もし最高に幸せな日を挙げるとしたら

昔、昔の話をする。

 

長年付き合った恋人が俺にもいた。俺も仕事が忙しくて、世の中の恋人たちのように頻繁に会ってデートするなんてことはできなかった。

土日も平日も仕事仕事仕事。働いても働いても生活は一向に良くならない。食べ物も粗末なものを買い置きしてほそぼそと食べていた。靴だって一足しかなくて、ボロ隠しに毎日一生懸命磨いたり、靴底の穴を補修ゴムで埋めている有様だった。新型家電なんて到底縁がなく、車だって誰かが捨てるものを数万円で買ってきて乗っていた。

それは付き合っていた彼女も同じような有様でね。近所のスーパーで仕事帰りに買ってきた300円の弁当を毎日食べているようだった。いつも身ぎれいにしている美人だったけど、生活がとても苦しいのを俺も知っていた。

もちろん、どちらも世間的にはまともな仕事についているはずなんだけど、この日本では真面目に働くだけではお金に余裕なんてできないんだって痛いほど思い知っていた。

 

そんな生活の中でも、恋人だった女性はとても気が利く子で、誕生日とか記念日とかはいつもサプライズでお祝いしてくれた。夜景の見えるレストランで、俺の誕生日を店に頼んで祝ってくれたり。ボロボロの安っぽい名刺入れを使っているのを知っていて、新しいものを買ってくれたり。

数万円もするスイス製の名刺入れを送ってくれたのに、俺が「○○ちゃんはどんな名刺入れを使ってるの」と聞くと、正直言って数千円で買えるような安いビニール製のものだったんだよね。あー・・・と思った。ありがとうと思った。

このオンナは幸せにしないといけないと、ろくな金も稼げないままの若い俺は思った。

夜の世界で派手に生きてきた俺だったけど、当時はまともな昼の世界で戦っていた。学歴もない、田舎の不良育ちの俺が、マイナスからまともな人生を積み上げようと必死に生きていた。そういう努力を、無神経な人間たちはいつも「綺麗事ばかり言う」と罵るもんだ。でも、俺は、こうして付き合っている彼女や、仕事で出会う人達、協力してくれる人たち、もっと言えば俺を人間扱いしてくれる人たちに、本当に感謝をして生きようとした。そういう努力を綺麗事だと馬鹿にする人間に腹を立てながらも。

 

彼女も必死に戦って生きているのを知っていた。毎日言いたいこと、苦しいこと、悔しいこと、不安なこともあっただろう。でも、俺はいつも一緒にいられるわけでもなかった。できることは限られていた。

だから、少しでも何か貢献しようとした。それは、暖房用の灯油を買いに行くことだったりもした。女性が1人で18Lのポリタンクに灯油を買ってくるのは重いだろうと、その都度俺は車で買いに行ったり。ガソリンの負担がなくなると少しでも楽になるだろうと、目盛りがあと僅かになった軽自動車を満タンにしたり。

金も時間もない俺には、そんなことをするのが精一杯だったけど。その都度、笑顔を顔いっぱいに咲かせて感謝してくれる彼女に、俺も幸せな気持ちになった。

してあげることがこれだけ自分の幸せになるのかと、まだガキだった俺は始めて知った。だからとにかく自分のことより、相手のことを思いやろうと。そのことがきっと、この貧しい生活の中から幸せになっていく近道なんじゃないかと思ったんだ。

 

喜ぶ顔が見たくてって言うと偽善に聞こえるかもしれないけどさ。いや、喜ばなくてもいい気もして。少しでも苦労が和らげばよかった。

何か必要なものはないか、何か困ってることはないか、といつも訊くようになった。もちろん何もないと言うのだけれど。

たまに行く旅行には、いつも当日の朝に美容院で髪をおしゃれにしてから来ていた。そうやってとても喜んでくれていることが幸せだったっけ。

 

そんな風に付き合っていた彼女とも、やはり別れのときは来るわけで。

きっかけは彼女の転職だった。転職したときに彼女は人生を変えたいと思っているのが分かった。俺もまた病気になっていて、その当時はめったに会うこともなくなっていた。

自分のことで精一杯だったんだ。俺も。今のように大人で、何もかも自分でできる人間じゃない。眠る瞬間までストレスを抱えて、ぎこちなく眠りに落ちるような惨めな毎日だった。

