【アーカイブス】行くな。そう伝えてよ。2016/03/12 

2016/03/12 10:38

 

行くなと強く言いたかったのに、

あの時、俺は言葉を飲み込んだ。

 

心の中では何かが崩れていくのを感じた。

 

食べていたハンバーグの味はしなかった。

 

盛岡の小さな洋食店だった。

 

「わたしね、帰ることにしたの」

 

親にさえ拒絶されてきた人生だから、うるさく騒いだらまた親に捨てられる、そんなクセが大人になっても抜けてなかった。

ただ、我慢して言葉を飲み込む。そんなクセがあの日の夜も顔を出してきた。

 

行くな、

ダメだ、

ここにいろ、

俺といろ、

そう強く言うのはもしかしたら嫌われるだけかもしれないけど、それでも言わなきゃならないことだったんだろう。

 

言えなくてベッドの中で毎日泣くだけになるなら、言って砕けたほうがいいんだよ。

 

言えなくて、それが最後になるよりは

伝えたほうがいい。

 

あなたが伝えるべきは

感謝だけじゃない。

 

あなたのわがままと想いと執着も、伝えたほうがいい。

あなたがいなくなってから、適当なやつだったと記憶されるより、ずっといい。

 

言わなきゃ伝わらないことは、感謝だけじゃない。

 

お行儀よくするだけが、恋愛じゃないんだから。

 

 

【ビハインドストーリー】

 

これを書いたのは、長年付き合っていた彼女と別れて一年くらい経った頃だった。

 

この飲食店で俺が聞いたのは、彼女が仕事を辞めて実家に帰るということだけだった。もともと期間が決まっていた契約社員だったし、更新しないことに決めた、そういう意味の話だった。

 

別に別れたいと言われたわけじゃない。実家と言っても100キロほど離れた場所でしかない。

当時、本気で結婚しようと思っていたし、多少住まいが離れたとしても関係は続けていけると頭では思っていたけれど、

実は俺はひそかに、彼女がこの人間関係に行き詰まりを感じていることを感じていた。

 

もちろん引っ越しも手伝ったし、実家に荷物を運ぶときにお母さんとも会っておやつも頂いた。彼女はそれを楽しそうに見ていた。

ありがとうねって何度も言う彼女に見送られて、俺はレンタカーで借りたトラックで街へと戻った。

 

来週また来るから食事でもしようかって笑顔で約束して。

 

大昔から変わらない笑顔で角を曲がるまで手を振っているのを、サイドミラーで見送って。

 

高速道路を走る道すがら、なぜだか涙が止まらなくなった。

 

引っ越しが終わったアパートに戻って、意味もなく写真を撮った。

本当に何の意味もない写真だったが、記念に残しておくことにした。

もう3年も見慣れた部屋だったから。

 

行くな、あの夜、そう言えばよかった。

 

結局、その引っ越しの後、1か月後に別れてることになってしまった。

 

俺が感じていた通り、ずっと悩んでいるようだった。悩んでいる理由は薄々分かっていたけれど。

今となっては理由なんてどうでもいい。

 

行くなと言っても意味はなかったのかもしれない。

もう決めている未来があったのかもしれない。

 

でもね、わがままは言うべきなんだよ。

 

 

そもそもそれは「知性」ではない

最近、これを教えてもらって読んだ。中学2年の国語の教科書に載っている「ガイアの知性」という文章。
筆者はドキュメンタリー監督で、元NHKのディレクターだった龍村仁氏。地球交響曲などの作品で知られている。
映画もそうだが、この文章からもまったりと漂ううさん臭さ。良くも悪くも。
大事な部分に差し掛かると論拠が全くないまま、ムードに酔って進む文章は、最後はオカルトな方向に飛んでいく。論理破綻を起こした花火を打ち上げたら、酔いしれる人たちがいるんだろう。よく考えたら分かることを、頭の中で勝手な何かで補ってスピリチュアルの方向で感動する群れはどこにでもいる。ネットワークビジネスをやるような人達が地球交響曲にハマるのは分かる気がする。
思考の癖なんだろう。
でもそんな文章の中である一部分が、俺には印象に残った。もちろん事実として認めているではなく、メタファーとしてだが。
↓↓↓
龍村仁 『ガイアの知性』より〜
ここ数年、わたしには鯨と象を撮影する機会がとても多かった。特に意識的に選んだつもりはないのに、結果としてそうなってきた理由を考えてみると、これは、鯨や象と深くつきあっている人たちが皆、人間としてとてもおもしろかったからだ。  
人種も職業も皆それぞれ異なっているのに、彼らには独特の、共通した雰囲気がある。  
彼らは、鯨や象を、自分の知的好奇心の対象とは考えなくなってきている。鯨や象から、なにかとてつもなく大切なものを学び取ろうとしている。そして、鯨や象に対して、畏敬の念さえ抱いているようにみえる。  
人間が、どうして野生の動物に対して畏敬の念まで抱くようになってしまうのだろうか。この、人間に対する興味から、わたしも鯨や象に興味を抱くようになった。そして、自然の中での鯨や象との出会いを重ね、彼らのことを知れば知るほど、わたしもまた、鯨や象に畏敬の念を抱くようになった。 
今では、鯨と象は、わたしたち人類にある重大な示唆を与えるために、あの大きな体で(現在の地球環境では、体が大きければ大きいほど生きるのが難しい。)数千万年もの間この地球に生き続けてきてくれたのでは、とさえ思っている。
 
大脳新皮質の大きさとその複雑さからみて、鯨と象と人はほぼ対等の精神活動ができる、と考えられる。すなわち、この三種は、地球上で最も高度に進化した「知性」をもった存在だ、ということができる。実際、この三種の誕生からの成長過程はほぼ同じで、あらゆる動物の中で最も遅い。一歳は一歳、二歳は二歳、十五、六歳でほぼ一人前になリ、寿命も六、七十歳から長寿のもので百歳まで生きる。本能だけで生きるのではなく、年長者から生きるためのさまざまな知恵を学ぶために、これだけゆっくリと成長するのだろう。
このような点からみると、鯨と象と人は確かに似ている。しかし、だれの目にも明らかなように、人と他の二種とは何かが決定的に違っている。
現代人の中で、鯨や象が自分たちに匹敵する「知性」をもった存在である、と素直に信じられる人は、まずほとんどいないだろう。それは、我々が、言葉や文字を生み出し、道具や機械をつくリ、交通や通信手段を進歩させ、今やこの地球の全生命の未来を左右できるほどに科学技術を進歩させた、この能力を「知性」だと思いこんでいるからだ。  
これらの点からみれば、自らは何も生産せず、自然が与えてくれるものだけを食べて生き、あとは何もしないでいるようにみえる(実はそうではないのだが)鯨や象が、自分たちと対等の「知性」をもった存在とはとても思えないのは、当然のことである。
 
