蚤がコップの高さしか飛ばなくなってもそれどうした

何度も何度もブログで書いてきたけど、俺は20代の前半に起業し、30代半ばまでの10数年もの間、惨めそのものの貧乏生活をしていた。とにかく金がなかった。仕事しているのに金が出ていくというのは会社員にはありえない感覚だった。財布に5000円以上の金が入っていることは稀だった。もちろんまとまった金が入ることはあっても、滞納している税金や車検代などを払うと1円も残らなかった。

自営業をして金がないという感覚は、会社員のそれとはまったく違う。なにせ、毎月決まった日に給料が振り込まれる会社員と違い、給料日もボーナスもない。給料が少ないからすぐ無くなってしまうという意味の「お金がない」のではなく、売れない自営業は「そもそもお金が入ってこない」ということだよ。

それは自分で選んだ自営業なので仕方ないんだが、毎月決まった額の収入があるというのはどれほど楽なことなのかと、何度も羨んだ。もちろん放っておけば退職金もないしそれに代わる貯蓄や資産運用をする原資もない。年金はわずかな国民年金だけなんだが、それすら保険料を払っていけるのかもわからない状態。

自営業は、経営者個人の収入がきちんと確保されない限り、惨めさと不安に襲われることになる。生活苦か成功者か、どちらかしかない気がする。

 

うだつの上がらない自営業は、物が売れても赤字になったり、物が売れないのに黒字だったり、黒字なのに現金がなかったり、赤字なのに現金は手元にあったりする。資金繰りというお金のパズルをして毎日生きている。

右から左に、左から右に、手元にある現金をパズルのピーズのように動かして支払いをしている有様。自己資本比率がマイナスなわけね。売り上げの入金と支払いのタイミングがずれたら、一巻の終わり。あの頃、税理士の先生から聞いた言葉を何度も心の中で繰り返していた。

「アキラ君、会社は赤字で倒産するんじゃない。現金がなくなったら倒産するんだぞ。」

俺がしこしこやっていたのは、売り上げを伸ばすこと、支払いの期日を伸ばせるだけ伸ばすこと、入金の期日を早めるだけ早めること。難しい数字の理屈は税理士の先生に任せて、俺はただひたすら現金を手元に置く日数を伸ばそうと必死になっていた。数字の理屈上は黒字経営だったがなんでこんなに金がないのか、いつも不思議だった。先生に叱られながら在庫を数えたり、資金繰りを悪化させる不良顧客のリストを作っていた。

 

今思い出しても、23歳のアマチュアのガキが起業ごっこなんてやれば、こうなるっていう悪い見本だ。

 

そんな毎日で俺が何を考えていたかというと、「いつか成功してやる」という、手の付けられない青臭い夢物語。でも現実は会社員以下の生活しかできないことへの焦り。その焦りから、俺はさらなる「努力」に逃げ込んでいた。

金もないのに高額なセミナーに通ったり、異業種交流会に参加したり、JC(青年会議所)のメンバーになったり、毎日一冊必ず読書したり、対人影響力を高めようとボイストレーニングに通ったり、歯をホワイトニングしたりした。その結果、分厚い知識は得るようになったが、商売の様子は何ら変わらず。多少売り上げが伸びているだけで、やっていることは相変わらずバタバタの資金繰り。読書をしている暇があるなら、具体的な作業をして一万円でも多くの売り上げを立てる行動をしたほうがいいに決まってる。当時の俺は、そうじゃない、と思っていた。

俺は毎日苛立っていた。日曜日もいつも仕事で車を運転していると、ショッピングセンターの近くではファミリーカーの大渋滞なんかをよく見た。会社員か何かなのだろう、日曜日を普通に休める若い父親が生活感を丸出しにしてワンボックスカーを運転している。俺をそれを見て心の中で罵倒していた。家電量販店の前を通ると、テレビやパソコンなどを買って大きな箱を車に積み込むのを見た。そういうのを見るのが正直嫌だった。そして、俺はこう考えるようにしていた。

のん気に買い物してるようなやつは将来絶対にツケを払うことになる、俺は今苦しんで努力して将来は俺が勝ち組になる、って感じでね。

実はそんなことはなくて、会社員は売れない自営業者よりもはるかに恵まれた人生を送るのは間違いないわけで。俺の独りよがりな努力など、比較の対象にもならないんだ。俺の人生と生活に、ファミリーカーの家族は何も関係ない。

