コミュニケーション講座・番外編

久しぶりにやります。コミュニケーション講座。

このアキラ師のコミュニケーション講座は、「モテスキル」みたいなものではなく、人生をよりよく、より楽しく生きるためのヒントみたいな感じで読んでいただければいいです。

ご自身の何かに置き換えて考えてみると、もしかしたら「あっ!」って気づくところがあるかもしれない。

俺は別に心理カウンセラーでも学者でもなんでもないので、語れることは俺自身の体験のことだけだよ。今日も俺の体験から始めようと思う。

 

10数年前、ある主婦と話をしていた。当時、小学生の子供がいる30代の主婦で、一度も就職したことがない女だった。

その人が小学生の子供の買い物についてこんな風に俺に言った。

子供はバスケ部に入っている。夫も自分もバスケ部に入るのは反対だった。まだ子供なのになぜあんなに長時間きつい練習をさせる顧問が馬鹿だと思うし、土日も家で勉強しなくなった、塾にも行ってない。子供に運動をさせるのは意味がない。

その子供が、ある日、自分のバスケットボールを買うと言った。買って欲しいというのではなく、お小遣いを貯めて買うと言う。値段は6000円。子供にとっては決して安くない。

母親はびっくりして、そんな無駄な買い物してどうするの!と叱った。ボールなら学校のものを使えば済むでしょ!馬鹿じゃないの!と。それを夫にも言うと、夫も激怒する。ボールにそんな大金をかけて無駄遣いだ!と。

夫婦2人で子供を責め立てた結果、子供は泣いてしまい、次の日バスケ部を辞めてしまった。勝手に辞めてしまったことをまた叱ったが、子供は何も言わなくなった。泣きもしない。ちょうどいい機会だと思って、塾に通わせようと思ったら、絶対に行かないと言う。

子供は、バスケなんかやらせたせいで最近おかしくなってしまった。全部あの顧問の教師のせいだと。

で、こういうことは教育委員会に苦情を言えばいいんだろうか?と、俺に言うわけね。

 

この母親、俺が個人的に親しい女だったので、ちょっとキツめに言った。

馬鹿かおまえ。

 

なぜ、バスケ部が馬鹿らしいことなのか?

なぜ、バスケ部を頑張ることがそんなに見下すような行為なのか?

子供はバスケ部を強制させられる被害者なのか?

子供はなぜ、自分のマイボールを欲しいと思ったのか?

子供はなぜ、買ってくれと言わずに小遣いを貯めたのか?

子供は、それが無駄遣いだと思って小遣いを貯め続けたのか?

6000円という値段は、何と比較して高いのか?

なぜ、バスケ部を辞めてきたのか?

なぜ、塾通いを拒否するのか?

なぜ、おまえを無視しはじめたのか?

 

女はその質問に全く答えられない。答えるんだが、答えになってない。6000円は高いものは高い、子供は勉強しないと浮浪者になるしかなくなる、バスケをやっても成績が上がらない、親の言うことを聞かない子供は施設に預ける、興奮してそんなことを口走るだけ。

だよな、その程度の人間だよなおまえは、そう俺が言うと激怒してしまった。そして俺に言う。「子供もいない人間に分かるはずがないよね!」

 

それから10年以上が過ぎ、その子供は高校を中退し、それをまた責め立てた母親をぶん殴って鼻を折り、家を出て行方知らずになったんだけどさ。

 

ここを読んでる人は、もしかしたら神さまの目線でこの事態を冷静に見れているかもしれない。でも当事者だったらどう思うだろうか。

 

これは、この母親である女の精神年齢の未熟さが原因なんだよな。そもそも、考えてみれば分かる。

何と比較してその価値観を持っているのかというと、何もない。どこにあるか分からないような、「世間一般的に」とか「自分」という曖昧な基準だよ。

子供に対していろいろ押し付けて、子供の努力すら平気で馬鹿にしているが、では自分としては子供にどうなってもらいたいのか言葉で他人にプレゼンテーションできるほどのビジョンがあるのかというと、当然ないよな。

 

俺だって分かるよ。子供は、自分のボールを愛情を持って手入れしながら、自主トレしたいと思ったんだ。それくらい、自分の今していることに大きな価値と目標を持っていた。レギュラーにもなれるほどの結果を出して、道具にこだわりたいと思うほどのレベルに達していたんだ。