しかし、一九六〇年代に人って、さまざまな動機から、鯨や象たちと深いつきあいをするようになった人たちの中から、この「常識」に対する疑問が生まれ始めた。 
鯨や象は、人の「知性」とは全く別種の「知性」をもっているのではないか、あるいは、人の「知性」は、このガイアに存在する大きな「知性」の偏った一面の現れであリ、もう一方の面に鯨や象の「知性」が存在するのではないか、という疑問である。  
この疑問は、最初、水族館に捕らえられたオルカ(シャチ)やイルカに芸を教えようとする調教師や医者や心理学者、その手伝いをした音楽家、鯨の脳に興味をもつ大脳生理学者たちの実体験から生まれた。
彼らが異口同音に言う言葉がある。それは、オルカやイルカは決して、ただえさを欲しいがために本能的に芸をしているのではない、ということである。 
彼らは捕らわれの身となった自分の状況を、はっきリ認識している、という、そして、その状況を自ら受け人れると決意した時、初めて、自分とコミュニケーションしようとしている人間、さしあたっては調教師を喜ばせるために、そしてその状況の下で自分自身も、精いっぱい生きることを楽しむために、「芸」と呼ばれることを始めるのだ。水族館でオルカが見せてくれる「芸」のほとんどは、実は人間がオルカに強制的に教えこんだものではない。オルカのほうが、人間が求めていることを正確に理解し、自分のもっている高度な能力を、か弱い人間(調教師)のレベルに合わせて制御し、調整をしながら使っているからこそ可能になる「芸」なのだ。 
 
例えば、体長七メートルもある巨大なオルカが、狭いプールでちっぽけな人間を背ビレにつかまらせたまま猛スピードで泳ぎ、プールの端にくると、合図もないのに自ら細心の注意をはらって人間が落ちないようにスピードを落とし、そのまま人間をプールサイドに立たせてやる。また、水中から、直立姿勢の人間を自分の鼻先に立たせたまま上昇し、その人間を空中に放リ出す際には、その人間が決してプールサイドのコンクリートの上に投げ出されず、再び水中の安全な場所に落下するよう、スピード・高さ・方向などを三次元レベルで調整する。こんなことがはたして、ムチと飴による人間の強制だけでできるだろうか。ましてオルカは水中で生活している七メートルの巨体の持ち主なのだ。 
そこには、人間の強制ではなく、明らかに、オルカ自身の意志と選択がはたらいている。狭いプールに閉じこめられ、本来もっている高度な能力の何万分の一も使えない過酷な状況におかれながらも、自分が「友」として受け人れることを決意した人間を喜ばせ、そして自分自身も生きることを楽しむオルカの「心」があるからこそできることなのだ。
また、こんな話もある。 
人間が彼らに何かを教えようとすると、彼らの理解能力は驚くべき速さだそうだけれども、同時に、彼らもまた人間に何かを教えようとする、というのだ。 
フロリダの若い学者が、一頭の雌イルカに名前をつけ、それを発音させようと試みた。イルカと人間では声帯が大きく異なるので、なかなかうまくいかなかった。それでも、少しうまくいったときには、その学者は頭を上下にうんうんと振った。二人(一人と一頭か)の間ではそのしぐさが、互いに了解した、という合図だった。何度も繰リ返しているうちに、学者は、そのイルカが自分の名前とは別の、イルカ語のある音節を同時に繰リ返し発音するのに気がついた。しかしそれが何を意味するのかはわからなかった。そしてある時、はたと気づいた。「彼女はわたしにイルカ語の名前をつけ、それをわたしに発音せよ、と言っているのではないか。」そう思った彼は、必死でその発音を試みた。自分でも少しうまくいったかな、と思った時、なんとその雌イルカは、うんうんと頭を振リ、とてもうれしそうにプールじゅうをはしゃぎまわったというのだ。
 
象については、こんな話がある。  
アフリカのケニアで、ある自然保護官が象の寿命を調べるため、自然死した象の歯を集めていた。草原で新しく見つけた歯を持ち帰リ倉庫に納めておいたところ、その日から毎晩、巨大な象がやってきて、倉庫のかんぬきを開けようとする。不思議に思ったその保護官は、ある晩、かんぬきを開けたままにしておいた。すると、翌朝、数百個も集められていた歯の中から、その新しく収集した歯だけがなくなっていた。保護官がその歯を捜したところ、その歯はなんと、彼が発見したまさにその場所に戻されていたのだ。毎晩倉庫にやってきた象は、たぶん亡くなった象の肉親だったのだろう。それにしてもその象は、どうやって歯が倉庫にあることを知ったのだろう。数百個もある歯の中から、どうやって肉親の歯を見分けたのたろう。そして最大のなぞは、その象が、なぜ歯を元の場所にわざわざ戻したのだろう、ということだ。 
このように、鯨や象が高度な「知性」をもっていることは、たぶんまちがいない事実だ。
しかし、その「知性」は、科学技術を進歩させてきた人間の「知性」とは大きく違うものだ。人間の「知性」は、自分たちだけの安全と便利さのために自然をコントロールし、意のままに支配しようとする、いわば「攻撃的な知性」だ。この「攻撃的な知性」をあまリにも進歩させてきた結果として人間は環境破壊を起こし、地球全体の生命を危機に陥れている。これに対して、鯨や象のもつ「知性」は、いわば「受容的な知性」とでも呼べるものだ。彼らは、自然をコントロールしようなどとはいっさい思わず、そのかわリ、この自然のもつ無限に多様で複雑な営みを、できるだけ繊細に理解し、それに適応して生きるために、その高度な「知性」を使っている。 
 
だからこそ彼らは、我々人類よりはるか以前から、あの大きな体でこの地球に生きながらえてきたのだ。同じ地球に生まれながら、片面だけの「知性」を異常に進歩させてしまった我々人類は、今、もう一方の「知性」の持ち主である鯨や象たちからさまざまなことを学ぶことによって、真の意味の「ガイアの知性」に進化する必要がある、とわたしは思っている。”

とまあ、こんな感じで笑っちゃうんだけどね。たぶん間違いない、とか根拠も示さず言い切るのがすごい。
でも、俺がふと目を止めたのはこの部分。ここだけ。

「彼らは捕らわれの身となった自分の状況を、はっきリ認識している、という、そして、その状況を自ら受け人れると決意した時、初めて、自分とコミュニケーションしようとしている人間、さしあたっては調教師を喜ばせるために、そしてその状況の下で自分自身も、精いっぱい生きることを楽しむために、「芸」と呼ばれることを始めるのだ。」