俺はきっと羨ましかったんだろう。そして俺の人生がみじめなんだと分かっていたんだろう。だから「努力をする自分は偉い、努力をしないで休んでいるお前はクズ」という感性に陥っていたんだと思う。

俺が悔しさからさらに「努力」をした。昼間は無計画に車で町中を走り回り、夜は睡眠を削りパソコンや本に噛り付いた。休みなんか一日もないよと言うことで自分が安心したんだろう。それを聞いた人たちは、「若いのに頑張ってるね」と言ってくれたことにささやかな自己満足と、そして一方では確かに焦りを感じていた。

 

残念ながら、その過程の中でどうしても食えなくなり、一時期は会社員に戻ったこともある。もちろん自分の自営の仕事は隠れて持ちながら。自営の仕事を長くしていると会社員として営業マンをやると結果を出すのは簡単なことだった。あっという間にトップセールスとなり、海外での表彰も何度も受けた。でも、会社員で結果を出しても出さなくても人生なんて変わらない。数年やって会社員はまた辞めた。

お金には縁がないまま、一時期はホームレスにまでなりながら、俺は「努力」だけを信じて、結婚もできず貧しい生活を続けていた。

 

転機は簡単なことだった。あまりにも金に困って始めたせこいビジネスだった。エロ業界出身の俺は、エロの仕事をずっと避けてきたけれど、金がなさ過ぎて始めたんだよね。それは好きではないが、俺にとって得意なことだった。

その仕事は、特に努力などしなかった。正直言って、努力するような立派な仕事じゃないと思っていたからだ。でもすべてが順調に行く。スタッフを採用することも、仕事を見つけてくることも、経費をかけずに宣伝することも、口コミを起こすことも、そして売上がなだれ込むことも。

俺は業界の知識など全く学ばなかった。自分の半径2メートルで今必要な作業だけをした。業界の将来も、自分のこの仕事の将来も、一切興味がなかった。せいぜい、今秋、今月の自分の収入だけを考えるだけ。仕事が終わったらきれいさっぱり忘れた。

残念なことに、という言葉が適切なのか分からないが、意に反して、俺はその仕事が人生の転機になった。金、という意味合いでは。そこからもちろんいろいろあったけれど、金で不自由したことはない。金で買えないものはほとんどない。今はエロ系の仕事はしてないけれど、あの「金を稼ぐ感覚」をなぞるだけで、金は簡単に手に入るのが分かった。

 

その「金を稼ぐ感覚」というのは、言葉にしづらいんだが、「努力よりも自分のセンスだけを信じろ」ってことかもしれない。

努力もなく成功したとき、他人が日曜日に休んでいようが、ビール飲みながら野球を見ようが、どうでもよくなる。焦りと妬みを抱えて他人に攻撃的な意識を向けることはなくなる。他人の成功に僻むこともない。ライバルは自分を含めて誰もいない。淡々とお金を稼ぐだけのこと。

もちろん、成功というものがお金を稼ぐという意味だけだったとしたらだよ。お金ではない成功はもちろんたくさんあるし、お金で測ることができない成功もある。称賛されたいとか、認められたいという承認欲求を満たすのも成功だし、お金は稼げないけれど世の中の役に立つ仕組みを作ったというのも成功だよね。医者や弁護士など、難関の資格を努力して通過し専門性の高い職業に就くことも成功。あるいは、障害のある子供がなんどか学校に通って卒業することだって成功。

成功を金銭だけと考えたら、努力というのは結構、毒っ気が強いものなんだろうなと思う。はっきり言って、努力は金を稼ぐことには何の役にも立たない。自分の人生を経済的に好転させるものにはならない。

 

俺は、努力というものがきちんと機能するとしたら、学校生活だけじゃないかと思う。勉強と部活は、比較的努力が点数という結果に結びつきやすい。人には能力というものがあるので、点数につながらない子も当然いるが、勉強をする習慣とか基礎練習をする習慣という、社会人としての基本を身に着けるという結果にはなる。だから子供たちにとって努力は大きな意味を持つものだと思う。

でもそれが、「将来高い収入を得るために勉強する」といういやらしい目的を求めた瞬間、努力が無力化していく。つまり、努力で結果を出せる人間が限られるという意味で。努力してもダメだったという体験を大勢がしてしまう。

 

