言葉の意味をすり替えて洗脳してくる空気に危機感しかない

 

いつの頃からか、食事の時の「いただきます」って挨拶の意味が、「動物や植物の命を頂くので感謝する」という意味にすり替わっていることに、恐怖を覚えてる。

いや、言ってることの意味も美しさも分かるよ。俺も仕事で豚の屠殺所に行ったことがある。動物としての豚が、殺され、食べ物としての豚になっていく全行程をじっくり見た。悲鳴を上げて逃げ惑う豚を作業員が押さえつけ、頸動脈を切り裂き、激しく痙攣を起こす豚をスロープの下へ蹴って転がす。すると下にいる作業員が豚にフックをかけて吊るし、ゆっくりと豚が作業ラインを流れていく。ラインで待ち構えている女性たちが手際よく豚を解体していき、頭部や足は別室に続くラインに流れていき、そこですぐに箱詰めされ発送されていったり、様々な色をした内臓は普通の家庭用洗濯機でゴロゴロ音を立てて洗われていたり。豚の本体は、最後に湯気の立つお湯につけられて清浄され、別室に入っていくと、そこはもうおなじみの肉屋の光景。大人数の作業員が効率的に手際よく加工して商品にしていく。

豚肉を食べるというのは、一つの命を殺すということには違いない。そこに感謝をするのも分かるし、逆に肉を食べるのは嫌だと思う人もいるだろう。

 

でも、だからといって、食事の前の挨拶「いただきます」が、「命をいただきます」という意味になるわけじゃ絶対にない。

かなり多くの人がそこに違和感もなく受け入れているようだし、俺もそれは素敵な言葉だなとも思うよ。最近は子供も学校でそう習うらしいしね。

 

なぜそうなった?

いつからそうなった?

 

大げさだと思われるかもしれないが、危険な空気しか感じない。なんとなく気づかないうちに耳障りのいいニュアンスにすり替えられ、思想まで根こそぎ置き換えられそうな場の空気しか感じないんだよね。

そもそも、んなもん、胡散臭い宗教の坊主か、作務衣を着た胡散臭えジジイがナルシスティックに習字で書いたような「芸」がスタートだと思ってる。「いただきますは、命をいただきますなんだなぁ」みたいなね。

またはこうかもしれない。「給食費を払っているんだから子供にいただきますを言わせるな」と言った親への対抗として、いただきますは命をいただきますなんだよ、だから言わなきゃならないという苦しげな説明から来てるのかもしれない。

その響きのロマンチックさとか、ヒューマニックな気づきみたいなものもあって、ここ10年位で一気に広まったのかもしれないよね。

 

俺は、ブタさんを殺して美味しい生姜焼きを食べていることに感謝はしているけど、いただきますが豚さんに対しての呼びかけだとは一切思ってない。俺は学歴もないし馬鹿だけど、それでも言葉の意味をすり替えることの危険をよーく知ってる。夜の裏の社会にいたから、言葉の意味をすり替えて洗脳しようとしてくる悪人をよく見てきたからだ。人の金をだまし取ろうとする詐欺師、子ネズミに商品を買い込ませることで成り立つネットワークビジネス、風俗嬢に不当な契約を結ばせようとするクズ、そいつらはみんな「言葉」の威力をよく知っている。言葉の意味のすり替えで、あまり知的に優れていなやつらを相手にパラダイムシフトを起こさせて、好きに操ろうとする。

仕事を志事と書いたりね。

いつも使っていて深い意味を考えなくなった言葉に、実はこんな意味なんですと勝手にニュアンスを付け加えると、人は簡単に感動する。心が動いてしまうと、簡単に考え方の枠組みが入れ替わってしまう。

ちなみに「仕事」の語源は、「す(為)」の連用形「し」と、「事」をあわせた言葉で、単純に「すること」という意味だよ。そこから「職業」を意味するようになって、江戸時代に「為る(する)」=「仕る(する)」という漢字に変わっていき、「仕事」になったらしい。

志をもって事を進めること、なんてニュアンスはどこにもないわけ。

 

いただきますっていうのは、上位者から物をもらったときに、頭上(頂)に掲げて感謝を示す礼儀の動作から来ている。または神仏の供え物をもらうときにも頭上に掲げたんだろう。基本的に目上の者からもらうことへの礼儀から来た言葉。

それが慣用的に使われただけだよ。

意味もなくいただきますと言っている方がまだ健全だし、いや意味を持って言いたいというのであれば、「この食べ物を手に入れられるように仕事を頑張ってくれたお父さんお母さん、ありがたく頂きます」と感謝するのが真っ先だと思うんだよね。

 

誤解がないように言うけど、そりゃ切り刻まれたブタさんとか、引っこ抜かれた草とかに感謝するのも悪いことじゃないが、お父さんお母さんがいなかったらその食べ物食えないわけで。不本意ながら事情があり生活保護を受けているなら、租税の仕組みと、相互扶助の制度に感謝するべきであって。

そういう意味では、給食費払っているからいただきますを言わせるなって言うのもほんの少し理もあると思う。もちろん、礼儀として許されないけどね。意味はなくてもいただきますって言葉にする必要はあるわけよね。

その意味は、両親の労働に対する感謝だって親が教えればいいわけでもあって。

 

それがなぜブタさんに感謝が組み込まれてきたんだ?

