コレクションをする男②

 「じゃあ、俺の話をするね。」

 

彼女は、ふふと笑う。聞かせて、そう言って冷めてしまったコーヒーを飲み干した。

 

お代わりのコーヒーを注ぎながら俺が話し始めたのはこんなこと。

 

俺は30代の初め、ちょうど目の前の彼女とその夫と同じ年代の頃、「性的逸脱」を激しく起こしていた。アキラブログを始めるほんの数年前のこと。

結婚はしていなかったが、付き合っている女性はいた。昔のブログで書いたことがある、酒癖の悪い女性。酒を飲むとちょっとしたことで豹変して怒り狂い、ある夜なんか俺は黒霧島の瓶で頭を殴られ大怪我をし、病院送りにされた。(このことは機会があったらまた別の記事で描く)

 

そんな彼女との付き合いは当時の俺には強いストレスだった。正直に言って頭がいいとは言えず、倫理観も人間性もひどいズレ方をしていた。勤めている会社も不都合があれば仮病を使って休み、最後は無断で出勤しなくなり飛ぶように辞める。勤めても数か月と続かず、無職になると朝から酒を飲んでいる。気に入らないことがあると大声で喚き散らし、謝ることもないし反省することも絶対ない。

その女性は当時、25歳くらいだった。

 

平気で何か月も音信不通になる。こっちが連絡を諦めた頃に気まぐれのようにメールや電話をしてくる。それまで何をしていたのか、なぜ連絡もしなかったのか説明もしない。後で分かったのは、違う男の部屋に入り浸っていたらしい。しかもそれは単身赴任のサラリーマンとの不倫だったりもした。

その都度俺も不機嫌になったが、人間性のズレ方に完全に諦めもあって何も言わなくなってしまっていた。どんなにめちゃくちゃでも俺は自分の彼女は特別だし我慢する、そんな男だったこともあって。文句をつけたこともあったが、結局は黙るんだ。

 

この俺にしても、当時お金にとても困っていた。大きな借金を抱えていた時期で、貯金が1円もなかった。彼女とは言っても別に何をしてあげられるわけでもなく、旅行にも連れて行ったことがない。甲斐性がないので結婚の話も出来ないまま、6歳年下だった彼女は結婚の適齢期を迎え、それもあって俺に苛立っていたのだとは思ってる。音信不通になって無茶な不倫をするのも、きっと俺のせいなんだろう。

 

彼女とは近所に住んでいたので毎日のように会っていた。昼の仕事の後で、風俗店の仕事もしお金を稼ぐ毎日だったが、さらに時間の合間を縫って会っていた。

毎日会い、電話をし、メールをしていたんだ。その都度、何かの拍子に怒り出し電話を切られたり、出かけた先で置いてきぼりをくらったりもした。

でもそれでも次の日にはまた電話をする。いま考えてみると、彼女もまたこの関係を諦めきれなかったのかもしれない。毎日の貴重な時間を俺に割いてくれる、それは当たり前のことじゃないからね。

当時はこんなグタグタな関係をなぜ綺麗に終わらせられないのか、自分でも不思議だったよ。

 

当時の俺は、毎日1時間くらいしか横になって眠れなかった。深夜に仕事中の車の中で居眠りするのが精一杯で。それもシートを倒したり車の中を暗くすると熟睡してしまうので、絶対にシートを起こしたまま。

お金の心配も相まって、毎日体調がとても悪かった。

耐えきれなくなると、風俗店の事務所で何度も気絶した。その都度、嬢たちが笑った。「アキラ、そんなイビキかくほど疲れて、普段から女と遊びすぎだよ」とからかった。

 

俺は嬢たちには冗談を言って返していたが、腹の底では常に苛立っていた。苛立っている雰囲気を出しそうなときはコンビニに行ってくると嘘をついて近所の公園に行き、ベンチに座った。

深夜、意味もない不安感に何度も襲われていた。

当時は、自分の寂しい生い立ちを思い出すことも滅多になかったが、たまに夢に母親が出てきた。

 

「あなたがここに来るのは迷惑なの」

「あなたを見るだけで疲れるの」

そう言われた高校生の時のことを夢に見ていた。 

 

「アキラ、寝ぼけて大きな声出してたよ。悩んでんの?」と、事務所で気絶する俺を見た風俗嬢がタバコを吸いながら俺にガムを差し出した。

 

