その懲罰意識は貧乏になるマインド

これだけネットで煽り運転が晒されて社会的制裁を受けているというのに、田舎ではいまだに平気で煽り運転をする人間が後を絶たない。

煽っている車の多くは営業用のバン、古い軽自動車、古い小型車、古い輸入車だったりする。(話は違うが、免停処分を受ける車の多くもそれ)ドライバーの多くはあまり裕福には見えない中高年男性。

 

俺は普段は制限速度をなるべく守って走っている。目が良くないのもあるし、以前は速度違反で何度も検挙され免許をなくしたこともあるせいなんだけどね。制限速度40キロの道はオーバーしてもせめて45キロ以下で走るようにしている。当然のことだね。

でも、もう毎日のように煽られる。異常な車間距離で。煽ってくる車はやはり中高年男性で、古い車ばかり。強引に追い越しても、すぐに信号で追いついてしまう。信号が青になるのも待ちきれない様子でゆっくり前にせり出していき、信号が変わるとフルスロットルで走っていくんだが、また信号で追いついてしまう。滑稽でしょうがない。ある大学の実験では、すべての車が同じ車間距離で制限速度を守ると交通渋滞は緩和するという結果になったというのを聞いたことがある。煽ったりスピード出しても目的地には早く着かないんだよな。

煽りまくる人間がいるのは、なんでなんだろうなあって思いながら走っていて、ふと気が付いたことがあるんだよね。

それまではきっと気が短いのかなとか、せっかちなのかなとか、慌てているのかなと思っていた。スピード違反で警察にとっ捕まると「運転手さん、急いでました?」って聞かれるし、急ぐから煽るんだろうと思っていた。

 

でも違うようなんだよね。

 

煽るという行為に隠されているのは、日本人特有の「懲罰意識」

 

例えば韓国人だとすると思考習慣の根本に「恨(はん)」という感情があると言われている。統治者や外国人に長い間抑圧されてきた民衆が、抑えられた怒りを爆発されるときの怨念というか。「今に見ていろ」という感情だという。それが激しい怒り方につながるわけだよね。だから韓国ドラマは「恨」のおかげで、面白おかしくドロドロになる。そんなに復讐心に燃えて激情に走るかっていう。

そんな風に民族で特徴があるわけで、日本人の場合は懲罰意識なんだと思う。

 

日本人に特徴的な感性って、「誰かに罰を与えたい」ってことじゃないかな。

 

だから、

「ゆっくり走る車が目の前にいる」

「この運転手のせいで、自分を含めた後続車が迷惑をしている」

「みんなが怒っている」

「この運転手に自分の愚かさを知らしめなければならない」

「煽る(オレは正義!)」

 

という思考習慣がそこにあるんだと思う。煽るというのが、攻撃的に喧嘩を売るっていう意味ではないでしょ。日本人は他人に喧嘩を仕掛けることができない農耕民族だよ。懲罰意識がその行為の正体だと思う。

 

懲罰意識ってどこから出てくるのかって、間違いなく家庭と学校だと思う。

ちょっと考えてみてほしい。

他人からこう言われたとき、どんな気分になる?

あなたは仕事でミスをして業務に大穴をあけてしまったとする。

上司は言う。

「なぜ、そんなことをしたんだ」

 

きっと、答えは「すいません」だと思う。謝れという意味だと解釈するはずだ。

この「なぜ」は日本人は幼児のころから社会人になるまで異常な数をぶつけられて育つ。「なぜ」を「自分の非を認めて謝罪しろ」という意味で使うんだよね。

謝罪しろと言ってる割に、上司はさらにこう言うだろう。

「なぜかと聞いているんだ、謝って済む問題じゃない」

その答えも、「すいません」だ。ひたすら謝るだけだ。

 

もし上司が、問題の原因に興味があり、再発を阻止したいのなら聞くときはこうだと思う。

「君は何をしようと思ったのか教えてくれ」

 

あなたはきっと、実はこう思っていたが勘違いでしたとか、実はこういうことをしたかったが準備が足りていませんでした、と言える。そして心から、損失を与えてしまい申し訳ありませんでしたと謝れるわけだよね。

 

もちろん後者は日本人にはありえない思考習慣だ。後者は会社員時代に上司だったアメリカ人が俺に言った言葉。もちろん厳しく叱責されたし責任を痛感させられるが、その工程は、なぜ、ではなく、何を、なんだよね。

 

日本人は叱るときに、相手をただすことを目的としない。罰を与え、恥を覚えさせ、屈辱を与えようとする。懲罰を与える権利を行使する自分に酔いたがる。

 

日本人は、なぜ?に代表されるようなたくさんのフレーズを浴びて育つ。

「責任」という言葉の意味も「おまえのせい」の意味になってるでしょ。だから日本人は「責任あるポジション」という言葉を本能的に避ける。責任ある仕事、責任ある使命、責任者、全部避けようとするよね。

 

だから、他人に対しても、罰を与えたいという発想になってしまう。お前は他人に迷惑をかけているから罰を受けて当然、俺がその執行者となっても世間が許してくれる、そう本気で考えている。

だからツイッターでは本当かどうか分からない編集のされ方をした動画が晒されたりする。この人は突然切れて自分に怒鳴ってきたキチガイです、なんてツイートをすると瞬く間に数万のリツイートがされる。

この人に罰を与えてもいいんだと思う場面を、本当に欲している。みんなが。

 

罰を与えても許される。そう勝手に思い込んで行動することをなんていうかというと、私刑(リンチ)と呼ぶんだよね。

現代はリンチみたいな光景が多すぎる。車を煽る行為も、リンチの一つだよね。

 

もちろん、そういう発想を持つのは日本人全員ではない。

古い軽自動車や営業バンに象徴されるように、あまり裕福ではない社会的に低いポジションで生きている人に多いんだと思う。

生まれてくると親に叱責され、学校に入ると教師に叱責され、部活をやると顧問に殴られ、就職すると上司と先輩に虐められ、結婚すると妻に尻に敷かれたり怒鳴られたり。そうやって育つとろくな年収ももらえない人間になってしまう。パワハラにセクハラを起こすのもこの人たち。立場は大手企業にいたとしても、マインドがそれなら結果は同じになる。

 

この懲罰意識は、すべての年代の日本人の生活に根付いている。ゆとり世代も老人も関係なく、すべて。

貧しくなっていくマインドだと思うよ。他人を認めず、自分だけが刑罰の執行者になり、何も新しいものを生み出せない。

 

やることは、誰か攻撃しても許される人を見つけることばかり。

正義の棍棒で襲い掛かっても賛同される、小さな悪(自分が勝てるだろう弱い相手)を見つけようと必死な人ばかり目立つよ。

 

他人に罰を与えたい人の煽り運転にさらに罰を与えたい人がさらに襲ってきて、その繰り返しを毎日見ている。