精神疾患が家族にいると、家族が壊れる本当の理由

精神疾患にもいろいろあるけれど、うつ病やパーソナリティ障害の患者がいる家族は、多くの場合家庭がぎくしゃくしている。

最初は家族も献身的に面倒見てくれる。親とか旦那とか妻とかきょうだいとか。職場も気を使ってくれる。みんな、原因を作ったのは自分がストレスをかけたからじゃないかって反省もあるからね。最初は、ゆっくり休みなよって言って、なんでも好きなようにさせてくれる。仕事はいかなくていいよ、仕事こなくていいよ、良くなるの待ってるよ、焦らないでね、頑張らないでね、とか言われてね。

でも次第に家族との関係も、職場での立ち位置も、ぎくしゃくし始める。家族の誰からが苛立ち始める。特に苛立つのは、父親と上司。父親からきつく言われる母親が次に苛立ち、上司の次に同僚が伝染するように苛立ち始める。

精神疾患の本人はその理由がなぜか分からない。

自分が病気だからこうなんだ、病気だから迷惑なんだと、考えてしまう。お金稼がないからこうなんだ、とかね。

本人はどんどん追い込まれていき、病状は致命的なものになってしまう。

 

でも、原因は違うところにある。

家族が優しく、家族思いであればあるほど、事態は混乱していく。

精神疾患が家族に1人いると、家族が崩壊する本当の理由は、

「正確に物事を伝えようとする感受性がヒトカケラもない」家族が一人いるせい、ということなんだよね。

 

精神疾患だけじゃなく、この正確に伝えることが大切だって思ってない人が家族にいる場合、必ず人間関係が壊れる。

 

例えばこんな感じ。精神疾患じゃなくても、普通の家族でも。お父さんが、少しグレて引きこもりになった息子がいる家庭。

家族思いの父親が、息子の様子をお母さんに訊きたいとする。

 

父「あいつはずっと学校行けてないけど、今日は何してたんだ?」

母「部屋にずっといたと思うよー」

父「部屋にいて何してる様子だった?」

母「ゲームしてるだけだと思うよー」

父「・・・いや、俺は正確に伝えて欲しいんだよね。ゲームしてるだけだったら学校行けるんだし、それだとただサボってるだけということになるだろ」

母「そんなこと言われても、あの子の正確な気持ちなんか分からないから苦労してるのに・・・」

父「正確な気持ちを教えてくれって言ってない。」

母「そんなこと言われても・・・」

 

たぶん、この家庭はそう遠くないうちに壊れる。グレてるとか、引きこもってるという異常事態が起きた時に、この母親に「正確に伝えることの意義を理解する」という感受性が欠けているせいで、物事は絶対に進展しなくなる。

 

ここで、父親が求めていたのは、息子の正確な心の内を教えろということではないよね。それが正確に伝えるということじゃない。

父親が聞きたかったのは、「自分と同じ保護者であり、同じ目線で心配している母親が、息子と接してみて何を考えたか、何を感じたか、問題解決に向かって何ができそうか、何が障害になっているのか、明日はどうしようか」という、母親の主体性なんだよね。

でも、この母親は主体性もなく自立もなく、社会経験もないんだろう。正確に伝えようとすることで、同じ立場で相談する、問題を共有する、共感し合う、ということが出来るという実体験が一度もない。

言い方を変えると、問題解決のプロセスを経験したことがない人間が家庭に1人いると、簡単に壊れるってことだよ。

 

この母親と接していると、父親は次第に苛立ってくる。

おととい、学校の先生が家庭訪問してきたということを後で何かの拍子に耳にし、愕然とする。そういう「事実」さえ伝えることが出来ない人間なのかと。そんな能力しかない女なのかと。

先生が訪問して何を言ったのかも、質問しないと出てこない、それもどうやら不正確なものらしく。

 

そうすると、引きこもりとかグレるっていう本人の問題が、母親によって悪い方に増幅され、家庭が複雑に混乱していく。でも母親は子供に言う。

「お父さんが悪い」

「あなたは何も悪くないのよ」

でも子供に言わるだろう。

ババア、ムカつくんだよ顔見せんじゃねえよ。って。そして母親はさらにそれも父親のせいだと思い込む。

 

精神疾患の場合も同じだ。

本人の病状ではないところで、周囲が混乱していく。

 

もし家族に、正確に伝えることができない人がいる場合、やらなければならないことがあるんだよ。

それは、この家族だとしたら、父親が全部を背負うということ。

父親が、母親も息子も丸抱えし、息子を治してやるために母親を利用してうまくやろうと覚悟すること。共感や共有ははなから諦めること。

 

仕事でもそうだよね。問題が起きた時、問題解決のプロセスを踏めないような能力のない同僚ばかりだったら、自分が全部仕切るしかない。でも仕切ってると分かるとそっぽ向いてしまうのも能力のない人間たちだから、持ち上げつつ、褒めつつ、問題が解決するように自分が全部をコントロールするようにしなきゃならない。