ほんと胡散臭い。そこに美しさを感じてしまった自分が恥ずかしい。それは個人的に思うことであって、突然、言葉の意味にまで昇格してきたことが怖い。

 

①そもそもの慣用句であって意味はない

②両親の労働への感謝の気持ち

 

せいぜいどちらかだろう。

 

人に感謝ができないくせに、ブタの命やペットの命にヒューマニズム発揮するのはメンヘラだけだぜ?

まずは隣や家の中にいる人に心を寄せる人間になるのが先だよ。

年の離れたカップルにおっさん達が言うこと

ぼくは二十歳だった。それがひとの一生でいちばん美しい年齢だなどとだれにも言わせまい。」~ポール・ニザン『アデン、アラビア』

 

20歳というのは不思議な年齢で、俺の20歳は今よりもずっと老成しているようで、実はほんの子供だったと思う。俺の時間を買っていく寂しい熟女たちと、身体を売って生きている若い女たちの狭間で、每日毎時間、傷つきやすい感情をすり減らすように生きていた。熟女から買ってもらったカシミアのコートを着て、かじかんだ両手をポケットに突っ込んで星のない空を眺めながら新宿の路地裏を歩いていた。遠くに明るく見える大通りには大勢の人とたくさんの車がひっきりなしに行き交っていた。20歳。俺に元に居着いてくれない恋愛と、シャワーの浴びすぎで乾燥した肌を引きずるようにして歩いていた。

 

昨日は成人式だったけれど、20歳たちを見て、あまりにもの幼さに驚いた。きっと俺もあんな顔だったんだろうか。あんな子供みたいな顔をした男の中に、あんな疲れた老人のような感情があったなんてきっと誰も想像できない。

俺は自分の成人式なんて行かずにセックスをしていた。今の時代でもあんな風に生きている20歳が何処かにいて、高層ホテルの冷たい窓から下を何も言わずに眺めているかもしれないね。

 

あの頃。ある日の夜更け。派手な仕事着を脱ぎ捨ててモッズコートに着替え、ヘーゼルナッツの香りのコーヒーをポットに詰めて、同じ年の女のプジョー205に乗り込んで埠頭まで走らせたことがある。女が何を言っても、ああ、うん、しか言わない俺だったけれど、埠頭から東京の夜景を眺めてコーヒーを飲んでいるときは心が落ち着いていた。色々言いたいことも愚痴もあったけど、耳を澄ませるように20歳という年を生きている2人がいるなんて、きっと世の中のおじさん達は理解できないだろうと思っていた。20歳の彼女は、47歳の男の愛人になっていた。それが何を意味し、彼女にとってどんな感情がそこにあるのか、俺は気づかないふりをしていた。

 

ときが過ぎ、32歳の俺。

20歳の女と付き合っていた。恋人という意味ではない。今風に言うならセフレみたいなものだっただろう。俺の人生はどん底だった頃、セックスに逃げ込んでいた。彼女は信じられないほどセックスがいい女だった。

そして、38歳の社長の愛人をしていた。毎月50万円とマンションをあてがわれ、每日猫と遊んで暮らしていた。2週間に一回くらいのペースで、俺はそのマンションに行ってセックスしていた。何から何まで高級な調度品ばかりで、ほとんどものがないシンプルな部屋だった。

昔から、愛人家業の女はこうやってあてがわれたマンションにセフレを連れ込むことが多い理由は知っていた。俺は気づかないふりをし、無邪気なおっさんを気取って、愛人の酒を飲み干してしまうなんてことはいつものこと。

 

女が俺に言った。

「38歳の彼氏がいるなんて言うと、おっさんたちは言うんだよね。みんな。」

「ああ、想像つく」

「カネ目当てだろって。」

「金目当て、ね。」

年が大きく離れた彼氏がいて、お金の援助とか必要なものを買ってもらえたりして、甘やかしてもらえて、それはそれで事実としてあって。俺みたいなセフレを引っ張り込んでる事実もあってね。それをおっさんたちは必ず言うわけだ。金目当てだろって。

