男の見苦しい嫉妬も、可愛らしいもの

今に始まったことではないが、男の嫉妬ほど見苦しく哀れなものはないなとつくづく思う。

 

1990年代にカリスマ的な人気を誇ったボディビルダーがいて、最近YouTubeでは過去の動画を見ることが出来る。俺なんかだと、面白いなあと思って眺めているんだが、コメント欄を読んで「またこれか」とうんざりしてしまった。

 

「ベンチプレスのフォームがダサいw」とか

「フォームが我流で、こんなもんかと思ってがっかりした」とか。

結果を残し一時代を築いた人にさえ、こんなことを言うのかと。フォームが我流だろうがなんだろうが、結果を出しているし20年以上経った今も人気がある。もっと言うと、それを言う男たちなど匿名のモブキャラに過ぎず、結果を残したわけでもそれで収入を得る能力があるわけでもない。

ただ、陰から吠えているだけ。しかも本人が亡くなっているのを知ってそれだ。

 

あるいは、最近服飾の世界で何かと露出が多い大御所の男性がいる。独自の世界観というか、基本に忠実なスタイルをまず心掛けろと説いてくれるのが人気がある人だ。

この人に対しても、本人に直接言うことなくヤフー知恵袋などスラムのような場所で「大したことがない」「古い」「当たり前のことしか言ってないのにもてはやすバカが多い」など、言う男がたくさんいる。

お年を召した方でネットを細かくチェックする人ではないだろうから、そういうことが言えるんだろう。

 

見苦しい。

簡単に「それは嫉妬だろ」と指摘するのは好きではないが、やはり嫉妬でしかないのだろう。

問題は、なぜそういう有名人や成功をした人に対する嫉妬が生まれるのかということ。

 

嫉妬心というのは、もちろん男女ともに存在する感情だが、特に男性の場合はそれが他人に分かりやすく伝わってしまう。男性は群れの生き物であり序列が出来やすい生態を持っている。社会的に生きざるを得ない存在であるせいか、男の嫉妬は恋愛などの閉じた空間ではなく、社会的に開かれた場所で発露される。だから、男の嫉妬は分かりやすくなる。もちろん恋愛で嫉妬することもあるだろうが、残念ながら社会的に弱者の部類に入る男に限られる。要するに暇な男だけだ。

 

男は、群れの序列で嫉妬感情を持つ生き物だ。

 

会社の同期が自分より先に昇進した、自分より年下の社員が役員から褒められた、部活の後輩が女子から人気がある、など、そこに「社会」があって、「男」がいて、「報酬や肩書という座標」があれば、「嫉妬」は必ず起こる。

 

もしそれが、

「高校の時の同級生が、乞食同然でインドを放浪しその様子をブログに書いている」ということであれば、いくら人気が出ようが男は嫉妬しない。というより嫉妬できない。

なぜならそこに「社会」や「群れ」が存在しないからだ。

会社を辞めた元同僚が、風俗店経営者として成功していたとしても同じだ。自分とは群れの種類が違う。住む社会が違う。だから嫉妬しにくい。せいぜい収入に対してだけだろうが、あまりリアルな嫉妬にはならない。

 

もし嫉妬に見間違えるような激しい悪口を言っていたとしても、それは嫉妬ではなく「軽蔑」を感じた時だけだろう。群れていない男が言う悪口は、軽蔑に由来することが多い。

 

先ほどのボディビルダーや服飾の専門家で例えると、嫉妬するのはその社会に属している格下の男性だと思って間違いない。

 

筋トレをするけど厳しい努力に耐えられず、いつも焦りと劣等感に苦しむ男。

アパレルの片隅にいるけれど薄給に苦しみリストラに怯える男。

 

わざわざ書くまでもなく、序列が下の男が上の男に激しく嫉妬をし、嫉妬なんかしてないよと言わんばかりに小難しい理屈を並べて「批評」という形を取るのは、男の哀れで滑稽な姿だね。

 

群れという社会がある以上、これは23世紀になっても続く光景だろう。

 

でもな、とふと思う。

 

逆に考えてみたら、23世紀の日本では「群れ」は存在するのかな、と。群れて社会を作らなければ仕事が出来ないのは、この数十年で終わるのではないかと考えたりする。

 

群れを形成しなくなった男に、嫉妬という感情は発生しにくい。

俺個人のことを言うと、やはり夜の世界で働いていたり、会社員として働いていた時は、嫉妬心を持つ自分を否定できなかった。序列が上の人間を憎むような感情が必ずあった。

しかし、群れという群れをどんどん離れて行って、他人に自分の職業名さえ説明するのが難しい仕事の仕方をしていると、嫉妬心がどういうものだったかリアルに思い出すのは難しい。他人の嫉妬を目撃して、ああそうだったなとぼんやり思い出す程度。皮膚を針で突き刺すような身体感覚としては、もう覚えていない。

 

嫉妬と同時に俺の中からゆっくり消えていったのが、性欲だと思う。

年齢の問題とか病気の問題だとは思えない。群れからどんどん離れひとりになっていくほど、「個人的」で「我を忘れるような」性欲を持つことが難しくなった。もちろんポルノの商売もしているので常にセックスが隣にある毎日だが、女性を見てセックスをしたいとすぐに思うことはない。卑猥な言葉を羅列したヘッドラインを書いているときも、性欲はない。

俺がまだ群れの中で誰かに勝とうとしたり、順位を争っていた時は、性欲がとても強かったように覚えている。性欲を抑えきれず、ありえない行動を取ることが多かった。大事なはずの商談をキャンセルしてくだらないセフレに会いに行ったりね。

 

男にとって、性欲すら社会性の中でしか存在しないものなのかもしれない。かなり乱暴なことを言うけど。

序列に晒されているときに性欲を感じるのは、まるで野生動物の群れのようで気持ち悪いけれど。でも2011年の東北の震災で大停電が起きた時、命の底から湧き上がるような性欲を感じた。俺も含めて人間は地球という野生の中で生きているんだと当時のブログに書いたのを覚えている。あの時期、溺愛していたMちゃんとのセックスはひどいものだった。このセックスライフについてを新しいブログに書き始め、それが初代の『ラブレスキュー』になったわけだけど。

男の性欲は、自分が考えている以上に野性的な何かで支配されているのかもしれない。

 

23世紀まで待たなくても、リモートワークが当たり前になり、そのうち会社との関係性も雇用関係ではなくなり、社会性の箱の外枠があいまいになっていったら、きっと男はセックスを頻繁にしなくなる。今でも序列が下の男たちは性欲に苦しんでも相手が見つからないというのに、そんな悩みさえなくなっていくのかもしれない。

男に完璧な自由を与えたら、多くは自宅で昼間で寝て、起きてカップ麺を食べてまた寝る生活をするのと似ている。群れなくなったら嫉妬どころか、クソリプすら書き込む気力はなくなる。

群れから離れていったら、性欲を行動のモチベーションにする人が珍しくなるのかもね。

 

性欲は、嫉妬心を生み出すような群れの存在があってこそ。

そう思うと、男の嫉妬も可愛らしい遊戯に思えてくる。見苦しいところがまた可愛いのかもね。

 

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