スペックを正しく伝えるという能力

今回は営業や販売の仕事をしている人向けの話ですが、ご自身の何かに置き換えて読んでいただくと何か気づきがあるかと思います。

 

☆☆☆

 

数年前、こんな動画が話題になったことがある。

大勢に人に影響を与えるためには、与える情報の順番を変えるという内容だった。

 

当時は、なるほどーって思ったもんだった。

 

www.youtube.com

 

アップルと、その他のメーカーと何が違うのか、当時絶好調だったアップルについていろんな人が語っていたことの一つ。

当時はなんか納得させられた気がした。

 

この人が言うには、アップルはまず「なぜ」と「ビジョン」を示し、そのあとにプロダクトの話を持ってきたと。こんなことが出来たらワクワクしませんかというビジョンの提案があって、それを実現するプロダクトを作りましたと、話を順番を変えたと言う。

今までのメーカーはまずプロダクトのスペックがありきで、それをどう使うかのビジョンの説明が大衆に響かなかった。

iPhoneiPod、当時魅力的だった製品になぜ世界中が飛びついたのか、それは製品ありきではなく、ビジョンという「なぜ」を魅力的に伝えたからだということ。アップルだけではなく、ライト兄弟もまず先に夢とビジョンがあったのだと。

 

これ、まぎれもなく本当のことだと思うし、大衆の中の「イノベーター」と「アーリーアダプター」を動かすことに成功し、市場を席捲したのも事実だと思う。

 

でも、起業家でも天才的な開発者でもない俺のような普通の人間が真に受けると危険だなと今は感じる。

美しくカッコいい今風の話だけどね。

 

今風ではあるけど、もしかしたら手垢のついた見覚えのある風景に繋がっていく話かもしれない。

 

俺のような平凡な人間が対峙しているのは世界的なマーケットでもなく、最先端の技術革新でもなく、誰かに安価なものを大量に売るという「一般大衆の世界」だ。

売ってるものだって、ごくありふれた、代替えのきくコモディティでしかない。その仕事をしている自分だって代替えがきくわけで。おそらく最終的にAIに仕事を奪われるような小さい存在だ。

 

そんな俺が、煙草を吸って10年ローンで買ったワンボックス車に乗り、休日は家族で郊外のショッピングモールに出かけるタイプの人達に、起業家よろしくビジョンを語って何か大きな影響力を発揮できるわけがない。

 

どこかの優秀な人と巨大な会社がiPhoneを魅力的に、爆発的に売ることが出来たのだろうが、俺のような凡人が出来るのはそんなかっこいいことではない。

 

大衆の平凡な世界で物を売る人達に大切なのは、「ありのままにスペックを語る」という能力だと思う。まずビジョンやなぜを語るのはかっこいいけれど、まずやるべきことはそうじゃない。

 

「こんな世界を実現したらワクワクするでしょう?だからこんな製品が生まれました」ではなく、

「Aという製品の特長は、〇〇と〇〇です」とスペックを正確に間違いなく伝える力のほうが大切じゃないのかなと思う。

 

でも昔から営業マンはそれを悪いことだと教えられてきた。

 

「このかっこいいベンツに乗ったら、お姉ちゃんにモテますよ、この値引きでどうですか!」という、どうですか営業が美談になりやすかった。

営業マンの世界は情緒の世界なので、この傾向が強い。

 

逆に、ベンツのスペックをきちんと伝えようとする人は、「客はそんなこと興味ねえんだよ」と、ベテラン営業マンに叱られた。

「客は馬力なんか興味ねえんだよ」とか

「客が頭あっつくなってるうちに契約させろよ」とか

「客は難しい知識なんか興味ねえよ」とかね。

 

残念ながら、それは2000年頃までの世界の話だろう。

今の若い営業マンがそれで売れているかって、大苦戦している。

先輩たちは言うよ。客はネットで知識を頭に入れてきてるんだし、なおさらスペックの説明なんか意味がない、これを手に入れたらどんな気持ちになってワクワクするかを熱く語れって。

なんか納得するようでいて、結果的に売れないんだからそれが間違いなのは明白で。

 

