その恋愛のアフターパーティを。

俺がもう30代半ばも過ぎたころ、一時期親しくさせてもらった女性がいた。いかがわしい仕事をしていた俺にはもったないほど「まともな」女性だった。小さな税理士事務所に勤めていて、決して派手ではない印象だが、時計やバッグは品質のいいものを分かって買っているのが分かる、地に足の着いた美女。持ち物も服装も生き方も、浮ついたところが全くない、知的な女性だった。

その彼女が30歳の誕生日を迎える二日前に、俺は食事に誘おうと思った。誕生日の当日は俺以外の誰かと祝うのかもしれないし、俺は当日は遠慮した。

1週間前から彼女に喜んでもらえる店はないかと俺は必死に探した。和食の店、フレンチ、中華、いろいろ考えた結果、高級な寿司屋さんを人から教えてもらった。地元の食通の人たちが足しげく通う、看板のない小さな寿司屋。もちろん値段も高級だとは聞いていたけれど、彼女はきっと喜んでくれるだろうと思った。

知人を介せば予約が取れると聞いていたので、一応、彼女にもその店のことを聞いてからということにした。彼女の仕事が終わった時間帯に電話をかけ、その店でお祝いをしたいんだけどと伝えると、その答えはちょっと拍子抜けするものだった。

 

「ありがとうね、でも、そんな高級なお店じゃなくていいの」

 

気を使わなくてもいいよと俺は言ったが、彼女は違う店がいいと言う。そうか、もしかしたら個人的に都合が悪いことがその店にあるのかもしれないと俺は思った。人は誰でもそんなことがあるしな・・・と考え、その案はボツにした。

 

「お祝いはしてもらいたいから、違う店に当日決めましょう」

 

そう言って、当日までどこにも予約はしなかった。

誕生日当日は、雪が降りしきり月もないのに街が雪灯りで明るい、そんな夜だった。もちろん予約はしていないのでそこから店を探そうとした。

何が食べたい?と俺が訊く前に、彼女は言った。「あそこに入りましょ」

彼女が向かった先は、地元の人がよく出入りするような小さく、そして決して高級でもない古い居酒屋だった。古ぼけた藍色の暖簾が冬の冷たい風に揺れている。

「え?ここ?」俺は冗談だと思った。本気だとしたら、自己肯定感が低すぎる。誕生日のお祝いだぜ?

でも彼女は店に入っていった。大将の大きな声で「らっしゃい!」と聞こえてくる。

店の奥の小上がりの座敷に通された。

「あ、テレビが見やすい場所ね」と彼女は言った。座った座布団がやけに冷たかった。顔がシミだらけのおばさんがメモ用紙を手に飲み物の注文を取りに来た。

「生二つ。あ、アキラはビールでいい?」彼女がそう言ったので、俺はいいよと言った。

幸いなことにビールはキンキンに冷えて旨かった。雪国以外の人には分からないかもしれないが、氷点下の真冬に飲む冷えたビールはとても旨いんだよ。その時もそんな話をした。

特に珍しいメニューなどなく、刺身の盛り合わせやら出汁巻き卵やらをつまみながら、話をした。

なぜ、こんなところがよかったの?と俺は聞いた。彼女は答える。「こんなところに来たかったの」

意味がよく分からなかった。でも二人で熱燗を飲み始めたころ、彼女がそのわけをゆっくり語り始めた。

 

20代の初め、結婚を考えるほど好きだった彼氏がいたという。若いころだから見た目の好みも大切だったが、彼氏は見た目もとても端正で、声も、性格も、服の好みもすべてが良かったと、彼女は嬉しそうに言う。

「でも、ただ一つ、誰よりも負けているところがあったんだよね」

それは、育ちと病気だった。きっと未婚の母だったのかもしれないが、生まれた時から父親がいなかった。母親は知的な障害が少しあり、まともな仕事に就けなかった。時に生活保護を受けながら安いアパートに暮らし、彼氏はなんとか高校を卒業した。しかし彼氏は高校生の最後に統合失調症を患ってしまい、登校できなくなった。卒業できたのは学校の配慮だった。特に優秀な進学校でもなかったのが幸いした。

しかし母親を支えるような仕事に就く体調ではなく、母親の友人が経営する小さな総菜屋でアルバイトをし、売れ残った総菜を家に持ち帰ったりして過ごしていた。たまに襲い掛かる幻覚と幻聴に立つこともままならない日もあったり、自己憐憫と絶望感に自殺を考えたりもした。

初めてできた彼女が、俺の目の前にいるこの女性だったという。22歳で彼女は大学を卒業したばかり、彼氏も同じ年で病気を治しながらアルバイトしている時期だった。

 

統合失調症を患いながらも向上心がある彼氏だった。わずかな収入から貯金をし、彼女とのデート代も捻出していた。車の免許はなかったので彼女が自分の車に乗せてデートしたんだが、ガソリン代をいつも気にしてくれるような優しさがあった。病気があるからお酒は飲まなかったけれど、たまに食事にも行った。魚のフライを食べると、自分のアルバイト先で出している総菜と比べていたり、仕事に真面目なところが彼女が好きになった理由だった。