これをメタファーとして捉えると何かに似てるかもしれないと思った。

それは、さまざまな病気のせいでアンダーアチーバーとなったごくごく少数の才能らしきものがある可能性がある人たちのこと。
知性や才能に対して、社会的知性が欠けているせいで社会で全く必要とされていない人。才能に恵まれていても、それを翻訳する能力がかけているせいで才能がないこととイコールになっている人。才能らしきものがあるけど、売ることに失敗した人。
(私もこうなんです!とか自分で言っちゃう系の人がよく現れるけど、作品や成果物にすでに片鱗が見えていないならたぶん違うと思う。たぶん無神経な人であるだけだよ。)

誤解してほしくないんだが、才能とは社会で表現できて換金ができて初めて才能であり、それができなければ一部の身内を喜ばせるだけのニッチな魅力に過ぎない。
売れなかった才能は才能とは言えないと思ってる。才能とは必ず結果で測られるもの。売れなくても才能がそこに存在するのはたぶん間違いないことだが、結果を出せなきゃ社会的にはオカルトの域を出ない。才能と呼んではいけない。才能らしきものが存在する可能性がある、と言った方が正確。
才能は多くの場合は人を魅了するが、同時に同じ人から嫌悪感も湧き起こす。これは売れたとしてもそう。才能とは反社会的な性質を持つからだ。音楽にしろ、文章にしろ、工学的な発想にしろ。才能を理解するファンがある日突然アンチになる光景はよくある。
これ売れなくても同じ現象が起こる。才能らしきものが呼び込む負の現象。
換金できなかった才能を認めてくれる身内に、いずれ嫌われるんだ。必ず。身内がその才能に現実的に疲れてしまうからだ。ある日、訳がわからん困った人にしか見えなくなる。
そうなると売れなかった才能はただの自傷のナイフにしかならない。才能の攻撃性は自分に向かう。結局、本人は孤独で困窮した人生を送ることになる。

彼らを見ていると、このイルカのように見えてならない。

困窮した先には、同じような光景が現れる。
社会常識、良識、コミュニティというものに囚われた不自由な身であると諦めたとき、芸というもので周りを悦ばせようとする。
本来する必要もなかった芸をしなければならない。完全に主体性を失った先で、知性や才能を恐ろしくくだらないことに使うことを選ばなきゃならない。
このイルカさんのように。

もちろん、イルカがこんなことを考えていることはたぶんないと論拠もなく俺は思ってるので(笑)、どうでもいい。オカルトやムードには興味がない。
でも人の生き方には、もしかしたら近い状況があるんじゃないかとは思う。

この哀しい知性のことを美化し、挙げ句の果てにイルカを擬人化し、人間はこれになるべきと筆者はぶっ飛んだ結論になるが、そんなことをするほど多くの人間には才能はない。


才能とは、知性とは、その攻撃性を奪われずにサバイバルさせることが出来て初めて存在を許される。
受動的であることを選んだとき、知性は自傷へと進む。

受動的な知性なんてもの獲得したら、地球、終わっちまうよ。それは進化じゃなく、敗北であり退化だよ。


デニムに寄せるコンプレックス

あの頃、履いていたジーンズは気がつけばボロボロになっていた。

 

18歳の時、たった一人で上京するときに履いていたのは、リーバイスのデニムだったのを覚えている。ウエストが29インチ。高校時代にさんざん履きつぶしたデニムを履いて新幹線に乗り、上野駅で降りた。時代はバブル末期の東京。新宿では自分の服装は恥ずかしかった。田舎から出てきて、膝とお尻の生地が薄くなって今にも破れそうなジーパンを履いた自分を、道行く人がみんなバカにしているような気がした。

もちろん、俺のことなど誰も見ているわけがないけれど。

 

それでも、そのリーバイスを捨てることはなく履き続けた。当時住んだアパートの近くに洋服のリフォーム店を見つけて、そこでお尻と膝の破れた部分のリペアを頼んだ。裏地をつけてタタキを縫ってくれた。おかげでまた履けるようになった。

 

決してカッコいい見た目ではない。高校生の時に買った何の変哲もないリーバイス501。でも履くと、高校時代に病気で苦しんだことや、付き合っていた彼女との思い通りにならない恋愛を思い出したり、真冬に猛吹雪の中を歩いて家に帰った時の風景を思い出した。石油ストーブに近づくとちりちりと痛むように熱い、あの感覚も思い出す。なんの目的も理想もなく、東京に引っ越すことに決めてよかったのか、何度も考えていた18歳の冬を思い出すような、ちょっと重苦しい服だった。

 

ちょっとした経緯から夜の仕事を始めた時、仕事では華やかでおしゃれな服をたくさん持つようになった。新宿のごく狭い街でしか通用しない気取った服を着て闊歩していた俺だったが、仕事から離れるといつも、そのリーバイスを履いていた。

リーバイスと、白いジャックパーセルと、夏はTシャツで冬は継ぎはぎだらけのニット。マフラー。それとどこかで買った安いレザージャケットかダウンジャケット。華やかで少し気が狂ったような街を少し離れると、俺は自分が安心できる同じ服ばかり着ていた。まるでライナスの毛布のように。

仕事で着る服は2か月ごとに手放していた。父親の月給より高いカシミアのコートも、ヘンプのジャケットも、履き心地の悪いGucciのローファーも。どれもこれも自分じゃなかった。

洗いすぎてスカイブルーになったボロボロのデニムを履いている自分が、本当の自分だと思っていた。本当の自分なんて、実は誰も分からないのだけれど。

 

そんなリーバイスも、気がつけば自分の手元になかった。そのあたりは記憶に全くない。何度か引っ越した時に遺失したのか、時々頭がおかしくなっていたので捨ててしまったのか、一緒に住んでいた女性の誰かが勝手に捨てたのか、よく分からない。

 

覚えているのは21歳頃は、501じゃない、もっとイマドキのシルエットのデニムを履いていたこと。数本持っていたと思う。リペアに出したことはないし、色落ちするほど履いた記憶もない。たぶん、数か月履いては捨てていたのかもしれない。

 

ラブレスキューを描くとき、服の描写の多くはあいまいな記憶を創作で補っているけど、「蝉」に出てくる「俺」のリーバイスは、あのデニムのままの記憶だ。あの当時はまだ履いていたのが分かる。あの夏も、Tシャツとデニムだった。

 

あれから30年近くが経っても、俺は今でもデニムを履いている。

でも、デニムに複雑な感情を持っているのも気づいている。

 

18歳の時のように、自分の肌のように、自分の生活のように、一本のデニムを履き続けられない自分がいる。

求めているのはこのデニムじゃないんじゃないかと思ってはクローゼットの奥に仕舞ったものが数十本もある。

シルエットが違うんじゃないか、色が違うんじゃないか、ブランドが違うんじゃないか、セルビッジ付きじゃないからじゃないか、ストレッチは邪道じゃないか、なんて色んなことに文句をつけながら。

 