問題が起きても、自意識が大切な人なんて、ものすごく多いんだよ。優秀な人はその事実に打ちのめされそうだけど、それが現実だから受け入れなきゃならないね。

 

正確に伝えることの価値を知らない人には、そもそも関わるべきじゃないんだけどね。

 

 

猿真似をしなくてもいいんじゃないかな

俺は、自分が持っている重い発達障害の症状について、成人をとっくに過ぎるまで未診断のままだった。

家族が気付いて診察を受けさせたりすることは全くなかった。日常生活をきちんと送る能力がなかったせいで、親からは激しく虐待を受け、学校ではみすぼらしい姿になるまで暴力的にいじめられた。人間関係を築くのが絶望的に無理だったので、いつも1人で過ごしていた。学習能力もかなり遅れていたしね。

ずっと大人になってから、ああそうか、若い時にあれだけ苦労したのは自分の障害のせいだったのかって、診断名があれほど救いになったのは驚いた。まあ診断がついたとしても、日常生活でできないことは今も山ほどある。

例えば・・・

時間に遅れないように目的地に着くこと。

誰かに機嫌よく接すること。

誰かの気持ちを理解して、的確な返事をすること。

多くの人に共通する感性を持って、「それ分かる」って本当に思えること。

たくさんの人の輪の中に入って、人気を集めるように振る舞うこと。

恋愛すること。

人の期待を理解して応えること。

挙げていくとキリがない。そういうことが基本的にできない。

でも、それでは社会生活は送れないよね。18歳で東京に出てから、生きていくために手にとった職業は、夜の仕事だった。想像に難しくないと思うが、そこは普通の人よりもはるかに一般的な常識が必要で、コミュニケーション能力が尖っていることが必要で、かつ、いつも機嫌よく人気を集めるように振る舞わなければならないよね。

 

基本的に無理なわけだよ(笑)でも、俺はずっとその世界の住人でいることができた。その当時は自分の障害なんて知らなかったので、ずいぶんとしんどい思いをしたもんだ。普通の人が覚えられることが覚えられず、やれることがやれないからね。客に電話をするということが苦手で、もう終わってるんだけど、電話をかけて営業をするってことが死ぬほどつらかった。(やったふりしてやらないことのほうが多かった。)できないばかりに死ぬほど怒鳴られる每日。

 

じゃあどうやって生き延びてきたのかって、答えは簡単なことで、正確な呼び名は知らないけど、「パターン学習」と「オリジナリティ」のおかげだと思う。

こんなことがあったら、人はこんな気持になるのが「正解」なんだと、数千、数万パターンの感情の動きを記憶するのがパターン学習。この感情になったらこれを言う、っていう模範解答のようなものも覚えていく。そこに共感っていう心の動きはないんだよ。だって俺は一般的な感性の流れがなかったから。ただ経験と知識で自分の脳味噌をアップデートしていくしかなかった。

 

時間に遅れないようにするっていうことも、解決策はちょっと極端で。約束の1時間前に着くように行く。それだけ。相手のためにとか、そういうことじゃなく、1時間前に行かなければ死んでしまうと思い込ませて、必死になって行った。時間があるからって服屋をのぞくなんてことも禁止。待ち合わせ場所で一時間立っているのがルール。

そうじゃないと、まともな人間のように見えなかった。

 

でもねえ・・・それを一般的に何ていうかっていうと、「猿真似」だよ。

 まともな人の振る舞いを猿真似して、自分じゃない人間になろうとするわけ。苦しいよこれは。

20歳の時、おいしいチーズケーキのお店があるよって言われて一緒に行っても、味覚が死んでるのでよく分からない。匂いしか分からないから、匂いを嗅ぐとチーズケーキってくっせえし。バニラとゲロに臭いがする。でもそんなこと言えないでしょ。

わー、おいしいなあって、笑う練習は何度も繰り返すんだよ。俺が美味いと思うのは、当時キャラメルコーンとコーラと葡萄と味噌ラーメンだけだった。そんなことも言えるわけがない。

 

あとは、オリジナリティ。電話ができなくてサボってばかりじゃ売上立てられないだろ。やらなきゃならない。

でもならなきゃならないっていうのが無理なわけ。無理なもんは無理なんで、違う方法を考えなきゃならない。楽譜が読めないし覚えられないから、自分オリジナルの記号を開発しました、みたいなものだよ。

電話するのではなく、向こうから電話がかかってくる変なやり方を思いつき、そこの一点をひたすら磨いた。俺はひたすら電話を受けていればいいだけ。そんなのまともじゃない、きちんと基本通りにやれって何度も怒られたけど、結果は普通以上に出した。結果が出ていれば、まあ我慢してもらえる。認められはしないけどね。無視くらいはしてくれる。

 

ということで、俺のコミュニケーション能力の根本は、アップデートを繰り返した末の単なる小手先のスキルでしかない。

仕事の方法も、今も同じ。業界の常識から相当離れている。それは違う、それは間違っていると何度も指摘されてきたし、不正を疑われることも多いけど、でも仕方ない。俺がオリジナルで編み出して磨き上げた方法だから、俺はそれをやるだけ。それ以外ではできないから。

