1990年の悩みを2017年に持ったら、人は簡単に死ぬ

俺が高校生だった1990年は、高校生や大学生の進路ってこんな共通する価値観があったと思う。

「偏差値の高い高校に入学し、次に偏差値の高い大学に入学する。そうすれば一部上場企業に就職出来て、定年退職するまで給料は右肩上がりに増え続け、もし役員になれたら年収3000万円と使い放題の経費が手に入る。」

そしてその逆もあって、

「もし底辺高校に入学でもしたら、大学に行けなくなって、田舎のしょぼい零細企業に就職するハメになって、昇給もボーナスも福利厚生もなく、そのうち会社が倒産して失業して、一生結婚もできない」

みたいな。

このざっくりと2つの価値観が植え付けられていたんじゃないかな。

もちろん今もそんなことを考えてる人もいるみたいだけど、当時が今と違うのは、親の世代は中卒か高卒だったということ。それでも右肩上がりの日本では、十分家族を養うことができた。真面目であれば貧乏にはならなかった。そして子どもたちは、努力さえすれば自分たちが行かなかった大学という進路も開けている。むしろ、そうしないとこれからは負け犬になってしまう・・・そう親たちは思っていたと思う。

 

この当時、「職業」とは、「会社名」のことだったと思う。

「なんのお仕事をされているんですか?」と聞かれたら、ドヤ顔で「○○堂です」とか「○○海上です」とか「○○商事です」とか「○○銀行です」、聞いてもいない会社名を答える人が多かった。

いや、業種と職種のことを質問したんだよって言いたくなるが、当時は会社名だったんだ。勤め先が零細企業の人だけ、「ごにょごにょ」ってはっきり言わない。恥ずかしかったんだろう。

2017年の今、そういう答え方をしていたら、馬鹿だと思われるよね。

でも当時はそうだったわけ。

 

当時の18歳が、今、18歳や22歳の子供の親の世代になってる。

そうなると事態はもうめちゃくちゃシュールな有様だよ。

 

たとえば青森の田舎でも、学習塾の前を夜9時頃通ってみると、子供の迎えの車が沢山並んでいるよ。子供を「良い高校」に入れさせたくて必死なんだ。親がね。言っとくけど青森だぜ?

残念な事実があってさ、その親達は一様に、大学に行ってなかったりする。つまり、大学に入ることが安定した人生のチケットだと固く信じているらしいんだ。

まるで1990年の18歳の親の世代のような考え方をした親が、2017年に18歳の親になってるってことだね。

一方、さらに残念な事実もあって。俺は一応、地元の進学校の出身なんだが、当時の同級生で子供を塾に通わせていると聞いたことがほとんどない。いや塾なり予備校なりに通ってるケースはあるのかもしれないけど、あの塾の前の渋滞のように必死な雰囲気はないと思う。それどころか、あの優等生だった男の子供が、地元のわりと偏差値が低い高校に通っていたり。それが別に困ってもいなくてさ。「好きに面白おかしく生きろ」って言ってる。

子供に1990年の価値観を押し付けて塾漬けにする親がいる一方で、元優等生のオヤジは子供にいくらでも本を買い与えていたり、一緒に旅行に行ったりして学歴には無頓着。部活も別にやらなくてもいいとか言ってる。好きにしろと。

結果、子供のヒューマンスキルは後者のほうが圧倒的に高い。もちろん学歴は低めかもしれないけど。

人生としてどっちが幸福度が高くなるかっていうと、それも後者かもしれない。きっとそうだね。前者は、いつも緊張し、成績が悪い子に尊大な態度を取ったりする自己愛な子供になりやすい。そして、学歴と将来のステイタスや年収が直接関係ないっていう事実を受け入れられず、かなり苦しむことになるよ。

1990年の18歳だって、46歳になってそこに気づいたんだから。学歴と人生に直接の関係がないってことに。当時はまだその価値観を信じていてもそこそこ良かったけど、今、それを真に受けて大人になってしまったら、・・・不謹慎かもしれないけどね、言うよ。

自殺するまで働く人間になってしまうんじゃないの。学歴があって、年収が高いかもしれないけど、それで人生が豊かになってるかというときっと焦りしかない。そして疲れてる。親の価値観を信じて努力してきたけど、そこ先の2017年にはどん詰まり感しかなくて。

 

1990年の悩みを、2017年に同じように悩んだら、人は簡単に死ぬよ。

1990年の働きすぎと、2017年の働きすぎは、同じ残業時間でも疲れと悩みの質量が全く違う。なぜなら、いい大学に行くことを期待した親が想像しているほど、その進路に親が期待するステイタスはもう存在しないわけだから。

1994年に俺が会社員になったとき、初日に言われたのは「死ねカス」だった。先輩に。でもそれ、気にならないんだよね。だって怒られても頑張っていけば昇給もあるし明るい未来あるもんな。

でも2017年に初日に「死ねカス」言われたらつらい。1994年に残業150時間は疲れたけど楽しくもあった。でも2017年にそれやったら俺も死にかねないと思う。

 

学歴だとか会社の知名度だとか、そんなモノサシを人参にして努力した先は、どん詰まりの自殺ワールドなんだよ。

そこまで日本はシンプルじゃないんだから。

昔ながらの、職業=会社名、みたいな価値観では、自分の生き方が迷子になるだけ。

そんなもん捨てても別にもったいなくもないし、絶対にそっちのほうが幸せに近い。

 

親が知ってる職業なんて、どれもどん詰まりだと思うよ?

 

職業なんて自分で作ってしまってもいいんだし、

親が知ってる職業であることと、自分が幸せになることとは、反比例だと思うんだけどね。

2017年は、親が理解できて喜ぶ夢を持ったら、もう終わりなんじゃないのかな。