記憶がない時代のこと

それが病気のせいだったのかは分からない。

 

俺の人生で記憶がほとんどない時期がある。断片的なイメージだけはあるんだが、具体的にどこで何をしていたのか、思い出すことがとても難しい。

 

25歳くらいから、28歳くらいまでの間。

いや、もっとかもしれない。

20代の初めに悲しい出来事があった。うちひしがれた。

自営業として仕事をしてとても苦労した。それは知ってる。風俗の仕事もした、それも知ってる。乗っていた車も、たぶん覚えている。

でも、毎日毎日、本当に何をしていたのか細かいことはほとんど思い出せない。

 

不思議なんだけど、記憶がないのとは違う。

何かの拍子に思い出すことがある。

最近、東急目黒線で不動前で降りた。駅前の商店街を歩いていると、突然吐き気に襲われた。足が震えはじめ、立っていられなくなった。

そして気づいた。

ここに来たことがある。初めて降りる駅だと思っていたが、きっと20代後半の記憶のないあの時期に来ていたと頭のどこかで覚えている。頭のどこか、じゃない。心のどこかでブリキ板のへこみみたいに残っているんだろう。

何があったのかは分からない。とにかくここは嫌だと思った。冬のことだったけれど、なぜか下半身にだけ冷や汗が噴出した。ウールのパンツが汗で濡れてしまい気持ち悪くなった。

駅前の路地の商店街の喫茶店で俺は何か嫌なことがあったということを思い出した。誰と何をしたのかは分からない。狭い店だったと思う。誰かと小さなテーブルを挟んで対峙した気がする。

苦しかったんだろう。心が悲鳴を上げていたんだろう。

 

その当時から親友だったMという女性がいる。今も近くに住んでいるので、当時のことを話題にすれば覚えていると思う。

でもその話題を俺が出すことを考えただけで、心と体が激しく拒否をするんだよ。頭が痛くなる、動悸がする、記憶にノイズが入り心のブレーカーが落ちてしまう。

 

Mは当時のことは俺には何も言わない。彼女にとっても嫌な記憶なのかもしれない。

 

23歳までの出来事はラブレスキューに書けるほど詳細に覚えているというのに。

 

記憶がはっきりと戻るのは、30歳になる少し前のこと。

この頃付き合っていた女性と、車に乗っている光景から先の時代のことはよく覚えている。美しい女性だった。夜の車の中での横顔を覚えている。いい恋愛だったのかもしれない。そこから先は正気に戻ったような気がする。

 

でもね、本当に20代の記憶がないのかって・・・

 

忘れるわけがないんだと自分でも思う。

しっかり覚えているはずなんだ。でも、思い出すことを脳が全力で阻止している。

 

うん。覚えているんだ、本当は。

沢山の、死んだ人たち。俺が救えなかった人たち。

俺の孤独。疎外。惨めな生活。

韓国生まれの美しく気性の激しい恋人。

お金がなかったこと。

病気で苦しんだけれど病院に行くお金がなかったこと。

お金がなくて失った人間関係と信頼と。

 

27歳。人生が苦しかった。生きるのが苦しかった。

忘れたかった。生まれてきたことを呪うほどだった。

 

不動前の喫茶店で何があったのかって。

これを書きながら思い出そうとしていたら、脳幹が痺れる感じがずっとしてやっぱり思い出さないほうがいいみたいだ。

でも、怒りと孤独を感じたんだ。死にたくなるほどの辛さを感じたんだと思う。

 

この時代のことを文章にするのは、ちょっとまだ難しいみたい。