 

俺と同じ障害を持って苦しんでいる人がどのくらいいるのか分からない。そういう人達に俺が言いたいのは・・・

 

もうそろそろ、猿真似ごっこはやめませんか?ってこと。

 

自分以外のものになろうとしたり、まともな人間を気取って、気持ち悪いことを言ったりやったりするのは、もう終わりにしませんかってこと。

周りと同じ人間になるように努力しても、幸せになれなかったじゃないかって、もう受け入れる時が来てるんじゃないですか。

 

できないことはできない。

やりたくないことはやらない。

付き合いたくないものにつきあわない。

喧嘩になりそうなら、逃げる。

いじめられそうなら、逃げる。

学校行きたくないなら、行かない。

仕事がもうやりたくないなら、辞表出しに行く。

大学行きたくないなら、行かない。

実家のお父さんお母さんと一緒に住みたいなら、住む。

住みたくないなら、住まない。

金を稼ぐために、大金払って無名な私立大学に入学する必要はない。

スペックなんて言ってる学歴コンプレックス野郎とか、そっと距離を置く。

性格が会わない彼氏彼女なら、別れる。

彼氏の親が自分を悪く言うようなら、別れる。

 

自由に生きていいと思う。

仕事は、自分に合う仕事を自分で生み出せばいいし、

1人で生きていくと決めれば、急にわくわくもするよ。

 

自分以外の何者にもなる必要はない。自分のままで、自分の目標に向かって、自分のやり方で、1人孤独に打ち込んでいって、お金を稼げばいい。

 

誰からも褒められなくても、誰も自分の活躍を知らなくても、別に大した問題じゃないだろ。

 

 

 

理解してないなんて、絶対ないんだよ

人は、大切な人から自分のことを「正確に」理解してもらいたいと思っている。

 

彼女でも彼氏でも、夫でも妻でも、兄弟姉妹でも親子でも。自分のことを正確に、誰よりも正確に理解する「理解者」でいて欲しいと思っている。

 

自分の気持ちのこと、自分の悔しさのこと、自分の寂しさのこと、自分が受けた理不尽さのこと、自分が持つ夢のこと、自分の理想のこと、自分の快適さと不快さのこと。

大切な人だからこそ、理解してほしい。それはもしかしたら、理解してもらいたいという言葉で表した、「守ってもらいたい」という欲求なのかもしれない。

 

でもどうだろう。そういうことはありえるだろうか。

 

例えば。不倫関係を考えてみる。

結婚していると配偶者との間には、むしろ溝が広がっていくように感じるかもしれない。あれだけ好きで結婚したのに、あれだけ一緒にいて楽しかったのに、今は一緒にくらしていながら一番遠い存在に感じる、って。

だからふとしたきっかけがあると、不倫を自分に許してしまう。

不倫っていうのはいつの時代も楽しいもんだよ。最初の数ヶ月はね。妻や夫が言ってくれないことを言ってくれる。ありがとう、素敵だね、かわいいね、かっこいいね、仕事頑張ってるね、お疲れ様、おやすみ、応援してるよ、いろいろだ。セックスもそうだ。妻や夫がしてくれないことをしてくれる。妻とできないことができる。夫では感じることができないものを感じる。

そして夢中になってしまう。妻よりも俺のことを理解してくれていると思う。夫よりも自分にぴったりの存在なんだと信じ込んでしまう。二人とも思うだろう。

これは運命なんだ、って。

 

ところがそれは単なる幻想幻覚なんだって、薄々気づき始める。不倫の関係から数ヶ月も経てばそう気づき始める。

これはうちの妻じゃ言わないことだよなっていう無神経なことを言う。これはうちの旦那じゃありえないだらしなさだなって思う。

あれだけときめいていた不倫相手にげんなりしてくる。妻じゃありえない化粧の長さ、妻じゃありえない料理の下手さ、妻じゃありえない気分で機嫌をコロコロ変えるところ、妻じゃ絶対しない服や化粧品の衝動買い。

夫じゃありえない女癖の悪さ。夫じゃありえない酒の量。夫じゃありえない仕事の愚痴。夫じゃありえない金の管理のずさんさ。

そしてある日の夜。密会しようとシャワーを浴びている時にふと独り言がついて出る。

「もう別れたい」

 

そもそも、正確に相手を理解しているなんて、ほとんどありえないと俺は思う。

数値で表すことなんかできないけど、感覚としては良くて75%だろう。でも大切に思っているパートナーであれば、いくら最低でも60%は理解しているとも思う。

60%~75%の差しかないんじゃないかと。

 