知識はネットで仕入れられる時代だからこそ、実はスペックを客観的に語る必要があるんだよね。

専門家の仕事は、客観的にスペックを横に並べて、論理的に客に当てはめていくことだと思う。

この車は安全性能を高めるためにこう、ボディ剛性を高めるためにこう、テールレンズがこの形なのはこういう理由、などまずは丁寧にスペックを説明することが先決で、それが客にとってどんな問題を解決してくれるのかを理路整然と説明する。

これ、販売の現場ではもしかしたら無粋とすら思われてきた。

 

うわ~ベンツだ~かっこいい~っていう、雰囲気だけでお客さんが酔ってしまってるところに、発泡酒もビールも関係ねえみたいな乗っかり方をして売り切ってしまうような、未熟な雰囲気が今も若い人たちに押し付けられている。

 

 

相手が雰囲気だけでは酔ってくれない場合は、とたんに弱くなる。

「ベンツが高いのはブランド料でしょ?クラウンに劣る性能でしょ?」と言われたら、何も言えなくなる。

「い、いや、おねえちゃんに。。。もてます。。。」とか言って、セクハラじみてるとすら言われかねない。

比較された後からスペックを語り始め、もう聞く耳を持ってもらえないとかね。

 

スペックを語るタイミングを逃すと、必ず後手後手になってしまう。

 

一般大衆では、ビジョンに酔ってくれない人のほうが圧倒的に多いんだよ。

ビジョン語りを美化しすぎると、人に伝えられない、人に受け入れてもらえない人のほうが増えてしまう。要するに売れない営業マンになる。

その先には、自分はビジョンに魅力がない人間として本質的に自己嫌悪に陥る危険すらあるよね。

 

正しいスペックの説明が、その製品の特性を理解してもらうことになり、ほかの製品との差を比較する材料になる。

本来、当たり前の姿勢だよね。

 

そのうえで、そのスペックが、相手のどんな問題点を解決することに役立つのかを提示する。

本来、それが正しいプロセス。

 

まずは相手が抱える問題点を明確にする。

スペックを理路整然と伝える。

それによって問題が解決されるという提示をする。

 

情緒面ばかり美化された世界では、営業マンの自己重要感を傷つけかねないよ。

その職業の格も落としてしまう。プロ意識も育たない。

 

人間関係も同じことが言えるかもね。

あまり情緒にばかり訴えられると、相手も苛立ってくるよ。

 

東京は夜の七時

loverescue.hatenablog.com

 

なぜ俺がラブレスキューで執拗に20歳前後の頃の話を書くのか、実は自分でもよく分からなかった。

ふと、今日思い出した。

フラッシュバックみたいに、怖いくらい生々しい感触として。

20歳の頃、新宿の夜の7時に降り立った自分の心の中を。

 

俺は、16歳の時に病気を発症した。勉強はまるで手がつかなくなり、進学校の中で哀れなほど順位が下がっていった。結局3年間で体調が回復することはなかった。

学校が終わると、家に帰ることはなく、深夜まで女の子とうろうろしていた。毎日停電みたいな田舎町で何をしていたかは覚えていない。一人暮らしをしている友達の家に遊びに行ったり、ゲームセンターでたむろしたりしていたんだと思う。

3年間、まともに家に帰ったことは本当に少ないと思う。今思うとシャワーとか着替えとかどうしていたんだろうと不思議なくらい。

 

夏の日、19時になると次第にあたりは暗くなってくる。街灯がつきはじめ、夜の店のネオンが眩しく見えだす頃、俺は胸の奥の方で錆びた歯車が回るような感触を覚えていた。歯車の隙間に砂を噛むような。足取りが鉛のように重くなり、呼吸が早まり、そわそわしてじっとしていられなくなる。裏路地の角々に黒い人影が見え始める。耳元で女がささやくような声がする。

 

「アキラ、様子おかしいよ?」と17歳の彼女が言って笑う。

「なんでもねえよ」と俺は言った。もっと走らないと、もっと早く走らないと、俺は死んでしまう。そう思って叫びたくなったりした。

 

元気がいいわけじゃない。恐怖と不安が夜の闇に紛れて俺に襲い掛かってくるんだ。

 

俺は、夜が深まっていくにつれて不安と孤独で死にそうになる病気だった。

今でこそその病気には名前がついている。当時はそんなことなんか知るわけもない。

ただ、今夜はこのまま死んでもいいぜって思っていた。まだほんの高校生だった俺だけど。

 

