チリソースを食べながらSが予言したこと

今日はずっと時間があったので、自宅で珍しく読書をした。ある作家の本を読んでいて、はっとする一節があり、15年近く前に親しくしていた女の子を思い出した。

 

あれは2004年ころだったと思う。当時、夜の仕事の仲間で特に親しくしていたSという女性がいた。Sは当時21歳だった。仕事のスタッフに手を出すことは一度もないけれど、この子は時々俺の自宅に来て一緒に食事をしたり、テレビを見たりして過ごすことが多かった。彼女でもないしセフレでも当然ない。

仕事が休みの日、いつものように俺の部屋で食事をしながら、Sが俺に面白い話を教えてくれた。

 

物事のとらえ方には、「時間」と「空間」と「人間」の三つの座標軸があるんだよと、そういう話だった。

時間は、生まれてから死んでしまうまでのほんの80年間の人生のこと。もしかしたら太古の昔から綿々と続く命のリレーのことも含まれるかもしれない。

空間は、今のこの瞬間でここにいる世界のすべて。日本という場所も、アメリカという場所も、風俗店の待機所も、会社の事務室も、この一瞬に空間として広がっている。人間関係というのもここに含まれる。

人間は、自分という存在のこと。時間軸にも空間軸にも存在する自分という点のこと。自分という存在に帰属する感情や感受性、記憶、価値観、そんなものがここに含まれる。

 

「それでね、人って、モノを考えるときに順番があるんだって」とSが言う。俺はピスタチオの殻を剥き、口に放り込んだ。ビールを二人のグラスに注ぎ、俺は一口飲んだ。

「どんな順番?」俺は訊いた。

 

一番自然で幸せな状態では、人はまず時間軸で物事を考えている。

昨日、今日、明日、明後日という時間の流れを素直に受け入れることができるのが一番幸せな状態。例えば、昨日は勉強がうまくいかなかったなー、でも今日は挽回しよう、そうすると明後日のテストはきっと大丈夫、とかね。

去年はすごい出費が多くて、貯金がなくなったよ、でも今年は昇進したし昇給もある、だから来年か再来年には貯金をもとに戻すんだ、とか。

明日を信じることができる。それが人間としてもっとも自然で幸せな時間軸のとらえ方。

 

これが崩れる時がやってくる。

昨日勉強したけれど、テスト範囲を間違えていたから、まったくやってない、だから明日のテストはご臨終だ、とか。

今年の年度初めに基本給が引き下げられてボーナスもないことになった、転職考えなきゃならないのかな、とか。

将来を考えていた彼氏に別な女ができたらしくて、わたしの人生の見通しはリセット・・・とかね。

こうなると、人の頭の中にはまず「不幸」という言葉が浮かんでくる。時間軸の中で人生が否定されているような気持がしてきて、将来に見通しが持てなくなる。

 

すると次に捉え始めるのが、空間軸。

今この瞬間に、目の前に見える景色を見ようとする。どういう見方をするかと言うと、「自分と似た境遇の人」を探す。ネットの世界でもそうかもしれない。自分と似た境遇の不幸な人のブログやSNSアカウントを探そうとする。そして運よく見つかれば、そこで共同体を作ろうとする。

勉強してない人同士で仲良くするってわかりやすいじゃない。その他にも失恋したもの同士、不倫しているもの同士、就活が苦しいもの同士、非正規労働者同士、政治に不満を持つ者同士。情報交換という名前をよく付けられるが、平たく言うと居場所作りだよね。そこは最初は居心地が少しいいし、時間をつぶせるので気がまぎれたりもする。

でもそこも「不幸な時間軸」が流れている場所なので、次第に居場所が失われていく。その場所が不要になった人が現れたり、みんなが飽きてしまったり、自分の状況がもっと悪くなると居場所のなかでも居心地が悪くなる。

 

すると空間軸のもっとも悪いところが現れてくる。それは、「自分よりも不幸な人間を必要とする」という比較。

不幸な人間を見つけて慰めようとするのではない。欲しがっているのは他人の不幸ではなく、「他人の過失」だ。誰かが不正をした、誰かが犯罪の疑惑がある、誰かが非常識な発言をした、誰かが誰かを差別した、誰かがマナー違反をしている、上司がパワハラをした、芸能人が不倫をしていた、知らない誰かが知らない誰かにひどいことをしていたらしい。そういう他人の過失を執拗に責め立てることで自分の空間軸は保たれるように感じる。