いやいや違うよ、うちのヨメは俺を理解してねえし!ってムキになるかもしれないね。

たとえば、家族思いの夫がいるとする。でも妻はあまり感受性が豊かではない。家族のために尽くしてきたことを、ありがとうと言うことがない。

ある日夫は妻にLINEで言う。

妻と娘のために、奮発して低反発の高級枕を買ってきたよ、最近眠れないって言ってたじゃん、って。

妻の返事はこうだ。

「了解。」

おいおい。ありがとうとか、どうしたの?とか、もったいないよとか、いろいろ反応あるんじゃないかなと憤慨する。あの昔の不倫相手なら、「ありがとー!」って返事が来て、ハートマークも付いていただろう。なんだ、了解って。タクシー運転手の無線か。

そしてそのことも我慢できず、妻に文句を言う。俺はありがとうって言って欲しい、俺はこの家でないがしろにされている、なんて。

そしてまた妻は言う。

「そっか。じゃあ私はどうしたらいいのかな?」

だから、俺の気持ちを理解してほしいんだよって夫は言う。そして妻はまた言う。

「いつも怒ってばかりだね。奥さんは私じゃないほうがうまくいくんじゃないかなって思う。」

だからー・・・・・、大切に思ってるから枕買ったの、眠れないって言ってたから少しでもリラックスできるように高い枕買ったの、怒ってばかりじゃなくて、俺の気持ちもあ・る・の!

 

なんてね。

 

でもさ、そんな奥さんだって、60%は理解してるんだよ。お金だしてわざわざ買ってきてくれたこと。もらってきたり拾ってきたわけじゃなくて、お金払って、わざわざ店まで足を運んで、時間を費やして選んでくれたことくらい分かってるはずだよね。

だったら、了解。って返事でもいいんじゃないの。まるで職場のおっさんとLINEしてるみたいなやりとりでもさ。昔の不倫相手みたいに機嫌よく接してくれないかもしれないけど、理解はしてると思うよ。アウトラインくらいは。

 

でも違うんだ。みんな、大切な存在であればあるほど100%を欲しがる。正確に、一言一句間違わず、気持ちのブレも全部ひっくるめて、正確に理解し、言って欲しいことを言ってくれるのを期待する。

それが腹が立つのは、自分がないがしろにされているという疑念だけじゃない。

このズレ方が、もしかしたら重大な家族の問題に発展するんじゃないかと怖くなるからだ。感性のズレでお金の問題を起こすんじゃないか、教育の間違いをするんじゃないか、家族が離散してしまうんじゃないか。

そんなこと絶対ないのにね。問題があったところで、きっと大したことがない問題だよ。大切に思う家族や恋人関係の間で、そんな致命的な問題はきっと起こらない。起こらないはずなのに、無理矢理問題を起こすようなことは止めたほうがいいよね。

 

大切な人同士で、問題は何も起こらない。

大切な人同士で、理解してないなんてことは、多少あるけど致命的ではない。

 

そんなことより、その場所にただ一緒に集まってくれしていることに感謝したほうがいい。

結婚していなくても、深夜に電話したりする相手がいることに、感謝したほうがいい。

 

何度目かの生まれ変わり

突然のことで、何も予告しませんでしたが、Twitterのアカウントは削除しました。

別に何かメンがヘラったわけではなく、凍結されたわけでもありません。

ただ、このゴールデンウィーク中に考えてみたのですが、そもそもの俺のブログの使命というか、必要な人に言葉が届くようにって考えたときに、Twitterの俺のアカウントでは弱すぎて何の意味もないなってことでした。

もちろんTwitterはかなりの初期からやっていて、思い出もたくさんあったんですが、そんなことより俺には言葉を届けなきゃならない相手がいるなと思ったわけです。

言葉を乗せて、必要な人にもっと届けるための「言葉の小舟」としては、アキラというおっさんがしこしこツイートしているアカウントではちょっと力不足でした。

 

こんなことを言うと、「メッセージ性のあるものを書くやつはクソだ」とか言う人もいるよ。その気持はよく分かるし、反対しない。別に俺なんかのブログで世の中がなにか変わるとは思ってないし、それは俺の使命じゃないと思う。

でも、今日、このゴールデンウィークの晴天の空の下で、人生どん詰まりだって思ってる人ならいるんじゃないか。その人にとって、明日もとりあえずやってみるかって感じてもらうことはできるんじゃないかなと。

 

俺はあれだけ苦しんだ子供時代、高校生時代、そして18歳からの時代、多くの言葉によって救われてきたと思う。言葉を喋ることができなかった子供時代、漢字は読めなかったけど、ひらがなで書かれた絵本の言葉は読むことができた。都会の片隅で存在が消えそうなほど寂しく虚ろだった18歳の時、恐ろしく時間が経つのが遅い每日を癒やしてくれたのは近所の本屋や、新宿の紀伊國屋書店や、古本屋やコンビニで買っては読んでいたたくさんの本だった。

本の中でたまにめぐりあう、リアルなフレーズや、新しい言葉に、いつも自分のみじめな人生を置き換えては心を落ち着かせようとしていた。

ラブレスキューの時代、俺は自分で言葉を手帳に綴ることで、そもそも向いていない夜の痴話の世界で心を誤魔化していた。

俺は、誰かの言葉で自分の人生が救われるという経験をたくさん持っている。

だから、俺は「アキラ」として、なんらかの形で言葉を必要としている人に届けばいいと思っている。

 