女は言う。

「じゃあ、お前は宝くじが3億円当たったら、女自由にできんのかよって。」

できないよ。銀行口座の残高を見せて、ほら俺の女ならないかって言っても女一人見つからない。

カネ目当ての女なんて、プロの世界にはいないんだ。それはアマチュアのメンヘラの馬鹿ならいるかもしれない。でも、そんな「カネ目当て」みたいに見える年の差の2人の感情は、モテないおっさんたちにはきっと理解できない。

 

女はプラスチックの歯磨き用のコップみたいなものにブランデーを注いで、飲んだ。そして言う。

「わたしは、あの人がどんな思いでどんなことをしてお金を稼いでいるか知ってる」

 

ああ、そうだね、と俺は思った。そうなんだよな、と。

金っていうのは物語なんだよ。そこには必ずヒストリーがあって、物語があるわけな。悔しいこと、嬉しいこと、屈辱、喜び、感謝、安堵、失望、怒り、そういう自分の感情がべったりこびりついて、いま手元に届いているんだよ。

年の差があればあるほど、まともな女であれば男がどんな物語を持ってお金を稼ごうとしているのか、いつも想像している。理解しようとしている。男が自分にいつも話をしてくれるのでよく知っている。

まともな感受性を持った女であればあるほど、そこにやってきた物語に耳を傾けようとする。

 

「好きでなければ、愛人なんてできない」

そう言った。本当は愛人なんかではないってことを、自分では言わないわけだけど。だから、俺みたいな男を引っ張り込むしかないのだけれど。

 

今も俺は、20歳以上離れた女たちといつもいる。仕事でも、プライベートでもね。それを見たり聞いたりすると、俺と同世代のおっさんやおばさんは言う。みんなカネ目当てなんでしょ?ってね。

でもね、カネ目当ての女に、俺は自分の実印や印鑑証明を預けたりはしない。確かに馬鹿もいる。馬鹿は2秒で分かるので即、縁を切ってる。俺を誰だと思ってんだ。女の腹の中なんて全部見えてるよ。

俺は彼女たちに1円たりとも金を払わせないようにしてる。とにかく甘やかす。時に雷を落とす。彼女たちはそれでも付いて来る。馬鹿とか消えろとか言っても、それでも付いて来る。カネ目当て?俺なら、馬鹿とか言われて金もらいたくねえよ。

 

金だけではなく、すべてに物語を感じさせるのが大人の男の仕事だよ。若い女はそこにしかついてこない。

カネ目当てだろ、と言ってるオヤジが何を欲しがってるのか俺は知ってるよ。自分がモテないのは金がないからであって、自分自身は無価値じゃないと思いたいんだよ。でもね、残念ながら、金がなくてもモテる男はモテるんだよ。金がないという物語に感情を重ねることができる男はいる。

カネ目当てなんて言ってると、どんどん惨めになるだけだ。金があったって、まともな女は自由にならないから。せめて風俗店で高待遇受けるだけだな。

 

「好きじゃなきゃ、あの人といない」

年の離れた彼氏を持つ女たちがみんなそう言う。

当たり前のことを、おっさんたちはきっと忘れてしまうのかもしれないね。

 

歳が離れたカップルほど、感情はごまかしようがなく、もっともっとリアルになっていく。そこから逃げていく男女はいるけれど、そのリアルを受け入れたとき、おっさんには理解できない感情のなかで本当の幸せを感じることになるんだと思う。

 

編集作業中

弟子のむんたろうがアキラブログの編集作業を進めてくれてる。

これはラブレスキューの『蝉』の一節。

紙に落としてから、内容について果てしのない議論。アキラブログを始めた時はまだ小学生だったむんたろうと議論をするこの不思議さ。

もっといいものを読者さんに提供できるように、試行錯誤してます。


f:id:playboyakira:20180101222908j:plain

自尊心低め・偏差値高め・女子校出身者の恋愛ハードモード

今日はこのツイートから考えたことを書いてみたいと思います。

異論もあるかもしれないがこれは別に世代的な特徴ではなく、男女がデートしたらすべての費用を男が出すのが一般的な常識だと思う。俺が18歳の時も男が出すのが当たり前だったし、今の18歳の女性(経験多め)に訊いてもやはり男がすべて出すことをある程度常識的な感覚として持っている。デートしてホテル代を割り勘しようとする男がいたら、出すことは出すが、二度とないなと思うのが当たり前だと思うよ。 

ということを書くと、女性のあまり縁のない男は、世代を問わず反発する。

若い男はこう言う。「そんなの古臭い考えで草」

おっさんはこう言う。「それは一種の男尊女卑。女性も同じ負担をするのが平等だ」

俺は別にそれに反論はしないが、本当はそう思ってないでしょって。お金出せないこととか、女性そのものが怖いっていう感情があって、男が全額負担するなんて時代遅れだと、時代や社会現象のせいにして正当化したいだけでしょ。引きこもりの底辺野郎やアニメでシコってるオタク高校生以外のまともな男性はみんな、そうは言っても男が全部奢れたらカッコイイよな~とは思ってるんじゃないかな。