それを、この馬鹿親はその行為を、くだらないとか、無駄遣いだとか無神経に責め立てたわけ。

もう、全てがくだらなくなるだろう。俺もきっとそうなる。小学生の子供だからなおさらね。

ちなみに、この父親の職業は公務員。貯蓄残高を眺めるのが趣味のくだらねえ男だ。口癖は、勉強をしないとテレビに出てくるような馬鹿なタレントみたいになる、だった。

 

2人が腹の底に持っているのは、恐怖でしかない。そして不安。

 

2017年の今、その夫婦は、中退した息子が今も行方不明であることを恥に思っている。それと同時に、恥を抱えて生きているのがひどく辛いらしく、子供を戸籍から除籍できないか色んな人に聞いている有様。なかったことにしないということか。子供の存在すら最初からなかったことにしたいということ。もちろん、日本の民法はそんなことができるはずもない。

普通の知的な大人が考えることじゃねえよな。

 

これって、ものすごく気づきがある。

 

その子供の価値観は、「○○をする」という主体的なものだった。

一方の親の価値観は、「○○をしない」という主体性のないもの。

 

例えれば、子供は「価値のあるものにお金を使いたい」と思っている。

親は、「そんなもの意味がない」と警告しようとする。

 

これって、生活のいろんな場面で似たようなことがあるよ。

 

例えば、カルティエのブティックでタンクを買わず、田舎のショッピングセンターのテナントで入っている並行輸入の激安店で買おうとする女。

理由は、正規店で定価でかうやつは馬鹿だから、と言う。

 

例えば、十分な年収がありながら、とにかく世の中で一番安い家を買おうと調べている男。家族の要望も、夢も興味がない。

理由は?損するのが絶対に嫌だから。失敗するのが怖いから。高い家に意味ないから。

 

例えば、アウディのディーラーで値引きを要求する農協勤めの男。

理由は?俺は値引きしないで買うほど馬鹿じゃない、から。

 

例えば、十分な学力がありながら、地方公務員になろうとする男。別に地方行政に使命を感じているわけじゃない。

理由は?給料が安定してるし貯金できるから。

貯金は何に使うの?何もない。あれば安心でしょ、それだけ。

 

実は、前述の馬鹿な母親と、哀れな子供を、同時に自分で演じている人が多いと思う。

 

大きな夢を持ちながらも、根拠もない自論や恐怖心だけで、自分の夢を汚してしまっている。

もしカルティエのブティックで定価で堂々と買ったら?

アウディのディーラーで値引きではなく、営業マンの熱心さと車の美しさに惚れ込んでサインをしたとしたら?

情けない理由で公務員になるのではなく、本当にやりたいことにチャレンジしたとしたら?その上での公務員試験だとしたら?

安い土地に安い家を建ててそれを自慢するのではなく、嫁や子供が飛び跳ねて喜ぶマイホームを買おうとしたら?それが決して安くもなかったとしたら?

 

結果、自分に対する尊厳ってゆらぎないものになるんだよな。

その逆は?

身に覚えがないだろうか?せっかく欲しかったカルティエアウディや家のはずなのに、1年後も自分を誇りに思えるだろうか。

そして、この質問に自信を持って答えられるだろうか。

 

「人生を本当に楽しんでいるか?」

 

それは、自分自身に対して、自分の望みを認めてあげたかどうかか、自分を理解しようとしてあげたかどうか、なんだよね。

欲しいのはなんだったのか?

スイス製のフランスのブランドの時間を測る機械?

ドイツ製の、3年経ったらぶっ壊れかねない内燃機関付きの車?

屋根と壁を柱で支える構築物?

違うんじゃないの。

自分が欲しいものを考えることって怖いことなんだよ。経験がある人も多いと思う。考えたこともないというより、考えることから逃げている人のほうが多い。

欲しいものを言葉とイメージで持った時、そこには必ずリスクがあるからさ。

イヤイヤ怖い怖いって、逃げて安全な選択をしようとしても、不安はなくならない。

 

なぜなら、それは自分が本当にしたい決断ではないから。

自分自身に、世間一般の常識という曖昧なものを押し付けて、自分を騙そうとするから不安になるんだよ。

 

自分とコミュニケーション取ってますか?

そのコミュニケーションに必ずあるリスクを受け入れようとしてますか?

そして、人生を楽しむ覚悟はできてるか?

 

ぽっきいみたいなこと言うけどね。