アスファルトの上の小石を踏む ②

ミユと会ったのは、郊外の静かなカフェだった。森のなかにひっそりと建つ古いロッジのような店。店の中は濃いコーヒーの香りが漂っていた。

 

ミユのような女とは話したことがなかった。

どちらかというと、この仕事は無骨な男の世界だし、取引先も下請けもほとんどが中年男性ばかりだったんだ。喫煙率も高いし、学歴も中卒が多く、休憩時間の話題はパチンコばかり。

そんな業界でミユのような女性の営業は珍しかった。

ミユは明るく話ができる女だった。ぱーっと花が咲くような笑顔が魅力的だと思った。

ミユは東京の有名私立大を卒業していること、父親メガバンクの支店長であること、大学時代の夏休みは1人でインドを旅行したり、北米を横断する旅行をしていたこと、なんかを知った。どの話を聞いても、自分とは縁がないことばかりだと思ったが、自分の話を楽しそうに出来るミユに興味を持った。

 

本当は仕事を教えるっていう趣旨で会ったはずなのに、気がつけばリュウがミユに質問ばかりしていた。

「支社長は仕事の時と違って、ちょっと可愛らしいですね」とミユはいたずらっぽい表情をして笑った。

それでもリュウは仕事の話を少しでも教えようとし、メモをとりながらそれを聞くミユは、ひとつひとつ大きなリアクションで感心していた。

「すごいです」とため息混じりに聞き入り、さらにそのことについて深く質問してくる。残念ながら部下にはミユほど能力の高い人間はいないと思った。リュウが話すことの本質を汲み取り、的確に質問してくる。やっぱり大学出てる女は違うのかなとさえ思った。

 

その日、3時間もの間話をしていた。帰る時、リュウは何を考えてるのか自分では分からなかったが、無意識にミユを誘った。「まだ話せるなら、海でも見に行きながら話をしようか」

ミユは大げさなくらいに喜んだ。「ぜひ!」と。

リュウの車は、中古で買ったBMW318のツーリングだった。時間はもう23時を回っていて、海には車通りがほとんどなかった。穏やかな海は月に照らされ、遠くを漁船なのか客船なのかわからないがゆっくりと航行しているのが見えた。

 

もちろん、そこでは何もなかった。1時間ほどドライブしながら話をして、ミユの赤い軽自動車を見送ってからリュウも家に帰った。家に帰ると、妻がまだ起きていた。

「ご飯どうするの?」と妻が言った。

「ああ、食べてきたよ」リュウが言う。

「早く言ってよ」妻が少しむっとして、そのまま無言で寝室に行った。

 

リビングでビールの缶を開けたとき、メールが鳴った。ミユだった。

“今日はとても楽しかったです。またお会いできますか?今度はわたしがごちそうしますね”

たったそれだけの文章だったが、リュウは心が高揚するのが分かった。

“ミユさんは笑顔がステキだね”

こんなこと送るともしかしたらセクハラかもしれなかった。でも

リュウさんと呼んでもいいですか?”

と返事をくれるのは、このミユのビジネスパーソンとしての能力なのか、純粋に好意を持ってくれているからなのか、恋愛経験の少ないリュウには分からなかった。

 

少し酔って眠ろうとするとき、ミユと話していた時間の心地よさが繰り返し思い出されて、心がざわついた。

 

リュウがミユと不倫関係になるのは時間がかからなかった。

最初の目的はどこかに飛んでいき、毎週末に食事をするようになった。4回目の食事が終わって家に帰ると、ミユからいつもと違う雰囲気のメールが送られてきた。その日、ミユは普段とは違うセクシーな服装をしていたのを気づいてはいた。

 

“このまま何もないまま食事だけしていても、2人のためにならないよね。食事だけならもう会えない。”

それはセックスのことだと、リュウは思った。

だから次の日、また無理に会うことにした。会ってそのまま無言でラブホテルに行った。

服を脱いだミユは、想像を越えたスタイルの良さだった。今まで妻しか知らなかったリュウにとって、それはAVで見るようなセックスだった。なにせ、妻はフェラチオも騎乗位もしたことがない。ミユがすること全てがリュウには生まれて初めてのことばかりだった。

「女の子みたいな声を出すのね」とミユが笑うと、リュウは顔が赤くなった。でも部屋は薄暗く気づかれなかった。

 

ラブホテルから出る時、リュウとミユは不倫関係になっていた。その関係を不倫と名前をつけることはしたくなかった。不倫と呼ぶには、純粋に恋愛しているとリュウは思っていた。

ミユは言った。「彼氏いるんだ、実は」

「え、いるの」

「もう4年になるんだけど」

「俺は、いらないかな」

「彼氏とは別れるね」

「そうか」

そして、その後しばらくして、彼氏とは別れたとミユが言った。聞いた話によると、大学時代からの彼氏で、ここ数年は遠距離になっていたんだという。いい人だし、若かったし楽しかったけど、今はもう何か違う気がしていた、と。

彼氏に「新しい男ができたのか」と訊かれたので、正直に言ったとミユ。「仕事で尊敬する人だよ」と。「でも、既婚なの」とまで。

 

「馬鹿じゃねえの」と、彼氏が言ったという。

 

「好きだからもう仕方ないよね」ミユがそう笑って言った。

 

その頃を振り返って、数年後、リュウがアキラに言った。

「生まれて初めて恋愛をしている気分になったんだ」って。

「恋愛って、ビタミンだと思った。さらに寝ないで仕事ができるような気持ちにさえなった」

 

そんなリュウとミユの関係を、リュウの妻が気づくのには半年かかった。

 

【つづく】