 

先日、こんな男子大学生の話を聞いた。

「男が奢れたらかっこいいっすけど、お金もないので割り勘もあります。それに、最近の女子は奢るっていうと拒否するんすよ。なんか気持ち悪いとか言って。ご飯食べてもなんか美味しくないからとか。だからあえての割り勘ってのもあるんすよ」

なるほど。的確に言葉にできる大学生でなかなかの知性を感じさせる。

でも、それも昔からあるんだよな。絶対に奢られるのが嫌な女。絶対に割り勘にしないとダメ。勝手に会計を済ますと怒り出すとかね。

今の世代でそういう女性が増えているとは思えない。ある事情で大学生やってる女性には多いかもしれないが、全体的には圧倒的多数というわけじゃないと思う。その男子大学生の周りにだけ、「ある事情」で多くいるような気がするってだけなんだよ。

 

そのある事情って何かっていうとね。今も昔も変わらないんだ。

それは、「自尊心の低さ」なんだよな。

 

自尊心というと「プライド」とも言いかえることはできるけど、プライドって言葉はいろいろニュアンスが難しいので「自尊心」と言う。

 

自尊心って怖いもので、自分の自尊心が低いと、自尊心が高い相手を怒らせたり信用をなくしたりする。

なぜなら、自尊心って、自分と相手の心を両方共機嫌よくさせようっていう主体性のこととも言えるから。自尊心の高い美女が俺の周りに山ほどいる。本当に、本当に、自尊心が天より高いんだよな。

するとどうなるかというと、例えば俺がすべての金を出したとすると、わーいと言いながらニコニコしている。ありがとうと言って店を出ると腕を組んでニヤニヤしている。美味しかったねって言って何度も思い出のように言う。

誤解しがちなんだけど、それは奢ってもらったからリップサービスしているのではない。ごちそうしてもらったということを楽しく盛り上げようっていう主体性があるということなんだよ。

「美味しかったね!また連れてきて!w」とおかわりを要求する(笑)

そんな時、俺の横でニコニコして楽しそうにしている女性を見ると、本当にこいつは自尊心が高いんだなって痛感するんだよね。自尊心が同じように天より高いこのアキラと本当に呼応するようにこの瞬間を楽しくできる女に、尊敬しかない。

自立した女とはこれかと思う。

自尊心が高いから男女平等で借りを作らないように割り勘にするとか、それが自立した女性だとか言う人もいるだろうが、それは俺にとっては「自尊心が低い」としか思えないわけ。

ありがとう!めっちゃうれしいよ!って、それだけ言うのに5秒もかからないしなにせタダで言える。

そもそも、それだけのことに借りを作るとか、弱みを見せるとか、サムライみたいなことを考える根暗さってどうなのよ。

「いいですいいです、私半分出します」とか言ってる女に自尊心の欠片も感じることができない。それがいい女だと思えるような男は、やはり同じように自尊心が低い男だろう。自尊心が低い者同士は上手くやれるかもしれない。だが人生はかなりしょっぱいものになるだろうけどな。

自尊心高い人は、男女ともに相手にしてくれないよ。

 

誤解を招かないように言うと、それは男が奢られる時も同じだ。俺が18歳からあの夜の世界にいた頃、いかに女性から金を引っ張れるかっていう仕事をしていた。だから、金を出すのは客の女性だ。今で言うと出張ホストなんていう安っぽい呼び名になるんだろうけど、当時はそんな言葉はなかったしそういうイメージの仕事じゃなかった気がする。

仮にホストとそれを呼ぶ。ホストっていう仕事は、自尊心が低いやつはさっさと退場するしかない。自尊心が低いやつは、客の女性をATMにしか見れなかったり、逆に金を出してもらうことに罪悪感を持ったりする。でも自尊心が高い男は、本当に感謝をし、本当に喜んでもらい、女が金を出すということを楽しい体験に昇華させることができる。自尊心が低いやつは、自分という商品の価値を高めようとする。そうすれば売れるだろうと勘違いして不必要に苦労を重ねる。

でも自尊心が高いやつは、自分という商品には価値がなく、女性との関係性にプラチナのような価値を生み出そうとする。

技術や訓練ではどうにもならない、自尊心という心のポジションの話だ。

 

もちろん、キモいお前に奢られたくねえわっていう個人的な事情もあったりするので、全部同じということは言えないけどね。

 