その感触は、18歳で東京にやってきてからさらに強まった。

「ママ、俺、東京に引っ越すんだよ」って俺を捨てた実の母に教えようと自宅に行ったら、厳しい口調で迷惑だと言われたその数日後、俺は東京に移り住んだ。

 

東京の夜は、田舎の夜よりもずっと俺を不安にさせた。東京の夜の七時から深夜3時までは、絶対に1人でアパートの部屋にいるなんて無理だった。怖すぎる。不安すぎる。孤独すぎる。

引っ越した最初こそ自宅でずっと我慢して家にいたけど、すぐに怖くなった。

 

東京に住んでいるあいだ、俺は夕方から深夜にかけて一人で部屋にいるなんて数えるほどだったと思う。

とにかく夜をやり過ごさなきゃならなかった。その怖い夜の時間に、俺は客と恋愛ごっこをし、糞みたいな気分になっては恋人との幼くて傷つけあうような恋愛を追いかけて。疲れ果ててベッドに入って気絶するまで、俺は東京の夜の闇から逃げ続けた。

 

それは今も同じだ。

夜になると、死にたくなる。何度か死のうとしたのも、夜だった。

 

大人になっても昼に会社員をしていながら、夜はデリヘルの仕事をした。夜が来るのが怖かったからだ。もちろん金を稼がなきゃならなかったのもあるけれど。19時に会社を出て、部屋にも帰らず事務所に行き、深夜2時過ぎまで仕事をした。仕事が終わっても女の子たちにせがまれると引き連れて近所のラーメン屋に行ったりね。仕事に関係ない生活の悩みごとにも一生懸命乗った。

家に帰って気絶して眠って、数時間後に起きてシャワーを浴びて会社に出勤する。

その生活で俺は疲れ果てて帯状疱疹が出るほどだったけど、夜に喰われてしまうよりずっとましだった。

当時付き合っていた彼女とも、昼間に会うことは数回しかなく、すべて夜だった。その彼女に黒霧島の瓶で殴られ病院送りにされたのももちろん夜のこと。

夜にすべての人生を詰め込むような。

 

夜が怖い

夜が怖い

夜になると俺は死ぬかもしれない

死んでもいいけど、一思いに殺してくれ

 

そう思いながら、今でも夜に1人で黙っているのは苦手だ。

 

溺愛する彼女といる時じゃなければ、黙って夜の時間を過ごすなんて無理なんだよ。

 

 

アキラブログの楽しみ方

アキラブログをいつも読んでくださってありがとうございます。

 

特に宣伝もしないマイナーなブログですが、最近はたくさんのアクセスをいただいています。

たった5年前と比べても、毎日数倍のアクセスがあり驚いています。

 

ブログデザインも適当、宣伝もなし、きれいな写真もなし。しかけは一切ありません。それでも着実に読者さんが増えていくことに不安はないわけではないのです。

 

最初読んでいただいた方は、なんだこれ?って思ったことでしょう。

 

あらためてアキラブログを解説しますと、もともとは20歳前後の読者のための携帯ブログでした。2007年頃、ガラケー全盛期です。

 

生きていくことに不安を感じている人たちに、恋愛のこと、性のこと、仕事のこと、家族のこと、人生のことについて、アキラという一人の人間の物語を使って表現しているだけのブログでした。

 

多くの読者さんは夜眠る前にベッドの中でこっそりとブログを開いていたようです。誰にも教えず、誰にもバレないように。

 

あの時の女性たち、男性たちはそれぞれ自分の悩みを抱えていたと思います。

生きづらいというと大げさかもしれません。人生のちょっとした風邪をアキラブログを読むことで忘れようとしていたかもしれません。

 

自己啓発ブログの類ではないです。あくまでもアキラの物語です。

 

アキラブログは、友達もなく、人生が思うように進んでいない人たちのためにあると思っています。俺だってずっと苦しんで生きています。ありふれた応援歌を書くつもりはありません。それは違うんじゃないかと誰かが思うかもしれないけれど、読む人のリアルに矢を放つような言葉を残そうと書いています。だから批判も多くあります。誹謗もされます。でも誰かのリアルに突き刺さる言葉じゃなければ、書いている意味もないのかなって今も思ってます。

