セックスが「愛を確かめる行為」などではないのはこんな理由

ラブレスキューなどずっと読んでいただいている方にとっては、アキラってそういう感性だよねってご理解いただけていると思う。

俺は、セックスは「愛を確かめる行為」なんかではないとずっと思ってる。

愛しているからセックスできるとか、愛しているからセックスしたいとか、抱かれていると安心するとか、抱かれているから確認できるとか、そういう感情が全て気持ち悪くて仕方ない。

もっと言えば、ぽっきいがよく言う「セックスしながら戦争はできない」って言葉、それも少し違う気がしてる。

 

愛などなくてもセックスなんかできるし、愛なんか無くても中出しすれば妊娠する。子供が生まれて新しい命が芽生えるのは神様に祝福されるべきことだが、別のそのプロセスに愛などなくても成り立つわけだよな。

レイプしたってセックスできるし、むかし・・・怪我で意識がなくなった負傷兵士と看護師が騎乗位でセックスして、生まれてきた子供の人生を描いた小説もあったな。

 

別にセックスが愛で祝福されているわけじゃないんだよな。

 

思い出して欲しい。セックスというものは最初からステキなキラキラなものだっただろうか。

早い人は10代の頃にセックスしたんじゃないの。俺もそう。

俺が初めてセックスしたとき、なんて汚らしいんだと思った。おまんこはグロテスクで変な臭いがし、体液がぐちゅぐちゅ出て来るし、体位を変える度に屁みたいな音までする。それとうらはらに俺のちんぽはギンギンになって、臭っせえ精子を排泄するたびに、セックスってきったねえなと思っていた。精神的に汚いんじゃなく、便所でうんこするのと同じレベルの行為だなと思ったもんだ。

セックスするたびに当時の彼女が言った。「わたしのこと大切?」

いやそれとセックスは違う気がしますよと思ったんだが、言わなかった。

愛があればウンコも食える、ウンコ食うからには愛がある、それと事態は何も変わらないと思った。

 

18歳の頃から俺は東京のある街で、中年女性とセックスする仕事をしていた。正確にはセックスだけじゃなくて、実際はデートクラブ的なもんなんだけどね。まあ女たちの目的はセックスだろう。

その中年女性はみんな、若い頃に「性から逃げ回った」女ばかりだったと思う。若い頃に見合い結婚をし、結婚してから初めてセックスをし、お勤めとして夫とセックスをしていたもののセックスの意味するものを考えたこともなく、ただ、いやらしい行為としか思えなかった女たち。夫とのセックスが苦痛で、でも生まれてきた子どもたちは可愛くて。早く夫が老いてセックス出来なくなって欲しいと願っていた女たち。

 

でも40代になって、向き合ってこなかったセックスに苦しめられるようになる。

距離を置いてすかしていたセックスというやつが、強引に居候始めたようなもんだ。

若い頃にセックスを自分のものにしようと付き合ってこなかった天罰のように、身勝手な性欲を押し付けるために若い俺に金を握らせ、身勝手にセックスする。

みんながみんな言うんだ、「若い頃は一通り悪いこともしてきたし、エッチなことも沢山してきたけれど」ってね。ほんとにみんな同じことを言う。

んなわけねだろってガキだった俺でも分かる。

お前らみたいな鈍くせえババアがそんな華やかな過去があるわけねえだろうと。ガッコつけんじゃねえ。

みんな、自分の過去を美化し、今の自分を必死に守りながらも、黒ずんだマンコを満足させたくて金を払ってセックスしていた。

今だったらさしずめ、「裏垢」とか称してTwitterで気持ち悪いエロツイートし続ける迷惑なおばさんというところだろう。

何を守ってんのかしらねえが、今のあんたらは性欲妖怪潮吹きばばあだ。

 

みんな、アキラをペットのように扱った。

「もー、アキラったら1人じゃ何もできないんだから」とか

「アキラは威厳がないわね」とか

「アキラは頼りないからきっと年上の女性が向いてるわよ」とか。

お前らが俺の何を知ってる?お前らは俺に何か質問したか、俺の18年の歴史に何か質問したか?俺がどこで生まれ、どんなことがあって何を考えたか、知ろうとしたか?

まるでマヌケな衣装着せられた小型犬のように、俺はちんぽギンギンにさせて、チンチンの芸をしてみせるだけ。

ババアの性欲はきもちわりーな、そう思っては毎晩ムカついていた。

金だけが俺の癒やしだった。早く払えよと思いながら、マヌケな小型犬を気取っていた。

だから、仕事が終わるとたまに風俗に寄って抜いてもらった。さっきちんぽから血が出るほど抜いたのに、自分のために射精がしたくて風俗で乾いた雑巾を絞るように射精したんだ。

当時付き合っていた派手な見た目の女たちもいて、俺のアパートの部屋で俺がうなされながら眠るのを笑って見ていたり。

 

俺のように公衆便所やってるやつらは、男でも女でも、人の腹の底が透けて見えているもんだ。

セックスって愛という御大層な観念なんか関係なく、ちんぽまんこを丸出しにして、利己的な欲望を押し付け合う行為だから。だからこそ、本性が丸出しになる。昼間の肩書など意味がない。学歴も職歴も意味がない。過去も未来も、預金残高も何も関係ねえ。

自分の見栄にしがみついて一生懸命自分を守ったところで、マヌケにしか見えねえよ。丸出しちんぽ勃起させて生徒に生活指導する教師のようなもんだ。

 

セックスは愛を確かめる行為ではなく、そいつの腹の底を査定し合う行為だよ。

自分も相手も欲望に身を任せる不潔な粘膜のこすり合いなんだから。

 

だから、20歳のとき、セックスから逃げた人間は男でも女でも、惨めな中年セックスをするようになる。御大層な旗を広げて、理念を語って、やってることは地味なパンツの中の仮性包茎ちんぽをおっ立てている。

ババアだとしたら、Twitterみたいな安全地帯でエロを気取って、似たような男にチヤホヤされて自己承認欲求を満たすマヌケにもなるだろう。

 

セックスとは暴力

セックスとは差別

セックスとは、俺とおまえが一番触れてほしくない心の炎症を起こした部分を思い切りこする行為。

 

セックスとは殴り合いだ。それが本質である以上、セックスが逃げるのは腰抜けでしかない。そして逃げてしまえば後でつけを払うことになる。セックスから逃げれば利息を払うときが来る。必ず。

 

ぽっきいのようなひでえ言葉の羅列と、偏見と、差別。それがセックスそのもの。

そこから逃げちまったらセックスに小突き回されて、街を追い出されちまう。

 

セックスから逃げてはいけない。

おいおい、悪い冗談言い過ぎだぜって言いながら、セックスと付き合っていかなくてはならない。

おいおい、シングルCDみたいな乳輪隠してろよ、なんて言いながら。

セックスというガキ大将からは逃れられない。セックスを利用するか、セックスに取り入るか、それとも征服して自分がガキ大将になるか。

 

幸せなことに、俺は45歳の今、セックスに何のコンプレックスも僻みも持ってない。ひん曲がった感情をセックスに託さずに済んでる。

セックスと上手く付き合っていると思う。そしてセックスで色んな人とつながっている。

 

でもセックスは油断できねえテロリスト。どんな悪い思想持ってるか知れたもんじゃねえ。

 

セックスの本質から逃げるな。