自尊心が低い女は、自尊心が低い男よりも人生が辛くなりやすい。自尊心が低くても、男はなんとかなる。

「支払いは男がするもの」っていう役割のロールモデルがあるから、それに沿っていれば自尊心が低くてもそれなりの人生になる。

でも、女性にはそのロールモデルはない。

「男に奢られてばかりの女にはなりたくない」とか「弱みを見せたくない」とか、そういう間違えた「自立した女性観」に縛られ、奢られるという豊かな人間関係へのチャンスを見逃してしまう。

自尊心が低いから、自尊心が低い男といると安心してしまう。ロールモデルをこなすことすらしない、自尊心が低い女に甘えきる男をわざわざ選んでしまう。結果、恋愛はハードモードになっていくよね。DVに借金に依存に。

残念ながら、それは高学歴の女性にものすごく多い気がする。10代のある時期に恋愛を経験しなかったからなのかもね。女子校出身と共学出身では、共学出身の女の自尊心のレベルの高さってはっきりしてるよね。20代以降の恋愛がちんちくりんになるのはいつも偏差値高めの女子高出身の女だよな。ヤリマンになったり、どんより暗くなったり。

 

これは奢るとか奢られるっていう話ではなくて、自尊心のポジションの話なんだよ。

 

いつの時代も、この人間関係を楽しくさせようって意識してる女は男は、人生上手くいってんだよ。恋愛も仕事も。

 

All I Ask of You

ちょっとポエム系ブロガーみたいなことを言うけど。

俺は、一緒に旅行をすると一人の女性の本質が丸見えになると思ってる。これはもしかしたら、女性のほうが男性に対してよりそう思うかもしれない。

 

例えば、一緒に新幹線に乗った時、駅弁を買って食べたとする。窓の外は見慣れない雪景色で、テーブルの上には小さな弁当の包と温かいペットボトルのお茶が載っている。

「さ、食べようか」そう言って包を開けて、一口食べてみる。それが美味しいものか平凡なものかはどうでもよくて。

その瞬間だけ切り取ってみても、魅力的な人は圧倒的に魅力的に映る。男はこんなことをポツリポツリと言う。

「ガキの頃、母親は駅弁を作る工場で働いていた。女手ひとつで俺を育ててくれたんだけど、母親は每日仕事仕事でね。工場で失敗した弁当をいつも持ち帰ってくるのが俺は楽しみだったんだよね。それはいつも同じ弁当だった。鶏肉のそぼろを甘く煮付けたものがご飯の上に敷き詰められているもの。母親はいつも夜7時じゃなきゃ帰ってこなかったから、俺は冷蔵庫に入っているその弁当をおやつ代わりに食べていたんだ。」

それを聞いた女は言う。

「寂しい子供時代だったんだね」弁当を食べながら言う。

「そぼろ弁当を食べると、寂しい記憶もあるようで、でもそのうち母親が原付バイクに乗って帰ってくる音がする記憶も、両方あるよ。」

2人で食べているのは、鶏肉のそぼろが入った弁当だったりして。

「おいしいね」と女は笑顔で言う。

 

魅力的な人間には、いつも必ず物語がある。人に物語を伝える言葉を持っている。

それは旅行という非日常で特に際立つんだよ。

物語を持つ人のその話は、過去の物語だけではない。その旅行という非日常で、きっと将来どこかで語られ思い出されるはずの、未来の物語の登場人物になってる感覚がある。そうか、自分はいま、この人と私の物語を作っている最中なんだって思わせる。

そういう人間と旅行をすると、たった一時間前の出来事がまるで遠い昔の思い出のように感じるようになる。まるでミルフィーユのように記憶と物語を何層にも重ねているんだよ。思い出すたびに甘い香りがする。

それは、吹雪の函館の市電を待つ駅でも、永田町の大使館の横の細い路地でも、夜の地下鉄の駅に吹きすさぶ風を感じる時でも、その人といるといつも物語の中にいる気がする。いや、その人と駅のホームで別れた後で、ガーゼに血が滲むように思い出すようになる。

 

なぜその人が物語を感じさせるんだろうか。

それはきっと、人生のある一日に思いを巡らす経験の量の差だと思う。

誰かに寄せられた愛情や、誰かに通じなかった思いとか、闇の中で見た光のこととか、光の中でみた闇のこと、砂を噛むようなどうしようもない後悔とか、絶対に癒せない飢餓感とか、飛び跳ねるような喜びや、シャンパンがぽんって音を立ててキラキラ輝く夜のときめきや、それらを全部失った夜8時とか。そんなある一日のことに思いを巡らす経験が多い人なんだよ。

そういう人はみんな共通してる。絶対に、韓国メロドラマの安っぽい主人公のようにカッコつけている人じゃない。街灯にもたれかかってため息をついて星空を見上げるようなことはしない。