きっと、あの頃のリーバイスを追い求めている。

たぶんどれも満足することがないのも知っている。

追い求めているのはデニムじゃないからだ。あの頃の俺なのかもしれない。あの不安定な魂を転がすように、怯えながら地下鉄の階段を駆け下りていた俺を求めている。

リーバイスが象徴するものは、きっとそれだろう。

 

今は、Lee101のヘンプ混のセルビッジデニムと、nudie jeansのBrute KnutとThin Finn、それと古着で買った1991年アメリカ製のリーバイス501の4本を履いている。スーツを着る時間が多いけれど、普段は寝るまでデニムを履いている。

気が向けば古着屋やネットショップで、デニムばかり眺めている。

 

普段の俺は、きっと気難しそうで、身なりの粗末な男だろう。孤独に仕事をし、お金だけをたくさん稼いで、一人でぎこちなく眠りにつく。内面からあふれ出てくるものを素手で抑えながら、毎日生きている。

 

田舎町の片隅や、現代の新宿の路地の向こう側で、それでも正気であろうとしている。

 

コレクションをする男②

 「じゃあ、俺の話をするね。」

 

彼女は、ふふと笑う。聞かせて、そう言って冷めてしまったコーヒーを飲み干した。

 

お代わりのコーヒーを注ぎながら俺が話し始めたのはこんなこと。

 

俺は30代の初め、ちょうど目の前の彼女とその夫と同じ年代の頃、「性的逸脱」を激しく起こしていた。アキラブログを始めるほんの数年前のこと。

結婚はしていなかったが、付き合っている女性はいた。昔のブログで書いたことがある、酒癖の悪い女性。酒を飲むとちょっとしたことで豹変して怒り狂い、ある夜なんか俺は黒霧島の瓶で頭を殴られ大怪我をし、病院送りにされた。(このことは機会があったらまた別の記事で描く)

 

そんな彼女との付き合いは当時の俺には強いストレスだった。正直に言って頭がいいとは言えず、倫理観も人間性もひどいズレ方をしていた。勤めている会社も不都合があれば仮病を使って休み、最後は無断で出勤しなくなり飛ぶように辞める。勤めても数か月と続かず、無職になると朝から酒を飲んでいる。気に入らないことがあると大声で喚き散らし、謝ることもないし反省することも絶対ない。

その女性は当時、25歳くらいだった。

 

平気で何か月も音信不通になる。こっちが連絡を諦めた頃に気まぐれのようにメールや電話をしてくる。それまで何をしていたのか、なぜ連絡もしなかったのか説明もしない。後で分かったのは、違う男の部屋に入り浸っていたらしい。しかもそれは単身赴任のサラリーマンとの不倫だったりもした。

その都度俺も不機嫌になったが、人間性のズレ方に完全に諦めもあって何も言わなくなってしまっていた。どんなにめちゃくちゃでも俺は自分の彼女は特別だし我慢する、そんな男だったこともあって。文句をつけたこともあったが、結局は黙るんだ。

 

この俺にしても、当時お金にとても困っていた。大きな借金を抱えていた時期で、貯金が1円もなかった。彼女とは言っても別に何をしてあげられるわけでもなく、旅行にも連れて行ったことがない。甲斐性がないので結婚の話も出来ないまま、6歳年下だった彼女は結婚の適齢期を迎え、それもあって俺に苛立っていたのだとは思ってる。音信不通になって無茶な不倫をするのも、きっと俺のせいなんだろう。

 

彼女とは近所に住んでいたので毎日のように会っていた。昼の仕事の後で、風俗店の仕事もしお金を稼ぐ毎日だったが、さらに時間の合間を縫って会っていた。

毎日会い、電話をし、メールをしていたんだ。その都度、何かの拍子に怒り出し電話を切られたり、出かけた先で置いてきぼりをくらったりもした。

でもそれでも次の日にはまた電話をする。いま考えてみると、彼女もまたこの関係を諦めきれなかったのかもしれない。毎日の貴重な時間を俺に割いてくれる、それは当たり前のことじゃないからね。

当時はこんなグタグタな関係をなぜ綺麗に終わらせられないのか、自分でも不思議だったよ。

 

当時の俺は、毎日1時間くらいしか横になって眠れなかった。深夜に仕事中の車の中で居眠りするのが精一杯で。それもシートを倒したり車の中を暗くすると熟睡してしまうので、絶対にシートを起こしたまま。

お金の心配も相まって、毎日体調がとても悪かった。

耐えきれなくなると、風俗店の事務所で何度も気絶した。その都度、嬢たちが笑った。「アキラ、そんなイビキかくほど疲れて、普段から女と遊びすぎだよ」とからかった。

 

俺は嬢たちには冗談を言って返していたが、腹の底では常に苛立っていた。苛立っている雰囲気を出しそうなときはコンビニに行ってくると嘘をついて近所の公園に行き、ベンチに座った。

深夜、意味もない不安感に何度も襲われていた。

当時は、自分の寂しい生い立ちを思い出すことも滅多になかったが、たまに夢に母親が出てきた。

 

「あなたがここに来るのは迷惑なの」

「あなたを見るだけで疲れるの」

そう言われた高校生の時のことを夢に見ていた。 

 

「アキラ、寝ぼけて大きな声出してたよ。悩んでんの?」と、事務所で気絶する俺を見た風俗嬢がタバコを吸いながら俺にガムを差し出した。

 

苛立ち、不安、恐怖、自己憐憫、絶望感、そんなものが一日中俺を襲っていた。こみあげてくる感情を抑えられなかったり、笑っているのに涙が出たりもした。こういうことを誰かに分かってもらいたいと思いながら誰にも相談できず、毎日連絡している彼女にすら話すことは出来なかった。普通に相談できればどんなに楽だろうと思ったけれど、俺の気持ちの奥底にあるものに興味なんて微塵たりともない彼女だと知っていたから言わなかった。

あてにならない。支えにもならないこの人は、と。

 

 そうしているうちに、俺の中で少し変化があった。

 

彼女と毎日会い、メールと電話をしている隙間に、ふと自分の中のある「回路」を開いてみる気になったんだ。

俺は10代の頃から女性と出会うことについては宿命づけられているのか、出会いに困ったことが一度もない。次々に女性が現れる。現れては消え、また現れる。そんなまだ子供だった俺がその感受性を仕事に使って夜の世界で身体を売る仕事をしてきた。当たり前のように信じられないほどのお金を稼いだ。その世界では一度も挫折を味わったことがないほど。

 

でも気づきはすぐにやってきた。22歳を迎える頃には、意図的にその「回路」を閉じないと自分の生活が荒れ果ててめちゃくちゃになってしまうと気づいた。

運命や宿命を無自覚に受け入れてはいけない、と。

 

