人は何のために恋愛するのか

22歳、もうすぐ俺も体を売って生きるのを辞めようとしていた頃。それでも俺は恋愛をすることを辞めなかった。大勢の女に身体を売っているというのに恋愛がしたいなんて虫のいい話だけどね。東京に住み始めてから、いつも仕事をしながら恋愛をしていた。見たこともないほどの美しい女の子が次から次へと現れ、熱病にうなされるようにお互い恋をして、そのうち紅茶が生ぬるくなるように恋が冷え切っていく。まるで感情を使ったままごとのように。その都度、心は傷ついていった。それと同時に、俺の無力さを悔いることもあった。俺のような孤独なガキと恋愛をしてくれた女たちにも、きっと孤独があったに違いない。俺は彼女たちの孤独を癒せるほど大人になれていただろうか、孤独を引き受けるように俺は愛せていただろうか、そう思うと自分の無力さに打ちひしがれたりもした。実際のところ女たちはそんなことを考えてもいなかったと思うけど。

 

俺はどうして恋愛をするんだろう。ある時期、そういう命題について起きてから眠るまで考えていたことがある。

ヒトという種として、男という性別として、22歳という年齢として、いろんな側面から、人はなぜ恋愛をするんだろうとずっと考えていた。

 

もし恋愛をすることで子孫を残すということであれば、性欲さえあれば十分で、もっと言えばそれすらいらない。交尾さえできればいいだけだ。残念ながら俺はセックスをそう捉えたことはない。客の女性たちもまた、そう考えて男を金で買うなんて惨めなことはしないはずだ。

もしくは、孤独を癒したいと思って誰かと一緒にいようとするのか。もちろんそれはあるだろう。でも恋愛の多くは孤独を癒す目的にしては、不自由さも同時に選ぶことになる。恋人に何も知らせず突然旅行に行くことは出来ないし、今日は機嫌が悪いからコミュニケーションは遮断するというのも常識的な人であればしない。お金の面でも、時間の面でも、不自由にはなっていく。孤独を癒すにしてはものすごい浪費を伴う。でも人間の本質的な孤独はそう簡単に癒せるものじゃないだろう。

あるいは、人は誰かに無条件に認められたいのかもしれない。誰かに特別だと思われたいのかもしれない。誰かにとって、自分しかいないと思いたいのかもしれない。でも、恋愛というのは本来はあらゆる点で損失を積み上げる行為だ。認められたいがために、世界中のほとんどの人が恋愛をする理由にはならない気がする。

 

まだ22歳の子供のことだ。俺には何の答えもなかった。

ただ、客とセックスして、付き合っている女の子と待ち合わせして部屋に帰り、明け方にセックスしては眠る。好きかと言われたら好きだし、一緒にいたいかと言われたらずっといたい。でもそれが何故かという答えには言葉がなく、次第にまた紅茶は冷めていき、気が付いたら新しい女と一緒に同じことをしていた。

 

ある日の夜、客の女性である32歳と渋谷のパルコの近くに当時あったカフェにいた。セックスする予定だったけれど、生理になったのでお茶しましょうと言われたんだ。夜の22時も回っていたので、二人でビールを飲んだ。アンチョビが強すぎるピザを食べながら、俺はふと質問してみた。

「人はなぜ恋愛をするんだろうね」って。

若い男を金で買っている女にそんな質問は酷かもしれない。多くは夫から相手にされず、かといって不倫をする相手との出会いも作れず、金で割り切って疑似恋愛をする女なのだから。

でもこの32歳はそれに対してちょっと面白いことを言った。

「恋愛というものはないのよ」

「いや、あるじゃん、好きとかあるじゃん」

「もちろんそういう感情はあるよね。でも恋愛、とくに恋と呼ぶものには中身はないの」

「よく分からないな」

女性は何やら得意げな顔になり、長い髪をかき上げながら笑った。

「女にとって、恋ってなにかというと、ただの勘違いなのよ。勘違いって言うと怒るのかもね。アキラも彼女いるんでしょう?それも勘違いよ。」

「は・・・」

「世界中に男も女も数十億人いるよね。きっとその中には自分にとって運命と言っていい人がいると思う。人種も性別も年齢も違うけど、きっと運命の人がいる。運命の人と出会えば無条件で幸せで、ストレスもなくて、もう二度と違う人と恋愛することもなくなる。」

「・・・はあ」

「でもそんな運命の人と出会うことは物理的にも確率的にも不可能よね。せいぜい半径100キロの範囲でしか相手を見つけられないのよ。ということは、今出会った相手を運命の人だと思い込む脳のシステムが必要だというわけ。もーこの人しかいない!この人がいないと生きていけない!って思うのは、そのシステムが動作中だからなのよ。」

ただの酔っぱらいの酒場トークだ。別にそれに対して反論もしないし、バカにもしない。その時は「へえ」とか言って合わせていた。

それでも32歳は続ける。しつこい。

「その脳のシステムは人によって半年、長くて一年しか動作しないの。その間に社会システムに移行して結婚、出産とこなしていかないと、関係は終わるのよね。」

 

それはお前だけだろ。俺は心の中でそう思った。ここまで寂しい女から金をもらってセックスする自分の仕事が本当に哀れに感じた。

どういう神経をすればこのような寂しい謎理論に辻褄を合わせられるんだろうね。

きっと、恋はただの脳の仕掛けであり、社会システムに組み込まれることを愛だと思っているんだろう。寂しい人だ。客の女はみんなそうだ。こんな話ばかり聞いてしらける脳のシステムに反発して、勃起させてセックスするのが俺だった。

 

悪いが俺はそうは思ってない。なぜなら、俺は、

自分の勘違いのために恋愛はしないからだ。目の前の女の幸せを本気で願って恋愛をしている。目の前の女を笑顔にさせることが好きで、小さな世界でわいわいしながらベッドの中で眠りに就くような毎日を恋と呼んでいる。時には利己的にもなるし、嫉妬もするし、束縛もしたくなる。笑顔にために献身しようとすることと、自分の利己的な感情を満たそうとすること、その両方も恋だと思ってる。

目の前の人が運命だと脳に勘違いさせるための麻薬が恋だとは思わない。俺はそこまで無粋な恋愛はしてない。

 

22歳の俺はそう思ったけれど、47歳になった今はよりもっと、そう思っている。俺は自分の女を笑顔にさせることが好きだ。もちろん利己的にもなって困らせることもある。もちろんそれも恋だ。自分に都合がいい脳のシステムだとしたら、俺はこんなに恋愛はしていないよね。

 

人がなぜ恋愛をするのかっていう命題の答えは、今もはっきりしないけれど、今はもうどうでもいいと思っている。

深夜にうますぎる焼き肉を2人で食って、終電が走り去っていく線路のわきを歩いて帰る時の笑い声が恋だと、それで十分な答えだろうと思っている。