原因なんだよな。そもそも、考えてみれば分かる。

何と比較してその価値観を持っているのかというと、何もない。どこにあるか分からないような、「世間一般的に」とか「自分」という曖昧な基準だよ。

子供に対していろいろ押し付けて、子供の努力すら平気で馬鹿にしているが、では自分としては子供にどうなってもらいたいのか言葉で他人にプレゼンテーションできるほどのビジョンがあるのかというと、当然ないよな。

 

俺だって分かるよ。子供は、自分のボールを愛情を持って手入れしながら、自主トレしたいと思ったんだ。それくらい、自分の今していることに大きな価値と目標を持っていた。レギュラーにもなれるほどの結果を出して、道具にこだわりたいと思うほどのレベルに達していたんだ。

それを、この馬鹿親はその行為を、くだらないとか、無駄遣いだとか無神経に責め立てたわけ。

もう、全てがくだらなくなるだろう。俺もきっとそうなる。小学生の子供だからなおさらね。

ちなみに、この父親の職業は公務員。貯蓄残高を眺めるのが趣味のくだらねえ男だ。口癖は、勉強をしないとテレビに出てくるような馬鹿なタレントみたいになる、だった。

 

2人が腹の底に持っているのは、恐怖でしかない。そして不安。

 

2017年の今、その夫婦は、中退した息子が今も行方不明であることを恥に思っている。それと同時に、恥を抱えて生きているのがひどく辛いらしく、子供を戸籍から除籍できないか色んな人に聞いている有様。なかったことにしないということか。子供の存在すら最初からなかったことにしたいということ。もちろん、日本の民法はそんなことができるはずもない。

普通の知的な大人が考えることじゃねえよな。

 

これって、ものすごく気づきがある。

 

その子供の価値観は、「○○をする」という主体的なものだった。

一方の親の価値観は、「○○をしない」という主体性のないもの。

 

例えれば、子供は「価値のあるものにお金を使いたい」と思っている。

親は、「そんなもの意味がない」と警告しようとする。

 

これって、生活のいろんな場面で似たようなことがあるよ。

 

例えば、カルティエのブティックでタンクを買わず、田舎のショッピングセンターのテナントで入っている並行輸入の激安店で買おうとする女。

理由は、正規店で定価でかうやつは馬鹿だから、と言う。

 

例えば、十分な年収がありながら、とにかく世の中で一番安い家を買おうと調べている男。家族の要望も、夢も興味がない。

理由は?損するのが絶対に嫌だから。失敗するのが怖いから。高い家に意味ないから。

 

例えば、アウディのディーラーで値引きを要求する農協勤めの男。

理由は?俺は値引きしないで買うほど馬鹿じゃない、から。

 

例えば、十分な学力がありながら、地方公務員になろうとする男。別に地方行政に使命を感じているわけじゃない。

理由は?給料が安定してるし貯金できるから。

貯金は何に使うの?何もない。あれば安心でしょ、それだけ。

 

実は、前述の馬鹿な母親と、哀れな子供を、同時に自分で演じている人が多いと思う。

 

大きな夢を持ちながらも、根拠もない自論や恐怖心だけで、自分の夢を汚してしまっている。

もしカルティエのブティックで定価で堂々と買ったら?

アウディのディーラーで値引きではなく、営業マンの熱心さと車の美しさに惚れ込んでサインをしたとしたら?

情けない理由で公務員になるのではなく、本当にやりたいことにチャレンジしたとしたら?その上での公務員試験だとしたら?

安い土地に安い家を建ててそれを自慢するのではなく、嫁や子供が飛び跳ねて喜ぶマイホームを買おうとしたら?それが決して安くもなかったとしたら?

 

結果、自分に対する尊厳ってゆらぎないものになるんだよな。

その逆は?

身に覚えがないだろうか?せっかく欲しかったカルティエアウディや家のはずなのに、1年後も自分を誇りに思えるだろうか。

そして、この質問に自信を持って答えられるだろうか。

 

「人生を本当に楽しんでいるか?」

 

それは、自分自身に対して、自分の望みを認めてあげたかどうかか、自分を理解しようとしてあげたかどうか、なんだよね。

欲しいのはなんだったのか?

スイス製のフランスのブランドの時間を測る機械?

ドイツ製の、3年経ったらぶっ壊れかねない内燃機関付きの車?

屋根と壁を柱で支える構築物?

違うんじゃないの。

自分が欲しいものを考えることって怖いことなんだよ。経験がある人も多いと思う。考えたこともないというより、考えることから逃げている人のほうが多い。

欲しいものを言葉とイメージで持った時、そこには必ずリスクがあるからさ。

イヤイヤ怖い怖いって、逃げて安全な選択をしようとしても、不安はなくならない。

 

なぜなら、それは自分が本当にしたい決断ではないから。

自分自身に、世間一般の常識という曖昧なものを押し付けて、自分を騙そうとするから不安になるんだよ。

 

自分とコミュニケーション取ってますか?

そのコミュニケーションに必ずあるリスクを受け入れようとしてますか?

そして、人生を楽しむ覚悟はできてるか?

 

ぽっきいみたいなこと言うけどね。