自分の意見が言えない子に大人がやるべきこと

大きな声で正論を言う、大きな声で改善を求める、大きな声で異論を主張する。

それは嫌いだと言う。私が求めているのはそうじゃない、と言う。

 

多かれ少なかれ、大人になるとそういう自己主張をして生きている。

 

上司に対しても、親に対しても、夫や妻、彼氏や彼女に対しても、自分の意見をある程度言うだろう。

 

俺もそうだ。嫌なこと、ムカつくことがあったら結構吠える。小うるさい。

すると、他人が「分かった分かった」と言って少し改善してくれたり、あるいは相手から反論を食らって口論になったりする。

 

別に珍しいことではない。

 

その緊張感と言うか、ピリピリした雰囲気は自分が生きるための代償だよね。言わずに我慢して済むならいいけれど、それって絶対にろくなことにならないのを、みんな知っている。だから言うしかない。

 

でもいつの頃からか、若い子たちを中心にその緊張を「スルーする」ことが美徳とされている。

 

イキリ散らしてケンカ腰でかかってくる輩を、華麗に無視することをスキルだと呼ぶようになった。

これは一見いいようでいて、現代の生きづらさの原因の一つだろうなと感じてしまう。

 

大雑把に言うと、「いい子」でいることを優先してしまったということ。

 

その場に緊張を生まないようにする、向かってこられるのも怖いしストレスだし、向かうことはもっとストレス。

そんなの嫌だ!と大きな声を上げることに強いストレスを感じて、逃げてしまう。直接話すことを避ける。

 

「自分は気持ちが小さいからそうするしかない」と言える人はまだましで、「バカに感情を動かしたら負け」などともっともらしい小理屈を唱え、結局は逃げる。

 

何も言わず我慢したほうが「いい子」でいられるからね。

 

それを親や先生が褒める環境でもあったんだろう。

 

でもそれでも、まあいいとする。言いたいことを言えずに陰口を友達同士で言えたらマシだ。ガス抜きが出来るから。

 

問題は、いい子を常に貫いてしまう人たち。

虐められても、親に虐待されても、理不尽な扱いをされても、お金を奪われても、バカにされても、文句を言わない人たち。

言えない人たち。

 

この人たちは、必ず自傷的な行動に走っていく。

追いつめられたかのように、怒りを爆発させてブチ切れてみたり、社会活動を一切放棄して自室に閉じこもったり、彼氏や彼女を無視したりする。

その理由を相手に言うことことさえ出来ない性格をしているので、とにかく無視をして逃げる。

それでも親であれば諦めずに関わってくれることもあるけれど、友達や彼氏彼女であれば呆れて去っていくことも多い。多くの人の信頼を失い、孤立してしまう。

 

そうやって、夜の仕事に流れてくる子が、結構いた。

夜の仕事と綺麗に言うけど、風俗の仕事のことだ。知らないおっさんと猥褻なことをする仕事。

 

いい子を貫いた彼女たちにとって、夜の仕事はブチ切れた末の自傷行為の一つだろう。

 

共通するのは、一見愛想がとてもいいこと。にこにこしているし、俺の機嫌も取ってくる。相槌と一緒に言うのは「そうですね」「分かります」「ありがとうございます」と、おべっかのような言葉ばかりで。

 

何も知らないと、いい子だな、明るい子だな、真面目そうだなと感じてしまう。

 

でも正体はすぐに分かる。ほんの数日で顔色が悪くなる。どんよりしている。

 

「困ったことがあったらちゃんと言えよ?」と俺や仲間の子が言っても、「何もないです、お気遣いありがとうございます」なんて言う。

まわりはそれをまた信じてしまう。

 

でも、そのさらに数日後にはいきなり飛んでしまう。

 

お金を持って飛んでしまったりするのでスタッフが会って話をしてくると、「アキラが怖かった」「先輩の〇〇が無視をした」などと辛らつなことを言う。

一様に、体調が悪いと主張する。実際に顔色がとても悪くなっている。リストカットの新しい痕跡も見える。

 

俺はそんなに悪党だったのかと随分と落ち込んだ時期がある。

でも・・・だったら先に言えよなとも思ったが、高圧的で言わせなかったと主張していたよとスタッフに言われ、口を噤んだ。

 

仕事上当たり前のことを言っただけなんだけどなと思ったが、とても悲しくなった。

 

俺も違うスタッフへの関わり方に恐怖心まで芽生えてしまったり。

そんなことで、随分と悩んだよ。

 

今思うと、彼女たちは「大人になるステップ」を踏むことが下手くそだったんだろうと気づく。

 

いい子でいるせいで自分の意見が言えず、追いつめられてブチ切れ逃げることしかできない。それを繰り返してきた。極端な行動をするしかない。

自分の意見を主張することが性格的に出来ず、かといって練習する機会もなかったわけだ。

 

それで年齢だけ大人になっても辛い。生きづらい。大人になればなるほど、信頼関係が築けなくなる。

 

それって本人の努力でしょ、自分でやれ、と言うのはコミュニケーション強者の論理であって、彼女たちには通用しない。

 

受け止める側の俺が努力しなきゃなと思って、関わり方を試行錯誤してきた。

 

ブチ切れてアキラが嫌いと言う子には、メールやメッセージアプリで、「仕事に来ないと判断したのは辛い決断だっただろ?」などと話しかけるようにした。

 

自分の意見を言えない子には、「〇〇ちゃんの意見を参考にしたいから聞かせてほしいな」と声をかけた。

 

苦し気にしている子には、「今日の仕事はアキラの話し相手になって」とスタッフに言わせた。

 

とにかく、本来自分で処理しなければならない感情表現を、先回りしてやってあげることにした。

この子たちは感情表現や自己主張が出来ないというよりは、する方法を知らず度胸もないわけだから。

 

俺のことを言うと、俺は風邪をひいたというだけで気絶するくらい殴られて育った。だから俺も何でも黙りこむ癖があったし、我慢が出来なくなると逃げた。

そもそも俺もそうだったんだよ。

 

俺を受け入れてくれたのは新宿の夜の街で、たくさんの派手なお姉さんたちが俺が言いたいことを先回りして言ってくれた。今思うとそうなんだ。

 

俺が意見を言ってもいいんだってことを、そうやって甘やかしてくれることで覚えることができたんだよね。

 

だから俺は、今日も徹底的に甘やかすように意識している。

 

議論が必要なとき、俺は三択を用意してる。

 

①賛成

②反対

③わたしの意見を聞いてほしい

 

これを紙で見せて指で示してもらったり。

 

そうすると、多少話しやすくなるのか意見が出てくる。意見を言えた時は本人たちは嬉しそうだ。

 

何やってんのと昔の俺なら思ったかもしれない。でもそういう場所があってもいいだろうと思って。

 

本当の親なら、小さな子供が熱を出して寝込んだら、お菓子や美味しい食べ物を奮発して元気づけてくれるだろ?

そうやって気持ちを元気にするプロセスを親がやってくれるんだ。そのうち自分で自分を元気にする方法を覚えて大人になっていく。

 

それと同じで、成長が遅れている子には先回りして言葉にしてあげる機会が必要だろうなと思っている。