 

読者さんの年齢層は、今はきっと幅広いと思います。女性の読者さんが半数を占めているのは昔から変わりませんが、最近は40代、50代の男性も増えています。

 

最大公約数みたいな言葉は書きません。

ひどい言葉も多く書きますが、それは誰かの心をえぐるために書いてます。

 

アキラブログの楽しみ方としては、

文章全体を読解力を駆使して理解するのではなく、自分がなんとなく気に入るフレーズを見つけてくれたらいいなと思ってます。

 

文章全体は難しくて理解できないけれど、フレーズを抜き取って手帳やスマホのメモに書き写している人が結構いらっしゃいます。

 

それと、どうぞ、ブログをご自身の何かに置き換えて読んでみてくれるといいと思います。

これはあくまでもアキラの物語です。自分の何かに置き換えられそうなとき、もしかしたら心の中で何かが生まれるかもしれません。

 

どうぞよろしくお願いします。

 

恋なのか、痛みなのか

10代の恋愛がカジュアルなものかというとそんなの大間違いで、10代は10代の、恋愛の戦争があると思う。
もちろん感受性も子供のままで、ごっこ遊びでしかない子も沢山いるだろう。
10代の恋愛は人間関係のマナーを学ぶ大切なものと言う人もいるが、そんな勉強みたいな恋愛はそう多くはないよね。
10代だろうと恋愛はいつでも戦争。感情と感情がせめぎ合い、情けないほどみっともない姿をさらし、いつまでたっても大人になれない自分たちを目撃してしまう。激しく求めたり、あるときは卑怯に逃げてみたり、心と裏腹な行動をしてみたり。
俺だって17歳の時の恋愛は心に深い傷になっている。ひっかき傷ではない。もう治癒はしているけれど、肉が盛り上がって醜い傷跡を残しているほどの。
今も覚えている。
絶望的な気持ちになって深夜にソファに突っ伏して声を出して泣いたこと、嫌われているのにまだ気づかないふりをして必死に笑顔を作り惨めな気持ちになったこと、親が心配しているのに朝まで家に帰らず公園でひとりで座ってため息をついていたこと。
しなくていいものならきっと、恋愛なんてしなかった。
でも恋愛がなければもしかしたらとっくに死んでいた命かもしれない。うまくいかない歯車を回し、いつかはがっかりすることになるだろうと想像はしながら濁流に飲み込まれていく。でもそれがなかったら、生きてはいけないんだと。
 
たかが恋愛に感情を振り回されすぎだと言う人もいる。恋愛に依存しているのかと言う人もいるかもしれない。主体性がない恋愛に意味があるのかとズレたことを言う人もいるかもしれない。
でも違う。
恋愛とは、傷つくこと。誰であっても同じだと思う。傷を見て恐れる人もいるし、痛がる人もいる、血が出ているのに気づかない人もいる。傷つくことから誰も避けられない。
恋愛のゴールを「結婚」だと思っているとしたら、将来もっと傷つくことになる。恋愛のゴールは、死だと思ってる。死ぬということではなく、死を迎えるまできっと綱渡りを繰り返し、濁流に溺れながら必死に息継ぎをしているだけ。
 
勘違いしがちだが、恋愛とはトピックではない。どこかの誰かと、ある時期に一緒にいて、こんなことをしましたというだけのトピックではない。
恋愛とは歴史だということ。
過去の感情や意識の流れがあって、それを人生の中で痛みを感じながら眺めているんだよ。たくさんの恋愛をするという意味じゃない。
たった一つの恋愛があって、それ以降の恋愛がすべてごっこ遊びになってしまうこともたくさんある。
恋愛の後遺症を抱えて、一人で生きていくことも恋愛のアフターパーティであって。
感受性が死んだふりをして、斜に構えることだって恋愛の一つ。
 