誇大妄想だと馬鹿にするひとも多いだろう。ネット弁慶の子供たちがよってたかって批判してきたことも多い。それでも、多くの女性、多くの男性、若くてもおじさんでもおばさんでも、独身でも既婚でも、言葉が届いていた人がいた以上、俺の役割は絶対にあると信じている。

 

ポエムを書いて悦に入るつもりはない。俺のブログは、ここを読むあなたの人生を救うためにある。

俺は何の資格もなく、学歴もなく、人に偉そうに語れる立派なキャリアもない。発達障害の脳味噌を抱え、一時はホームレスにまでなり、人から馬鹿にされるような仕事をして金を稼いできた。でも、なんとか、人生って最高だなと思えるような愛の経緯や、仕事での成功体験、障害を受け入れるスキルを味わってきた。

それだけでも人になにか届けるものはあるだろって固く信じている。

 

このブログの更新通知は、大昔からの仲間である美咲のTwitterアカウントを通してお届けします。ぜひ、美咲のアカウントをフォローしてくださるようお願いします。エロいツイートはしないように言ってありますので、ご安心ください。今後は無意味なエロは自粛するはずです。

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これからもアキラブログをよろしくお願いします。

このブログをもっと呼んで頂く方法を考えながらやっていきます。

 

非正規な人生だけど悪くねえよな

こんな経験がある人は、結構いるのかもしれない。

例えば、Facebookで。前職の同僚の誕生日にはものすごい数のメッセージの山が投稿されているのを見かけるとする。すごいなと思いながら、自分はそのメッセージのいくつかを読んでみる。

「いつも●●さんの人柄を尊敬しています」

「いつも●●さんの熱い指導ありがとうございます」

「●●さんのようになりたくて、わたしも頑張ります!」

とまあ、ずいぶんと人望がある様子だ。それを見て、自分はちょっと凹む。自分にそんなことを言ってくれる人は1人もいないなあ、と。尊敬されてるなあ、大人だなあ、と関心する一方で、俺はずっと価値のない人間なんだろうなあと卑屈になったりする。

 

あるいは、友達の女性の誕生パーティ。一応お呼ばれはしたのでプレゼントを持参して行った。すると、そこには大勢の人だかり。こんなに友達いるんだ!!って驚いていると、誕生日の友達は大量のプレゼントや花束で埋まりそうになっている。幸せそうに笑顔で、みんなありがとうって言っている。

愛されてるなあと、あなたは思う。自分だったらどうだろうと。きっと誰も自分の誕生日をこんな風に祝ってくれないだろう。自分は、あの子よりもずっと価値のない女なんだろうなあと卑屈な気持ちになりながらも、周りに合わせて大声で笑っている。そして帰る道すがら、お酒でぼんやりしているけれど、気持ちは来たときよりずっと沈んでいる。

 

どちらも、きっと眠る前のベッドの中で思う。自分はあんな風になれるんだろうか、自分はあんな風になれていないってことは努力をサボってきたんじゃないだろうか、それとも自分の顔がキモいからだろうか、それとも自分はなにかのせいで嫌われているんじゃないだろうか。

結局モヤモヤしたまま眠りにつく。朝起きると忘れているときもあるし、また引きずっているときもある。そしてまた一日を必死に生きようとするけれど、そんな人生は上手くいかないみたいで。

それを繰り返して20歳、30歳、40歳、50歳になっていないだろうか。

 

実は俺もそうだよ。ずっと劣等感だけを育てて大きくしてきたような気がする。何をやってもメジャーになることがない人生だしね。

少なくとも、その世界でメインストリームにいたことがない。性欲おばさんのパンパンしてたガキの頃も、会社員をしていても、起業してからも、風俗業界にいても、そして今も。

メインストリームではなかった。いつも、ビルとビルの間をすり抜けて入ったところにある隠れ扉の奥で生きている感覚だった。大手を振って歩ける華やかな人たちを遠くで見ている俺は、1人暗い地下室でしこしこと褒められることのない、でも売れるのは間違いないいかがわしいビデオを制作してるようなもの。

親にも教師にも近所の人にもきっと褒めちぎられる人生もあれば、俺のように姿を見せただけでみんな眉間にシワが寄るような人生もあるわけね。

 

そのことで悩んでないかい?って話。

 

あくまで俺の個人的な体験で話をするんで、そうじゃないって言う人がいてもいいんだけどね。

それは、自分が世間一般とずれているから仕方ないって思いなさいって感じ。

だってそうでしょ。

世間の人が理解できるような、最大公約数みたいな人生を生きられるほどまともじゃないでしょ。人柄を褒められるような生き方できるほど、脳味噌まともかよって。俺はそうじゃないよ。発達障害で何もかもピントがずれてるんだから、やることなすこと他人にはちんちくりんに見えるだろう。それどころか、多くは怒っているだろう。やればいいと分かっていてもやれないこと、やりたくないことが多すぎるんだから仕方ないよね。