30歳を過ぎたばかりのその頃、俺はずっと回路を閉じていた。派手な風俗嬢たちとずっと一緒にいても、俺自身は性的な関係を、付き合っている一人の女性以外と持つことはしなかった。意図的に、自覚して能力の回路を塞いでいた。仕事以外で女性と出会うことはなかった。出会いを認識さえしなければ、運命にはなりえないよね?出会いって認知のことであり、認識して心に入れ込めば出会いに繋がってしまう。それをしなければ、恋愛なんてものに発展することは絶対にない。

 

でも身も心も疲れていた俺は、その回路を開いてみようと思った。真昼に繁華街の片隅にある立ち飲み屋で生ビールを飲むような感覚だった。うしろめたさを感じつつ、ビールを美味しく感じてしまうあれ。

 

それは、要するに浮気ということだった。回路を開いたらどんなことになるんだろうかって、そんなことを想像するとストレスが紛れる気がしたんだよね。どうせあの彼女との関係は無関心と口論ばかりだから。

 

回路を開くのはほんの簡単なこと。深夜に事務所の外に出て、晴れているのに星が見えない明るい夜空を見上げ、ため息をひとつつく。そして、俺が誘えば絶対に断らない、名前もよく覚えていない女に突然電話をする。明日、会えるかい?そう言う。相手はもちろん断らない。

約束の時間と場所が決まる。

これで回路は解放される。

ダムの放流のように、何故かしらないけれどその次の瞬間からメールが大量になだれ込む。

遊ばない?会える?食事いこうよ?どこか連れてって?

そして気が付けば、大勢の女と会う予定で埋まる。

でも彼女との毎日の電話なんかは一日も欠かさない。

 

残念ながら、女たちの誰一人として名前を正確に知らない。仕事も、年齢も、住んでいる場所も、よく分からない。

俺は、ただ予定が埋まることに救いがあった。救いと言うのが大げさなら、気晴らし、かな。

 

その回路を解放してしまえば、出会いは際限なく再現されるんだ。数えることはしなかったけれど、気が付けば当時のガラケーのアドレスのフォルダには、200人くらいの女性の連絡先があったと記憶している。

毎日誰かと会い、セックスする。仕事がない日には朝早くから深夜までかけて、7人くらいと会う。一日が終わると誰と会ったのかさえ覚えていない。

覚えていないと言うのは大げさなことではなく、こういうことをしている時は、脳が記憶を拒否する感覚がある。昨日だれと会った?と誰かに聞かれたとしても、きっとすぐに答えられない。

散々なことをしておいて、付き合っている彼女と深夜に会う時には、彼女のことしか考えていない。彼女との会話は一つの単語も漏らさず覚えている。ひどい彼女でも、たまに機嫌が良くて、帰り際にキスをして笑顔で別れる時もある。

でもそんな日は特に、家に帰って携帯を見ると大量にメールが入っている。そのまま無視してベッドに入って眠れば身体も楽なのに、今すぐ会える女に返事をしてまた出かけていく。2時間半もしたら朝になるので帰らなければならない。

 

そんなときに限って、彼女が深夜に電話をくれていたことに気づく。機嫌よく帰ることが出来たので、またおやすみと言いたくて電話したんだろう。でも俺は気づかないふりをしていた。なぜなら女とラブホテルにいるから。着信は20回を超えていたりする。次の日、揉めるだろう。面倒だなと一瞬思うが、どうでもよくなる。

明け方に女と別れて家に帰る時、メールだけを入れておく。「寝ていたよ」と。

午前中に電話をかえても出ない。きっと数日出ないつもりだろう。

 

電話に出なくても、俺はその夜も女たちと仕事をし、終わればまたどこかの女と会う約束がある。そんな深夜に限ってまた電話がある。ラブホテルにいるので電話に出られない。同じことの繰り返し。

 

罪悪感があるかないかと言われたら、正直言って、なかった。罪悪感という感情が当時は一切分からなかった。やましさとか、うしろめたさとか、そういうものもない。

 

でも罪悪感と言うものとは違う、何か苦しい感情が後追いしてやってくるものは確かだ。

それに名前を付けるとしたら、「気持ち悪さ」だった。

大勢の女性とセックスをして楽しかったことはたぶん一度もない。むしろ、その行為は全て気持ち悪かった。

でも付き合っている彼女とのセックスは居心地も良かったし集中していた。どれだけ付き合いが腐ってしまった彼女だとしても。

それでも不特定多数とのセックスは止まらなかったし、回路が開いているので人数はさらに増えていった。 


 1人でいる時、ぼんやりと考えていた。どうしてこんなことをしているんだろう、どうして止まらないんだろう、何がしたいんだろう、なんて。

一度開いた回路をまた閉じることは難しい。

こういうことはいつか終わらせたい、でもそれは今夜じゃない。そんな映画で聞いたセリフを何度もつぶやいていた。


きっと、受け入れてもらう瞬間をたくさん積み上げたかったんだと思う。

ガキの頃、あなたといると疲れるの、と母親に言われる時のあの冷めた空気が心に楔を打ち込んだんだろう。あのとき俺はそれでも母親を求め続けた。あなたは迷惑なの、と言われてもいむか受け入れてくれるかもしれないと信じて。


性的に過激な行動を取るのは、ガキの頃のそんな所在無さから来てる。誰といても不安。でも特別な1人との関係はスペシャル。スペシャルだから、そこで何かを否定されると激しい怒りがこみ上げる。だからまた過激な行動を取る。その繰り返し。


俺が回路と呼ぶものは、言葉を変えると、6歳の気持ちを思い出してしまうということだと思ってる。だから、遊びに誘うのも無邪気だし、誰も断らないんだ。


☆☆☆


俺はカプチーノを啜って、カップを皿に置いた。


「だからね、元の旦那さんは、あなたがスペシャルだから戻りたいと思ってるんだと思うよ」

俺は言った。


「そんな都合のいい話。また繰り返すのでしょう?」


「繰り返すかどうかは、これからの夫婦のコミュニケーション次第だと思うよ。もちろんすぐに復縁する必要はない。復縁までにハードルを用意した方がいいね。」


「ハードル?」


「何度も性的逸脱と、生い立ちから来る感情の瑕疵について話し合うこと。お互い逃げずに。お互い、謝ることはあるよ。」


彼女はしばらく無言で考えていた。


「そうね、あの人のことを分かろうとしたけど、確かに話し合ったことはないかもね。断片的な情報から私が推理しては途中で諦めただけかも。」


「浮気をして暴力を振るったのは許されないこと。それは謝らなきゃいけない。理解してもらおうと努力しなかった旦那さんも悪いよね。」


ねえ。俺は言う。


話し合うテーブルまでまだ遠いけどね。電話も出来ないままだしね。

彼女はそう言った。


「アキラだけが違うことを言ってくれた。」


ちょっと考えてみなよ。そう言ってその日はお開きにした。


人間同士のコミュニケーションの糸は、雑な扱いをすると簡単に絡まってしまう。

見たこと、聞いたこと、お互い考えたこと、お互いが言葉にしたこと、それをテーブルに並べて話を重ねたら、絡まることは滅多にない。絡まっていても必ず解れていく。


人間の心と過去はいくらでも複雑になるけれど、大切な人同士のコミュニケーションは、本当はシンプルなものなんだよ。


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コレクションをする男①

※今日のお話は全て実話です。ブログに書くにあたりご本人からの了解を得て、設定を多少変えています。

 