恋愛とはトピックではなく、死ぬまで苦しむ感情の歴史のこと。
 
ありふれたことを言うと、ひとつの恋愛はたぶん奇跡なんだと思う。
 
誰かと出会い、長い時間を共有し、そして別れてしまう。
なにかの事情で別れた後、また同じ気持ちになれるかどうかは分からない。二度とないことだってある。
同じ条件を揃えてもきっと同じ感情は訪れない。似たような年齢、似たような笑顔、似たような職業、似たような出自、似たような身長、そんなものは何の意味もなくて、ある年齢のある時期にあるタイミングでやってきた、本当に偶然の積み上げで恋愛という感情がやってくるだけ。気がつけば過去の恋人とは全く共通点がない溺愛の恋人が目の前にいるかもしれない。
あるいはもう二度と似たような感情になれないかもしれない。
 
奇跡というのが大げさなら、偶然かもしれない。最初は興味がなかったはずなのに、どうしようもなく好きな女が目の前にいるという。どこでこうなった?と思うほど、偶然は目に見えない形で化学反応を起こして形を作っていく。
偶然である以上、二度と恋愛ができなくなることだってある。
 
恋愛の相手を「条件」で選ぶ婚活男女や恋活男女には、きっと分からないことだと思う。
分からないと自分に言い聞かせている人だっている。
恋愛が偶然であって、再現不可能であって、死ぬまで苦しむだけのことだってこと、あの恋愛はもう二度と訪れないということ、それを忘れたつもりで婚活をしている人はたくさんいる。
 
もっと傷つくこと、もっと涙を流すこと。
 
それがたぶん、本当の恋愛なんだろうと思ってる。
 
 
 
 

ラブレスキューについて

2010年から書き続けているもう一つのブログ、ラブレスキューです。

こちらで紹介するのは初めてかと思います。

 

2010年からCROOZブログで書き始めた最初のラブレスキューは、過激な内容から批判も多く何度か閉鎖を繰り返して、はてなブログで2017年に復活させました。

当時はセックスライフを綴るものでしたが、現在はもう少し内省的な風景を描くようにしています。

書かれてある内容は基本的に事実です。しかし本人が特定されると非常にまずいので時代、場所などを変えて表現しています。そのため時系列は無視しています。

登場人物の多くは今はもう消息を知りません。数人は若くして亡くなっています。

 

loverescue.hatenablog.com

 

描くたびに胸がざわつき、時々読み返すのもつらくなることがあります。正確に思い出したくない風景は駆け足で書いてしまったりして、読みづらくなっているのが分かります。本来、公開したら加筆や訂正はしない主義ですが、ラブレスキューは時々書き直している部分があります。

 

これを書くことで、誰の役に立つのかは全く分かりません。

褒められることも全くありません。

 

でもどこかで誰かが楽しみにしていてくれる気がして。

 

もしよかったら、眠れない夜にでも読んでみてください。

 

【アーカイブス】人生ダメなとき 2013/07/23

2013/07/13  15:34

 

定期的にこれ書くんだけどね。

俺の師匠が大昔に俺に言ったこと。

 

人生生きていれば、何をやってもダメなときってあるよ。

夢も叶わない、叶う気がしない、やることなすこと全部裏目。他人から嫌われ、金もない。

肝心の仕事も全然うだつが上がらなくてさ。

 

俺、何度も何度もそういう思いをしてる。夕方になると頭が痛くなってきて、ひどいと寝込んでしまったりする。

心が破壊されて、普段の俺ならやらないようなことを平気でしたり。

 

俺って、ほんとダメな人間なんだな・・・って何度もつぶやきながら、駅から歩いて家まで帰るみちすがら、もうどうにでもなっていいんじゃないかって何度も思ったりした。

 

真面目に働くのがバカらしくなったり、結果につながらないどうでもいいことにいちいち気を配ったりするのがアホらしくなってた。

仕事も行かなくなり、一日中家で寝ていたり、セフレと一日中ラブホテルにいてつまんねえ映画を何本も観ていたりした。

 

でもね、

師匠が言ったのは

 

人生ダメなときは、お前の生きざま見せろって。

 

腐るだけなら弱虫でも昆虫でもできる。ひねくれて立派な言い訳するだけならだれでもできる。

腐ったら全部終わりだ。腐って諦めたら負け確定なんだ。諦めない限り負けはない。負けを先延ばししているだけかもしれないが、とりあえず今は負けではない。

 

びびって逃げて、上手く行かないからて腐っているだけの俺じゃ、きっとこれからも負けたままだと思った。

 

俺もこの年になって、たくさんの後輩とか弟子がいて、いつも思うよ。

 