そりゃ無理でしょうよ。

Aのことを→Bという感じでやれば→Cという評価が得られるのが世間一般なのに、俺はAのことを→Bとやるのは抵抗があるので違うやり方をして→かなり遠回りして→Dという見当違いな成果を出してしまい→Eという賛否両論の騒ぎになってしまう、という感じだ。それだと、俺のことを好きでいてくれる人もいるし、嫌いになる人も出てしまう。決められたやり方をできないんだから、人望なんて絶対あるわけない。

 

なぜBというやり方ができないのかって、別にひねくれているわけじゃなくて、できないからできないとしか言いようがない。

やれないんだよ。馬鹿だから。それに気持ちが悪かったりして抵抗があるから。要するに何か精神的な障害があってできないことが多い。

 

これは人間関係でもそう。仕事でもそう。恋愛関係もそう。なんでもそう。どんどんニッチで仕事するようになるよね。

 

これはもう、そんなもんで自分は仕方ないって諦めて受け入れるしかないよ。メインストリームに入れるほど脳味噌まともじゃないから、自分はニッチで生きるんだって決めること。非正規な人生なわけだよね。

非正規かもしれないけど、その人生は決して悪くはない。誰かの価値観で生きることもなく、自分の価値観で、自分の人生を自分のやり方で生きるんだから、結構いいだろ。人望がどうとか言われない代わりに、あなたに失望したとか勝手に評価を下げられることもない。自分の人生を自分でコントロールするのはいい人生だよ。

 

変に努力しちゃって、人望を追い求めていると、簡単に病むと思うよ。プレゼントたくさんもらえる人気者になろうとしたら、絶対に無理なことを每日しなきゃいけなくなる。それは自分じゃないだろ。

 

自分は自分らしく、堂々と生きればいいと思うよ。

 

 

あらためてアキラブログをよろしくお願いします。

久しぶりにブログを書きます。

約一ヶ月も書かなかったのは、2007年にブログを始めてから初めてかもしれない。体調面でちょっといろいろトラブルがあって、おやすみさせてもらいました。

2015年に体調が悪かったときもこんなに休まなかったし、大変申し訳無いです。この一ヶ月、短文で済むから楽なTwitterばかりやっていたけど、やっぱり表現の手段としては俺はブログなんだろうなと思う。

最近いろいろ思うところがあって、ちょっと生き方を変えようと挑戦している。

Twitterでも書いたけど、多少カミングアウトするべき時が来てると思う。俺はそもそも発達に障害がある。知的な部分も一部障害があって。診断名を言うと変な仲間意識を持たれたり過剰な期待をされても困るので控えます。偏見と悪意と無知にあふれているおっさんおばさんが世の中に多い以上、診断名を言うと批判を浴びることになるのでね。

昔から共感覚者であると言えば、なんとなく想像もついたと思う。ガキの頃のイジメも親からの虐待も風俗業だったということもホームレスになったことがあるのも、全部その影響だろう。ブログを読んでいて見抜いていた人もいるけど、その意見は無視させてもらっていた。一応隠していたので。ごめんね。

障害を持って生きるというのは、時折絶望的な気持ちになる。障害そのものは別に慣れて受け入れてしまえばどうってことなくて、本当にがっかりするのは、周囲の悪意。俺のようなタイプの発達障害は、見た目にはさほど違和感はないと思う。でも世間のおっさんたちは、障害者は寝込んでいるものとか、介助が必要とか、口がきけないとか、食べ物を口からこぼすとか、そう思っている。むしろそうであって欲しいんだろう。だから俺が障害があるなんて言うと、必ず言われるのは「ウソ」という言葉。障害があったら仕事なんかできないじゃん、とか、障害があったら文章なんて書けないじゃん、とか、障害があったら起きられないじゃん、とか、障害があったらセックスなんてするわけないじゃん、とか、その程度の認識なんだよね。

口がきけない人もいれば、俺のように脳のバグが深刻なタイプもいるし、障害なんて今は細分化が進んでいることなんて考えたこともないだろう。細分化が進んだ結果、無知な人はこう言う。

「それを言ったら、みんな障害を持っている」とか「そんなことを言ったら、みんな障害者になる」ってね(笑)無知もいい加減にしてほしいんだけどね。障害と「性格」は違うわけで。

結果、発達障害のある人は、自分のことは何も言わなくなる。細分化されて診断されるのは自分を受け入れる手段に過ぎず、世間一般的には「非常識な馬鹿」というポジションでいいやって話になるわけね。俺もそのポジションを受け入れて、馬鹿扱いでいいやと諦めて社会生活を送ってきた。

でも、この日本では昔よりももっと生きるのが大変な子供たちが多いのを知って、もっと俺も正直に言うべきだろうなと思った。「生きづらい」という言葉は本当に嫌いなので使いたくはないけど、「日常生活が過酷」な子たちが多い以上、そこの助けになろうと思ってる。

昔から、アキラブログは、苛め抜かれて自宅の部屋で1人で音楽を聞いているような子のためのものというのは変わらない。仕事の話とか、小難しい話とか、エロい話もたまに出てくるかもしれないけど、基本的には生きるのが過酷な人たちのものだというのはブレないよ。

アキラブログというのは、底辺から上を見上げる目線で発信する言葉たちだから。

アキラのメッセージは単純なこと。

 

自分以外の何者にもなる必要はない。馬鹿でもブスでも貧乏でもいじめられっ子でも発達障害でも、努力はいらねえ。秘訣と裏技はあるから、やり方次第で人生おいしい思いもたくさんできるぜ!

