間違えた理解者

統合失調症発達障害の二次障害なんかで、一番の問題は実はストレスや緊張を与える人間ではなく、「間違えた理解者」だと思う。
 
かつて店の嬢で突然統合失調症のような症状を発症した子がいた。当時20歳くらいだったと思う。10歳年上の無職の彼氏がいて、何度も自殺未遂するのをいつも心配していた。長年無職だったせいで金にも困っている男で、恋人である嬢が支えていた。俺にはかなりハードな生活に見えたよ。暴力こそないものの、毎日が戦いのようだった。
 
嬢自身は元々気が強く、いつも明るい子なのでウツなどは心配ないと思い込んでいたのは若かった俺の無知に過ぎなかった。ある日突然、嬢自身が悲観的になったり攻撃的になったりするようになったんだ。
死ぬと言ってキッチンの包丁を手に取ったり、アキラはなんで私を理解してくれないのかと強く責めたりね。ある日突然性格が変わってしまった。今思うと統合失調症の急性期だったんだと分かる。
 
俺は彼氏がストレスを与えたせいだと思った。俺も腹が立ち、彼氏にはもう会うな、別れろと言った。無職のキチガイは捨てろと。
本人も素直にそれに従い、メールだけで彼氏と別れることになった。メールの文面すら俺が考えたほどだ。
 
メシの支度や買い物も、俺やスタッフがアパートに行ってお世話するようになった。きっとストレスからだろうと思って、部屋も掃除してあげたり、買い物もしてあげたりしたよ。
でも日増しに元気がなくなっていき、とうとう仕事をするのも難しくなっていった。幻聴や幻覚がひどいと言うので俺が実家に身を寄せるように言って、車で送って行った。
実家は隣町のあまり豊かに見えない住宅地の一角にあった。そこに母親が一人で暮らしているという。母親もまた無職だった。
 
母親は娘が風俗嬢だと知っている珍しいケースだった。無理もない。娘から仕送りを受けて、細々と暮らしていたので娘の仕事に口は出せなかっただけだ。
その当時まだ40代半ばくらいの母親はとても優しい人で、娘に対してゆっくり休もうねと声をかけていた。
今まで頑張ってきたので、ゆっくり甘えさせて下さいって俺は言った。
「甘やかすのは得意です」と母親は笑った。
 
それから俺も心配だったので、定期的に母親に電話して近況を聞くようになった。もちろん風俗嬢なんてカスみたいな仕事はもう辞めた方がいいし、これから社会人として就職して自立することにはなるんだけど、俺も何かしてやりたいと思っていた。
 
症状について俺もあちこち調べたら、統合失調症かも知れないと分かった。突然の急性期があり、ぐったりする消耗期があり、次第に回復期に入り社会復帰する。脳の機能障害であり投薬で治療できる。基本的に育て方や家庭環境、生活環境が原因ではない。
治療にはとにかくこの症状を医学的に捉えて具体的に治療することが必要。
 
ところが優しい母親の方が次第に消耗し始めていった。
母親は、娘がまだ幼い頃に離婚したのが原因ではないのか、嘘をつく娘に強く叱ったことがあるのが原因ではないのか、お金に困った時期があり我慢させたせいではないのか、など自分のせいにし始めていた。
そして、急性期で性格が変わってしまった娘を見て、「人生に対する怒りに震えています」「私と元夫との関係性の犠牲者になった」などと、感傷的な解釈を入れ始めていた。
 
実は母親はうつ病で、現実を具体的に捉えることが苦手らしかった。娘に対してとにかく感傷的な解釈を入れる。
心が泣いているとか、運命とか、宿命とか、メンタルとか、そういう言葉が並んでいた。
 
母親が通院する病院で投薬を受けて家で休んでいるとは聞いたが、この家は母親に問題があるのは明確だった。それも母親が自分で考えていることとは違う問題が。それは、「間違えた解釈で支援をしてくれる理解者」という問題。
 
これは危ないかもなと思ったが、俺にはどうすることもできなかった。
 
それから半年が経ち、嬢にメールをしてみたらエラーになって戻ってきた。SNSがある時代ではないので、連絡の取りようがない。どうも嫌な予感がして、何度か家の前まで行ってみた。彼女が乗っていた黒のプラドはもうそこにはなく、母親の色あせた古いフィットが停まっているだけ。
 
半年で症状が全快するとは思えなかったし、あの状態でどこに言ったんだろうかと俺は不安に襲われたが、どうすることもできず忘れることにした。
母親に連絡すると、まるで見当違いの感傷を吐き散らかすだけなのが分かっていたから、それはしなかった。
 
ため息が出た。当時の俺は次々に不幸になっていく嬢を目の当たりにして、「俺のせいなのか」とさえ思うことがあった。俺もまた、感傷的な解釈を入れる癖はあったのかもしれない。
でも、これだって俺のせいじゃない。
人それぞれが持つ病気や、性格、物の見方をたどって人生を送っていくと、アキラという男にたどり着き、そしてそのまま遠くに消えていくだけ。俺が何か影響を与えたとも言えるが、実はなんの影響も与えていない。そう思うことにした。
 
それから一年が過ぎて、その母親の家は売家になった。当然自宅の電話番号もなくなっていた。嬢のその後のことも全く分からないまま。
きっと、統合失調症も全快しないまましんどい人生を送っているだろう。アキラという男を恨んでいるかもしれない。何か違う幻覚を見て、俺に対して怒りを持ったまま生きているかもしれない。
 
正確に理解をして具体的に支援してくれるのではなく、感傷を持って同情を押し付けて憐れんでいるだけの理解者は、苦しむ人にとってはトドメになってしまう。