 

そんな付き合いも、次第に色あせていく。病気がうまくコントロールできず、彼氏は自分の境遇に苛立ち、たまに人が変わったかのように怒り出すことが増えた。病気の一つの症状だからと分かっていても、彼女は自分の人格まで否定し続けられることに耐えられなくなっていた。

「もう会えない」と告げたのは、彼氏からだった。彼女は拒否したけれど受け入れられず、二度と連絡が取れなくなってしまった。もしかしたら、自分への劣等感と健常者としての彼女の人生に折り合いがつかなくなったせいなのかもねと、彼女は言う。彼女といることすら激しいストレスになったんだろう。

 

別れてしまった後、折り合いがつかなくなったのは、彼女のほうだった。別れてから数人の男と付き合ったが、10歳以上年上の人ばかりで、みんなお金があった。もちろん本人の努力もあったのかもしれないけれど、自分と同じ「健常者」だと思った。わずかな収入から貯金をして、高級ではない飲食店で味わうように二人で食べる。そんな彼氏の人生とはまるで違うと思った。

「申し訳ないけれど、男性の方にいろいろいいお店に連れて行ってもらうんだけど、男の人が、まるで自分の幸運をソフトクリームみたいに舐めて味わっているようにしか見えなかったんだよね」

彼女はそう言った。努力もあるかもしれないけど、それよりもずっとずっと、運の力でしょって。「私自身も含めて」

 

「ああ、そうだね。わかる気がするよ」と俺は言った。

俺だってそう。育ちは悲惨そのもの。貧困、暴力、自分の病気。もっとしっかり勉強できていたら人生はもっと楽だったと思う。生まれた家が違っていたら、もっと楽勝の人生だったと思う。

 

「私は、自分の運を舐めまわすようなごはんの頂き方はしないと決めたの」

彼女がそう言ったとき、俺はなんかとても理解できた気がした。今のこの日本のどこかで、あの彼氏は自分の境遇と病気と闘っているかもしれない。あの彼氏は運を舐めまわすようなご飯の頂き方なんか縁がないはずだ。

 

俺は、ただ高級な寿司屋に連れて行けば喜ぶだろうと思っていた自分を恥じた。

不遇の人間とか恵まれない人間に合わせろと言ってるんじゃない。アフリカで飢餓があるのに贅沢するなと言うような姿勢は無意味だと俺も知ってる。

そうじゃなくて、俺は、もっとその人の物語に耳を傾けるべきなんだと気づいたんだ。喜ぶというのは、決して高級な料理店に連れていくことだけじゃなくて、もっと物語に寄り添えるような、安全な場所を提供することでもあるんだよね。

 

どんな人にも、歴史がある。記憶、感情、お金、屈辱、喜び、悲しみ、失望、孤独、そして歓喜。その物語に寄り添えなければ、人を好きになったとは言えないんだろう。

それは決して派手な物語じゃない。華やかな服をまとう、年老いて傷だらけの醜い体のようなものだ。

少なくとも当時の彼女は、昔の彼氏の屈辱と劣等感を何度も繰り返し再生して生きていた。もっとできることがあったのかもしれないと自分を責めながら。後悔しながら。理不尽さに打ちのめされながら。

それが正しいこととは思わないけれど、恋愛って、ある種の人にはそういうものなんじゃないかと思う。

ただ、その場所だけに居続けるのは間違っていると俺は思う。

 

彼女との縁は、俺もさほど深まることもなく、疎遠になった。今はどこに住んでいるのかも知らない。

でも、その彼氏は今、何をやっているのかは偶然知ることになった。

 

当時と同じ町の繁華街の一角で、定食屋を営んでいる。最初はお母さんと2人で店を切り盛りしていた。そのうち若い女性もたまに手伝っているのを見かける。たぶん奥さんなんだろう。いつも店に立っているわけじゃないから、奥さんは別な仕事も持っているのかもしれない。美人ではないが、笑顔がかわいらしい素朴な女性だ。

店はとても評判がいい。大将の人柄が伝わるような優しい味をしている。複雑な料理はひとつもないが、いつも大盛りのおかずとごはんとみそ汁が出てくる。昼は会社員で大混雑している。キャッチーな名物料理なんか一つもないというのに。

 

もしかしたらこの店のことを、あの彼女も今知っているかもしれない。店に来て食べたこともあるのかもしれない。

でも、もしかしたら店のことは知らないのかもしれない。

物語の続きを知らないまま、遠い過去の記憶だけに寄り添ったままだとしたら不幸だと思う。この昔の彼氏は少なくとも今はどうにか人生を成功させている。時間はかかったけれど、きっと幸せな家族がいるんだと思う。

物語の続きがあるんだよ。

 

たとえもう話すことがなくても、むかし愛した人の物語の「続き」に、思いを寄せるのもきっと、恋愛のアフターパーティだと思うぜ?

 

してあげられなかったことばかり後悔するのは、ちょっと身勝手というもんだ。