今日の出来事。7月末の気だるい日曜日の夕方。ある33歳の女性と話をした。

 

2年前の7月20日アポロ11号が月面着陸した何十周年目かの日に、離婚をしたと俺に言った。マグカップに淹れたコーヒーを飲みながら、手には細いボールペンを持ちながら、静かに言葉を紡いでいた。

「なぜ、離婚したのか聞いてもいいかい」俺は質問した。

女性はシルバーのボールペンを手の中で転がしながら、言う。

「まあ、価値観の不一致というか。」

たぶん言葉が不正確だと思ったので、もう少し細かいことを言えるように何回か質問した。するとゆっくりと言葉を飲み込むように言った。

「女関係、、、かな」と女性。

「女。浮気。」

「浮気と言うか、たくさんの女性と同時に、関係を」

「うん。たくさんの女性と同時に。」

「それと、ちょっとしたことでキレる。沸点が40℃くらいのイメージ」

「ああ。手が出る?」

「そう。それと、嘘をつくひと」

 

彼女は23歳で同じ年の夫と結婚して、3年間は子供を作らず2人で暮らした。ずっと避妊していたという。夫はまだ若く収入が低かったため、子供が出来ることを心配していたせいだった。

夫のことは当時、優しくて情が深い人だと思っていた。付き合っている時に後に妻となる彼女が交通事故で入院すると、毎日のように見舞いに来て、お菓子や果物を差し入れてくれた。彼女の両親も彼の愛情の深さをとても気に入って、結婚するまで何の障害も無かった。付き合って1年であっさり結婚をした。

 

結婚をした後、夫の印象に違和感を持つようになった。愛情が深いのは間違いなかったけれど、妻が働くのを露骨に嫌がった。仕事中も頻繁に電話をかけてきて、今何をしているのかを聞く。スーパーに買い物に行ったり、美容室に行ったりするのは安心していたが、友達と会うと言ったり着信に気づかずにいると、とたんに不機嫌になった。当然のように、友達同士での夜の食事会や泊りがけでの旅行などは絶対に許さなかった。

 

それでも、妻の誕生日や二人の記念日には驚くほどのマメさを見せた。話し上手で気配りも出来る人。そこだけ抜き取れば、友達も羨むような夫だった。友達の彼氏たちは、彼女の誕生日すら忘れてしまうような人ばかりだから。

決して高収入でもないし高卒の会社員だけど、仕事ぶりも真面目で評判だと聞いていた。

 

でもなぜだか、彼女は自分のことが幸せだと心から思えなかった。

 

結婚して4年目に入るときに、子供が出来た。27歳となることに彼女の方が焦りを見せたからだった。

「子供が欲しいと何度も言わなければ、きっと子供を持つことはなかったと思う」と彼女は言う。

 

しかし子供が出来てからは、夫は父親として完璧だった。子供の世話を厭わず、深夜に泣く子供をあやし寝不足になっても文句ひとつ言わない人だった。

だが子供が1歳を迎える頃、突然夫の様子が不自然になった。

 

「仕事で遅くなるので食事はいらない」とほぼ毎日、昼にメールが入った。

「分かった、ごはんはちゃんと買って食べてね」と最初は彼女も返事をしていた。

次第にその連絡もなくなり、深夜2時や3時に帰ってくるようになった。彼女は毎日夕食の支度をして待っていたが、夫はいつも深夜にしか帰らなかった。1歳の子供を寝かしつけてから、毎日深夜まで夫の帰りを待った。

 

妻はいつの頃からか、悪い想像をするようになった。

女性がいるのではないか?女性の家で食事をしているのではないか?もしかしたらその女性は妊娠しているのではないか?子供までいるのではないか?結婚する前から付き合っているのではないか?

 

帰ってくると夫からは女性の香水の匂いがした。

しかもその香水は日によって違った。

 

そんな日が半年も続いたころ、耐えかねた彼女は夫に自分の疑念をぶつけた。朝の出勤前のことだった。

「女、なんでしょう?浮気してるんでしょう?」

すると、夫は気が狂ったかのようにキレはじめ、妻の髪を掴んで床にねじ伏せ、腹を蹴った。内臓がねじれるような激痛に息が出来なくなり、気が付くと夫は家を飛び出していった。

子供が激しく泣いていた。床に自分の髪の毛がたくさん落ちていた。

 

妻はそれ以来、恐怖で夫に女性関係の話が出来なくなった。夫は何もなかったかのように同じように深夜に帰ってくる生活を続けた。次第に、帰ってこない日も増えた。気が付けば自宅でシャワーを浴びる姿を見なくなった。

 

妻は、夫が不倫をしていると強く思っていた。一人の女性と二重生活をしているんだと。そしてある日、スーパーの駐車場にある看板が目に入った。

 

「浮気調査」

そう書かれた探偵事務所の看板だった。翌日、子供を連れてその事務所まで行ってみた。胡散臭い中年男が物腰柔らかく話を聴いてくれた。調査は数日で済むし写真も撮れる、事実関係の証拠をそろえることは簡単だと言った。

でも、知らなくてもいいこともあるんですよと、中年男は言った。いいんですか?

「いいんです、お願いします」

蚊の鳴くような声で彼女は言った。

結婚するときから隠し持っていた貯金から、数十万円を料金として支払い、報告を待つことにした。

 

その二週間後、探偵の男から調査が終わったと連絡があり、事務所にまた行った。

そこで知らされたのは、想像をはるかに超えた夫の実態だった。

 

夫には確かに浮気している女性がいる。その証拠となる写真を見せてくれた。まずは女性の自宅アパート。次に女性本人の写真。髪が長く背の高いスレンダーな美人。夫がその部屋に入っていく写真。スーパーの買い物袋を持って。

残念ながらこれが現実。

でも、それは現実の一部分でしかなかった。

夫には他にも女性がいた。探偵の男が確認できているだけで他に7人。全員の写真は見た。詳しい素性は未調査で別料金だと言われたが、7人は50代風の中年女もいれば、制服を着た高校生までいる。醜い肥満体の中年女もいる。その肥満体とはショッピングセンターの駐車場で待ち合わせ、カーセックスをしていた。

それと、浮気した後で一人でラブホテルに入り、デリバリーヘルスを呼んでいたことも聞いた。ラブホテルの駐車場に置いた車から一人でビルに入っていく姿の写真もあった。背の高い女性と会ったそのあとで、車を飛ばして中年女に会って行っていたこともある。