男でも、女でも、共通して無邪気な人。男はむやみに少年ぽく、女は無自覚なほど明るい。ホールケーキにロウソクを立てて灯したとき、わあ!って声をあげるような人たち。良くも悪くも感受性が強くて、カッコつけてる暇がないほどいつの瞬間も何かを感じている。その感情の多くは、喜びについて。

ありがとう!たのしい!嬉しい!思い出になったよ!繰り返し思い出すね!そんなことばかり言う。

ほんとは人生がそんなに楽なものじゃなかったはずなのに。

 

俺は、そんな人と一緒にいて自分も楽しいと思えたら、絶対に手放すべきじゃないと思ってる。物語の世界から1人で勝手に降りないことだと思ってるよ。

 

こんなブログがある。2016年のブログ。

物語のあるひとを失った経験があります|suburbiaあおいの日替定食 | あおいのブログ

 

降りてしまったら、もうその船には乗れない。まるでオペラ座の怪人のラストシーンのように、青く照らされた洞窟の池をゆっくりとボートが去っていくんだ。

彼女と彼氏が歌を歌いながらね。

 

”助け出そう すべてを尽くして

君をその孤独から”

 

そんな歌を歌いながら、ゆっくりとボートが向こうに消えていく。

 

物語を感じることが出来たら、その恋は絶対に手放してはいけない。それは時に、彼らの無邪気さから少し馬鹿っぽく見えることがあるんだ。もっと楽しいものがあるような気がする。そして間違えて手放してしまう。

 

気がついたときにはもう、ボートは消えてしまい。遠くから美しい感受性を持つ男女が歌う声だけがするのを、あなたはただ聞いているだけになってしまう。

 

www.youtube.com

女の生い立ちと、愛人のオヤジと

昔、俺がまだ風俗の世界にいたころ。

嬢の中に客からのクレームが目立つ女がいた。客につけばつくほどクレームが確実に増えていく。もちろん大量にではない。

想像がつくと思うけど、風俗店って本来そんなクレームはないもんだよ。嬢がよほどやる気がないとか、何か盗まれたとか、客の対価に釣り合わないナメたことをしない限りクレームなんか言わない。イメージとしていかついオヤジが事務所にいる感じだろうしね。

それでも、一定割合の客がクレームを言ってくる。怒鳴り散らすクレームではない。言うかどうか悩んだけど我慢できなくてね・・・っていう感じだった。

客のクレームを受けるのは俺だったり、受付の女の子だったり。謝るというより、そうですね、気持ちわかりますって感じに共感を示さないと収まらないタイプのクレームだった。受付の女の子は次第に苛立ち、嬢にきついことを言うようにもなった。

俺は客からのクレームを嬢のせいにすることはしない主義だったんだが、それを貫き続けることで他の真面目な嬢がやる気を削がれてしまう。

最後は辞めてもらうしかなかった。

 

その嬢は、25歳だった。今はどうか分からないが、当時は風俗嬢としては高齢だった。その店があった土地の出身ではなく、自称によると400キロ離れた地方都市で生まれ育ったらしい。

18歳で高校を卒業してから、40歳の経営者をしている成金オヤジの愛人になり、オヤジ名義のマンションに住んでいた。仕事をしようとしたこともあったが、どの職も数日勤めただけで退職したという。每日昼前に目を覚まし、冷蔵庫に大量に買い置きしたアイスをメシ代わりにし、風呂に2時間入って、近所のショッピングセンターの本屋で買ってきた本を読んでいると窓の外は暗くなり、そうすると愛人社長がやってきて一発セックスしてからメシ食いに出る。每日見事にその生活の繰り返し。働いたことがないまま、23歳まで過ごした。その間も愛人社長の他に、セフレが数人。どのセフレも自分が彼氏だと思っていたが、一定の時が過ぎると去っていくの繰り返し。

働いたことがないまま23歳まで過ごした。

ある日、愛人社長の会社が倒産。親から継いだ会社だったがボンボンには経営は無理だった。自己破産をし、当然女が住んでいるマンションも手放すことになってしまった。

女は突然住む場所を無くした。近くに自分でアパートを探そうとした。金ならあった。社長が渡す金を全部使わず貯めていたんだ。でも、無職の若い女に部屋を貸す大家はいない。困った挙句に、自分を彼氏だと思いこんでいる同じ年のセフレに部屋を借りてもらった。もちろん家賃は自分で払うからと。

その部屋も出ていくことになるのはそんな時間がかからなかった。自称彼氏のセフレに、違うセフレを部屋に連れ込んでいるのが見られてしまった。男はアパートの解約をすると告げ、一週間で退去を求めてきた。実際は一週間も待ってもらえず、3日後には家財道具のほとんどを置き去りにしたまま逃げるように出ていくしかなかった。