社会人になったら、自分の人生を経済的によりよくするために必要なのは、努力ではなく、「捨てること」かもしれない。

自分にはできないと思うことも、捨てること。

これは向いていないと気づくことも、捨てること。

結果を出すための環境が自分にはないと認めることも、捨てること。

失敗する確率が低い選択肢を選ぶことも、捨てること。

好きなことややりたいことではなく、できることを選ぶのも捨てること。

できることを、淡々と、冷静に、粛々と、毎日続けたらお金なんて簡単に稼げる。実利の部分は手に入ると思う。

 

せっかくいい大学を卒業して就職した一流企業なのに、ここで辞めたら人生負け犬になるよと、世間知らずの母親がヒステリックに言うかもしれない。でも、向いてないから仕方ない。その道を捨てることは負けることにはならない。確かにそこに我慢して定年まで居続けたらそれなりの収入は得られるかもしれないが、たぶん、我慢する過程で心か身体が死ぬ。我慢することを努力だと思ってしまった人たちは、会社員としては多少いいくらいの収入と引き換えに、いろんなものを失ってしまう。

実は、捨てることで、何も失わずに自分の好きな人生にさせることもできるんだよね。捨てることは怖いことだと植え付けられているけど、その捨てることを戸惑っていたものが実はそれほど価値がないってことを知るのは、45歳を超えたころだと思う。いろんなものがもう手遅れになっている年齢になったら、もう気づかないふりをしなくちゃいけなくなる。

 

世の中には成功哲学とか、成功する人の特徴、みたいな話が腐るほど転がっている。成功について研究したという人間が、今も昔も湧いて出てくる。多くは同じ話の焼き直しだ。

有名なのは、蚤の話。

蚤の跳躍力は自分の身長の150倍だと言われる。160センチの人間だったら50メートルを飛べるのと同じ。でも、蚤をコップに入れてふたをするとどうなるか。蚤はコップの蓋にぶつかって高く飛べない。すると次第に高く飛ぶことを辞めてしまう。コップの高さまでしか飛ばなくなるという。

それは、人間に例えるとセルフイメージに制限を加えることで高く飛べなくなるので、自分へのリミッターを解除しよう!っていう話につながっていく。

害のない話では、あきらめないように頑張ろう!って論理になるし、胡散臭い話になると、リミッターを解除するセミナーだとか、音楽、映像、サプリメント、なんてものを販売しようとする輩もいる。

この手の成功哲学みたいなものの怖いのは、蚤の話と自分の能力の話に論理破綻を起こしていることに気づかないことだよね。そして、何かで一応成功したと言われる人が、この話をまだ成功していない人たちにしようとする。

 

いや、君の成功の原因は、このリミッター解除ではなくて、縁故や環境の偶然の上に成り立っていたでしょうよと呆れることもしばしば。成功するとそういういい加減な嘘をつく人間のほうが目立つ。なぜ自分の具体的な話をせずに、どこかで聞きかじった成功哲学を持ち出してかっこつけるのか俺には分からない。いや分かるけど、その厚顔無恥ぶりが分からない。

 

蚤はコップの高さまでしか飛べなくなるが、俺の成功とは無関係。

そう思える人間じゃない限り、たぶん成功しない。でも成功したら、リミッター解除がどうこう絶対言い出す。

 

成功って、努力でも根性でもなくて、成功するやり方を粛々とやればいいだけの話。そこにメルヘンも根性も哲学も何もいらない。

人間性が糞でも、前科者でも、社会貢献なんか興味なくても、成功はする。しかも大きな成功もできる。金は簡単に稼げてしまう。

俺もそうは思ってなかったけどね。高校野球のように、風呂の時は脱いだ服をきちんと畳み、着る順番で新しい服を重ねる習慣ができる人間が成功する、みたいな成功哲学を本気で信じていた。便所掃除をすれば成功するとも信じていたから毎朝続けた。素手でうんこをこすると成功するという奴もいて信じそうになったけどそれはしなかった。

 

冷静になれば、そんなもの関係がない。あるわけがない。便所に神様はいない。いるのは大腸菌だ。もっと怖いのは、それを信じてやるというマインドが成功者のマインドなんだと思い込むこと。成功者が便所掃除を好む変態なのかは知らないが、その逆はない。

 

成功に必要なものは、捨てること、得意なことをやること、自分を納得させるための努力などしないこと。

結果を明日出すために必要なこと以外、やらないと決めること。

 

とてもじゃないけど、子供たちには教えられないことだけれど。