 

ショックだった。

でもこの探偵の男は優秀な人なんだなって、なぜか考えてしまった。

 

「ご主人、病気だね」と探偵の男は言った。「浮気とかじゃなくて、病気だよ。よくあるんだ、こういう人。男性に多い。ご主人は、不倫にさらに浮気も重ねてる。訴訟とかじゃなくて、まずは病院に連れて行きなさい。追加料金でもっと詳しく調べることもできるけど、勧めないよ。」

 

彼女は激しい動揺で、その日どうやって家に帰ったかは覚えていない。その日もやはり夫は帰ってこなかった。

 

それでも、彼女は夫に知ってしまった事実を告げることはできなかった。

それから数年もの間、彼女は子供のことだけ考え、同じ生活を繰り返した。夫は子供にはいい父親であるのは間違いなかったが、時々不機嫌そうな声をあげるたびに子供は怯えるようになった。

そして子供は幼稚園に通うようになったが、ある日園長先生から呼ばれ、専門の病院を受診してみてはどうかと勧められた。幼稚園での様子が気がかりだと。

 

そんな緊張を強いられる日々を続け、2年前の7月の初め、また何かの拍子に夫婦喧嘩になってしまった。

激しく怒鳴る夫に黙って耐えていた。夫が言う。「もう離婚する!」

妻はそれに黙って頷いた。自分から切り出すことが出来なかったから、ちょうどいいタイミングだと思った。

離婚をこんなに簡単に決めていいのか分からないけれど、ずっと黙って悩んできたのだから、もう解放されてもいいでしょうと妻は自分を納得させた。

 

そして7月20日。離婚届けを市役所に出しに行ったのは夫だった。

 

離婚してから、彼女は元夫のことを考えるだけで疲労感を感じるようになった。だから電話もしないしLINEもしない。養育費も拒否したし子供に会わせることもしない。


でも夫のことが嫌かというと、あの状態は嫌だったが、人として嫌いとかではないと思ってると言う。

 

「それでね、アキラさん。昨日、夫から復縁をお願いされたの。LINEで。」


「そうか、どうするの」


「どう思う?」


「旦那さんは勇気持って言ったと思うよ。」


「うん、でもばっさり断った」 


「なぜそんなこと今言って来たと理解してる?」


「歳をとって女から相手にされなくなってきたんじゃない?」


「そうかな。違うと思うよ。」


「子供に会いたいだけかな」

 

「もちろん子供のこともあるだろうけど、その根っこのところ、考えてみたほうがいいよ」


「どういうこと?分からない」


そうだね。じゃあ、俺の話をしようか。

アキラ自身の話を。

自分のことに置き換えて聴いてみて。


《②に続く》



スペックを正しく伝えるという能力

今回は営業や販売の仕事をしている人向けの話ですが、ご自身の何かに置き換えて読んでいただくと何か気づきがあるかと思います。

 

☆☆☆

 

数年前、こんな動画が話題になったことがある。

大勢に人に影響を与えるためには、与える情報の順番を変えるという内容だった。

 

当時は、なるほどーって思ったもんだった。

 

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アップルと、その他のメーカーと何が違うのか、当時絶好調だったアップルについていろんな人が語っていたことの一つ。

当時はなんか納得させられた気がした。

 

この人が言うには、アップルはまず「なぜ」と「ビジョン」を示し、そのあとにプロダクトの話を持ってきたと。こんなことが出来たらワクワクしませんかというビジョンの提案があって、それを実現するプロダクトを作りましたと、話を順番を変えたと言う。

今までのメーカーはまずプロダクトのスペックがありきで、それをどう使うかのビジョンの説明が大衆に響かなかった。

iPhoneiPod、当時魅力的だった製品になぜ世界中が飛びついたのか、それは製品ありきではなく、ビジョンという「なぜ」を魅力的に伝えたからだということ。アップルだけではなく、ライト兄弟もまず先に夢とビジョンがあったのだと。

 

これ、まぎれもなく本当のことだと思うし、大衆の中の「イノベーター」と「アーリーアダプター」を動かすことに成功し、市場を席捲したのも事実だと思う。

 

でも、起業家でも天才的な開発者でもない俺のような普通の人間が真に受けると危険だなと今は感じる。

美しくカッコいい今風の話だけどね。

 

今風ではあるけど、もしかしたら手垢のついた見覚えのある風景に繋がっていく話かもしれない。

 

俺のような平凡な人間が対峙しているのは世界的なマーケットでもなく、最先端の技術革新でもなく、誰かに安価なものを大量に売るという「一般大衆の世界」だ。

売ってるものだって、ごくありふれた、代替えのきくコモディティでしかない。その仕事をしている自分だって代替えがきくわけで。おそらく最終的にAIに仕事を奪われるような小さい存在だ。

 

そんな俺が、煙草を吸って10年ローンで買ったワンボックス車に乗り、休日は家族で郊外のショッピングモールに出かけるタイプの人達に、起業家よろしくビジョンを語って何か大きな影響力を発揮できるわけがない。

 

どこかの優秀な人と巨大な会社がiPhoneを魅力的に、爆発的に売ることが出来たのだろうが、俺のような凡人が出来るのはそんなかっこいいことではない。

 

大衆の平凡な世界で物を売る人達に大切なのは、「ありのままにスペックを語る」という能力だと思う。まずビジョンやなぜを語るのはかっこいいけれど、まずやるべきことはそうじゃない。

 

「こんな世界を実現したらワクワクするでしょう?だからこんな製品が生まれました」ではなく、

「Aという製品の特長は、〇〇と〇〇です」とスペックを正確に間違いなく伝える力のほうが大切じゃないのかなと思う。

 

でも昔から営業マンはそれを悪いことだと教えられてきた。

 

「このかっこいいベンツに乗ったら、お姉ちゃんにモテますよ、この値引きでどうですか!」という、どうですか営業が美談になりやすかった。

営業マンの世界は情緒の世界なので、この傾向が強い。

 

逆に、ベンツのスペックをきちんと伝えようとする人は、「客はそんなこと興味ねえんだよ」と、ベテラン営業マンに叱られた。

「客は馬力なんか興味ねえんだよ」とか

「客が頭あっつくなってるうちに契約させろよ」とか

「客は難しい知識なんか興味ねえよ」とかね。

 

残念ながら、それは2000年頃までの世界の話だろう。

今の若い営業マンがそれで売れているかって、大苦戦している。

先輩たちは言うよ。客はネットで知識を頭に入れてきてるんだし、なおさらスペックの説明なんか意味がない、これを手に入れたらどんな気持ちになってワクワクするかを熱く語れって。

なんか納得するようでいて、結果的に売れないんだからそれが間違いなのは明白で。

 