苛立ち、不安、恐怖、自己憐憫、絶望感、そんなものが一日中俺を襲っていた。こみあげてくる感情を抑えられなかったり、笑っているのに涙が出たりもした。こういうことを誰かに分かってもらいたいと思いながら誰にも相談できず、毎日連絡している彼女にすら話すことは出来なかった。普通に相談できればどんなに楽だろうと思ったけれど、俺の気持ちの奥底にあるものに興味なんて微塵たりともない彼女だと知っていたから言わなかった。

あてにならない。支えにもならないこの人は、と。

 

 そうしているうちに、俺の中で少し変化があった。

 

彼女と毎日会い、メールと電話をしている隙間に、ふと自分の中のある「回路」を開いてみる気になったんだ。

俺は10代の頃から女性と出会うことについては宿命づけられているのか、出会いに困ったことが一度もない。次々に女性が現れる。現れては消え、また現れる。そんなまだ子供だった俺がその感受性を仕事に使って夜の世界で身体を売る仕事をしてきた。当たり前のように信じられないほどのお金を稼いだ。その世界では一度も挫折を味わったことがないほど。

 

でも気づきはすぐにやってきた。22歳を迎える頃には、意図的にその「回路」を閉じないと自分の生活が荒れ果ててめちゃくちゃになってしまうと気づいた。

運命や宿命を無自覚に受け入れてはいけない、と。

 

30歳を過ぎたばかりのその頃、俺はずっと回路を閉じていた。派手な風俗嬢たちとずっと一緒にいても、俺自身は性的な関係を、付き合っている一人の女性以外と持つことはしなかった。意図的に、自覚して能力の回路を塞いでいた。仕事以外で女性と出会うことはなかった。出会いを認識さえしなければ、運命にはなりえないよね?出会いって認知のことであり、認識して心に入れ込めば出会いに繋がってしまう。それをしなければ、恋愛なんてものに発展することは絶対にない。

 

でも身も心も疲れていた俺は、その回路を開いてみようと思った。真昼に繁華街の片隅にある立ち飲み屋で生ビールを飲むような感覚だった。うしろめたさを感じつつ、ビールを美味しく感じてしまうあれ。

 

それは、要するに浮気ということだった。回路を開いたらどんなことになるんだろうかって、そんなことを想像するとストレスが紛れる気がしたんだよね。どうせあの彼女との関係は無関心と口論ばかりだから。

 

回路を開くのはほんの簡単なこと。深夜に事務所の外に出て、晴れているのに星が見えない明るい夜空を見上げ、ため息をひとつつく。そして、俺が誘えば絶対に断らない、名前もよく覚えていない女に突然電話をする。明日、会えるかい?そう言う。相手はもちろん断らない。

約束の時間と場所が決まる。

これで回路は解放される。

ダムの放流のように、何故かしらないけれどその次の瞬間からメールが大量になだれ込む。

遊ばない?会える?食事いこうよ?どこか連れてって?

そして気が付けば、大勢の女と会う予定で埋まる。

でも彼女との毎日の電話なんかは一日も欠かさない。

 

残念ながら、女たちの誰一人として名前を正確に知らない。仕事も、年齢も、住んでいる場所も、よく分からない。

俺は、ただ予定が埋まることに救いがあった。救いと言うのが大げさなら、気晴らし、かな。

 

その回路を解放してしまえば、出会いは際限なく再現されるんだ。数えることはしなかったけれど、気が付けば当時のガラケーのアドレスのフォルダには、200人くらいの女性の連絡先があったと記憶している。

毎日誰かと会い、セックスする。仕事がない日には朝早くから深夜までかけて、7人くらいと会う。一日が終わると誰と会ったのかさえ覚えていない。

覚えていないと言うのは大げさなことではなく、こういうことをしている時は、脳が記憶を拒否する感覚がある。昨日だれと会った?と誰かに聞かれたとしても、きっとすぐに答えられない。

散々なことをしておいて、付き合っている彼女と深夜に会う時には、彼女のことしか考えていない。彼女との会話は一つの単語も漏らさず覚えている。ひどい彼女でも、たまに機嫌が良くて、帰り際にキスをして笑顔で別れる時もある。

でもそんな日は特に、家に帰って携帯を見ると大量にメールが入っている。そのまま無視してベッドに入って眠れば身体も楽なのに、今すぐ会える女に返事をしてまた出かけていく。2時間半もしたら朝になるので帰らなければならない。

