おばあちゃんのお説教じゃないけれど

俺の周辺では、いわゆる苦労して成功した人っていうタイプがたくさんいる。

一言で苦労したって言うとあっけないんだけど、みんな、その程度にしか言わないんだよね。

あまりに他人に自分の過去の苦労話を披露してもいいことはない。その過去の苦労話が「ビジネス」とか「商品」になるのでない限り、社長達は自分の過去は積極的に語ろうとしないよ。

 

「かなりご苦労されたんじゃないですか?」なんて言ったところで、気難しい社長なら「別に」って言うし、せいぜい「まあ、そうだね」で終わる。

 

実際はその「苦労」の中身は壮絶極まりなくて。

俺で例えれば、財布に5円もなかったとか、なのに裁判所から出頭命令が来るとか、商談に行きたいのに交通費がなくて往復30キロなら歩いて行くとか、そして破談するとか、金がないせいでみじめな嘘をつかなきゃならないとか、金がないせいで約束をすっぽかすことになるとか、仕事するための金を賄うために数日食べてないとか、まあ、一言、「みじめ」だよ。

自己肯定感もなんもない。あるわけない。吉幾三じゃないけど。

あるのは叶わない目標と、自己憐憫、そして自分以外の誰かのせい。そんなどよーんと暗いものを背負って、1人で暗い林道を歩いてる時代なんだよ。すれ違う人がいたら蹴られるかもしれないから、夜歩くんだ。だからまた躓いて転ぶ。夜だから誰も助けない。自分の脛から血が出てるのかすら分からないけど、破けたデニムが固まった糊みたいなのでへばりついてるのが分かる。だから1人でムカついて、1人でそれでも歩く。

 

そんな時代のこと、誰に話しても意味ないって、俺も思う。せめてブログという形で発信するだけで、現実の生活では親しい人にもそんな話すことはないよ。俺の親しい人たちも、ここを読んで初めて知ることが多いくらいだから。

 

恨み節ばかりの俺だったけど、人生が変わるきっかけをくれたのは、人との出会いだった。ここ、誤解してほしくないんだけど、それは丸投げ依存できる王子様と出会ったという意味じゃないよ。

それはまるで400mのトラックを20人でリレーするようなもので、色んな人との出会いが連鎖していき、最後にすごい気付きに自分が達していくという物語だった。実はその一人ひとりは、優秀な人もいれば、いわゆる落ちこぼれた窓際の閑職おじさんだったりもした。色んな人が、俺にリレーしてくれた。

 

もっと正確に言うと、誰も俺を幸せにしてくれるためにリレーしてくれたわけじゃないってこと。俺を貶めようとした人もいるんだけど、その人すら俺をリレーしてたことになるんだ。

一度リレーが始まると、俺を騙して金を奪った詐欺野郎のことも、俺を利用して切り離したクソ野郎のことも、感謝しかなくなった。

全ての出会いが次に繋がる気づきをくれたんだよね。それは不思議な感覚で、あれだけ自分の不運を呪っていた自分が、今は自分の運命を自分が引っ張っているような感じがした。

目標に近づいていく感覚に囚われた瞬間、すべてのうんこな現実が単なる現象にしか過ぎなくなった。新幹線で通過する駅の名前が全く見えないのと同じだ。

 

そして俺は暗い林道を抜けて、大きな湖に出たような感じ。そこは明るくて穏やかで。まだ小舟で向こう岸まで渡る仕事があるんだけど、これはきっと楽しいって思える。

 

たぶんね、そういうリレーって、最初は「感謝」だったと思うんだよね。

 

食えなかった自分に、たった2つのおにぎりをくれたスタッフのお母さんとか、

みじめすぎた俺に、誰もやらないような小さな仕事をあてがってくれた元請けの社長とか、

せめて貧乏臭く見られないようにって必死に磨いて履いていた革靴とか、

ぶっ壊れながらも必ず現場まで俺を乗せていってくれた車とか、

俺をアニキと呼んでくれるなつきの存在とか

あの盗んで食べたパンの味とか、

公園で飲んだ水とか、

小銭を稼いだセコいビジネスとか、

そういうものに、ありがとうと思えた。

俺はまだ、それでも生きるだけの幸運はあるんだなと感謝した。まだもう少しは生きていていいということなんだなと。まだやれよって誰かが言ってくれるんだなと。

 

だから、素直に感謝して、騙されてもいいから歩いてみた。出会う人や、遭遇する現象に、全てに学びと感謝を感じるようになったんだよね。

 

臭いかもしれないけど。

 

セックスしてくれた女性にもありがとうと言った。出会いに感謝してるよと、縁に感謝してるよと。そしたら女性たちはみんな笑ったけど、次に落ち着いて、ありがとうねって言ってくれた。

みんな、いい女ばかりだと本気で思った。

そしたら今度は、いい女との縁の数さえ爆発しはじめた。沢山の女が俺のビジネスを助けてくれるようになって、その先にまた縁が繋がったりもした。

 

きっとね、みじめすぎる底の底まで行くと、もう笑いと感謝しか残らないわけよな。

こんなところで仕事もらってるなんて、って、車の中で何度拝んだことか(笑)

 

だから言うわけ。

人生変えたかったら、まずは感謝しなよって。

 

別にさ、おばあちゃんのいい言葉的なお説教をしたいわけじゃないよ。感謝なんかしねえよって生き方もいいと思う。

でも生命っていうプールの底には、黒い太文字で感謝って書いてあるから。そこ見てきてから感謝しても遅くない。

今日の糧に感謝して食べましょうって、道徳の時間みたいなことを田舎のクソ不良だった俺が言うのも変だけど、実際それが成功の近道だったりするんだよね。

 

幸運って、何度でも意図的に手繰り寄せることができる、幸運って科学だって、俺はいつも思う。

だからこそ、その手繰り寄せるためのタグにはきっと、「#感謝」って書いてるんだよ。