別れてしまうと、もっとやれたことがあったんじゃないかって、辛い思いをした。

自分のためにじゃなく、彼女のためにしてあげられることがもっとあったんじゃないかと。

彼女のけじめだったんだろう。最後にある高級ホテルに招待してくれた。そこで食事をして、眠った。朝にはもしかしたら他人になっていたのかもしれない。

その数日後には別れてしまった。

そこからは俺の病気がもっと重くなってしまい、しばらく仕事もできなくなってしまっていた。

 

その後数年間、彼女とは会うことも、メールすることもなくなっていた。SNSがある時代じゃないし、住んでいる場所も遠く離れていたからもう今何をしてるのかさえ分からなくなった。俺は病気が和らいだ頃に、献身的に看病してくれた女性が新しい彼女となっていた。でも、あの彼女との時代のように心が動くような付き合いにはならなくて、たった1年半で別れてしまっていた。

思えば酷いことをしたと思う。あれだけ溢れていた貢献の気持ちは40%しかなく、正直、何かをしようとするたびに面倒臭いな・・・って思ってる自分がいた。いや、ものすごく美人だと思う。世間の男がうらやましがるような。でも、違うだろ。ああいう恋愛はそう多くはないもんだからさ。

 

そんなある日のこと。俺はいつものように仕事をしていた。相変わらず鈍くさい俺が、もたもたしながら。偶然、彼女が住んでいる(であろう)街で仕事をしていた。

突然ケータイにメールが入った。それは彼女からだった。

俺は、彼女のメールアドレスも電話番号も削除したけれど、どちらも忘れずに覚えていたからすぐに誰か分かった。

「相談事がある」

そういう趣旨の内容だったと思う。ひさしぶりとか、どうしてるのとか、そんな社交辞令もなく、じゃあ、今日会うかということになった。

俺は知っていたんだ。彼女が別れるときにはすでに新しい彼氏がいるということも。

どんな相談内容かは知らなかった。でも検討はついていた。

別れたオンナからされる相談なんて世の中には3つしかないからね。

 

待ち合わせ場所は駅だった。でも仕事帰りのアポだったから、約束の時間に大幅に遅れてしまっていた。道路が渋滞で間に合わなかったんだ。

そのうち彼女からメールが入った。

「彼氏が急に早く仕事が終わることになって。ごめん」

そうか、こちらこそ申し訳ないってことになってね。待ち合わせ場所を通り過ぎて、俺は帰った。歩道を歩く彼女を見かけたが、それは言わなかった。

 

「残念だよ」俺は言った。

「わたしもね。アキラの好きなプルーンを買ったのに。」

待ち合わせ場所近くには、いつも通っていた高級青果店があった。

 

でも彼氏がっていうわりには、その後ずっと夜までメールのやり取りをした。

「相談ってなんだったの」と俺が訊くと、

「仕事のこと」と言った。

長く付き合った俺だから気づかないわけがない。そんなの嘘でしょと。本当のことがあるでしょと。

結局、仕事の相談などなかった。その頃、俺が抱えていた仕事のトラブルの話をしていて、返事が帰ってこなくなり、最後のメールは着信拒否になってしまった。

 

でもね。

俺は気づいていたんだ。本当は何を言いたかったのかって。

きっと、子供が出来たってことだったんだと思う。そこから仕事のことや、生活のこと、人生のことを、聞いてほしかったんだと思う。本当に苦しいとき、本当に困った時、親にも言えないことを話せるのが俺だっただろうから。

でもそれは勇気がいることだろうし、元の彼氏に言うことなのかって最後まで悩み、そして会うのをやめることにしたんだと思う。そして着信拒否にしたんだって知ってる。

 

ずっとずっと時間が過ぎてこの2017年になって、思うんだよね。

 

貢献が愛だと知ったのはずっと後のことだけれど、俺が彼女との付き合いの中で一番幸せを感じた瞬間があるとしたら、あの、会えなかった日だったと思う。

子供ができたと知ったら、俺は声をあげて喜んだはず。新しい人生を祝福し、勇気づけたと思う。それが直接できなかったとしても、俺は人知らず影から祝福をする。

たった一人で、自宅で祝杯をあげるよ。

そのしあわせに俺という人間が関われなかったとしてもね。

 

愛ってそういうもんだろ。

愛ってさ、貢献のことなんだよ。