 

そんなときに限って、彼女が深夜に電話をくれていたことに気づく。機嫌よく帰ることが出来たので、またおやすみと言いたくて電話したんだろう。でも俺は気づかないふりをしていた。なぜなら女とラブホテルにいるから。着信は20回を超えていたりする。次の日、揉めるだろう。面倒だなと一瞬思うが、どうでもよくなる。

明け方に女と別れて家に帰る時、メールだけを入れておく。「寝ていたよ」と。

午前中に電話をかえても出ない。きっと数日出ないつもりだろう。

 

電話に出なくても、俺はその夜も女たちと仕事をし、終わればまたどこかの女と会う約束がある。そんな深夜に限ってまた電話がある。ラブホテルにいるので電話に出られない。同じことの繰り返し。

 

罪悪感があるかないかと言われたら、正直言って、なかった。罪悪感という感情が当時は一切分からなかった。やましさとか、うしろめたさとか、そういうものもない。

 

でも罪悪感と言うものとは違う、何か苦しい感情が後追いしてやってくるものは確かだ。

それに名前を付けるとしたら、「気持ち悪さ」だった。

大勢の女性とセックスをして楽しかったことはたぶん一度もない。むしろ、その行為は全て気持ち悪かった。

でも付き合っている彼女とのセックスは居心地も良かったし集中していた。どれだけ付き合いが腐ってしまった彼女だとしても。

それでも不特定多数とのセックスは止まらなかったし、回路が開いているので人数はさらに増えていった。 


 1人でいる時、ぼんやりと考えていた。どうしてこんなことをしているんだろう、どうして止まらないんだろう、何がしたいんだろう、なんて。

一度開いた回路をまた閉じることは難しい。

こういうことはいつか終わらせたい、でもそれは今夜じゃない。そんな映画で聞いたセリフを何度もつぶやいていた。


きっと、受け入れてもらう瞬間をたくさん積み上げたかったんだと思う。

ガキの頃、あなたといると疲れるの、と母親に言われる時のあの冷めた空気が心に楔を打ち込んだんだろう。あのとき俺はそれでも母親を求め続けた。あなたは迷惑なの、と言われてもいむか受け入れてくれるかもしれないと信じて。


性的に過激な行動を取るのは、ガキの頃のそんな所在無さから来てる。誰といても不安。でも特別な1人との関係はスペシャル。スペシャルだから、そこで何かを否定されると激しい怒りがこみ上げる。だからまた過激な行動を取る。その繰り返し。


俺が回路と呼ぶものは、言葉を変えると、6歳の気持ちを思い出してしまうということだと思ってる。だから、遊びに誘うのも無邪気だし、誰も断らないんだ。


☆☆☆


俺はカプチーノを啜って、カップを皿に置いた。


「だからね、元の旦那さんは、あなたがスペシャルだから戻りたいと思ってるんだと思うよ」

俺は言った。


「そんな都合のいい話。また繰り返すのでしょう?」


「繰り返すかどうかは、これからの夫婦のコミュニケーション次第だと思うよ。もちろんすぐに復縁する必要はない。復縁までにハードルを用意した方がいいね。」


「ハードル?」


「何度も性的逸脱と、生い立ちから来る感情の瑕疵について話し合うこと。お互い逃げずに。お互い、謝ることはあるよ。」


彼女はしばらく無言で考えていた。


「そうね、あの人のことを分かろうとしたけど、確かに話し合ったことはないかもね。断片的な情報から私が推理しては途中で諦めただけかも。」


「浮気をして暴力を振るったのは許されないこと。それは謝らなきゃいけない。理解してもらおうと努力しなかった旦那さんも悪いよね。」


ねえ。俺は言う。


話し合うテーブルまでまだ遠いけどね。電話も出来ないままだしね。

彼女はそう言った。


「アキラだけが違うことを言ってくれた。」


ちょっと考えてみなよ。そう言ってその日はお開きにした。


人間同士のコミュニケーションの糸は、雑な扱いをすると簡単に絡まってしまう。

見たこと、聞いたこと、お互い考えたこと、お互いが言葉にしたこと、それをテーブルに並べて話を重ねたら、絡まることは滅多にない。絡まっていても必ず解れていく。


人間の心と過去はいくらでも複雑になるけれど、大切な人同士のコミュニケーションは、本当はシンプルなものなんだよ。


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