自分よりも下の空間軸で存在する誰かを見つけて、正義の棍棒で殴り掛かる。お前は自分の座標よりも下にいろと固定させようとする。

 

でも、最終的にそれもむなしくなる。人はどんな過失があっても、どんなにみじめに叩かれようと、まっとうに生きていれば時間軸での思考に戻っていくからだ。不倫した芸能人はそのうち普通にテレビで活躍するようになる、不正をした会社は倒産などせずむしろ過去最高益を出したりする、違反行為をして会社を首になった同僚は起業して成功している。まっとうに生きていれば、過去に自分が棍棒で殴り掛かった相手は空間軸でも上に移動し、時間軸で健全な人生を送るようになる。

取り残されるのは空間軸で他人をぶん殴っていた自分だ。

 

最後は、自分軸を持ち出すようになる。自分の価値観が大切、自分らしく生きようっていう考え方をしましょう、パワースポット巡りをしましょう、断捨離しましょう、なんてどんどん自分の内面世界に潜っていく。それが成熟からくるものであればいいけれど、実際は時間軸からも空間軸からも逃げた末のスピリチュアルごっこにすぎない。

空間軸で誰かを責め立てたり、スピリチュアル的な感受性に染まったりを繰り返して、「不幸な老い」という時間軸に無為に流されていく。

 

「ああなるほどね」と俺はさっき作ったチリソースを食べて言う。「芸能ゴシップ番組が好きな人は空間軸で物事を考えるようになった人ってことだ」

 

Sは言った。

「人は誰でも時間軸の中で人生を送っていくんだけど、健康に生きていたら、空間軸で比較で物事を考えることも、必要以上に自分軸で内面世界に潜っていくことも必要ないもんね。」

Sは不思議な子で、出身の仙台では優秀な高校を卒業しているのに大学は中退し、田舎の風俗店で働いていた。いつも不思議な話を俺に教えてくれた。ある日、何の挨拶も理もなく店を辞め、住んでいたアパートも引き払っていた。辞められない店でもなかったから飛ぶ必要がなかったはずなのに、飛んだ。

そのあと、俺は特に悲しくはならなかった。俺の人生で最も過酷な時代が足音を立てて迫ってきていたからだ。俺は俺で新しい苦労を抱え込もうとしていた。

 

今その言葉を思い出してみると、日本人はますます空間軸に巻き取られようとしているんだと気づく。惨敗した人間にはこれほどまで厳しい時代はないと思う。ちょっとした非常識を責め立て、学生たちは仲間が自分たちと違うことを絶対に認めない。嫌われることを病的に恐れ、人気者をリア充と呼んで嫉妬し、友達がいない暗いやつと思われないように必死に取り繕う。他人から上から目線だと思われないように卑屈な物言いを覚え、「〇〇させていただきます」というバイト敬語みたいな言葉が生まれてしまう。

それは棍棒で襲い掛かろうとしている人がいたるところにいるからだ。人に遠慮しながら努力をしなければならない。人に遠慮して能力を隠さなければならない。

 

日本人が明日を信じられなくなったのかもしれない。元気なのは、10年後が今よりもずっといいと信じられる環境にいる人だけだ。そんな人は今決して多くはない。大学4年生ですら、来年の4月からはみじめな低所得の社畜になるしかない。生きがい信者みたいになって貧困に耐える人生が65歳まで待っている。

 

日本人の多くが平均的にたどる人生を、自分だけは全否定してあらゆることを選択するのがいいのかもしれない。

就職はしない、一人で働く、日本にすらいない、自助努力、自由、才能で生きる、なんてね。

自分にとって一番幸せなはずの選択をすれば、明日を信じられる人生になれるよ。当然ながら。でも難しいよね。親から引き継いだ、こうあるべきという価値観の呪縛から逃れることはできないから。

 

チリソースを食べながらSが言ったことはなんだったんだろうか。

Sに誰かがそんな話をしたことがあるんだと思う。きっと今を予言するような頭脳の男が、Sという風俗嬢を買ったことがあるのかもしれない。