過小評価を強制されると

いつの時代もそうだと思う。俺が10代の時もそうだったし、きっと今もそうだろう。

若い子達が、同級生に対して「過小評価」を強制してくるって光景、見たことがある人が多いと思う。

旬の話題で言うと、フィギュアスケートの金メダリスト、羽生結弦選手を見て子供たちがナルシストだとかなんとか一生懸命になって悪口を言おうとする。

もっと身近な例で言うと、中学時代とか試験勉強を徹夜でやったのに学校では「勉強なんかしていよ」って体調悪そうな顔で言ってるヤツとか。

自分の努力とか結果に対して、「大したことないよ」「全然努力してないよ」「自分怠けてるよ」「結果出ねえ~」なんて言うことが、謙虚だと思われ、それに従ってる奴らはごまんといるよね。

これは別に謙虚ということじゃなくて、「過小評価の強制」なんだよね。

過小評価を強制するということは、本人に「ウソでもいいから大したことないって言ってくれ」ということじゃないかな。

 

もちろん、みんながそうではないよ。陰で努力して大きな成果を挙げたやつを賞賛する子もたくさんいたし、結果はどうであれ自分は頑張ったぜ!って公言するやつに、すげーって感嘆する子もいた。

でも圧倒的多数は違う。苦しみも喜びも人に見せないのが謙虚だと言う。

そのうち、周りはみんな同調してしまう。すると独特の暗さと静かさが覆い尽くすようになる。目立ってはいけない、主張してはいけない、自分は大したことがないと思わなきゃいけない、大きな夢を持ってはいけない、突拍子もない目標を掲げてはいけない、出来ることでも出来ないといったんは言わなければいけない、って感じになる。

田舎の暗さってこれなんだよね。カネがないからとか、商売がうまくいかないから、だけではそうそう暗くならない。

過小評価を強制する空気に同調してしまうと、表情はあっという間に暗くなっていくわけ。強制されているとは感じないほどに、それが「腹落ち」してしまうと、人生はちょっとややこしいものになる。

 

わざと同調しているだけならいいよね。

でも本当にそう思い始めるとかなり厄介なんだよ。

たとえば、「分相応」って言葉があるじゃない。分相応な車を買う、分相応な家を買う、分相応な生活をする。それを綺麗に言いかえると、「丁寧な暮らし」ってことになるかもしれない。

車は高級である必要がないから軽自動車でいい、服はユニクロで十分オシャレになる、デニムは経年変化を楽しむ、安い靴でもきちんと手入れすれば50年履けるらしい、旅行するとしても車で行ける範囲でいい、泊まるホテルも一泊2人で6000円でいい、家は家賃4万円の築35年のアパートだが新築は分不相応なので中古を買ってリノベーションする。

それが金がないなら別にいいよ。公務員同士の夫婦で世帯年収で1300万円ある家族がそれを本音でやってしまう場合がある。何か目的があって金を貯めているわけじゃなく、本気でそれが分相応って思うらしいんだよね。いくら老後の年金が崩壊しそうだとしても、新築の家を買っても十分な貯金ができる計算のはず。

ケチなんじゃなくて、自分を過小評価する習慣が骨の髄まで染み込んでるんだよ。

 

残念ながら、これは公務員だから成り立つけど、会社員や自営業者だったら出世も売上アップも不可能になるだろう。

過小評価っていうのは、過大評価よりもはるかに無能な人間の習慣だからだよ。

ほら、分かりやすく言うと、スーツを着てずっと仕事をしていた人が、病気で休職して半年ぶりにスーツを着たとする。すると鏡を見てびっくりするよ。スーツが全く似合わなくなってることに。冴えねえなあって思う。

ジャージばかり着ていたら、ジャージしか似合わない人間になるし、デニムがボロくなったのを経年変化と言い換えていたら、ボロ着しか似合わない人間になる。誤解がないように言うと、俺もデニムの経年変化は嫌いじゃない。ジャージやデニムが悪いと言ってるのではなくて、「自然体」という言い方で、自分を過小評価して必要以上に粗末な生活を自分に課してないかってこと。

俺は労働者階級だからと言うのは、実際俺もそうだし自然なことのように思えるけど、その階級で固定するような言葉を発してしまうととたんに運気が下がっていくもんだよ。

服で例えるとよくなかったかもしれない。Tシャツばかり着てる億万長者もいるからね。つまり自己評価の話だよ。

 

一度過小評価のマインドセットになると、他人の力では絶対に変えられない。

過小方向へ矮小してしまうと、現状維持バイアスと言って、現状を変えることにものすごく抵抗を感じるようになる。歯磨き粉のブランドすら変えられなくなる。自動車の排気量を660ccから2000ccに変えるようとするだけで恐れ慄くようになるよ。

每日の些細な選択に、自分の過小評価マインドが邪魔をして、どんどん下方向へ自分を落としていく。

分相応だと思って買った中古車が故障しまくって大金がかかったり、分相応だと思って買った中古住宅が性能が低くて光熱費が高額だったり。

実際、金がないと言ってる人の自宅のクローゼットは、ユニクロやらプチプラの服でぎゅうぎゅう詰めだったりする。もっとまともな服買えるし、今のままだと本当に貧乏な人だって印象を与えてしまうと、とね。

 

過大評価がいいとは言い切れないけど、少なくとも自分で自分を認められない人間に大切な仕事は任せないよね。

世の中、ビッグマウスのほうが結果を出すのは、そういう過大評価気味の選択肢の積み上げのおかげだろうと思う。

「出来もしないのに、俺できますよ」と言って大変な思いをしてなんとか帳尻合わせようとする人間と、

「わたしにはとても無理です、他をあたってください」と、堅実に仕事を請け負う人間と、一見後者のほうが信頼がある気がするけどさ。

信頼があるようでいて、ない。その自己評価の範囲でしか仕事は任せてもらえないから。

実際は前者のほうが早く成功すると思う。もちろんトラブルも多いけどね。

 

過小評価を謙虚と受け止めてくれる人は、同じマインドセットを持つ人間だけだよ。

過大評価を自信と受けて止めてくれる人もそう。

世の中、自信がない人より、自信がある人の力で回ってるんだから、成功が早いのは当たり前だよね。

 

過小評価は自分を苦しめるだけ。それを自然だとも、丁寧だとも、誠実だとも思わないほうがいいと俺は思うけどな。