知識はネットで仕入れられる時代だからこそ、実はスペックを客観的に語る必要があるんだよね。

専門家の仕事は、客観的にスペックを横に並べて、論理的に客に当てはめていくことだと思う。

この車は安全性能を高めるためにこう、ボディ剛性を高めるためにこう、テールレンズがこの形なのはこういう理由、などまずは丁寧にスペックを説明することが先決で、それが客にとってどんな問題を解決してくれるのかを理路整然と説明する。

これ、販売の現場ではもしかしたら無粋とすら思われてきた。

 

うわ~ベンツだ~かっこいい~っていう、雰囲気だけでお客さんが酔ってしまってるところに、発泡酒もビールも関係ねえみたいな乗っかり方をして売り切ってしまうような、未熟な雰囲気が今も若い人たちに押し付けられている。

 

 

相手が雰囲気だけでは酔ってくれない場合は、とたんに弱くなる。

「ベンツが高いのはブランド料でしょ?クラウンに劣る性能でしょ?」と言われたら、何も言えなくなる。

「い、いや、おねえちゃんに。。。もてます。。。」とか言って、セクハラじみてるとすら言われかねない。

比較された後からスペックを語り始め、もう聞く耳を持ってもらえないとかね。

 

スペックを語るタイミングを逃すと、必ず後手後手になってしまう。

 

一般大衆では、ビジョンに酔ってくれない人のほうが圧倒的に多いんだよ。

ビジョン語りを美化しすぎると、人に伝えられない、人に受け入れてもらえない人のほうが増えてしまう。要するに売れない営業マンになる。

その先には、自分はビジョンに魅力がない人間として本質的に自己嫌悪に陥る危険すらあるよね。

 

正しいスペックの説明が、その製品の特性を理解してもらうことになり、ほかの製品との差を比較する材料になる。

本来、当たり前の姿勢だよね。

 

そのうえで、そのスペックが、相手のどんな問題点を解決することに役立つのかを提示する。

本来、それが正しいプロセス。

 

まずは相手が抱える問題点を明確にする。

スペックを理路整然と伝える。

それによって問題が解決されるという提示をする。

 

情緒面ばかり美化された世界では、営業マンの自己重要感を傷つけかねないよ。

その職業の格も落としてしまう。プロ意識も育たない。

 

人間関係も同じことが言えるかもね。

あまり情緒にばかり訴えられると、相手も苛立ってくるよ。

 

東京は夜の七時

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なぜ俺がラブレスキューで執拗に20歳前後の頃の話を書くのか、実は自分でもよく分からなかった。

ふと、今日思い出した。

フラッシュバックみたいに、怖いくらい生々しい感触として。

20歳の頃、新宿の夜の7時に降り立った自分の心の中を。

 

俺は、16歳の時に病気を発症した。勉強はまるで手がつかなくなり、進学校の中で哀れなほど順位が下がっていった。結局3年間で体調が回復することはなかった。

学校が終わると、家に帰ることはなく、深夜まで女の子とうろうろしていた。毎日停電みたいな田舎町で何をしていたかは覚えていない。一人暮らしをしている友達の家に遊びに行ったり、ゲームセンターでたむろしたりしていたんだと思う。

3年間、まともに家に帰ったことは本当に少ないと思う。今思うとシャワーとか着替えとかどうしていたんだろうと不思議なくらい。

 

夏の日、19時になると次第にあたりは暗くなってくる。街灯がつきはじめ、夜の店のネオンが眩しく見えだす頃、俺は胸の奥の方で錆びた歯車が回るような感触を覚えていた。歯車の隙間に砂を噛むような。足取りが鉛のように重くなり、呼吸が早まり、そわそわしてじっとしていられなくなる。裏路地の角々に黒い人影が見え始める。耳元で女がささやくような声がする。

 

「アキラ、様子おかしいよ?」と17歳の彼女が言って笑う。

「なんでもねえよ」と俺は言った。もっと走らないと、もっと早く走らないと、俺は死んでしまう。そう思って叫びたくなったりした。

 

元気がいいわけじゃない。恐怖と不安が夜の闇に紛れて俺に襲い掛かってくるんだ。

 

俺は、夜が深まっていくにつれて不安と孤独で死にそうになる病気だった。

今でこそその病気には名前がついている。当時はそんなことなんか知るわけもない。

ただ、今夜はこのまま死んでもいいぜって思っていた。まだほんの高校生だった俺だけど。

 

その感触は、18歳で東京にやってきてからさらに強まった。

「ママ、俺、東京に引っ越すんだよ」って俺を捨てた実の母に教えようと自宅に行ったら、厳しい口調で迷惑だと言われたその数日後、俺は東京に移り住んだ。

 

東京の夜は、田舎の夜よりもずっと俺を不安にさせた。東京の夜の七時から深夜3時までは、絶対に1人でアパートの部屋にいるなんて無理だった。怖すぎる。不安すぎる。孤独すぎる。

引っ越した最初こそ自宅でずっと我慢して家にいたけど、すぐに怖くなった。

 

東京に住んでいるあいだ、俺は夕方から深夜にかけて一人で部屋にいるなんて数えるほどだったと思う。

とにかく夜をやり過ごさなきゃならなかった。その怖い夜の時間に、俺は客と恋愛ごっこをし、糞みたいな気分になっては恋人との幼くて傷つけあうような恋愛を追いかけて。疲れ果ててベッドに入って気絶するまで、俺は東京の夜の闇から逃げ続けた。

 

それは今も同じだ。

夜になると、死にたくなる。何度か死のうとしたのも、夜だった。

 

大人になっても昼に会社員をしていながら、夜はデリヘルの仕事をした。夜が来るのが怖かったからだ。もちろん金を稼がなきゃならなかったのもあるけれど。19時に会社を出て、部屋にも帰らず事務所に行き、深夜2時過ぎまで仕事をした。仕事が終わっても女の子たちにせがまれると引き連れて近所のラーメン屋に行ったりね。仕事に関係ない生活の悩みごとにも一生懸命乗った。

家に帰って気絶して眠って、数時間後に起きてシャワーを浴びて会社に出勤する。

その生活で俺は疲れ果てて帯状疱疹が出るほどだったけど、夜に喰われてしまうよりずっとましだった。

当時付き合っていた彼女とも、昼間に会うことは数回しかなく、すべて夜だった。その彼女に黒霧島の瓶で殴られ病院送りにされたのももちろん夜のこと。

夜にすべての人生を詰め込むような。

 

夜が怖い

夜が怖い

夜になると俺は死ぬかもしれない

死んでもいいけど、一思いに殺してくれ

 

そう思いながら、今でも夜に1人で黙っているのは苦手だ。

 

溺愛する彼女といる時じゃなければ、黙って夜の時間を過ごすなんて無理なんだよ。