僅かな貯金と、古いボストンバッグを一個だけ持って、愛人に昔買ってもらったBMWに乗って日本列島を北上した。仙台や盛岡のビジネスホテルに数泊しながら、ふらふらとたどり着いたのが俺が住んでいた街だった。

そう、風俗店をやっていた俺と知り合うことになった。

俺が保証人になってやってアパートを借りさせ、風俗嬢として仕事をするようになったのが24歳のとき。

初日に俺は気付いた。こいつはこの歳になるまで何も成長してないんだなと。大人に囲まれて愛人ごっこにセフレごっこをしてきたせいで、物を知ったようなことを言う癖がついてる。つまり、いけすかねえってこと。

「アキラ、がんばってんじゃん」

女は初日に俺にそう言い、まだ若かった俺に激しく怒鳴られた。まるでおっさんがバックにいていい気になってる雑魚愛人そのものだ。それでも謝るということを知らない。これは男にアパート解約させられたりするわな。

風俗嬢をだらだらやっているが、客からは每日のようにクレームが入る。静かに、そして疲れたようなクレーム。

客たちは皆一様に、自分たちの怒りや疲れを言葉にすることができないようだったよ。言語化が難しいんだろう。

でも気持ちは分かった。

それはこうだ。

「馬鹿にしやがって」「脳味噌ついてんのか」「態度が悪い」この3つ。

 

別に嬢が何か悪いことをしたわけじゃなかった。でもその顔つき、目つき、言葉、態度ににじみ出るものがあるんだ。

客を心底馬鹿にし、客をATMだと思い、客をちんぽだと思っている。もちろん風俗嬢だからそうなんだけど、そのオンナの場合はそれ以上のものが何もなかった。普通は違う。客を金でしかないと思っていても、風俗嬢はサービス業だ。出来る範囲で笑わせたり楽しませたりしようとする。次も指名してもらおうと努力するよね。

でもその問題児には一切ない。ちんぽしゃぶれば金もらえる、それだけ。こいつら馬鹿だな、と思っている。自分だけは安全な場所にいて、見下しながらちんぽしゃぶれば金がもらえる。そんな職業観で客と接しているとどうなるだろう。

ラブホテルのその狭い部屋は重く、嫌味な空気になる。

 

俺は、客のクレームがあったからといって、客と一緒になって嬢を責めることはしない主義だった。でも改善はしなきゃならない。だからそいつが理解できるように伝えるように努力した。

客を馬鹿だと思っていても、これは職業なんだから楽しませろとか。

つんつんして無表情でいるなとか。

どこのオヤジに習ったか分からないが、知ったかぶりをするなとか。

でもね。まともに就職をしたことがない女には無理なんだよ。安全な場所で誰かに守られているのを盾にして他人を見下す癖が治らない。

俺は自宅待機を特別に認めていたのを、明日から待機所にいろと命じた。

 

嬢は通常、待機場所と言われる事務所に詰めているのが普通だった。でも、本当はそこにいるのは嫌なもんなんだ。女の世界だしね。イジメも当然ある。嫌なことを言う女もいる。底辺女ばかりだからな。タバコ臭いし。

自宅待機ができる店もあるんだが、そんな店は絶対に潰れる。なぜかって、こういう馬鹿女の馬鹿さ加減を助長させてしまうからだ。

こいつの場合は本人が希望したこともあって、俺はあまり考えず自宅待機を認めていたんだが、激しく反省してそれを取りやめたんだ。タバコ臭え女の部屋で自分の名前が呼ばれるのをテレビ見て待ってろやと、扱いを雑にしてやった。

当然、これは堪えたようだった。安全地帯にいて他人を見下している女だ。いくら悪ぶっても、身の危険を感じるような場所にいたことがないんだ。

待機所ではあっけなくイジメに発展した。口の利き方と態度が誰かを怒らせ、ビンタされたり髪を掴まれたり。仏頂面して客のところに行くから、客に怒鳴られチェンジされてね。

俺に何か助けてもらいたかったようだが、俺も怒鳴りつけた。「黙って仕事しろよ!」ってね。

言っておくが、別に誰かに悪口を言ったり変な態度を取るわけじゃないんだ。自分に持ってるマインドというか、自分の心のベクトルが、顔つきや言葉や態度ににじみ出てしまって相手を苛立たせるんだよ。

たった一通のメールですら、ちょっと虫の居所が悪い人だったら沸騰させてしまう。

 

身を挺して他人に尽くしたり、自分を開示して相手に理解してもらおうと苦心したり、相手を楽しませようと馬鹿をやったり、笑いたくもないけど大声で笑ったり、そんな必死な努力をするっていうのは、社会経験のなせる技だと思うんだよね。