自分を引き上げてくれる人や、うまく巡り合わせてくれる運みたいな何か大きな存在というものがあって、

それが人生ダメなときの俺やお前の生きざまを見てるんだって。

 

俺もダメな状態の弟子がいたときは、ずっとそいつの生き様を見るようにしていた。

黙って俺は見てる。何も言わない。バカみたいなことばかり言ったりやったりして逃げてるだけの奴らも沢山いるが、俺は何も言わない。

 

ひねくれて、斜め目線で分かったようなことを言う奴なんてたくさんいる。

楽だよな、それ。かっこいいし。

 

自分のやり方が間違ってます、絶対成功したいです、アホになってやり切ります、見捨てないでください、って本気で言えるやつなんか、ほとんどいないよ。

 

腐った時のあんたが、本当のあんただ。

その本当のあんたを、そのみっともなく幼稚な本性を、世の中はしっかり見ている。

だから、ダメなときの生き様が本当にダメなら、その後も一生ダメなまま。誰も引き上げてくれないし、神様も運も見捨てる。奇跡なんか絶対起こらない。

 

腐った弟子はみんな同じだった。

メールの返事が来なくなる、電話に出なくなる、返事も折り返しも数日後だったり、あからさまにテンションを下げてダラダラしている。

 

それな、甘えなんだよな。

自分に甘えてるだけなんだよ。自分の将来と自分の夢を粗末にして、みんな見て見て、ぼく、わたし、こんなに困ってかわいそうなんてーみたいなね。

俺もそういう人間だからよく分かる。

 

師匠が俺に言ったよ。

 

チャンスはすべての瞬間に宿ってる、ってね。

 

自分が甘えた態度を示した誰かが、実は大きなチャンスを運んできていたかもしれない。

甘えて返事をしなかったそのメールは、実はチャンスを提供してくれたのかもしれない。

 

人はどこでケミストリーを起こすか分からないんだよ。俺は実体験から本当にそう思う。

何気なく友達と話していた会話に、ある日チャンスの糸口を発見することだってある。

心配してくれた彼女や彼氏と仕方なくだるそうに出かけた先に、すごい出会いが待っていることもある。

 

売れなくてしょんぼりして帰ってきた営業マンが、夜中まで机でぼんやりしていたとき、何気なく上司が情報をくれるかもしれない。上司すら気づいていないようなチャンスがその会話にあることに気づく瞬間だってあるよね。

 

ブレイクスルーってそういうことなんだよ。

 

腐った奴は絶対ブレイクしない。

 

腐って甘えていれば、目の前のチャンスに気づかない。

時刻表を覚えていなければ、いつもちょうどいいバスに乗れないのと同じだろ。

俺らみたいなヘタレは、田舎のバスを待っているようなもんなんだよ。

山手線じゃねえ、一時間に一本しか来ないバスなんだよ。腐ってだらけていたら、一生バスに乗れない。

 

人生ダメなときは、生き様を見せろ。

 

愚痴ってひねくれて、甘えて誰かを攻撃して、ため息ついて自暴自棄になっても、自分のチャンスを自分で潰すだけ。

 

ファイティングポーズをとれないなら、さっさと退場するしかない。愚痴っても誰も聞いてくれなくなるんだから、黙って消えろ。誰も気にしないから、お前がいなくなっても。負け犬は誰にも覚えてもらえない。いなくなってみんな安心するよ。

 

消えたくないなら、どんなにへばってもファイティングポーズはおろすなってこと。

 

その根性みたいなもんを、周りは見ているから。覚えているから。辛くて根性どころじゃないけどな。

 

チャンスは必ず来る。やせ我慢を貫いた奴にだけ来る。来るというか、もう目の前にあるんだけど、気づけないだけ。

 

愚痴ってひねくれて今までの人生上手くいったかよ。東大や京大に入れたかよ。全然だろ。

だったらきっついことは次々起こって当たり前。我慢するしかない。そして続けるしかない。

 

きつくても、引きつりながらも笑っとけって。眉間にしわ寄せてもぶっさいくだし、チャンスは来ねえよ。

 

いいからやれよ。出来る出来ないの論理ぶった御託は聞いてない。しないなら出ていけ、ここにいるなら笑え。

 

人生うまくいかせるって、そういうこと。