ってこと。

美しいことを言って俺やあなたたちを苦しめる大人が多いだろ。

根気が大切とか

自己投資しましょうとか

努力は美しいとか

成功するまでやれば成功するとか

秘訣はないとか

めあてを持ってがんばろうとか

俺は貧乏だったが努力で成り上がったとか

貧乏は自己責任とか

全部ウソだから。

 

俺が、大人たちが子供たちに知ってほしくないことを平気で言うから。子供たちが知ってしまったら自分の威厳がなくなってしまうと焦っている大人に、嫌われることを俺が言うから。

 

これからもアキラブログをよろしくお願いします。

 

それは卑屈なのではなく、幸せに生きていくためのスキル

 

しばらくまえにツイートしたこれ。

 

ふと思い出したんだが、かつて俺と仕事をしていた女性がこれだった。風俗嬢ではなく事務スタッフさんだったんだけどね。

彼女は31歳で、夫との人間関係がとても悪化していた。夫は妻の顔を見る度に苛立ち、家では話しかけても無視をしたり、突然キレたりね。

そして職場に来るといつも夫の愚痴を言っていた。思いやりがないとか、モラハラだとか、精神病じゃないかとか。そして決まって言う。わたしはダメ人間なんで、とか。わたしが美人じゃないから、とか。わたしが気が利かないから、とか。

 

正直、それを聞く度に、こういう女性って多いんだろうなあと痛感した。これは俺でもキレるだろうなって。ここまですっとぼけていたら、人生はハードだろうなあって。

 

夫婦関係や恋人関係でうじうじする人間に多いのは、結果から言うと「自分に矢印が向きっぱなし」だからだよね。

なぜ、この女性は夫が「なぜキレるのか」ということについて考えたりできないんだろうと思っていた。たったそれだけの思考作業なのに、なぜできないんだろうかって。

 

職場でたった数時間、每日過ごすだけで夫がキレる原因は簡単に分かったよ。彼女が夫と喧嘩になる時の夫のセリフも参照すれば、きっとこれだなって分かった。

 

彼女が結婚したのは21歳の時だったらしい。夫も同じ年の21歳。出来婚ではないからきっと恋愛が盛り上がって、一緒にいたい!っていう純粋な思いから結婚したんだと思う。すごく素敵なことだ。お互いの気持に惹かれ合うものがあったんだから。

 

でも、一つだけ、性格というか習慣の違いがはっきりあったと思う。それは、夫は生真面目で思慮深いタイプだということ。彼女は明るく社交的でいつも笑っているタイプ。夫は常に自分の身の回りを清潔にしていた。必要以上に物を置くのを嫌い、一年以上着ない服や見ない書類はすぐに捨てるのを好んだ。開いたら閉じる、出したらしまうの生活習慣がきっちり身についている男だった。

 

一方で、彼女の方は、極度に片付けが苦手だった。使ったものは出しっぱなし、言われないと自宅の掃除も一年以上しなくても平気。棚や家具の上にほこりが積もり、それが湿気を含んでぐちょぐちょになっても見えていない。夫が結婚したときに持ってきた真っ白いオーディオは、一年も経つと中華料理屋のメニュー表のように茶色にベタベタになってしまった。夫と家具屋で選んだダイニングテーブルは、ふきんで拭くこともしないので食べかすがこびりついている。ふきん自体も雑巾のようにどろどろに汚れているのでたとえ拭いたとしてもテーブルの表面に汚れた油で膜ができていく。寝室は脱ぎ散らかした服が散乱し、洗濯をしてもどういうわけか汚れが取れていない。

 

彼女の方は不潔と言うよりも、脳機能の障害レベルで片付けができないのだと思う。一緒に仕事をしていても、机の周りは散乱し書類が全く整理できていない。あるスタッフの過去三ヶ月の出勤状況と売上額の資料を見せてって言うと、それにとりかかったまま半日は用意できない。かと思うとどうでもいい弁当屋のメニューをファイルに閉じていたり。若かった俺も怒鳴りそうになったが、必死に我慢したもんだった。

彼女の車の中はまるでゴミ収集車。一度乗せてもらったんだが、どうしてこうもあらゆるところがベタベタしたり、シートに油のような大きな染みができるんだろうと不思議でならなかった。

 