子供にはできないことだからね。

社会生活で、これができない大人がいる。それが20歳だったらまだいい。それが24歳だったら。27歳だったら。35歳だったら。45歳だったら。どんどん気持ち悪くなる。自分を守ったまま、他人をテクニックで操作できるような気になったり、他人を見下したりする幼いマインドと、実年齢がかけ離れるほど、不気味な印象になっていく。

 

客を怒らせまくる嬢には、俺が解雇を告げた。

そっか。そう言っただけで店からも、自分のアパートからも出ていった。

俺は、なんか複雑な気持ちになったよ。

 

こいつの生い立ちを知っていたからだ。家族に恵まれず児童養護施設と親戚の家を行ったり来たりして育ったんだ。そのどん底の生活からひょいっと逃げ出させたのが、愛人社長のオヤジだったわけ。そのオヤジに心から身を寄せたんだろうと思う。オヤジが救ってくれた。愛人という形ではあったけれど。

でも、女に一番ひどい仕打ちをしたのもこの愛人社長だと思う。

 

その後、女がどこに行ったのかは知らない。

今の俺だったら、もう少し何かできるんだろうかと考えてみたりするけど、やっぱり無理だと思う。

不幸な生い立ちの女をまともに育てるのは、本当に難しいことだ。

 

 

www.youtube.com

本質のありかを間違えて嫌われ者になっている人

最近、脱糞したような顔した屁理屈マンが増えてさ、本質本質うるせえんだよ。

本質本質言ってるわりには人生苦しげで、見ていて辛いんだけどね。

 

今日のテーマは、「本質だと思ってるものは本質じゃなかったりする」というお話。

 

たとえば、こんな2つの言葉を聞いたとする。

一つは、

「大学受験は不合格だった。二浪目確定だ。」

もう一つは

「浪人中、両親の離婚の騒ぎとか、彼氏と別れたりとか色々重なって、勉強に集中できなかったんだよね。父が出ていったから奨学金も借りなきゃならなくなって。それで結局、大学も落ちちゃったんだ。二浪するかどうかも今悩んでる。」

 

言葉をシンプルにすると本質が見えるというのはあるよね。どちらも同じ、大学落ちましたって話だよ。下手したら後者は言い訳だと批判されかねない。平たく言うと落ちたんだろうって。確かにその通りで、事実としては落ちたっていうだけのこと。

 

でもどうだろうね?「大学受験して不合格だった」は、本質なのかな。

俺は、本質は後者にあると思うんだよね。

大学が不合格だったというの現象の話であって。少なくとも人生では、現象や結果よりも、なぜそうなったか、そこに至る感情の物語に本質ってあると思うよ。

 

これが科学だったら、物事をシンプルに捉えたほうが研究は一気に進むよね。物語や感情なんて余計な枝葉であって。

でも人の人生って、そうじゃなかったりする。科学的であろうとすると、感受性が欠けたポンコツにしかならない。

 

例えばこんなこともある。

もしあなたが、自分の職場で「正論」と「正義」を持って声を大きく主張したとするよ。いわゆる本質論で。

「○○は、こうあるべき」

「俺は間違ってない!間違ってるのはおまえ!おまえは馬鹿!」

「これはこの前の会議で決まったことではないですか?なぜ変えるんですか社長」

「残業は良くない!この会社はブラック!」

まあ、たしかにロジカルで優秀な頭脳かもしれないよね。正義も筋も通ってるかもしれない。

でもその結果どうだろう。

きっと、あなたは職場では盛大に嫌われる。正義と本質を追求すると疎まれるだけなんじゃないの。そんな人、いませんかね。

ろくに仕事も出来ないくせにコンプライアンスだけを振りかざして他人を糾弾しようとする、自己愛性人格障害とか。

 

違うよね。職場での本質は、

「結果を出したい」とか、「達成感を得たい」とか、

「同期全員に昇進を越されて不遇の時代を過ごしている俺だが、この仕事は成功させたい」とか

「家族をなんとしても楽にしてやりたい」とか

「尊敬し合って高め合える場所にしたい」とか

それぞれの感情で、その職場で每日作業しているわけ。

それをシンプルにして本質を振りかざすと、あっという間に嫌われる。その嫌われているというのが本質だよ。そう本質ね。

 

人が集まる場所では、本質は現象にはなくて、感情の物語のほうにあるんだよ。

自分の物語に触れてくる人には心を開くよね。

現象にしかフォーカスしてこない人は、まあ気持ちいいくらい嫌われるもんだよな。

 

ビジネスの現場で本質マンの見事な嫌われ方を見てると、どんな感受性してるんだろうと思う。

特に20代で本質マンになってしまったやつは、もう一回仕事辞めて小学生あたりからやり直したほうがいいような気がする。ぽっきいじゃないが、校庭でみんなと遊んでこいよ。校庭の人間関係に揉まれてこいよ。

 

本質はそこじゃねえぞ。