言葉の意味をすり替えて洗脳してくる空気に危機感しかない

 

いつの頃からか、食事の時の「いただきます」って挨拶の意味が、「動物や植物の命を頂くので感謝する」という意味にすり替わっていることに、恐怖を覚えてる。

いや、言ってることの意味も美しさも分かるよ。俺も仕事で豚の屠殺所に行ったことがある。動物としての豚が、殺され、食べ物としての豚になっていく全行程をじっくり見た。悲鳴を上げて逃げ惑う豚を作業員が押さえつけ、頸動脈を切り裂き、激しく痙攣を起こす豚をスロープの下へ蹴って転がす。すると下にいる作業員が豚にフックをかけて吊るし、ゆっくりと豚が作業ラインを流れていく。ラインで待ち構えている女性たちが手際よく豚を解体していき、頭部や足は別室に続くラインに流れていき、そこですぐに箱詰めされ発送されていったり、様々な色をした内臓は普通の家庭用洗濯機でゴロゴロ音を立てて洗われていたり。豚の本体は、最後に湯気の立つお湯につけられて清浄され、別室に入っていくと、そこはもうおなじみの肉屋の光景。大人数の作業員が効率的に手際よく加工して商品にしていく。

豚肉を食べるというのは、一つの命を殺すということには違いない。そこに感謝をするのも分かるし、逆に肉を食べるのは嫌だと思う人もいるだろう。

 

でも、だからといって、食事の前の挨拶「いただきます」が、「命をいただきます」という意味になるわけじゃ絶対にない。

かなり多くの人がそこに違和感もなく受け入れているようだし、俺もそれは素敵な言葉だなとも思うよ。最近は子供も学校でそう習うらしいしね。

 

なぜそうなった?

いつからそうなった?

 

大げさだと思われるかもしれないが、危険な空気しか感じない。なんとなく気づかないうちに耳障りのいいニュアンスにすり替えられ、思想まで根こそぎ置き換えられそうな場の空気しか感じないんだよね。

そもそも、んなもん、胡散臭い宗教の坊主か、作務衣を着た胡散臭えジジイがナルシスティックに習字で書いたような「芸」がスタートだと思ってる。「いただきますは、命をいただきますなんだなぁ」みたいなね。

またはこうかもしれない。「給食費を払っているんだから子供にいただきますを言わせるな」と言った親への対抗として、いただきますは命をいただきますなんだよ、だから言わなきゃならないという苦しげな説明から来てるのかもしれない。

その響きのロマンチックさとか、ヒューマニックな気づきみたいなものもあって、ここ10年位で一気に広まったのかもしれないよね。

 

俺は、ブタさんを殺して美味しい生姜焼きを食べていることに感謝はしているけど、いただきますが豚さんに対しての呼びかけだとは一切思ってない。俺は学歴もないし馬鹿だけど、それでも言葉の意味をすり替えることの危険をよーく知ってる。夜の裏の社会にいたから、言葉の意味をすり替えて洗脳しようとしてくる悪人をよく見てきたからだ。人の金をだまし取ろうとする詐欺師、子ネズミに商品を買い込ませることで成り立つネットワークビジネス、風俗嬢に不当な契約を結ばせようとするクズ、そいつらはみんな「言葉」の威力をよく知っている。言葉の意味のすり替えで、あまり知的に優れていなやつらを相手にパラダイムシフトを起こさせて、好きに操ろうとする。

仕事を志事と書いたりね。

いつも使っていて深い意味を考えなくなった言葉に、実はこんな意味なんですと勝手にニュアンスを付け加えると、人は簡単に感動する。心が動いてしまうと、簡単に考え方の枠組みが入れ替わってしまう。

ちなみに「仕事」の語源は、「す(為)」の連用形「し」と、「事」をあわせた言葉で、単純に「すること」という意味だよ。そこから「職業」を意味するようになって、江戸時代に「為る(する)」=「仕る(する)」という漢字に変わっていき、「仕事」になったらしい。

志をもって事を進めること、なんてニュアンスはどこにもないわけ。

 

いただきますっていうのは、上位者から物をもらったときに、頭上(頂)に掲げて感謝を示す礼儀の動作から来ている。または神仏の供え物をもらうときにも頭上に掲げたんだろう。基本的に目上の者からもらうことへの礼儀から来た言葉。

それが慣用的に使われただけだよ。

意味もなくいただきますと言っている方がまだ健全だし、いや意味を持って言いたいというのであれば、「この食べ物を手に入れられるように仕事を頑張ってくれたお父さんお母さん、ありがたく頂きます」と感謝するのが真っ先だと思うんだよね。

 

誤解がないように言うけど、そりゃ切り刻まれたブタさんとか、引っこ抜かれた草とかに感謝するのも悪いことじゃないが、お父さんお母さんがいなかったらその食べ物食えないわけで。不本意ながら事情があり生活保護を受けているなら、租税の仕組みと、相互扶助の制度に感謝するべきであって。

そういう意味では、給食費払っているからいただきますを言わせるなって言うのもほんの少し理もあると思う。もちろん、礼儀として許されないけどね。意味はなくてもいただきますって言葉にする必要はあるわけよね。

その意味は、両親の労働に対する感謝だって親が教えればいいわけでもあって。

 

それがなぜブタさんに感謝が組み込まれてきたんだ?

ほんと胡散臭い。そこに美しさを感じてしまった自分が恥ずかしい。それは個人的に思うことであって、突然、言葉の意味にまで昇格してきたことが怖い。

 

①そもそもの慣用句であって意味はない

②両親の労働への感謝の気持ち

 

せいぜいどちらかだろう。

 

人に感謝ができないくせに、ブタの命やペットの命にヒューマニズム発揮するのはメンヘラだけだぜ?

まずは隣や家の中にいる人に心を寄せる人間になるのが先だよ。


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