安心はしても自信にはならないこと

先日、新宿で待ち合わせをした。真夏の夕方、気温はたぶん35℃を越えていたと思う。待ち合わせ場所にしたのは駅近くのビルに入っている洋服店だった。エアコンが寒いほど効いて、吹き出していた汗が体を冷やしていくほど涼しい。

今年の真夏に涼しげに履けるテーパードパンツをいろいろ物色していたら、近くに同じように待ち合わせをしている様子の若い男がいた。派手なスキニーのデニムを履き、白いTシャツは肌に張り付くようで、白いレザーのスニーカーを履いている。別になんてことない服装なんだが、俺はその男をついじっと見てしまった。安っぽい言葉で言うと、オーラがあるというか、威圧感があるというか、つい目を離せなくなったんだよね。その若い男は、いくつもシャツを試着しては鏡を見て、何度もiPhoneを確認している。

そのうち、待ち合わせていたっぽい若い女の子が現れた。男が何か話す。ふたりとも韓国語だった。ふたりとも笑顔で、何か冗談を言っているようだった。見るからに幸せオーラを振りまいているんだが、何よりその二人の周りに与える威圧感がものすごくて圧倒されてしまった。

これって何なんだろうって思った。韓国人だからじゃない、もっと人間の根源的なもののような気がして。

そのうち、俺も待ち合わせの女性が現れて、両手でメガネを作って笑って俺の方に近づいてきた。この人も人生を楽しんでいるオーラがすごい。声だってソの音階で話しかけてくる。ぱーって突然花を咲かせるような空気を持っている。

この新宿という街は18歳の時から居座り続けた場所だったが、昔も今も、人が人生を目一杯生きるときの熱のようなものを放射し続けていると思う。この街では、人生に対して主体性を無くした瞬間に、闇に飲まれてしまう。

人生を楽しむのは自分、自分を機嫌よくさせるのも自分、自己肯定感は自前で調達して持ち寄って、それをみんなで燃やし尽くして一日を終える。そういう街だ。昔から。

自己肯定感を自前で調達できないやつは、この街では卑屈になって消えていく。東京は怖い街だと言いながら。

 

俺が育った田舎町はどうだっただろう。どちらを向いても、人の顔はどんよりしている。人通りのない道を歩けば、すれ違う車の運転手はみんな、俺のことをジロジロ見る。そのくせ、他人に話しかけようともしない。

おっさんもおばさんも、服やバッグのブランドばかり気にする。「ダサい」人に対して陰口を言う。流行に乗っていないと「ダサい」と言うのだ。だから田舎では流行のコスプレをする「おしゃれ」な人と、ダサい人の二種類しかいない。

みんな一様に、表情が暗く、自信がなさそうだ。無論、オーラを威圧感のようにぶちまける人間は滅多にいない。

 

別に表情が暗くてどんよりしていてもいいじゃないかと言うかもしれない。でも、良くないんだよね。例えば仕事をしても、恋愛をしても、その「成果」は田舎では貧相なものしか手に入らないことが多い。

なぜなら仕事も恋愛も、自分に自信を持たせたり、自分の機嫌を良くしようとする人間にだけ、圧倒的な奇跡を引き起こすものだからだ。ド田舎のホストがド田舎のどんよりした風俗嬢相手にチャラついても、たいして稼げもしない。どうせホストなんかやっていけず数ヶ月もすれば土木作業員やるだけだろ。内輪受けじゃなく、もっと大きな結果を叩き出して、次の世界に飛び移ろうとしたら、必要なのは圧倒的な自信と自己肯定感だから。

田舎の人ほど、自信を持つのに根拠が必要だと思いこんでいる。結果を出したら自信がつきますって思ってるんだよ。それは死ぬまで自信を持てるわけがない。自信に根拠なんか必要なくて、今すぐ持つべきことだよね。だから、結果も出してないのに自信満々な人間を見ると、田舎の人たちは攻撃しようとする。陰湿に。それは自信を持つ人間からしたら、卑しく哀れで嫉妬深い村人にしか見えないわけだ。

 

自信がないから、きっとあらゆるブランドにしがみつく。

今はこのパンツのシルエットじゃないとおしゃれじゃないとか、このブランドのものじゃないとおしゃれだと思われないとか、この大学じゃないと優秀じゃないとか、この会社じゃないと恥ずかしいとか、こんな年収じゃないと人に言えないとか、親が不機嫌な顔になると不安になるとか、そういう誰が決めたか分からないアイコンにしがみつき、そこから外れないように必死になっている。スペックとか言う言葉もそうだね。そんなスペックなんて誰が決めたのか分からないけど、そこにしがみつく理由は、「自信の無さ」だよね。

 

新宿の街で生き抜くために必要だったのは、自分らしくいるということだった。

この言葉の意味が分からない人がきっと多いと思う。自分らしく。

これだって根拠なんて必要なくて、自分が決めた自分という人生を、自分が操縦すると決めること、それだけなんだよね。自分探しとか言っておばさんになってる女も大勢いるけど、そんな探すもんじゃないでしょ。今決めればいいんだから。

 

俺は俺の人生を俺らしく生きるって言葉に出して言えばそれでいいだけのこと。

わたしはわたしが思う人生を、わたしが生きていくって書けばそれでいいだけ。

自分のことが好きか嫌いかって、人は誰でも自分をほったらかしにして生きると嫌いになるはずだよ。自分という手にかかる人間を、人は誰でも自分の中に飼っている。手をかけずに放置すれば、自分という人間はグレて暗い不良になって当たり前だよね。

自分に手をかけてやれと思う。

やりたいことはやってみればいいし、食いたいもんは太るとか気にせず食えばいいし、会いに行きたいと思ったら会ったこともない女性に飛行機で会いに行けばいい。着たい服を、着たいコーディネートで着ればいい。得意なことを仕事にしてもいいし、成功するか分からないけどやりたいことを仕事にすればいい。全部自分が決めればいいでしょ。

 

その時、「したくないこと」を基準に考えるのはやめたほうがいいよね。したくないことを排除することだけを自分らしさだと勘違いすれば、実は今すぐ死ぬしか選択肢がなくなる。

「わたしはこの仕事はしたくない」と言っているだけで自分らしさが分かると思ったら大間違いで、「じゃあ何をするの」って質問されるだけ。何もしたくないって本音がそこにあるはずだよね。

分からない、分からない、できません、できません、ばかり言っておばさんになっていくだけ。

何もしたくないのが素の人生だと思う。そんな人生の中で死ぬまで必死に生きようとしたら、したいことをするのが当たり前でしょ。

それが自分らしさってやつだよ。

その彼氏を親も友達も批判するかもしれない。でも、好きなら仕方ない。その人と必死に生きるのが自分らしさであって。

稼げない仕事をしているかもしれない。でもそれがやりたいことだったらやればいいよ。それが自分らしさ。

自信満々に、やりたいことにむかってぶっ飛んでいくだけだよ。

 

似合いもしない流行りのブランドの服を着たところで、一瞬安心はしても、自信にはならずにいつか飽きてしまうだろ。

それが今のあんたの人生じゃないの。

 

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