彼女が言う愚痴の中にいつも出てくるフレーズがある。

「掃除しろよ!って夫がすぐに怒鳴るの。掃除してるのに。」

「夫がわたしに勝手に大掃除して、わたしのプライドはずたずたにされた」

「夫が勝手に掃除して、嫌味だった」

夫は妻任せではなく、掃除しようと頑張っている。それでも妻はすぐに不潔な状態に戻してしまう。

 

ポイントはきっとそこなんだろうと俺でも思う。夫は、家の中が綺麗になっていたら文句は何もないはずなんだ。

人が機嫌が良くなるポイントって複数は絶対にない。必ず一つなんだよ。複数あるように見えるのは、「代替ポイント」でしかない。

この夫でいえば、掃除がいまいちでも、料理が美味いとか。

掃除がいまいちでも、妻が美人すぎるとか。

掃除がいまいちでも、とても優しくて気が利くとか。

掃除がいまいちでも、お金をたくさん稼いでくる奥さんだとか。

これはポイントが複数あるわけじゃなくて、「整理整頓や掃除」っていうポイントの代替えになりうるものが複数あるだけに過ぎないわけ。

 

彼女の夫は、家の中があまりにも汚れていることに次第に恐怖心すら覚えるようになったと思う。そして妻のことを考える度に、汚れた部屋と結びつくようになり、苛立ち、そして恐怖を感じる。自分の棲家が信じられないほど汚れていて不潔で悪臭がするという現実に向き合う自分の感情が怖い、その状況を作っている妻が怖い。

そして、掃除をしてほしいと何度行っても生返事で、ろくにやろうともしない。強く言うと、プライドばかり高いのでむしろやらなくなる。そして相変わらず台所は生ゴミの臭いで充満している。

 

こうなると夫としては離婚するしかないのだが、多くの男は離婚という安易な方法は選ばない。なんとか夫婦関係を続けようとする。未熟な妻はその気持にすら気づかない。

そして「自分はクズだから」とか「自分は馬鹿だから」とか、そういうセリフで逃げようとする。そう、自己憐憫という逃げ道に。

 

違う、部屋を真剣に片付けろ。休みを一週間やるから、7日間一日5時間でいいから片付けろ。ゴミ袋50枚分くらいゴミが出るだろうから、それを処理場に持ち込んで捨ててこい。雑巾なら買ってやる。バケツも事務所のやつを持っていけ。ほうきがないならそれも買ってやる。とにかく真剣に、死ぬ気で、覚悟決めて掃除しろ。それとも俺が30万円出すから家の中まるごと掃除してゴミ捨ててくれる業者呼んでこい。30万円で足りないならもっと出してやる。とにかく、掃除しないなら人生終わると思えよ。掃除してからウジ虫みてえな愚痴言えよ。

 

夫の言うことが聞けないなら、俺が怒鳴るまでの話であって。

結局、俺が違うスタッフ2人にお願いしてバイト代を払ってやり、家の中の掃除をさせた。ゴミは2トンのアルミトラック一台分あった。2トントラックも俺がレンタカーから借りてきて用意したんだ。

結果、とても綺麗になった。

きれいになりましたで済ませたら元に戻るので、俺は彼女に行った。

 

旦那の怒りの根源は、この汚い部屋なんだよ。部屋が汚いから、何をやっても、おまえが息をしているだけでムカつくんだよ。その怒りは必ず子供にも向く。子供も不潔な部屋で平気で過ごすようになるから。そして家庭が壊れていく。

性格とかなんとかそんな問題じゃない。掃除をしないというその一点だけで、家庭なんか壊れるし、家族全員の人生が壊れてしまうってこと、腹に落とせよ。

 

でも、馬鹿なのでやっぱり分からなかっただろう。

それでも、その直後は旦那の機嫌はすこぶる良くて、あんなに行きたがらなかった外食にも家族を連れて大盤振る舞いし、妻にお洒落なコートまで買ってあげたくらいだ。

 

ほらな、だろ?

俺はそう言ったんだ。

相手の機嫌のポイントを探るっていうのは、子供の頃から鍛えていないと絶対に身につかない。苦労するのは自分だろ。自分が苦手であっても、大切なパートナーがそれで不機嫌になるのであれば変えていかなきゃならない。ポイントを押さえるだけでご機嫌になるんだったら、自分も相手も幸せだって俺なんかは思うんだが、それをパワハラとか卑屈って思う人もいるわけだよ。

だから、お前ら生きづらいし、しんどそうに不幸そうに生きてるんでしょって思う。

 

その彼女は今は50歳。

今でも部屋はゴミ屋敷のまま(笑)相変わらず夫に怒られていて、每日どこかで愚痴を言い、自分は不幸だとのたまう。

そしてありのままの自分を受け入れてくれるのがいい夫だと、50歳になっても思い込んでいる。

 

その人生じゃしんどい。

相手のご機嫌ポイントを探ることを、負けとか卑屈とか思うのであれば、もうどうにもならない。10歳の頃から絶対に鍛えていかなきゃならない能力だと本当に思う。

そうじゃなきゃ、人生もっと卑屈なまま老いていくだけだから。